「包括的注意力」の養い方、についてのお話もあった。
アレクサンダーテクニークでは、いくつかの独特な言葉の言い回しがあるが、この「包括的注意力」もそのひとつである。
「音楽をやる際、集中、という言葉は、その辞書から外すべし」というのを「ピアニストならだれでも知っておきたいからだのこと」という本(著者はピアニスト兼アレクの講師)で読んだが、????状態だった。
昨日のレッスンでの私は、「あんなことがあった」「こんなことがあった」と先生に向かって話しをするとき、その内容に集中することによって、からだの不必要な緊張を作り出しているみたい。ということに気づいた。
で、そういうクセ、は、意外にも楽器を演奏するときにも反映してしまうものなのだ、ということもよくわかった。
で、先生に施術していただきながら、今、どうですか?など言われると・・・
「えっとーーーー・・・・とてもからだも心もラクなんですけど・・・・、なんか、ボーッとしているような気がします、こんなボーっとしてたらいけないぞ、とどこか思っちゃう自分がいます」
先生「その、ボーッと、の種類を増やす、ボーッと、のグラデーションを増やす、というアイデアを今後のテーマにしたら、いかがですか」
私「えっ!!私、こんなボーッとした状態・・・、んん?でも、普通のボー、じゃない、自分にとって新しいボーですけど、、、(笑)あまりにも新しい感覚なので、この「new ボー」、を表現できるボキャブラリーがありません。正直。」
先生「はたから見ると、今(施術後)の方が、良いかんじですよ。決してボーッとしているようには見えません。ちゃんと私と受け応えしていますし」
私「はい。実際、今の方が、自分でしゃべっている時の自分の声がきこえやすい、ですし、先生のお言葉もすっと、耳にはいってくるかんじで、、、よく聞こえるようになった、かんじです・・・あ、これが、「包括的注意力」ということですか?」
先生「そうです」
**
*
あらためて書いてみて思うけど、やっぱ、なにかと禅問答ぽいな、アレクのレッスンは!!
アレクサンダーテクニークでは、いくつかの独特な言葉の言い回しがあるが、この「包括的注意力」もそのひとつである。
「音楽をやる際、集中、という言葉は、その辞書から外すべし」というのを「ピアニストならだれでも知っておきたいからだのこと」という本(著者はピアニスト兼アレクの講師)で読んだが、????状態だった。
昨日のレッスンでの私は、「あんなことがあった」「こんなことがあった」と先生に向かって話しをするとき、その内容に集中することによって、からだの不必要な緊張を作り出しているみたい。ということに気づいた。
で、そういうクセ、は、意外にも楽器を演奏するときにも反映してしまうものなのだ、ということもよくわかった。
で、先生に施術していただきながら、今、どうですか?など言われると・・・
「えっとーーーー・・・・とてもからだも心もラクなんですけど・・・・、なんか、ボーッとしているような気がします、こんなボーっとしてたらいけないぞ、とどこか思っちゃう自分がいます」
先生「その、ボーッと、の種類を増やす、ボーッと、のグラデーションを増やす、というアイデアを今後のテーマにしたら、いかがですか」
私「えっ!!私、こんなボーッとした状態・・・、んん?でも、普通のボー、じゃない、自分にとって新しいボーですけど、、、(笑)あまりにも新しい感覚なので、この「new ボー」、を表現できるボキャブラリーがありません。正直。」
先生「はたから見ると、今(施術後)の方が、良いかんじですよ。決してボーッとしているようには見えません。ちゃんと私と受け応えしていますし」
私「はい。実際、今の方が、自分でしゃべっている時の自分の声がきこえやすい、ですし、先生のお言葉もすっと、耳にはいってくるかんじで、、、よく聞こえるようになった、かんじです・・・あ、これが、「包括的注意力」ということですか?」
先生「そうです」
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あらためて書いてみて思うけど、やっぱ、なにかと禅問答ぽいな、アレクのレッスンは!!