犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

竹中平蔵著 『竹中教授のみんなの経済学』より

2011-09-15 23:31:02 | 読書感想文
p.242~ 「おわりに」より

 著名な経済学者であるJ.M.ケインズは、かつて次のように述べたことがあります。100年も経ったら、すべての経済問題は解決されている。そのときに、人生のほんとうの問題が顕在化する…。つまり人生には、生と死、愛や憎しみなど、経済問題よりはるかに重要な問題があるといいたかったのでしょう。人間の生死や愛情といった問題が重要であることは、疑う余地がありません。

 しかしながら、ケインズの予想に反して、経済の問題は一向に解決される気配はありません。いつになっても人間の生活の問題は、なかなか厄介なものなのです。どうせ生きてゆくのなら、これから先も経済という厄介な問題と徹底してつき合ってみようではありませんか。経済を知れば、人生は10倍おもしろくなるのではないでしょうか。

2000年12月 竹中平蔵


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 東日本大震災によって被災地の企業が壊滅し、食べていくためには仕事をしなければならず、そのために死者を想う時間が奪われるという経済社会の現実を前にして、かつてのベストセラーのあとがきの部分を思い出しました。経済に疎い自分が、その当時の自分なりに反発を感じた部分が強く印象に残っており、人の生死と経済問題が混然としている事態に接して、なぜか昔の記憶が蘇ってきたものです。

 「生と死、愛や憎しみなどの問題は、経済問題よりはるかに重要な問題である」という大前提が共有されていれば、未曽有の大災害に向き合う人間の心情も自ずと異なってくるものと思います。経済社会のルールにおいては、仕事はあくまでも仕事であり、個人的な事情を仕事に持ち込むのは社会人失格であり、「愛する人の死にもどこかで区切りを付けなければならない」との圧力がかかります。このような圧力に正面から抗するためには、ケインズに遡った根本的な哲学が必要になるものと思います。

 被災地の現状を伝え聞くと、そもそも「経済問題」と「人生のほんとうの問題」が分けられるのかという疑問も湧きます。少なくとも、経済は人生を10倍面白くするものではなく、苦しみを与えるものだとの印象を受けます。被災地以外で地域の経済振興のプロジェクトを企画していた立場からすれば、遠い被災地の苦しみよりも、目の前のイベントが中止になった苦しみのほうが現実的です。しかも、人はこの本音をそのままの形で言ってはならず、「自粛ムードは復興を妨げる」といった形で表明します。これが経済社会のシステムだと思います。