犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

東日本大震災の保育所の裁判について その5

2014-03-28 22:17:59 | 国家・政治・刑罰

 現代社会で子供1人を育て上げるのには、約3000万円はかかると言われています。何よりもお金に価値を置く被災者遺族であれば、子供が亡くなれば現実に莫大なお金と時間が浮きますので、心置きなく投資や起業による金儲けに専念できるはずだと思います。被災地は折から復興に向けた建築や発電のビジネスチャンスであり、生産性がない裁判などにお金と時間を費やすのは全くの損という話になるからです。そして、実際にこのような話になっては世も末です。

 被災地で提起される民事訴訟について、「怒りの矛先の向け方が釈然としない」という意見に関し、それではどうすれば釈然とするのかと言えば、条件を満たすに最適の状況は明らかです。すなわち、子供を虐待していた親が、邪魔者が消えればいいと思っていた時に、ちょうど大震災が起きてくれたというような場合です。裁判を起こすよりも起こさないほうが絶対的に正しいのなら、この論理が肯定されなければ筋が通りません。そして、通ってしまっては世も末です。

 私は自分の裁判の仕事を通じ、「恨みつらみの腹いせで訴えているのではない」という考えが本当に他者に伝わらないことや、「生きている人が優先に決まっている」という理屈の強さに絶望的な思いをさせられてきました。他方で、「子供が消えたことを前向きに捉えて自分の人生を楽しみたい」「過去は綺麗さっぱり忘れて裁判など起こさない」などという論理が正面から語られれば、「子供が浮かばれない」「親として失格だ」という厳しい評価を受けることも明らかです。

(続きます。)