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「海老原喜之助展」 横須賀美術館

横須賀美術館
「生誕110年 海老原喜之助展ーエスプリと情熱」
2/7-4/5



横須賀美術館で開催中の「生誕110年 海老原喜之助展ーエスプリと情熱」を見てきました。

私が海老原喜之助のことを初めて知ったのは2009年。東京都美術館で行われた「日本の美術館名品展」でのことでした。

その時に見たのは今回のチラシの表紙を飾る「曲馬」です。背景は明るい空色、通称エビハラ・ブルーです。当時、賞賛を受けたという画家に特徴的な色遣い。中央には馬が跳ね、鞭を持つ者と馬上で手を広げる二人の人物が描かれています。何やら単純化されたかのようなモチーフ、人も馬もほぼシルエット状です。

それにしても宙に浮いたかのような構図感、極めて独特ではないでしょうか。どこか白昼夢でも見ているのかのような錯覚にさえ陥ります。忘れ難いまでに不思議な魅力を感じたものでした。

しかしながらそれ以来、海老原の作品に接する機会が全くありませんでした。ゆえに名品展で「曲馬」に惹かれながらも、海老原について知ることもなく、結果的に今に至ったとも言えます。言い換えれば私にとって海老原とは未知の画家、そしてどこか謎めいた画家の一人でもありました。

そもそもエビハラ・ブルーを海老原はいつ獲得したのか。それを知ろうとしたのも本展へ行った切っ掛けの一つでした。

結論から述べると、海老原は比較的早い段階でブルーを自己のものにしています。

生まれは1904年、鹿児島です。幼い時から絵が得意だったそうです。中学三年の時に描いた「お茶道具」もなかなかの力作。展示もそこから始まります。

18歳で上京。初めは美術学校を受験するつもりだったそうですが、画家の有島生馬の勧めもあって渡仏を決断します。19歳にはパリに渡りました。


海老原喜之助「雪景」 1930年 陽山美術館

早熟だったのかもしれません。フランスではサロン・ドートンヌに3年続けて入賞。現地では既に成功していた藤田と交流していたそうです。またルソーやブリューゲルなどにも影響を受けます。ルソー風として挙げられるのは「風景」でしょうか。雪の中に帽子を被った小さな男のシルエットが見えます。


海老原喜之助「窓(カンヌ) 1927年 北九州市立美術館

また「窓(カンヌ)」ではデュフイを思わせる作風を展開。フランスでの滞在は約10年にも及びます。うち1927年から翌年にかけては雪景色を多く描きました。この頃にヘルギー人の女性と結婚し、二人の子にも恵まれたそうです。


海老原喜之助「樵夫と熊」 1929年 鹿児島市立美術館

そして早くも渡仏期にエビハラ・ブルーを見ることが出来ました。例えば先に挙げた「窓(カンヌ)」の海の色、やや強めながらも、美しい水色をしています。「樵夫と熊」も同様です。木の上下で熊と格闘する樵、背景は底抜けのブルー、雪景の白とのコントラストも鮮やかでした。

1930年代初頭に山の景色を描いた作品にもエビハラ・ブルーが頻出しています。1933年、彼は大恐慌の煽りにより、妻と離別してまで帰国しますが、その後もエビハラ・ブルーを用いないことはありません。例の「曲馬」も帰国してから2年後に描かれた作品なのです。


海老原喜之助「ポアソニエール」 1934年 宮城県美術館

また同じく帰国後の「ポアソニエール」や「西瓜売り」でもエビハラ・ブルーが効果的に使われています。「西瓜売り」では人の形にも注目です。「曲馬」さながらに黒い影絵のように描かれています。モチーフは言わば単純化、ないしは抽象化されていました。

