カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

2軍オールスター戦

2014年07月18日 12時08分42秒 | スポーツ

プロ野球二軍のオールスター戦が昨日あり、テレビ中継されていました。今日一軍のオールスター戦が予定されています。

 

西軍と東軍と呼んだ時もありましたが、いまではウエスタンとイースタンと呼ばれており、今後どう変わるか分りません。

そもそも2軍オールスター戦のことを、ジュニアオールスター戦とかフレッシュオールスター戦など、好き勝手に呼んでおります。

そういえば1軍のオールスター戦も、最近はやりの命名権とやらで、

    • サンヨーオールスターゲーム(1988-2006)
    • ガリバーオールスターゲーム(2007)
    • マツダオールスターゲーム(2008-2014)

などと変遷しました。

命名権には効力があるとにらんだ経営者がわんさとのりこんだこの業界ですが、あまりにも短期で施設の命名権が変わるとかえって施設側の印象が悪化するかも知れず、難しいところです。

 

ところで2軍オールスター戦の選抜方法ですが

 

事務方や二軍監督が選抜するとのことで、本大会に3回以上出場できない(2回まで)など、詳しい規則はこちらをどうぞ。 

 

肝心の試合の内容ですが・・・・・・

 

投手にはつらい試合でして、両軍あわせてホームラン4本、安打20本と、派手な打ち合いがあり大変おもしろかったのですが、都合により録画はしたまま途中で寝てしまいました(泣)。本日の1軍オールスター戦ではそうならないように努力します(笑)。

高校野球(春と夏)もおもしろいのですが、話題になった選手、決勝まで活躍した選手のすべてがプロ野球でも活躍するとは言えません。

その点、プロ野球に入って2軍で力をつけた選手が揃っているフレッシュオールスター戦のほうが、即1軍活躍に結びつきやすく、おもしろさがあるというものです。


1軍オールスター戦に選ばれたら2軍オールスター戦には出場できませんが、ある程度1軍で活躍していて2軍オールスター戦に出場する選手もいるようです。

試合の詳細内容については、こちら→ 試合の詳細

 

ホームランだけが大切なのではありませんが、やはり話題になりやすいもの。

    • 井上(ロッテ)が2本
    • 奥浪(オリックス)
    • 山川(西武)

などが1軍で活躍できる日を楽しみにしております。

 

 

 

 

 


もっと笑いを

2014年07月18日 08時06分36秒 | 社会

笑いは大切

  • 落語という個人話芸が発達しているのが日本
  • 漫談や複数人による笑い芸は世界各国でみられる

と思います。

笑いが発達していないところでは、言論が弾圧されていると言っていいかと思います。わかりやすく言えば

 

笑いがない国国が言論を封じている国

 

ただし、人や国をあげつらったり差別して歓喜しているのを、ここでは「笑い」には含めておりません(笑)。

つまり中国や韓国でみられる「政府主導による反日国是で狂喜乱舞する姿」は、「笑い」ではありません。

 

よく見られるのが、笑いのない冷たい家庭! そんなご不幸な人は、外で思い切り笑っていらっしゃるようで。

いろいろな賢人の意見を聞いてみましょうか。

 

 

情熱的な男は笑わない。とくに恐怖の情熱に取り付かれている男の場合には、これはなおのことである。:P.121 スタンダール「人生読本ユーモア」

 

劇画などでは、追いつめられた「悪者」はいつも笑いますね。私にも小学生の頃があったようで、「悪者はなぜ笑うのか」と不思議に思っておりました。

スタンダールは「追いつめられた男は笑わない」としていますが、厳密には「追いつめられた情熱的な男は笑わない」ということでしょうか。

スタンダールが男について述べていましたが、女の場合はどうか。接客営業を大切にする女の場合は、笑うほうがいいのか、それとも・・・・・・。また個人の日常生活では、情熱的な女が笑わないのか、情熱的でない女が笑うのか?

