『湯川秀樹日記』(小沼通二編、朝日新聞社)を読みました。
副題は「昭和九年:中間子論への道」。
この年(1934年)11月17日の講演で、1949年のノーベル賞の対象となった「核力の中間子論」を初めて公表しました。
湯川は当時27歳の大阪大学講師。東京大学で開催される数学物理学会の講演の3日前に上京し、前日には歌舞伎座で観劇していたのでした。
10月9、10、11、12日の記述から、このときに集中して思索した様子がうかがわれるようです。この着想に役立ったのが、その2年前に同級生でライバルの朝永振一郎から送ってもらった手紙にあることも、編者が指摘しています。
なんだかワクワクします。
きょうは、たまたま大学名誉教授の物理学者とお会いする機会があり、「どうも宇宙はわれわれの宇宙だけではなく、複数あるようだ」「何がわかると、宇宙が複数だとわかるのでしょうか」「それがわからない。もしかすると来年、その理論が示されるかもしれない」と、これまたワクワクする話を聞かせていただきました。
職場にもどると、「後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める請願署名」が返信用封筒で22通、67筆届けられていました。「医療生協ニュース」12月号におりこみ、配付し始めたばかりで、こんなに早く返送されるのはみなさんの怒りと切実な要望の表れです。
さっそくニュースを書いて、全職場、理事へ届けました。