犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

弁護士には犯罪被害者が「壁」と感じられる理由

2010-07-16 00:04:20 | 実存・心理・宗教
 被告人の妻は、この1ヶ月間、まともに眠れていないと言った。警察からの電話を受けた瞬間から、あまりに色々な出来事が一度に集中し、頭の情報処理が追いつかないとも言った。夫に対しては、裏切られたという感情や、今でも信じたくないという気持ちが錯綜して、心の整理がつかないようである。彼(弁護士)は、一方的に彼女の話を聞き、ただ頷くだけであった。夫の身柄勾留は1ヶ月に及んでいる。
 彼女は、犯罪者の妻として、被害者の方に申し訳ないという気持ちは非常に強いと語り、この言葉に偽りはないと言う。しかし、夫に裏切られたという感情も同じ程度に強く、犯罪の連帯責任を取るべき加害者の位置に自分が収まることに対しては、本能的な違和感があるとも語った。そして、今の自分の心情は一言では表現できないけれども、自分は「加害者」か「被害者」かと問われれば、どちらかと言えば「被害者」のほうを選ぶと述べた。
 彼は、上手く返答ができなかった。「あなたは被害者です」とも「加害者です」とも言えない。しかも、「あなたは被害者ではありません」とも「加害者ではありません」とも言えない。彼の頭の中では、「被害者」という言葉の意味が揺らいでいた。

 被告人の妻は、疲労が深く滲んだ顔で、被害者に示談金を受け取ってもらえないことについて、遠回しに苛立ちを見せた。1日も早く解決に結びつけばと思い、恥を忍んで実家にまで頼み込んで大金を用立てて、半月前に弁護士に預けたのである。しかし、示談交渉に全く進展がないのであれば、「一刻も早く」との思いで走り回った意味がないではないか。
 彼女は、被害者に対する交渉の方法について直接に不満を述べることはなく、無理におどけた調子で「今なら先生が私のお金を使い込んでいてもわかりませんよね」と言って笑った。彼は、その底意地の悪い笑いに怯えながらも、筋の通った言い分を聞くしかなかった。そうかと言って、この話は、弁護士の腕が悪いから示談に至らないという種類の問題ではない。
 彼は、ほとんど定型的なフレーズのように、「被害者の方の厳罰感情が強いようで、示談金を受け取る気になれないのでしょう」と語った。手続きが滞っている原因は、しかるべき示談金を受け取らない頑固な被害者のほうにある。古今東西の弁護士は、この言葉の威力によって、どれほど依頼者の信頼をつなぎ止め、救われて来たことだろうか。「共通の敵」を作り、その敵に原因を押し付けることは、窮地において恐るべき威力を発揮する。

 その1週間後、彼は車で被害者の自宅近くの喫茶店に向かっていた。示談金を受け取るかどうかは解らないが、とにかく弁護士の話を詳しく聞きたいとの連絡があったからである。このような被害者を事務所に呼ぶわけには行かず、彼のほうから出向くしかない。移動時間と滞在時間を入れれば、最低半日はかかる。しかも、この1日だけでは済まない。
 彼には、この時間が「拘束」と感じられた。その間、他の仕事は全くできなくなる。事務所に電話が入っても出られず、その間に書類の山は積み上がる一方で、当初予定していた仕事も後回しである。もしも、被害者がさっさと示談金を受け取ってくれさえいれば……。彼の思考は、不謹慎であるとは解っていても、どうしてもその方向に引っ張られる。
 限られた時間内に仕事がスムーズに進まないと、気持ちに余裕がなくなってくる。1つ1つの受け答えに身が入らない。依頼者の話の筋を強引に曲げて、結論に突っ走ろうとしてしまう。こんなことになっているのは、一体誰のせいなのだ? 彼の頭の中では、いつの間にか被害者とは攻略すべき「壁」となっていた。何の成果も挙げられずに帰ってしまっては、被告人の妻に合わせる顔もない。交通費だけを請求するならば、さらなるトラブルの種となる。

 彼は、被害者の待つ喫茶店に入る前、弁護士会の犯罪被害者保護研修のレジュメに目を通した。そして、被害者の救済活動に精力的に取り組んでいる弁護士の言葉を思い出していた。いかに弁護士が犯罪者を支援する仕事だとは言っても、被害者を軽視する者は誰一人としていない。誰もが口を揃えて、被害者保護の必要性を語っている。
 しかし、弁護士が語る犯罪被害者保護は、ある一点において、避け難い欺瞞を含んでいる。それは、彼の善悪の判断の自己欺瞞とも一致していた。彼にとって、この示談が成立し、被害者に示談金を受け取ってもらえることは善であり、その逆は悪である。これは、彼の生活に密着した善悪の判断である。その際、被害者の心の中にお金を受け取ってしまったことの後悔が生じたとしても、それは悪ではない。多数の事件を並行的に処理しなければならない者は、効率や費用対効果の問題に思考を占拠されているからである。
 弁護士会のレジュメには、被害者に対する心のケア、精神的な立ち直りについて、詳細な記述がある。しかし、いつまでも心がケアされなくては困る、早く精神的に立ち直ってもらわなければ困るという目的が、その記述の裏側にはある。このような犯罪被害者保護活動は、詰まるところは、「壁」を低くする技術の習得にすぎない。彼は、自分がしていることは被害者保護ではなく、二次的被害への加担であることだけは忘れるまいと思いながら、喫茶店に入った。


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フィクションです。