犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

新聞に穴が開く

2007-08-30 23:03:50 | 国家・政治・刑罰
悲惨な犯罪が起きた次の日の新聞は、紙面にぽっかりと穴が開く。名古屋市千種区における31歳の会社員、磯谷利恵さんの殺人事件においても、多くの新聞は、母親の磯谷富美子さんのコメントをそのまま掲載している。「その時の娘の恐怖と痛みを思うとき、居たたまれない気持ちで一杯になります。行き場のない悔しさ、無念と、犯人達に対する憤りで胸が張り裂けそうです。何の落ち度も、関係もない娘に対し、あれほどの異常な行為を行った人間の存在を、私は認めることは出来ません。絶対に、絶対に、許しません・・・」。

新聞でありながら、これは記事ではない。記者によって全く編集されていないからである。実際問題として、これ以上編集しようもない。「恐怖」、「居たたまれない」、「異常」、「絶対に許しません」。これらの単純かつ誰にでもわかる言葉は、これ以上説明しようがない。難しく分析することもできなければ、簡単に言い換えることもできない。誰もがわかっている。どうしようもない。新聞社もそれを十分にわかっていて、編集を放棄し、母親のコメントをそのまま掲載するしかないのが実情である。

それだけに、その母親のコメントの周辺に掲載されている「殺人事件の記事」とのギャップがどうにも妙であり、未消化のまま残される。犯人の3人組の接点は「闇の職業安定所」なる闇サイトであり、最後までお互いの本名を知らなかった。計画性のない場当たり的犯行であった。3人とも金に困っていた。このような事実が選別され、編集され、通常の記事として掲載されている。かくして、遺族のコメントを離れた「殺人事件の記事」は、あっという間に社会問題として捉えられることになる。

闇サイトは表立って犯罪行為をうたっていないにもかかわらず、実態は大半が非合法な取引や犯罪仲間を募る内容であり、この規制が今後の情報化社会の課題である。確かにその通りである。事件から教訓を得て、建設的な議論を進めようとすれば、この方向性は正しい。しかし、その隣には大きな穴が開いている。どんなに犯罪心理学の権威が専門用語を振りかざしても、被害者の母親の「絶対に、絶対に、許しません」という単純な言葉には勝てない。それだけに新聞社は、遺族のコメントをそのまま掲載するしかない。難しい問題はぽっかりと開けた穴に押し込み、多数派の社会生活の維持のために、それ以上深めたり広げたりすることを許さない。

『40歳から伸びる人、40歳で止まる人』『30代までに身につけておくべきこと』といった本がベストセラーになる日本社会において、31歳でこのような形で人生を終えるとはどのようなことか、正面から向き合って考えるだけの体力がある人は少ない。かくして、難しい問題は簡単な問題にすり替えられる。専門家は自己の理論に引き付けて後知恵の理屈をつける。良心的な市民は、犯人の1人が朝日新聞拡張員だと判明すれば、その方面でバッシングをする。さらに下品な市民は、被害者の生前のプライバシーを詮索し、ネットの掲示板で盛り上がる。

「犯人達に対する憤りで胸が張り裂けそうです。あれほどの異常な行為を行った人間の存在を、私は認めることは出来ません・・・」。多くの国民は、この言葉を正面から受け止めることに耐えられない。自分にわかるわかり方でわかろうとしても、どうしてもその枠に収まらないからである。遺族が広く社会に訴えようとしても、そのうちに聞いてくれなくなる。多数派の社会生活の維持にとって有害なこの種の言葉は、合目的的に変形される。これが哲学なき思考の限界である。哲学的な問題を穴に押し込み、今日も新聞は「東証大引け・反発、米株高受け1万6100円台回復、2部も反発」といった記事で一杯である。政治経済の記事のど真ん中に、哲学の穴がぽっかりと開いている、この奇妙なミスマッチは現代の象徴である。

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2 コメント

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Unknown (だっぺ)
2007-08-31 09:46:41
 新聞というのは、大多数の興味がわくようような形でしかできないのは確かでしょうね。
 哲学的思考よりもスキャンダラスな内容に目が行くのはいつも同じようです。
 根本的に新聞拡張員のことを新聞が報じるのは少し皮肉ですが・・
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おっしゃるとおりです。 (法哲学研究生)
2007-08-31 21:52:04
新聞やテレビ、雑誌における報道とは、形而下のニュースを集めるのが役割ですから、必然的にそうなるでしょうね。要するに、モノ・カネ・ヒトです。
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