くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

ある日の夕景

2004-05-21 19:41:02 | 日記
 こなさんみんばんは。先ほど近所の居酒屋『駒八』で焼酎を飲んで帰ってきたところです。
 以前、懐かしのエイティーズの歌にハマっていた時期に、たまたま行った居酒屋でも“シャカタク”なんかが流れていた、とお伝えしたお店です。今度取材の打診してみよう。
 今日はそこの店長さんにパソコンで焼いたCDをお土産に持っていきました。内容は、
 八神純子 水色の雨
 寺尾聡 ルビーの指輪
 春一番 キャンディーズ
 帰らざる日々のために いずみたくシンガーズ
 夢想花 円広志
 といった曲の集まり。けっこうみなさん昔の曲に飢えているのです。回顧趣味だけではなくて、「70年代80年代の歌謡曲にはいいものがあったんだ!」と言っております。
 店を出るとまだ明るかった。台風一過で高層ビルの上空は素晴らしい夕焼けだ。


これからのブログ人へ コメント編

2004-05-21 15:31:30 | 連載もの これからのブログ人へ
 今回はブログに備わっている“コメント”機能について、僕の思うなりの事柄を書いてみようと思います。ちなみにこれは従来からあるホームページの“掲示板”と同じように使えますから、ブログをもっていない方でも書き込むことが出来ます。ブログを始めるきっかけ作りとして気軽に書き込んでみましょう。
 さて、ブログのコメントは『一つの記事に一つずつ』備わっているのが特徴です。いいお店のレポート、関心を引く事件・話題といった記事には質問や意見も多く投げ掛けられますから、コメントでのやりとりが重なるにつれて元記事の内容も自然と深まっていきます。配信する側にとっても、書き込む側にとっても、『一つの記事に一つずつ』という仕組みは大変便利なわけです。
 また、書き込んだ人の『名前部分』にリンクが付けられていることも、もう一つの特徴です。コメントを書いた人のブログに簡単に飛んで行くことが出来るようになっているのですね。この点を見ても、ブログはコミュニケーションツールなのだなと思えるわけです。そうやって、あるブログによくコメントを寄せている人々のブログをぐるっと巡ってみると、つながりの共通項のようなものが見えてくるかもしれません。それもまた大きな楽しみの一つですね。
 コメントから広がっていく輪は、予想以上に大きいものです。実際にブログ人のあいだでも「○○さんのブログでコメントを見てやって来ました」というつながり方が多いのを見ても分かります。こうしてみると、“コメント”というものは本記事と同じくらい重要なアイテムだと思われます。
 少々カタい話しになりましたが、実際にコメントを見てみるとずいぶんと賑やかで気軽なものです。
「ところで君のwebネーム、どういう意味があるんですか?」
「いやあ笑わせていただきました」
「わたしもこのグッズはお気に入りで~す」
「・・・おい(笑)」
 このようにブログといえどもツッコミは可能です。また中には「これだけで立派な記事になるんじゃないか」というコメントを残している人もいたり、さらにはコメントをした人同志でコメントし合ったり。書き込みをオープンにしている限り、そこはみんなが集まる楽しい井戸端会議の場だと認識していいと思います。これはホームページを運営されている方にはおなじみの光景でしょう。

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神岡鉱山と桃源郷2

2004-05-21 10:45:38 | 連載もの 神岡鉱山と桃源郷

 この記事は『lonestar Blog』“あまご料理。”~から想起させられた旅の想い出話しです。

 158号線の別名は野麦街道だ。松本電鉄が併走し、道ばたにはコスモスが咲いている美しい街道である。終着駅新島々を過ぎたあたりから高度がぐんぐん上がり、やがて道は山腹を縫う細い山道となる。眼下には梓川が流れ、R君はハンドルを握りながらもちょくちょくそっちを眺める。絶景だけどコワイぜおい。
 奈川渡ダムの連続トンネルを抜ける。ここは充分に地図で予習しておかないと分かりづらいところだ。トンネルを出たとたんに分岐道があるのだ。おまけに狭くて暗いのに地元ドライバーはかなりの速度を出している。まるで陰気なところを早く抜けてしまいたいとでも思っているように。初めてここを通るR君の横顔も引きつる。
 曲がりくねった安房峠を越えるとついに岐阜県である。岐阜に入ったのは初めてのことだ。平湯温泉で471号線に乗ると、遙か眼下、崖の下に川が見える。道沿いを並行して流れている。
「これだせRちゃん」
「え、これが高原川っすか!」
「ついに来たよ、おい」
 もう夕方の気配だ。立ち寄り湯を見つけたので休憩することにした。東京品川を出発して約7時間。多少でも明るいうちにキャンプを設営しないといけない。
 崖を降りていくと川沿いに混浴の野天風呂があった。地元のうら若い女性がいたので身体にタオルをぐるぐる巻いて入った。R君は疲労が濃いようだが目は川面に注がれている。そこはかなりの急流だ。
「夜釣りしていいっすか?」彼はどこまでも釣りキチである。
「いいよ、俺は飯を作っておこう」
 ぐるぐるタオル仲間となった女性に尋ねると、双六川沿いにはあちこちに空き地があるとのこと。さらに上流の金木戸川には民家、牧場なし。つまり川の水をそのまま飲めるわけだ。
「お二人でキャンプですか?」
「はあ」
「まあ素敵ね。わたしたちもお邪魔していいかしら」
「バカを言っちゃあイケナイ。女が来たら魚は釣れないんだ」
「あら悔しいあんなこと言って。ねえヨシコさん」
 時代背景はいったいいつだ、という会話。それにしても実際の混浴というのは男のほうが緊張してしまって、意外にもツマラナイものである。スーパー、酒屋、釣り道具屋等の場所を教えてもらってお別れした。とても貴重な情報だ。
 山の稜線へと向かう夕陽と競争しながら残りの道を走った。高原川に流れ込む双六川にも、すぐ川縁に道が続いている。周囲を見渡すと木造校舎や火の見櫓。狭い道は簡易舗装と白いコンクリ。うんと懐かしい、日本の原風景だ。
 金木戸川との分岐点で未舗装の道に乗り入れると、広くて平らな土地が開けていた。そばに民家があったのでテント設営の許可をもらう。そんな頼み事をされたのは初めてのようで、少々びっくりしていた。
「伐採した杉があるだろ? あれ好きなだけ使っていいからな」ここらは気分のいい人ばかりだ。
 岐阜県上宝村。ロングキャンプの初日はこうして始まったのだ。
 
 
 つづく
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