宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』I 序論(一)「カントとの関係」「2 純粋理性批判」(続2):カントの「二律背反(アンチノミー)の問題」の処理における「悟性」的な考え方!

2024-03-12 12:10:45 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
I 序論(一)「カントとの関係」「2 純粋理性批判」(続2)
(2)-3 カントの「二律背反(アンチノミー)の問題」の処理における「悟性」的な考え方!(33-35頁)
★カントの倫理学は、根本において「悟性」の倫理学だ。したがって「理念」的なものを積極的につかみ取るには不適当な点が多い。それはカントの「二律背反(アンチノミー)の問題」の処理においても現れている。(33頁)
☆「宇宙論的理念」(「世界」)等においてカントが取り扱った「二律背反の問題」(※四つのアンチノミー)とは、「互いに2つの原理が対立し、しかも両者が同等の権利をもって対抗している」という問題だ。(Cf. 「二律背反の問題」は、いわゆる「弁証法」の問題に深く関連する。)(33-34頁)
☆カントの考え方はもともと悟性的な考え方、すなわち矛盾律、同一律、排中律といったもの(「思考の三原理」)をどこまでも固守してゆくものだ。
☆カントは「AはAである」ということを固守する。「AはAである」と同時に「Aは非Aである」ということは認めない。AはAであり、BはBであるというように各個ばらばらのものとしてカントは考えてゆく傾向が強い。

※「同一律」(自同律):任意の命題Aについて「AはAである」という原理。
※「排中律」:任意の命題Aについて「AかAでないかのいずれかである」(「Aまたは非Aである」)という原理。
※「矛盾律」:任意の命題Aについて「Aは非Aでない」という原理。ある命題とその否定命題が同時に成り立つことは無いという原理。

★「二律背反」(アンチノミー)の問題のカントの処理の仕方は、①定立と反定立との「どっちが正しい」というように、どちらかに軍配を挙げるということであるか、それとも②定立と反定立とが「それぞれ別々の事柄を問題としている」ととるか、いずれかだ。(34頁)
☆例えば「第三のアンチノミー」について言えば、「自由を否定する必然論」(反定立)は「現象界」の方を見、これに対して「自由を肯定する考え方」(定立)は「叡智界」の方を見ての議論であるというように、それぞれ別個の考えとしてカントは解決してしまう。
・カントはそのようにして「自由」と「必然」という対立を解決するので、やはり矛盾律、同一律等をどこまでも守ってゆこうとする。カントは根本的にはあくまでも「悟性」的な考え方だ。

《参考1》「二律背反(アンチノミー)の問題」としてカントは4つの問題を上げる。(1)宇宙の始まりはあるのか。(2)世界を細かく分割していくと最小単位(原子など)に辿り着くのか。(3)人間に自由意志はあるのか。(4)神は存在するのか。
《参考2》「二律背反」(アンチノミー)とは、同一の事柄について、ふたつの矛盾・対立する命題が同時に成立する事態である。人間の作り出した「理念」をめぐっては、このありえないことが生じる。それはなぜか。このことを論じたのがカントのアンチノミーを巡る議論である。カントは4組のアンチノミーをあげる。
☆「第一のアンチノミー」世界は時間的に端緒を持ち、空間的に限界を持つ、即ち有限である(定立命題)。世界は時間的に端緒を持たず、空間的に限界を持たない、すなわち無限である(反定立命題)。
☆「第二のアンチノミー」世界は究極の構成要素としての単純な実体から構成されている(定立命題)。世界には単純な実体は存在せず、構成要素はどこまでも分割可能である(反定立命題)。
☆「第三のアンチノミー」自然法則に基づいた必然的な因果関係のほかに、人間の自由に基づいた因果関係も存在する(定立命題;「自由を肯定する考え方」)。自由に基づいた因果関係は存在せず、自然法則に基づいた因果関係だけが存在する(反定立命題;「自由を否定する必然論」)。
☆「第四のアンチノミー」神は存在するという定立命題と、神は存在しないという反定立命題との対立。

《参考3》伝統的な論理学によれば、相互に矛盾しあう命題は、同時に真理であることはできず、一方が真なら、他方は偽である。ところが、この四つのアンチノミーの議論は、対立しあう二つの命題が、ともに真であることを主張する。

《参考4》どのような理屈でそうなるのか、カントはそれぞれのアンチノミーについて、ひとつずつ検討する。ここでは「第一のアンチノミー」のうち「空間」を巡るカントの議論を見てみよう。
★「世界は時間的に端緒を持つ、即ち有限である」というのが定立命題、「世界は時間的に端緒を持たず、したがって無限である」というのが反定立命題である。これらがいずれも真理を主張するのは、どのような理屈によってか?
☆カントは、一方の命題の正当性を、他方の命題に潜む矛盾を明らかにすることで証明するという方法(背理法)を取る。つまり「定立命題」はその正当性を反定立命題の非正当性を指摘することによって証明し、「反定立命題」はその正当性を、定立命題の非正当性を指摘することで証明しようとする。