上の図からでは何も見えてきませんか、それとも何かみえましたか(笑)。

 

そういえば落語家がおもしろいことを言う場合

本人が笑ってはいけません。涼しい顔をしておもしろいことを言うからこそ、おもしろさが倍増するのですから。その典型的な落語家が瀧川鯉昇(たきがわりしょう)で、このとぼけた味は秀逸です。

まれに自分で笑っている落語家もいますが、登場人物のもう一人が笑っている場面を演じていることがあり、きちんと区別しなければなりません(笑)。

まあいくらおもしろい内容でも、師匠などから何度も何度も稽古をしてもらっているうちに、最初はおもしろいと思っていても、やがて、さっぱりおもしろくなくなるのでしょう。

そういえば、おもしろいことを言って客を笑わせる漫才師や落語家(なぜか漫才とか落語とは言わない)が自宅では無口だというのも、なっとくできることです。

日常生活でおもしろいことを言う場合でも、笑わないで言うほうが効果的なのですが、涼しい顔をしておもしろいことを言った場合、悪くすると文字通りにとられて逆の誤解が発生することもあり、これまた「ひねり」が通じる相手なのかどうかを見極めたいものですね(笑)。 

  

東京の落語の予太郎はいつも一人である・・・・という面白い指摘をしたのは芝山肇であった。予太郎は、一人だけポツンと遅れてやってきてトボケたことを言う。そして仲間には入ろうとしない。傍観的だ。

一方上方落語の清八と喜六はコンビで、喜六は笑いの立て役者で、清八から独立せずいつもくっついている。: 木津川計「上方の笑い」講談社新書 

 

たしかに江戸落語の与太郎は、孤立した人物として描かれることが多く、嫌われ者とまでは言えないけれども、周囲からバカにされることを自認しています。聴衆でさえ与太郎を見下せるので、多くの人たち、とりわけ関東の一部の情緒不安定な人たちにとって、与太郎の存在は欠かせないらしい。

一方、上方落語での喜六は常に清八と2人で登場し、意味不明なほど雑な掛け合い漫才を演出することがあります。

上方落語の笑いの特徴として言えるのは、上方の喜六の場合、ちょっとピントがずれているけれども一応筋が通ったことを言って笑わせることが多い、ということでしょうか。

そんなことを言っていると支配階級である侍に笑われるぞ、という江戸落語の笑いと、そんなレベルを超越している上方庶民の笑い、とも言えますが、それは江戸時代に侍が大変多かった江戸と、あまり見かけなかった上方を象徴しているのかも知れません。・・・・このあたり、まるで江戸時代に生まれたかのような表現でして「講釈師、見てきたようなうそを言い」か。

 

多くの場合漫才は2人で演じ、漫才は上方、落語は江戸、とさえいう人がいるものの、上方漫才でのボケ役が与太郎役を務めることもあり、今では、江戸も上方も混在していると言えましょうか。

そういえば古典落語の禁酒番屋(禁酒関所)も今では江戸落語家が演じていますが、元は上方噺で、これを江戸へ持ち込んだようです。

桂米朝がもう高座には上がらなくなり枝雀や吉朝が不在の上方落語界では人物が枯渇している、と嘆く人もいますがじっくりみれば育っているもので、知らないだけかも。そもそも江戸落語の名人とされた故三遊亭圓生も大阪の生まれだし、談志なきあとの立川流門下にもしっかりした落語家がいて、また個人的には瀧川鯉昇(りしょう)に無類の楽しみを見いだしています。

 

横山やすしはまちがいなく天才のひとりだ。天才の条件というか、天才が本来持っている特有の気質に、異常なほどの感情の起伏の激しさがあげられると思う。・・・・

酒を酌み交わしたことがあるが、話が弾んできて、私はだんだん彼に好感を抱いた。で、突然、私は彼に言ったんだ。「世間が何を言おうと、私は君のことを認める。たぶん君は、私より年は下だ。しかし、おそらく君の方がさきに死ぬだろう。そのときは、どんなことがあっても葬式に行くぞ!」そう言ったとたん、それまでバカ笑いしていたやつがグワーッと泣くんだ。芝居でもなんでもなく、嬉しいと言って泣くの。これだけの天才は珍しい。:P.29 芹沢博文「依って件の如し」 ケント出版 


