求めている「何か」が何であるのかわからず、従ってその「何か」を模索せざるを得ないとき、人は訴訟を起こすか否かという決断を迫られれば、「起こす」というほうを選ぶものと思います。法秩序が実体法と訴訟法のシステムを用意し、人がその社会の中で生かされている以上、この結論は最初から決まっていると思います。実際のところは、裁判にかかる時間と費用、体力と精神力、世間体などの問題が絡んできますが、論理の根本のところは動かないはずだからです。
「何か」が何であるかを問わないこと、すなわち金銭の請求でなければ何なのかを問うか否かという部分は、2種類の論理の違いを示していると思います。すなわち、「ロゴス」と称される論理と、「ロジック」と称される論理です。「何か」が何であるかを問わないのはロゴスであり、その「何か」はやるべきであり、やらねばならないことを認めるのはロゴスだと思います。他方、民事訴訟法の要件事実に基づく主張・立証の技術は、専門家の手腕を必要とするロジックです。
世の中の争い事はどこかでキリをつけなければ社会の秩序が保てない、ここが法律の誕生の契機です。他方で、責任の所在などと細かく論じる以前に、そもそも命とは何か、死とは何かという疑問から出発しなければ一歩も動けないという現実的な哲学的問題を突き付けられれば、法律はお手上げだと思います。ロゴスは自分を含めた普遍的世界を語りますが、ロジックは自分を除いた客観的世界を語ります。そして、ロジックは、生きることと考えることを別のものと捉えます。
(続きます。)