犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

企業の顧問弁護士の思考術 その1

2010-12-06 23:08:17 | 言語・論理・構造
 弁護士を志す者は、多かれ少なかれ、当初は「お金にはならないがやり甲斐のある仕事」を求める。自分でなければできない仕事に人生を賭けたいとの希望を抱いている。ところが、実際問題として壁になるのは、やはり経済的な問題である。現実に何らかの不測の事態が起き、収入が途絶えた場合の不安については、自由業者は会社員と同等かそれ以上に切実である。
 経済的な恐怖感は、「お金にはならないがやり甲斐のある仕事」を求めていた当初の希望を、世間知らずの戯言であったとして自己批判の対象とする。経営感覚のない理想論を追求した挙句に収支を悪化させ、社会人失格の烙印を押されてしまえば、世間的な冷笑によって打ちのめされることになる。こうして、多くの弁護士が仕事を選ぶ際の第一の基準は、いつの間にか「元が取れるか取れないか」に変わり、さらには「儲かるか儲からないか」に変わっていく。
 それでは、このような圧力に流されず、あくまでも信念を通すために最も有効な手段と考えられているものは何か。それは、安定した顧問先を持つことである。弁護士は法律顧問が多ければ多いほど、定期の収入が見込めるからである。この確実性は、単発の収入とは格段の差である。弁護士は顧問料という後ろ盾によって、経営の問題のみに追い回されることなく、お金にはならない仕事に取り組む余裕が生じてくる。

 ある日、彼が法律顧問をしている会社の人事部長が、彼の事務所を訪れてきた。今回の問題はパワハラである。ある社員が上司から暴言や社内いじめを受けるなどして精神を病み、出社できなくなり休職中とのことであった。人事部長は、その社員に郵送する予定の連絡書を持参し、彼の意見を求めてきた。
 彼はその書類に目を通した。「人事部において事実関係を詳細に調査いたしましたが、パワハラに該当する事実は確認できませんでした。」「会社としましては、貴殿の属する部署にはパワハラなどない良き上司を配置しております。」「貴殿の主張は事実無根であり、これ以上貴殿が争われるのであれば、当社は顧問弁護士と協議のうえ法的措置を採ることを検討せざるを得なくなります。」
 この人事部長は、社員の体力を上手に奪う方法を心得ている。会社からこのような書類を送られた社員は、当初のパワハラによる絶望よりも、より質が悪くかつ根が深い絶望に直面する。これは直線的な絶望の並列ではなく、その絶望を否定するための根拠となる基準自体を破壊された状態であり、人は救いのないまま八方塞がりの状況となる。これがパワハラの特質である。そして、社員が「こんな会社辞めてやる」と思ってくれれば、人事部のシナリオ通りとなる。

 法律顧問である弁護士に求められていることは、パワハラに関する彼自身の政治的意見を述べることではなく、あくまでも法律文書のチェックである。必要なことを書き漏らしていないか。そして、後に問題となるような余計なことを書いていないか。人は自身が求めている仕事と他者から求められている仕事にギャップが生じた場合、それを何とか埋めようとする。それは多くの場合、仕事のほうではなく自身の求めを譲歩する。
 彼はパワハラの有無を人事部長に尋ねた。書類に書かれているとおり、人事部としては、社員が申し出たような事実を確認することはできなかったとのことである。そして、具体的なパワハラがあったという証拠や証言は出てきていない。人事部は、社員と上司の双方の話を公平に聞いたが、パワハラが存在したとの結論に至ることはできなかった。パワハラを受けたという社員が、自分でそのように言っているだけとのことである。
 次の瞬間、彼の事務所において、パワハラは存在しないことに確定した。ある人間の行為がパワハラに該当するか否か。それは、それを論ずる者の立場で決まり、その立場の上下や力関係によって決まる。顧問弁護士にとっては、会社内の立場や利権が直接に絡むことはない。それでは、彼において、パワハラが存在しないとの結論に至った決定的な理由はなにか。それは一言で言えば、「顧問先を失うことが怖い」という点に帰着する。

(その2に続きます)

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フィクションです。

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