みなさんお早うございます。現在朝の6時半です。
今、浴室のドアに足ぶっつけて、すっごく痛いです。ルビーのような血の玉が盛り上がってきています。あ、流れてきた。ひ~。
痛いけど、身体の痛みはまあ正直20秒もあれば薄れます(計ってみた)。それよりも情けないほうで泣きそう。なにしろここは狭い部屋で、何か行動するのにも注意が必要なのですね。浴室は乾燥させておきたいから、いつもドアは開けています。これがやっぱりキケン。注意しているときはいいけど、何か思い立って“サッ”と動いたときには必ず引っかかるんですねえ。
僕は朝起きてから夜寝るまで、頭の中の思考は常に文章のカタチで行われています。混沌とした思惟のかたまりがぼんやりとある、という状態がないんです。いつからそうなったのかは分からないですが、どんな些細なことでも必ず文章形式です。これは自動的に行われていて、苦労とか努力はいりません。
そんなだから常に何本かのセンテンスが頭にあって、その中で「お、こいつは書き留めないと・・・」というのがあると急いでメモします。これは第一番に優先していることで、外出先でも友人と会っているときでもすぐにメモ帳を開いてペンで書き付けています。現在の仕事はエッセイを寄稿することがメインなので、その瞬間は即ち飯のタネということになるんですね。これは逃せないです。
おかげで狭い部屋の中にいるときは生傷が絶えません。
ex:歯を磨いている途中で「あっ!」となって浴室を飛び出す
→クイックルワイパーを踏みつけそうになる
→そうはさせじと足を不思議な方向にねじって転ぶ
→ゴミ箱をひっくり返してワインの瓶を倒して頭を家具にぶつける
→ウル目でキーボードを叩く
→机のうえに歯磨き粉だらだら
こういう感じです。
以前、食えないときには大工さんをやっていたのですが、そのときは怪我に対する意識はだいぶ違ってました。今だったら「うわ」という怪我も日常茶飯事なので平気なわけです。手も今よりごつくて丈夫だったなあ。だから今の自分が情けないわけですね~。
おお、血が固まった。さあて今日も頑張るぞ~。いやあ変な文章書いてしまった。
今、浴室のドアに足ぶっつけて、すっごく痛いです。ルビーのような血の玉が盛り上がってきています。あ、流れてきた。ひ~。
痛いけど、身体の痛みはまあ正直20秒もあれば薄れます(計ってみた)。それよりも情けないほうで泣きそう。なにしろここは狭い部屋で、何か行動するのにも注意が必要なのですね。浴室は乾燥させておきたいから、いつもドアは開けています。これがやっぱりキケン。注意しているときはいいけど、何か思い立って“サッ”と動いたときには必ず引っかかるんですねえ。
僕は朝起きてから夜寝るまで、頭の中の思考は常に文章のカタチで行われています。混沌とした思惟のかたまりがぼんやりとある、という状態がないんです。いつからそうなったのかは分からないですが、どんな些細なことでも必ず文章形式です。これは自動的に行われていて、苦労とか努力はいりません。
そんなだから常に何本かのセンテンスが頭にあって、その中で「お、こいつは書き留めないと・・・」というのがあると急いでメモします。これは第一番に優先していることで、外出先でも友人と会っているときでもすぐにメモ帳を開いてペンで書き付けています。現在の仕事はエッセイを寄稿することがメインなので、その瞬間は即ち飯のタネということになるんですね。これは逃せないです。
おかげで狭い部屋の中にいるときは生傷が絶えません。
ex:歯を磨いている途中で「あっ!」となって浴室を飛び出す
→クイックルワイパーを踏みつけそうになる
→そうはさせじと足を不思議な方向にねじって転ぶ
→ゴミ箱をひっくり返してワインの瓶を倒して頭を家具にぶつける
→ウル目でキーボードを叩く
→机のうえに歯磨き粉だらだら
こういう感じです。
以前、食えないときには大工さんをやっていたのですが、そのときは怪我に対する意識はだいぶ違ってました。今だったら「うわ」という怪我も日常茶飯事なので平気なわけです。手も今よりごつくて丈夫だったなあ。だから今の自分が情けないわけですね~。
おお、血が固まった。さあて今日も頑張るぞ~。いやあ変な文章書いてしまった。
ちなみに父親も同じような状態らしく、夜中に何時間も独り言を言ってたりすることがあります。私もたまにやってしまいます。二人とも頭は正常です。
で、寝言。これも多分同じ状態だと思います。長文でずっと話している。会話のときもあるし、何かの説明のときもある、らしい。
Catpawさんはお父上から受け継いだんですね。良き理解者がいらっしゃって良かったですね。
友人に文章で会話する女がいるのですが
朗読会のようで面白いです。
ところで、大工さんだったとか。
素敵ですね、ええ、職人フェチなわたくしです。
朗読会風会話、興味あります。でも少し遠くから見守りたいかも。
記憶もほとんどが動画になっています
夢も画像ですね
文章もワープロに向かっている時は、目から入るので文字ですが、頭の中は音のような気がするようなしないような
あれれ、でも意識してしまうと訳がわからなくなってきました。
何かで読んだんだけど、状況を絵にして認識する人と文章で認識する人がいるようです。で、絵で認識する人は芸術家としての脳が備わっているとか・・・。