犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

弁証法という逆説

2007-02-16 19:01:39 | 国家・政治・刑罰
従来の法律学の問題は、問いの立て方がはっきりしている。厳罰派の問いの立て方は、「なぜ犯罪が減らないのか」という形である。この背後には、「犯罪はあってはならない」という答えがあり、後はその方法を探ればいい。これに対して、人権派の問いの立て方は、「なぜ冤罪が減らないのか」という形である。この背後には、「冤罪は絶対に許されない」という答えがあり、後はその方法を探ればいい。内容は正反対だが、形式は同じである。

この両者が「犯罪被害者の問題をいかに考えるべきか」という問いに直面すれば、議論は混迷を極める。同じ問題文において、違う答えを前提としているからである。この論争は、いつまで経っても生産性のある結論をもたらさない。悲惨な凶悪事件が起きれば厳罰派に揺れ、無実の者が苦しむ冤罪事件が明らかとなれば人権派に揺れる。この繰り返しである。

このループから抜け出すのが、弁証法という逆説の視点である。弁証法では、問いそのものを問う。「そもそも『犯罪被害者の問題をいかに考えるべきか』という問題は、そもそもどのような問題なのか」という問いの視点を持つことである。これが自己言及のパラドックスと言われる弁証法の視点である。

法律学の従来の問いの立て方は、犯罪被害に遭うという人間の人生そのものに関わる深い問題を、浅い政治問題に矮小化してきた。何年経っても議論が行きつ戻りつして、先に進んでいないように見える原因はここにある。

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