カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

同時代を生きた人たち〔1703,1707〕

2014年07月13日 20時57分26秒 | 生き方

「江戸時代」というと遠い昔のような気がしますが・・・・

  • 1703年 赤穂浪士討ち入り
  • 1707年 富士山最新の噴火〔宝永噴火〕

がおこった同時代を、いったい誰が生きていたか。

 

こんな興味をもつ人は、あまりいないと思います。

これに限らずある特定の年代を生きた人たちに関心を寄せるのは、歴史のまた別の見方。

そしてその特定の年代の選定そのものが、その人を特色づけます。

念のために補足すれば、昔の暦には今との違いがあり、しかもユリウス暦とグレゴリオ暦の違いもあるので、目安として下さいますようお願いします。

 

 

もちろん1703年前後という時代を選んだことにも特色がありますが、こういうのを見ると、

  • 歴史の重みを再度発見
  • 日本史・世界史などという分類がいかにくだらないか

なども分ってきます。 

上の例でいえば

  • 同じ数学分野の偉人として、関孝和ニュートンが同じ年に生まれ、4年ほど遅れてライプニッツ同じ時代を生きたことに驚きます。 
  • 分野が異なるとはいえ、松尾芭蕉とそれより9年年下の近松門左衛門が同時代人だったことにも、驚きます。一方は自然を求めて放浪した詩人で、一方は大都会での人々の生き方を克明に描いた作家でした。惜しくも芭蕉の場合、今回の基準である赤穂浪士討ち入り・富士山噴火の前に没していますが、ほぼ同世代ということで入れさせていただきました。
  • 御存知の通り新井白石は、富士山が噴火した日にも将軍に進講が予定されていて、江戸の町が火山灰の噴火で昼にもかかわらず暗くなったと、日記のような「折りたく柴の記」で記しております。
  • 今年2014年現在、1707年の噴火以来300年以上、富士山は噴火しておりません。しかし、あくまでも休火山であり、いつ再び噴火するか分らないとして、同じ大災害をもたらすであろう東南海地震〔南海地震と東海地震〕とともに厳重な観測網が敷かれているようですね。


また折を見て、別の時代を基準として、「同時代を生きた人たち」をご紹介したいと思います。歴史の見方が変わってくると思いますよ。 

自分または家族の年齢を中心にして、誰が何歳年上だとか年下だとか、それだけにしか興味がわかない人にとっては、こんな試みには何の意味もありませんか(笑)。

 

小学校あたりではやむを得ないと思いますが

中学校~高等学校あたりの歴史教育で、日本史と世界史とにわけているのには限界があり、近い将来、そんな分類が変わってくるはずだ、と思います。

日本史・東洋史・西洋史などという分類は、当事者には便利そうに見えますが、実際上まったく意味がない分類でしょう。義務教育のあたりから、視野を広めるような工夫がどうしても必要なのです。

小数と分数、微分と積分、歌舞伎と人形浄瑠璃、八橋検校とモーツアルトなどは、分けて知る必要がないどころか、別々に扱うとかえって歴史認識をあやまる危険があり、同時に知るほうがいいはずです。

 

このあたり、中国や韓国が自分勝手に主張していて誰も信用していない「歴史認識」とは大きく異なっていることに、ぜひともご注目を(大笑)。

 

 

 


 

 

 

 

 



中国がアメリカから口を封じられる言葉とは

2014年07月13日 09時17分23秒 | アジア

昨今、混迷の世界をいっそうやっかいにさせている中国ですが、こんな時だからこそ、柏楊(ポーヤン)の言葉が、いきいきと甦(よみがえ)ってきます。 

柏楊は中国生まれで、共産国家が誕生してから台湾へ移り住み、中国人について明解に著述しました。 

私は、今だからこそ、柏楊の中国人論に耳を傾ける価値がある、と思います。ただしこの人の著述が一番読まれるべき中国で発禁処分となっているとは・・・・。世の中の大きな矛盾のひとつですか。 

中国が一体だれのおかげでこれだけの経済発展をなしえたか、と問われたら「中国人がもっている知性ゆえだ」としか考えないのが、その頭脳構造。

先が見えていますね。一日もはやく中国が目を覚すことを期待していますが、これは4000年の歴史から見て、儚(はかな)い夢かも(笑)。 

とにかく共存共栄をはかるしかないのに、まるで1000年前かのように国際ルール無視が通用すると勘違いして世界中から嫌われている中国人! 