ところがです。このブルー、画業を通して見られるのかと思いきや、必ずしもそうではありませんでした。主に終戦後、海老原の用いる色は大きく変化していきます。

疎開先の熊本で終戦を迎えた海老原は、その後、県内の人吉に15年ほど暮らして制作を続けます。また自身の美術研究所を設立、後進の指導にもあたりました。

「殉教者」はどうでしょうか。セバスティアヌスにも姿を重ねたという一枚、戦争で犠牲となった人を追悼する意味をこめて描いたそうです。後ろ手に縛られた男に向けて横から13本の矢が放たれる。痛ましい。かの青は皆無です。背景の黄土色、もしくは人を象る茶色の色遣いが目を引きます。


海老原喜之助「船を造る人」 1954年 北九州市立美術館

「船を造る人」、青が使われていました。骨組のみの舟を背に立つ男。彼こそがまさに造る人なのでしょう。表情こそ伺えないものの立ち姿は力強い。背景は青。ただし水色がかったエビハラ・ブルーよりもやや濃いかもしれません。しかしながらここで強く印象に残るのは青ではなく、舟や男を象る黄色がかった黄土色です。その迫力が青よりも増して見えます。

そしてこの黄土色こそが戦後の海老原の作品で最もよく見られる色でもあります。


海老原喜之助「蝶」 1959年 BSN新潟放送(新潟市美術館寄託)

1960年に逗子に引っ越した海老原。初期作からは思いもつかない装飾的な作品を描きました。例えば「出城」です。ブッタが文字通り城を出る姿を描いたものですが、背景はもはや幾何学的図像です。一面を何かの色の帯、あるいは模様が埋め尽くしています。確かに抽象的と言えるかもしれませんが、構成は入り組んでいて複雑です。かつて見た単純化された様式は見られません。


海老原喜之助「群馬出動」 1961年 熊本県立美術館

ここにも水色の帯は見られますが、やはり目を引くのは黄色や黄土色の強い色彩です。ほか学生のデモ隊を描いた「群馬出動」も人や馬も所狭しと描いています。馬は海老原にとって大切なモチーフだったようです。晩年に至るまで登場します。

最晩年、1967年に再びフランスへと旅立ちます。亡くなるまでの3年間はパリの時代です。この頃は寡作だったのでしょうか。僅か3点の作品が展示されるのみに過ぎませんが、亡くなった年、1970年の「サーカス」。これが赤、もしくはワイン色と白の構成です。人の動きはリズミカル。ある意味で回帰したのでしょうか。モチーフはやや単純化したようにも見えました。


海老原喜之助「西瓜売り」 1937年 個人蔵

海老原を単にエビハラ・ブルーの画家として捉えてはいけないことがよく分かりました。「曲馬」とは違う世界が次々と開かれていく画業、制作活動は驚くほど旺盛、晩年においても熱気を帯びています。同じ地点に留まらない海老原、時に社会的メッセージをこめた作品も少なくありません。

油彩80点ほか、多くの素描に陶芸作品までを網羅した回顧展。質量ともに充実しています。何せ首都圏では25年ぶりの海老原展です。これ以上の内容を望むのは当面難しいのではないでしょうか。戦前戦後で大きく変化した海老原の画業。それを辿るにはまたとない機会ともなりました。


レストランアクアマーレの海老原展コラボメニュー。「雪景」シリーズをイメージしたデザートでした。

図録が残り僅かとなっていました。ひょっとすると完売したかもしれません。詳しくは美術館までお問い合わせください。


横須賀美術館から東京湾を望む。

4月5日までの開催です。会期末になってしまいましたが、是非ともおすすめします。

「生誕110年 海老原喜之助展ーエスプリと情熱」 横須賀美術館@yokosuka_moa
会期:2月7日(土)~4月5日(月)
休館:3月2日(月)。
料金:一般900(720)円、大学・高校生・65歳以上700(560)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *市内在住または在学の高校生は無料
 *インターネット割引券
時間:10:00~18:00。
 *入館は閉館の30分前まで
住所:神奈川県横須賀市鴨居4-1
交通:京急線馬堀海岸駅1番乗り場より京急バス観音崎行(須24、堀24)にて「観音崎京急ホテル・横須賀美術館前」下車、徒歩約2分。
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