世間を理解していない人をあえて「天然ボケとか天才」と表現するなど、安易に「天才」という言葉を使いたがる傾向がみられ、芹沢もその一人でしょうか。横山やすしはその素行の悪さゆえに芸能界を追放されたり復帰?したりという無頼の人生を歩み続けておりましたが、芹沢が言おうとしていることは何となく理解できます。

芹沢の予言むなしく、先に芹沢(1936-1987)が没し、9年後に横山やすし(1944-1996)が没しております。やすしは芹沢の葬儀にきっと駆けつけて大声で泣いたにちがいありません。

それにしても、しばしば公序良俗を無視し、バカ笑いし、よく泣く横山やすしでした。

思い出しましたが桂ざこばの弟子である4代目桂塩鯛〔しおだい 前名:都丸(とまる)〕は、

    • 師匠の師匠である桂米朝は重要無形文化財〔人間国宝〕
    • 師匠の桂ざこばは重要参考人

と笑わせていました。〔米朝の弟子がざこば、ざこばの弟子が塩鯛で、素行の悪いさこばを暗に揶揄しております。

 

関東の芸人の中でいいのをあげるなら、小朝だな。・・・・小朝に比べると円楽なんてメじゃない。家賃を催促にきた長屋の親父が、店子に愛想笑いをしているみたいで、品がないったらありゃしない。落語家の顔じゃない。:P.33  芹沢博文「依って件の如し」 ケント出版

 

私の印象では、古今亭志ん朝〔1938-2001〕も春風亭小朝〔1955- 〕も「え~」が多すぎて、耳障り。志ん朝を褒める人は多いのですが、「ひしゃくの柄(え)」は1つでよく、柄(え)が多いひしゃくは使いにくい」(笑)。

三遊亭円生にも桂米朝にも「え~」は見られますが極めて少ないのがいい。多すぎることに本人が気づかないこともあり、誰かが指摘しないといけませんね。

ついでに私の好みを言えば、圓生の弟子である円楽には5代目・6代目(前名:楽太郎)とも、まったく興味がありません。小朝がよくて円楽がだめという芹沢でしたが、どちらも好まない私でした。


(泉)ピン子ちゃんの悪口言ったら絶対許さないぞ。「おしん」でピン子ちゃんの亭主になった伊東四朗に何かのとき言ったんだ。百姓ズラしたあれに怒ってやった。「なんでピン子ちゃんをあんなにイジめるんだ。返事しだいでは勝負に出るぞ。オレにかみつかれたいか」って。そしたら、「あれは、役の上でのことですから」なんて笑って逃げたが、役の上にもほどがある! :P.48  芹沢博文「依って件の如し」 ケント出版 

 

またまた芹沢の登場で、大変キョウシュクです(笑)。

残念なことに私は「おしん」を見なかったので詳しく論評できないのがつらい。もちろん有名な「おしん」ですから少しは知っていますが、伊東四朗が役柄でピン子をいじめたのに「役の上にもほどがある」とは、別に伊東四朗やピン子のひいきでなくても生理的に嫌悪感をもよおす生理沢(芹沢:りざわ)でした(笑)。


アッティカ地方の話。以前はアカデミアにおいて笑うことは許されなかったというのであるが、それは、不規律や精神の弛緩をこの場所に立ち入らせぬための措置であった。:P.134 アイリアノス(200年ごろのローマ人)著 ギリシア奇談集  岩波文庫

 

笑うことが「規律を乱し精神が緩む」と考えたギリシアのことを書いたものですが、もちろん実際にそうだったのかまでは分りません。

現代でも、暴力を排除するための場所である法廷が、利害が対立する場所であるだけに、普通の場合、笑いがないでしょうが、まれに笑いがあるかも知れません。

そのような、職場で精神のゆるみを感じさせる「笑い」ですが

緊張感を失わない範囲で笑いを許す組織

の方が発展する可能性がある、と思います。「笑い」の全てを排除するものではないと思うのです。

中国の全人代や北朝鮮労働党の党大会で笑いがあるとは思えないところが重要なヒントでしょうか。もしもこれらの大会で笑いがたまにあるとすれば日本や韓国を見下す演説でしょうね(笑)。←会議を視聴したことはありませんが。

