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フルーティスト大久保はるかのブログです

アレクサンダーテクニーク個人55回目

2012年04月12日 10時31分00秒 | アレクサンダーテクニーク
昨日の個人レッスン後、病気のせいですっかりしょぼくれていた自分の元気の気の玉?が復活してきた!燃えてきた!(笑)、ということで、フルート協会提出用の原稿を一気に書き上げる。以下です。

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【4月11日 個人レッスン】

4月といえば新学期がスタート、新入生、新入社員、新生活、など、『新』という言葉が多く交わされる、節目の時期である。今回で2回目の投稿となるアレクサンダーテクニーク受講記録だが、大分以前より第二回目の記事は4月頭のレッスンから書くことにしよう、と決めていた。理由はただ単に新たな気持ちで生き生きとレッスンに臨めそうな気がしたから、という事だけだったのだが、人間、いつどこで何が起きるか分からないものだ。3月中にかかった風邪と花粉症が治った後、カラ咳だけが長く残ってしまい、レッスン日の前日行った病院で『せき喘息』と診断された。フルートを演奏するような事態ではなくなってしまったのだ。

駅からレッスン会場までは急坂を登る。薬の副作用か、動悸が激しく、通常より2倍ぐらい息苦しく感じた。やはり今は安静が必要、ということなのであろう。

先生には「そういえば、フルート協会の次の記事はいつぐらいから書き始めるご予定ですか?」と聞かれ、

私「正直な話、執筆意欲が全く沸きません。あと、なんと言いますか、今の私ですと病気の話から書かざるを得ない訳でして、ああ、カッコ悪いなあ。出来る事ならそういう弱い所を公にさらしたくはない、と思うわけです・・・」

先生「アレクサンダーテクニークの教師になるためのトレーニングコースというものがあります。免許修得までは3年以上はかかるのですが、それにはひとつ意味があって、3年という月日の中では、色々な事が起こります。心身共に健康な時ばかりではなく、体調が悪い時、体調こそ良くても仕事が上手くいかなかったり、身内に不幸があったりと」。

「その辛い時期の過ごし方、というのが実は重要でして、そういった経験を糧にして自分を一回り大きく成長させるための準備期間、という意味もあると思うのです。そしてこれは何もアレクサンダーテクニークの教師を目指す人達に限ったことではなく、誰にでもあてはめて考える事が出来るように思うのですが」。

「それに、今の大久保さんの状態に共感する読者の方々は絶対いらっしゃると思いますよ」とも。

これらの先生のお言葉には大変励まされました。何か吹っ切れないような所があり記事を書くペンが進まなかった自分ですが、今は今、として、書いてゆこうと思います。

この日はテーブルワークと呼ばれるワークを行った。テーブルの上にヨガマットを敷いて、生徒はその上に仰向けに横たわる。頭の下には薄い本を数冊置く。置く冊数は生徒に合わせ調整する。足は両膝が天井を向くぐらいの角度で曲げる。

このポーズ、実はイギリスのトレヴァー・ワイ氏のスタジオでレッスンを受けていた頃、トレヴァー先生に教えて頂いたリラックスのポーズと同ポーズで、その時には「フルートの練習で疲れた時に行うとと良いですよ。俳優である友人から習ったんですよ」、とのお話だけ頂いていた。留学中はほぼ毎日行っていたのだが、その頃はてっきりヨガのポーズか何かなのだと思い込んでいた。帰国してしばらく経った後、これがアレクサンダーテクニークから派生したワークだったということが分かった時には心底驚いたものだ。

このテーブルワーク、アレクサンダーテクニーク教師と一緒に行う際には、教師は生徒の頭を左右にゆっくりと転がしたり、腕を片腕づつ軽く上に持ち上げたり戻したしたりなど、パーツごとに動かしてゆく。言葉で説明するのは大変難しいのだが、超ソフト整体マッサージ、に近いイメージ、と言ったら分かりやすいだろうか。とはえ俗に言うマッサージの施術とは明らかに違う。

一番最初にこのワークを受けた約3年前、あまりにも不思議な動かされ方をするので戸惑ってしまい、「すみません、何をどうしている、ということなのでしょうか」と質問したことがある。その時には「ただ、あなたの頭はここにあって、首はこのような可動性があって、腕は肩甲骨のところからこの様につながっていて、ここでこういう風に曲がる、など、確認をして差し上げている。ただそれだけなんですよ」とのお話でした。

そして、この日の私だが、やはり数分に1回以上は咳き込んでしまう、という酷い状態だった。仰向けに横たわっていると、咳を一度する際、全身の筋肉がキュッと縮こまってしまうことが背中側から容易に感じとれる。普段健康な時は、このワーク終了後は余計な筋肉の緊張がほぐれ、自分が一回り大きくなったかのような良い感覚があるのだが、この日は、自分の咳がせっかくの体の解放のための過程を一々ぶち壊しにかかっているような、全くをもって残念な状態にあった。

仰向けに横たわった状態の私の足の裏を、先生が軽く触るか触らないかのところでハンズ・オン Hands On し、「今、呼吸と共に、この足の裏までの全身がわずかに動いていることが確認取れますか?」とおっしゃった際、ハッとするような気づきがあった。

咳をして苦しくなるのは喉や呼吸器官であり、当然苦しいところ、痛いところに意識が向ってゆくのが人間としての本能だと思う。それでは、と、その咳を押さえる薬を飲むと副作用で動悸が起き、その際には心臓に意識が向ってゆく。しばらくそのようなことが続くと、大げさな言い方だが、自分という動物は、喉と呼吸器官、心臓の3つだけしか持ち合わせていないんじゃないか、というような末恐ろしい感覚に陥りそうになる時がある。つまり直接の痛みを感じていない、病を患っていないパーツ、腕や脚、その他の臓器などは、まるで意識からスッポリと抜け落ちて、その存在ごと忘れてしまいがちなのだ。

先生に足の裏をハンズ・オンされて「ああ、私には足というものがあり(笑)、呼吸とは、足の先までの全身運動だったのか」とあらためて気づかされた。