Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

待つ・譲る・知る

2005年05月06日 13時07分05秒 | Weblog
いきなりさわやか「はにゅうす」から「あなたの知らない世界」になっていしまいますが・・・私はときどき変な夢をみます。今日はその最たる物で、寝ながら臨死体験したような夢でした。
(ちょっと葉っぱのフレディみたいな話ですけど)

私は大きな木の葉っぱで、木がまだ若い頃生えてきた下の方の葉っぱ。この夢での「木」は、おそらく「世界」とか「宇宙」とかそういった「すべて」を意味していると思う。しばらくすると他の葉っぱがたくさんたくさん上の方に生えてきて、木はどんどん大きくなっていく。私はその新しい葉っぱが自分にそっくりなので、イヤになるんだけど、そこに聞こえてきたのは「待つ」という単語。待ちなさい、木そのものが大きくなっていくのを妨げてはいけない。そう聞こえた。

新しい葉っぱの出現によって「譲る」ことも学びました。「先を譲ったからといって、自分が腐って枯れてはいけない。他を枯らしてもいけない。戦わないこと。」そう聞こえました。

そして最後に私の葉っぱは空飛ぶときがやってきて、天高く飛び立ちます。その時の青空のきれいだったこと!そしてその時に「知り」ました。飛び立つまで自分ではわからないのです。下にいた葉っぱの人生は、上に生えていた葉っぱの人生と同じだけ、大きな役割をもって生まれていたことを。それは上下ではなく、役割なんだと。下の方に生まれた葉っぱは、上の葉っぱにはできない、例えば「虫や動物と話をしたり」「上の葉っぱを注意深くながめ、木の根っこに成長の情報を伝えること」をしていたのです。

なんだろう?どんな人生でもちゃんと生まれてきた役割があるのだから、それを腐らず焦らず全うしなさいってことでしょうか?

私の葉っぱは地上に降り、そして枯れ、なぜか人間に踏まれてなくなりましたが、その人生が無駄でなかったことを知って、喜びの涙で目が覚めました。なぜかその時モーツァルトの「すみれ」という曲が頭の中で流れていました。(すみれも恋焦がれた人間に踏まれて死んでいくのです。それでも好きな人に踏まれて幸せ一杯で死んでいく。そういう詩(ゲーテ)です。)

これら3つの単語は、夢の中のお話とは全然ちがうところから、はっきりと啓示を受けるように飛び込んでくるようでした。別に霊媒師でも占い師でもないけれど、(幽霊も見たことはないのに!)こんなへんな夢を、それもオールカラーで見るのです。

で、今日は休憩。(家にいるときだけ)大好きな、暖かい雨を眺めながら紅茶を飲んでます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コンサートのお知らせです。 | トップ | バイキング×2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事