犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

苫米地英人著 『テレビは見てはいけない』

2011-09-19 23:45:02 | 読書感想文
p.29~

 テレビで姿を目にする人物に対して、視聴者は自然と好意を抱くようになっているのです。その理由が「ストックホルム症候群」と呼ばれる現象にあります。
 1973年スウェーデンのストックホルムで銀行強盗が起き、複数の人質をとって犯人グループが立てこもりました。1週間後に犯人たちは人質を解放しますが、その人質たちは解放後、世間を驚かせます。彼らは自分たちを監禁した犯人をかばい、彼らを逮捕した警察に対して反感を表明したのです。

 ラポールとは「心の架け橋」という意味で、人間関係において相互に信頼し合っている感情のことを指します。犯人と人質は、支配・被支配の関係性に長時間置かれていました。人間は自分のいる臨場感空間を支配している人に対して強いラポールをもつ傾向があります。
 現代人の生活において、臨場感空間を支配する人の姿をよく目にする場所こそがテレビ番組なのです。テレビによく出ていた人が、選挙に出馬すると多数の票を獲得する理由は、視聴者がその人に対して知らず知らずのうちにハイパーラポールを抱いたからにほかなりません。


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 私が刑事部の裁判所書記官をしていたとき、交通事故の被告人側の情状証人に、怪我をした被害者が出廷したことがありました。「私は大丈夫です。どうか被告人に重い罪を与えないでください」という内容の証言を行うためです。裁判官からの処罰感情の真意を問う質問に対して、被害者は余計なお世話だとばかりに不快感を示し、「私は被告人の人生に協力したいのです」と繰り返し語っていました。私は、その無表情で断定的な様子を見て、これが被害者の立ち直りの1つの形であることが否定できないならば、問題は一筋縄では行かないのだと直感しました。

 ちなみに、裁判官も書記官も人事異動が多く、書記官と裁判官の組み合わせは1~2年で変わるのが通例です。そして、人間である以上相性の良し悪しもあり、特に被支配側である書記官は理不尽な心労を抱え込むことがままあります。それでもしばらく一緒に仕事をしていると、書記官はどんなに人遣いの荒い裁判官に対しても、「実はいいところも沢山ある」「あの人は本当はいい人なのだ」との好印象を持つようになるのが通常です。私の経験がストックホルム症候群に類似するのか、全く違うものなのかについては、どうでもいいことだと思います。