犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その39

2013-09-09 23:30:47 | 国家・政治・刑罰

 さらに依頼者が送った手紙のコピーを読み進める。依頼者の事故直後からの心情が1つ1つ描写されている。いわく、被害者の方には何とか助かってほしいと、とにかくそのことだけを願い続けていた。それだけに、警察官から死亡の事実を聞かされたときは目の前が真っ暗になった。取り返しがつかない。地獄の底に落ちた……。

 内心の描写は正確だと思う。実際に、依頼者の心は極限状態でそのように動いたのだろう。私にも、依頼者が書いている以上の的確な言葉は思い浮かばない。確かに言語の限界なのだろうと思う。それだけに、この間の言語の限界が示されていることが、何とも言えず気持ち悪い。騙す気のないはずの者に騙されている気がする。

 人の命を奪った者が、命を奪われた者の家族に対して「私は目の前が真っ暗です」「私は地獄です」と述べることは、いったい何を意味するのか。被害者の人生のために、人の命の重さのために苦しんでいることは大前提である。これは間違いない。しかし、同時に、「私の人生を真っ暗にさせたのはあなたです」という論理まで示されてしまう。

 依頼者の手紙には、事故の後は夜も眠れず、食事も喉を通らず、家族が自殺を心配して見張り続けていたことも詳細に書かれていた。依頼者は、なぜこのような事実を書いたのか。これは、自分の地位を貶めるためであり、やはり潜在的な自己主張を伴う。いわば憔悴の誇示である。また、自殺願望は罪の償いではなく、自己の将来の悲観である。

(フィクションです。続きます。)

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