辛辣な中国人論を聞いてみましょうか。  


中国人の多くは、しっぽを立てる病気にかかっているようだ。アメリカのことを言い出すと、すぐしっぼを立てて、「アメリカの文化は浅すぎるんだ」と言う。

アメリカ文化が浅いかどうかは、別問題である。もし浅いとしたら、われわれはさらに恥じなければならない。たとえば、先祖代々、裕福だった人が没落して、喪服を着て破寺の前にしゃがみ、残飯をもらって日々を過ごしながら、「俺の祖父様は、宰相になったこともある」と、泣き喚いているようなものだ。

金持ちを見て、「あいつのじいさんは下水道掃除をしていた」と言いながら、自分を恥ずかしいと思わないばかりか、自分がなぜこんなに貧窮になったかさえも考えたことがない。逆に得々として、他人の出自をけなし、自分の自慢をする。

虚驕とは、混沌として自己満足することである。つまり自己陶酔に陥り、布団をかぶっていろいろ妄想をたくましくするのだ。

孔子先生は、一生懸命に、「いにしえ」を発明した。そして、いにしえに託して制度を改草しようとした。しかし、現代の中国同胞は、灰を吹く力さえない。

アメリカ合衆国という模範が目の前にある。はっきりと見えるし、触ることもできる。またその中に入っていって、研究し体験することもできる。なぜ虚驕の気になって、このような生きている模範を拒否するのか。アメリカが花のように美しい、と言っているのではない。もしアメリカが本当に花のように美しければ、彼らは牢屋など必要としない。

しかし、少なくとも一つだけは、絶対に、われわれが学ぶべき点がある。それは、彼らの生活方式である。アメリカ人は一つの鋭い武器を持っており、いかなる国から来た留学生の口でも、それで封じることができる。それはこういう言葉だ。

「あなたはアメリカのここがよくない、あそこがよくないと思っている。しかし、あなたはアメリカの生活方式についてどう思うか。アメリカは、自由で民主的な社会であって、もっとも強い正義感を持っている」 

: 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良澤・宗像隆幸(共訳)光文社 1988/06/2512刷発行 


アメリカ人は浅く中国人は深いと考える中国人ですが、なんのことはない、中国人は「裏をかいて人をだます点においてアメリカ人より優れている」ことを喜んでいるに過ぎません。

そして相手を徹底的にこき下ろすのに最大限の喜びを感じ、努力をせずに賄賂で権力と富を夢見る自己陶酔型の中国人を暗に批判しています。

いかにも危うそうで、国内での対立を見る限り、アメリカは中国とそっくりではないか、と見る人もいますが、実はそうではないと柏楊は指摘します。

わかりやすく端的に言えば

視野が狭い中国人と、視野が広いアメリカ人、ということでしょうか。一方では、形式程度とはいえ宗教が残っているアメリカと、宗教を否定する共産党が一党独裁する中国、ということでしょうか。 


中国にはなぜ偉大な建築がなくて、外国にはあるのか。木造なので腐ってしまうというのは、根拠に乏しい。原因は一つの新しい王朝がおきたあと、すぐにその前の建物を燃やしてしまうから。人民の汗と脂でできた暴政の象徴だからと。そして次の王朝も同じことを。:P.113 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良沢・宗像隆幸 共訳 光文社 


日本では多くが木造建築ですが、

応仁の乱・焼き討ち・米軍の無差別空爆などで焼失したものがあるとはいえ、比較的保存状態はいいようです。それは新権力者が旧権力者の建物の破壊を最小限に抑えていたところに要因がありそうです。

