風の備忘録~ ~ ~

風は林に色や形や音を運んできます
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大川小学校のこと 裏山・先生の判断などを考える。

2016-10-28 | 東日本大震災関係・災害

震災後 大川小学校に行きました。

 

堤防から下ったところに学校はありました。

学校にいく途中には家々があったのだと思います。

私が見たときは 何もなくなっていたけれど。

住んでいた人たちがいたことでしょう。

どこに逃げたのでしょう?

 

裏山はシイタケ栽培で利用していたと言うけれど

シイタケ栽培は全学年?

3月のあの時期は登れるような道はあったのでしょうか?

 

下草がぼうぼうと茂っていたのではないかしら。

いつも子どもたちが登って遊んでいた

身近な山とは思えない。

 

地震が来てから何故 何十分も校庭にというけれど・・・

私たちもいったん建物から出たけれど

その後 なんども 揺れが来て

恐怖で立ち尽くすしかなかった。

雪も降ってきて揺れが収まったと思ったら

また大きな揺れが来て。


 

広報車が津波がきます、高台にと伝えたそうだけれど

これまで あのような大きな津波の経験がなければ

津波が川をさかのぼって来ても 

あの大きな堤防を越えるということを

予想できなかったのではないかしら?

堤防は学校よりも高いところなのです。


『ゆりあげ』の人たちもあんなに大きな津波が来るなんて

思わないでいた。

予想できない これまで見聞きしたことが無い

大きな津波。


判断力と言われるけれど

そういうものは過去の経験を学ぶことで

身につくことかもしれない。

もう少し 考えてみよう。

 追記 2016 h28 1031 月

岩手県で「てんでんこ」が浸透していて

助かったと言う。

 

以前の大きな被害の後に

学んだ知恵だったのだろうと思う。

 

大川小学校の場合 避難場所にもなっていたところ。

過去に大きな津波被害が無いとすれば

「地震がおきたら『てんでんこ』」という意識を

地域の人も親も持っていたのか疑問です。

 

 



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