犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

適菜収著 『ニーチェの警鐘』

2012-07-18 23:56:15 | 読書感想文

p.66~

 B層は民主主義が大好きです。それどころか、絶対的な正義だと思い込んでいる。学校でそう教わったからです。B層は民主主義を否定すると憤慨します。彼らは《民主教》の信者だからです。骨の髄まで洗脳されているからです。

 小泉自民党政権から民主党政権に至るまで、近年繰り広げられてきたのは「民主化運動」と言っていいでしょう。「官から民へ」「民意を問う」「国民の審判をあおぐ」「民主主義の原点に戻る」といった言葉が政界に氾濫してきました。革命を牽引してきたのは小沢一郎です。

 ニーチェなら、政治家が《民意》を尊重し《民主主義の原点》に戻ろうとしたことが、政治、経済、社会の混迷を招いた最大の原因であると言うでしょう。政治家がやるべきことは《民意》から距離を置き、《民主主義の原点》から国家・社会・共同体を守ることです。まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。


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 憲法学者の関心と、有権者である一般庶民の関心なり感覚が大きく食い違っているのが、議員定数不均衡の問題だと思います。一票の格差を是正すべきという社会運動については、新聞で意見広告を目にすることがありますが、世論が高まったという話を聞いたことがありません。意見広告を見ると、不均衡の状態は民主主義社会において人間の価値に差がつけられている状態であり、これは大変な事態なのだという危機感だけは伝わります。そして、これによって国民が啓発されないのは、考えない人は元々何も考えず、考える人は元々その先を考えているからだと思います。

 一票の格差があろうとなかろうと、選挙で棄権する人は必ず棄権し、組織票で当選が決まり、浮動票はタレント候補に流れ、政治は政策でなく政局で盛り上がります。また、一票の格差が是正されようとされまいと、「次の世代を考えずに次の選挙ばかり考える政治家」に対する失望が恒常化し、マニフェストは守られず、権謀渦巻く永田町では狐と狸が化かし合います。議員定数不均衡の問題を解決した先にある問題は、「民主主義国家ではその国民のレベルに合った政治家しか選挙で選ばれない」ということであり、ここで一票の格差に関する啓発を受けても、ピンと来ないものと思います。

 議員定数不均衡訴訟を最高裁まで争うという活動は、国民のために、国民の代表として闘っているという自負に基づくものと思います。そして、同時に、その活動は国民の広い支持を集めることはないだろうと思います。それは、選挙を無効にして議員を失職させ、問題山積の国家に政治空白を作り、しかも成立した法律を無効にするという思想が、日々の生活に追われている一般庶民の感覚と完全にずれているからです。「違憲状態での法律は国民のものではない」という憲法論と、「国民の生活が一番」という政治家の腹黒さの次元の違いが解消されることはないと思います。