それに比べ、前王朝の建物をすべて破壊してしまう中国の伝統に、何らかの問題があるのでしょう。

現在の中国での弾圧王朝は「中国共産党」ですが、近い将来これが崩壊する時には、人民の汗と脂でできた暴政の象徴だからという理由で、中国の伝統にのっとり、これらの建物はすべて破壊されてしまうのでしょう(笑)。

他方、中国には、木造ではないけれども、万里の長城という立派な人工建築物があるではないか、と自慢する中国人もいますが、そんな時には

万里の長城が国境のあかしだから、その遥か外へ越境して侵略領土化している中国は、万里の長城の外からは即時無条件で撤退しなさい」

と私は告げております(笑)。  


トルストイが一人の乞食に金を恵んだ。友人が「あれは質の悪いことで有名だ。恵む価値はない」。

トルストイは「私はあの人に恵んだのではなく、人道に従っただけだ」、と答えた。乞食に施しをするとき、その品性は問題じゃない。これは人道問題なのだ。: 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良沢・宗像隆幸 共訳 光文社   


世界各国は、この20年にわたって、

中国に「世界の工場になるよう施しをした」のですが、友人が言うには「中国人はろくでもないから、そんな恵みは必要がない」と言いました。

もしトルストイが存命ならば、「私は中国人に恵んだのではなく、人道に従っただけだ。乞食に施しをするとき、その乞食の品性は問題じゃない。これは人道問題なのだ。」と答えるでしょう(笑)。  

そうです、世界は善良な中国人を助けたいと思っただけなのに、中国共産党は集めた富を特権階級内だけで分配できるようなシステムを構築し、富が13億の民にゆきわたることはなかったし、これからもあり得ないのです。中国共産党が腐敗し近々崩壊するだろうと予言する所以(ゆえん)です。

中国人にあまねく分配される運命にあったはずの膨大な富を横取り独占した富裕層は、いまその富を海外へ持ち出そうと画策しています。結局、富は、中国人の中にとどまらず、再び元の海外へ流出することとあいなりました。

自分の国を信じることができない中国の富裕層が、亡命先・移住先で生活をする時、果してそこのまともな一員となり得るのでしょうか。 


ヴォルテール先生は言った。「私はあなたの主張には反対だが、あなたの言論の自由は、命をかけても守る」と言った。:P.132 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良沢・宗像隆幸 共訳 光文社  


ヴォルテールが

確かにそのように言ったかどうかを確認していませんし、後世の人の創作か勘違いではないか、とも言われているようです。

しかしこの言葉は、中国人の言動と照らし合わせてみて、なんと大きい隔たりがあることか。

だれも賛同しない勝手な主張を突然始めたかとおもうと、それに逆らう者を武力威圧し、意見が異なると逮捕・拘束し、弾圧を繰り返す中国共産党。

この現実は、ヴォルテールの言葉とされる上の内容と、正反対ではありませんか。

  • 異なる意見を絶対に許さない中国共産党
  • 意見は異なっても主張する自由を最大限に尊重する

あ~あ、もう情けないほどです(笑)。

中国共産党がここまでのさばるほど放置した責任は、一体どこにあるのか、検証してみたいものです。 

世の中には「中国封じ込め」を批判する声がみられますが・・・・

  • 中国自身が、少し変形した古風なイデオロギーを振りかざす場合には、古風な「封じ込め」にも意義があると思います。
  • 経済交流が盛んになった現代において「古風な封じ込め」が通用しないと言うならば、経済交流を逆手にとった中国の独善性に一層の責任があります。ここで何らかのイエローカード(制裁)を与えないと試合が荒れ、世界各国を武力威嚇する中国をのさばらせておくことにもなります。

よって、このまま独善性を保持するなら、中国封じ込めに力を入れたほうがいい、と私は思います。

すでに世界各国が、非公式に封じ込めを実施しており、公式に封じ込めていないだけのことでしょう。公式に封じ込めることがないよう祈りたいものですが、果してどうなるか。