「明治から大正、昭和の時代にこの国が…他国に侵略していき、他国の多くの非戦闘員や、自国民にまで多大な犠牲を強いた事実は、どうしたって否定することはできないのです」。
「再び戦死者が靖国神社に祀られるようなことだけは絶対にあってはなりません。私は、靖国に祀られて喜ぶ人はいないと思っています」。
「北朝鮮との国交回復・賠償の問題…中国に日本軍が遺棄してきた化学兵器の問題や中国残留孤児の問題など…多くの未解決の傷跡を見るとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任をとれていないと思います」。
「岸信介が、釈放後に政界へ復帰し、やがて日本の総理になったことは、日本において戦争責任が果たされていない典型です」。
「若い人々が戦争体験を持っていないのは幸せなことです。ただ、戦争を知らないがゆえに、無責任な言動も増えています。若い政治家や、政治家を志す人々には、昭和二〇年の敗戦に至るまでの異常な日本の歴史を冷静な眼で眺め、どんな不幸を関係諸国に与えてきたのかに思いを馳せていただきたい。そしてその傷跡を今も残しつづけていることは民族の恥だと考えなくてはいけないと思います」。
ずいぶんとながながと引用させていただきましたが、どなたの発言かおわかりになるでしょうか。
自民党幹事長、内閣官房長官を歴任した野中広務氏です(『世界』08年1月号)。
日本の政治に責任を持とうとするならば、野中氏のこの認識を前提にできる政治家でなければならないし、有権者はその認識を見きわめて議員を選ばないとならない時代に来ていると思います。
野中氏は、安倍前総理が「過去を美化する傾向を持ったグループと共に行動していたので、私は心配していた」と語っていますが、有権者のどれほどの人が、議員になろうとする人の歴史認識を承知しているか、これが日本の進路に重要な意味を持つと思います。
ずいぶん古い写真ですが、ペロと命名することとなった証拠写真。生まれた直後にわが家に来てから、ペロペロペロとなめまわす習性はいまも変わりません。