・・・松島の海が見えるロビーにはピアノがありました・・・
2011年3月11日、東日本大震災で亡くなった義理の兄の法要会食が
松島の一の坊でありました。
あの日 義兄の家も海に持って行かれ土台だけになりました。
兄が見つかったのは数日後。
義兄の弟の家も川をさかのぼってきた津波で家を失くしたそうで、
義兄の上のお兄さんはそれまで健康だったのに心労で病気になり
亡くなりました。
元気そうに見える他の兄弟も 心労で健康を損ねたということです。
献立は立派なものでした。
これが最初に出たものでこれでおしまいかと思ったら
これは前菜とお造り・・・
・茶碗蒸し
・鰈の煮付け
・ホタテのマリネ
・鰆の味噌柚庵焼き・
ショウガご飯、みそ汁、香の物・
・最後にデザート
『亡くなった人は人と人とを結びつける』と言われますが、健康な時にも皆で会いたいものです。
夜 Tさんの体調が不安定になった。
私はパジャマだったので、でかけられるよう着替え、すぐに出かけられるようバッグを再び確認した。
休日診療病院に電話 内科の先生がいるけれど かかりつけの病院へ行くようにと言われた。
先日かかった大きな病院に電話して 薬 (ニトロ)服用の回数が多いがそれでいいか尋ねる。
「良い」とのことで今夜は 病院へ行かずに済んだ。
昨日は久しぶりに風もなく晴れましたので、松島の海も穏やかに素晴らしかったことでしょう。次々に運ばれてくる豪華なお料理、亡くなった方の思い出話しで集まった方々の絆がまた深まったことでしょう。
海のそばの人たちも まさかあんなに大きな津波が来るとは予想しなかったのですね。
海の近くの親族は一人亡くなり、家は二軒流されました。
遺影にもお酒もごちそうも並べ一緒にいただきました。
思い出の家族写真とともに
甥が撮った津波後の町の様子のアルバムもありました。
改めて被害の大きさを認識させられました。