とはいえ、いま議会で話題になっている下品な差別ヤジまで笑いに含めてはいませんので、ご安心くださいませ(笑)。


 

ユダヤ人は常に権力に近く、商業金融などの実権をもつなど、一般庶民から嫌われる傾向があった。ユダヤ人はいかなる時代にあっても教育には熱心であったから、知的水準が高く、いきおい権力者から重用されることになったのである。こうした事情から、無力な一般庶民から反感、軽蔑、嘲などを買い、これがユダヤ人にはねかえってかれらに深い心の傷を与えることになったのである。:P.63 笹川正博「パレスチナ」朝日新聞社

 

宗教がからんで複雑な対立が長く続いている中東地域の話です。

勤勉なユダヤ人が無力な庶民からの反発さえ顧みずに賢明に努力したとするなら、努力そのものには敬意を表するものの、その独善的な切磋琢磨には疑問符がついてしまいます。

現代のイスラエルには、権利の主張にとどまらず、もっと視野を広くすることが求められるでしょう。

こうした富裕層であるユダヤ人と貧しい庶民の対立が深刻ゆえに中東問題が和平へ進まないという理解は、中国国内の現状を理解する上で重要なヒントを与えてくれるでしょう。

ほんの一部の超富裕層と貧しい一般庶民(特に中国では周辺地域で漢族が武力制圧している地域の庶民のこと)などの対立は、まるで別の国のようにさえ思われます。

どんな事情があるにせよ、イスラエルと中国が共に

    • 周辺に対して威圧的
    • 尊大すぎる

という点で似通っていると思います。

GoogleEarthで見てみましょうか。

北アフリカや中東では緑がなく砂漠が多い、そういう厳しい自然環境です。

一方中国でも、西の端の方にみえる武力支配しているチベットやウイグルでは中東と同じ砂漠地帯が見られ、ここで多くの暴動が発生しているし、東のほうには緑が多いとはいえ山岳地帯が多く、人は海岸や大河川の周辺に住んでいるようです。東側では極端に悪い空気汚染と河川汚染が見られますから、厳しい自然環境に加え人工的な汚染も広がっていると言えます。

 

急坂はだまっているが、平坦になると賑やかになる。即製登山家たちは、自分一人遅れを取ってはならぬから、お互いに牽制する。「顔が青いが大丈夫かい」とか「君の膝は笑いだしてきたようだぜ」とか。牽制はもっぱら口で行われるので、明るい笑い声が絶えない。:P.72 深田久弥 瀟洒(しょうしゃ)な自然 新潮社 

 

百名山で著名な深田久弥が素人登山家同士の妙な牽制のしあいを揶揄しています。平坦な道にさしかかった時のかれらの中で笑いが絶えないことにも、ちゃんと危険を察知しているのですね。

無理して登山をしてはいけません。なれているからと言って自然を軽視してはいけません。こんなことは当たり前のことですが、その当たり前田のあっちゃんが、おろそかにされるのです。

 

最後に笑いの回文を。回文とは、左から読んでも右からよんでも「しんぶんし(新聞紙)」。ただし「山本山」は漢字回文。

 

 〔笑うな浦和

 

浦和の皆様は、サッカー応援者の下品な行動で迷惑していることでしょう。

対戦相手に怒るのではなく、もっと笑いを! しかし差別して笑ってはいけません。「笑うな浦和」ですな。

罵倒することで喜びを感じるというのでは、政府批判だけを許さず日本批判だけを放置する中国共産党の愚民政策どうように、あまりにも未熟。

もっと楽しくスポーツ観戦をしたいものです。

 

笑いは、永遠のテーマ。また機会をみて書きたいと思います。