犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

小松真一著 『虜人日記』

2010-07-25 00:01:48 | 読書感想文
(太平洋戦争の従軍日記です。)

p.166~
 平地で生活していた頃は、荀子の人間性悪説等を聞いてもアマノジャク式の説と思っていた。ところが山の生活で各人が生きる為には性格も一変して他人の事等一切かまわず、戦友も殺しその肉まで食べるという様なところまで見せつけられた。そして殺人、強盗等あらゆる非人間的な行為を平気でやる様になり、良心の呵責さえないようになった。こんな現実を見るにつけ聞くにつけ、人間必ずしも性善にあらずという感を深めた。戦争も勝ち戦や、短期戦なら訓練された精兵が戦うので人間の弱点を余り暴露せずに済んだが、負け戦となり困難な生活が続けばどうしても人間本来の性格を出すようになるものか。

P.212~
 セブの戦闘で邦人婦女子を連れて山に入ったその時、敵に包囲され、子供は足手まといになり、部隊の行動が敵に知れるおそれがあるというので、赤子や子供を毒殺したり、刺し殺したりした。将校にしても上からの命令か、状況上止むを得なかったのか知らんが、時局がこう落ちついてみれば、やはり良心的には大分苦慮していたところなので、その後すっかりやつれてしまった。この事件が米軍に知れ、彼は戦争犯罪者として連れて行かれた。

p.239~
 実力のなき者、人格のなき者は月日がたつにつれ、段々うとんぜられ、階級章が米兵のお土産となるため煙草と交換され尽くした頃には、階級を振り回す者は、余程の馬鹿以外なくなった。一方下級者の中には、階級がなくなった事は自分が偉くなったものと思い違いして、威張り出す大馬鹿者も沢山いた。そして、一時は混沌として来たが、時のたつにつれ、色々の事件、仕事を通して、人徳のすぐれた人、社会的に実力のある人、腕力のある人等が段々尊敬されてきた。

p.268~
 トラックはマニラホテルの角を右に曲がって、海岸通りを南に走り出した。沿道に土民が沢山いる。「バカ野郎」「ドロボー」「コラー」「コノヤロー」「人殺し」「こんちくしょう、ぶっ殺してやる」等々、憎悪に満ちた表情で罵り、首を切るまねをしたり、石を投げ、木切れがとんでくる。パチンコさえ打ってくる。隣の人の頭に石が当り、血が出た。大東亜共栄圏の末路、日本人の猛省を要する時だ。いくら罵倒されても腹も立たない。1年半の間に、こうも民情が変わるものかと思うと、恐ろしいようだ。


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 戦後の平和な日本に生まれた私には、戦争体験のある方々の人生には絶対に敵わないという思いがあります。それは、実際に太平洋戦争の現場を見ていない私にはそれを語り継ぐ資格などありませんし、過ちを繰り返さない自覚も全くないということです。さらには、戦争の苦しみと比べれば現代の我々の苦しみなど取るに足らないとは思えず、21世紀に生きる者は21世紀の苦しみが最大の苦しみであるということです。

 一般的に、人間が大局的かつ多面的に物事を見られるのは余裕がある時であり、生死のかかった極限状況では近視眼的になるように思われています。しかしながら、人間は余裕を与えられれば考えが抽象的になってイデオロギーに堕するのに対し、極限状況では考えが凝縮し、どの時代にも共通する人間の姿を見抜く力が与えられるというのが実際のところだと思います。