★まず、定立命題「世界は時間的に端緒を持ち、空間的に限界を持つ、即ち有限である」の正当性を証明する。その正当性を証明するために反定立命題「世界は時間的に端緒を持たず、空間的に限界を持たない、すなわち無限である」に潜む矛盾をカントは明らかにする。反定立命題が言うように「世界に端緒がない」としたら、「現在の世界が生まれるまでには無限の時間が経過している」ことになる。「ということは、世界において物が継起する状態の無限の系列がすでに過ぎ去ったことになる。しかし、系列が無限であるということは、継起するものの総合によっては決して完結することがないということである。だから世界の系列が無限に過ぎ去っているということは不可能である。」こうして「世界に端緒がある」こと(定立命題)は、世界が現実に存在することの必然的な条件だということになる。」

★次に反定立命題「世界は時間的に端緒を持たず、空間的に限界を持たない、すなわち無限である」の正当性を証明する。その正当性を証明するために定立命題「世界は時間的に端緒を持ち、空間的に限界を持つ、即ち有限である」に潜む矛盾をカントは明らかにする。定立命題がいうように「世界には端緒がある」としたら、それ以前には、世界の存在しない「空虚な時間が流れていたに違いない。しかし空虚な時間においては、ある事態が生起することはできない」。かくて定立命題「世界に端緒がある」は誤りだ。それ故、「世界の内部では、多数の事物の系列が始まることができるが、世界そのものは端緒を持たない」(反定立命題)は正当性を持つ。

《参考5》この一対の命題(「第一のアンチノミー」)は、それぞれが正当性を主張している。しかし「世界が有限であり、かつ無限である」と述べることは、論理上ナンセンス(二律背反、アンチノミー)だ。このアンチノミーには、「理性」の誤謬が潜んでいる。カントはその「理性」の誤謬を「形式論理的な無理」を指摘する方法で暴く。
★定立命題「世界は有限である」と反定立命題「世界は無限である」との対立(「第一のアンチノミー」)は一見して「矛盾対当」のような印象を与える。「矛盾対当」とは、「片方が真であればもう片方は偽である」ような対立関係である。
・しかし対立する関係にはこのほか、「反対対当」がある。これは「両方が真であることはできないが、両方が偽であることは可能である」ような対立である。カントはこの「第一のアンチノミー」を、「矛盾対当」ではなく「反対対当」であるとし、両方とも偽の命題なのだと述べ、このアンチノミーを解消する。
★対立関係にはまた、「両方とも真でありうる」ものがある。カントはそれを「小反対対当」という。そうしたうえで、四対のアンチノミーのうち、「第一」と「第二」は「反対対当」、「第三」と「第四」は「小反対対当」であるとする。

《参考5-2》カントは、これら四つのアンチノミーは、「理性の誤謬」による産物なのだという。では何故、「理性」は誤謬に陥るのか。こうした誤謬は「理性」にとっては避けがたいものだとカントは言う。
☆世界の時間的な端緒と言い、空間的な限界と言い、それらは「直観」によってとらえられるものではなく、あくまでも「理性」による推論の産物である。その「推論の産物」に過ぎないものが、あたかも「客観的な存在」であるかのように考える、ここに誤謬の原因がひそんでいるのだとカントは言う。我々にとって「世界」とは、あくまでも「現象」としてあらわれる限りでのものにすぎない。それをあたかも、「現象」を超越した「物自体」としてとらえるところに、そもそもの問題の端緒がある、とカントは言う。

《参考6》カントにおいては、アンチノミー論は「理性」の否定的な活動を示すものであったが、それを「理性」の肯定的な活動と捉えた思想家がいる。ヘーゲルである。「ヘーゲルの弁証法」は、「カントのアンチノミー論」を踏まえたものである。
☆ヘーゲルの弁証法も、カントの弁証論も、どちらもドイツ語では「ディアレクティック」である。ディアレクティックとは、ギリシャ語由来の言葉で、「ふたつの異なった言明」を意味する。それをカントは「二律背反」と関連付け、ヘーゲルは「同じコインの裏表のような関係」としてとらえた。
☆ヘーゲルの思想はカントの思想と深くかかわっている。カントの「アンチノミー」における「定立―反定立」の関係を、ヘーゲルは「即自-対自-即自かつ対自」の弁証法の関係へと変換させた。
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