何でもかんでも私たちが起源だ、と言い張るのが好きな人たちがいて、その言動に呆れる事がある。
以前。シンガポールで食に関する博覧会を見に行った時、太巻きの実演をしているブースがあって、行列が出来ていたのに遭遇した事があった。直径が10cmくらいの太巻きを作ってから、厚さ3cmくらいに切って、並んだ人たちに試食させていた。
私も並ぼうかと思ったが、ブースに貼ってあったポスターがハングル文字だったので、やめておいた。よく見ると、そのブースはいわゆる「韓国海苔」の宣伝ブースだった。
実演者の話を聞いていると、彼女は確かに「これは、我が国オリジナルのxxxxで・・・」という言い方をしていて(英語で)、私は「嘘をつけ!」と心の中で叫んだのだった。
しかし、あそこに集まったシンガポール人たちは、皆その女性の言うことを鵜呑みに下であろうと思うと、私はその時少し憤りをおぼえた。
日本人が考え付いて世界に広まっているものには、「カラオケ」があり、今ではどの国の繁華街にも「KARAOKE」の看板が見られるようになった。
日本食の中でも、「ラーメン」は最初は「支那そば」といったくらいであるから、支那から伝わってきたのだろうが、日本独自で進化発展していき、今では本場のそれとはまったく違った独自性のある食べ物として、世界中に膾炙している。
さらにその亜流として、「インスタントラーメン」、「カップラーメン」も、瞬く間に世界中に広まっていき、味付けはタイ風とか朝鮮風とか、日本では見られない、実に様々な種類がスーパーマーケットの売り場の棚を埋めている。
嫌な思い出ばかりが残るフィリピンでの2ヶ月間であったが、その理由は南朝鮮人の経営する向上で、あちらの人たちと一緒に仕事をしなければならなかったからだった。
工場内にも食堂はあったが、南朝鮮人たち幹部社員は、朝食と昼食を専用の小さな食堂で取ることにしていた。私も誘われて、フィリピン人のおばさんが作る、目玉焼きや味噌汁(もどき)と、テーブルに数種類並んだキムチと共に、食べたのだった。
初めこそ、珍しさもあってそこでの食事もまんざらではなかったが、さすがに毎日ほとんど変り映えがないとなると、一月ほどで飽きてしまった。
フィリピン人の賄いおばさんは、土曜日が休みのため、南朝鮮人たちは土曜日に出勤する時は、各自が持ち込んだ物を食べていたようだ。私はそれを知らなかったので、土曜日にも拘らず、食堂に入っていった。
すると、誰もいなかったが、一人台所の床の隅のほうで、こちらに背を向けて、ウンコ座りの格好で猫背を小刻みに動かしながら、何かをしている南朝鮮人が目に入った。
一体、何をしているんだろうかと見ていると、彼はゆっくり私の方へ振り向いた。左手には鍋が、右手にはステンレスの平べったい箸が、そして彼の口からは、麺が4~5本ぶら下がっていた。私は危うく「ヒーッ!」と声を出すところだった。
これまでに見たことも無い状況での、思いもしなかった様相の顔を見て、一体彼がそこで何をしていたか、私にはまったく想像できなかったからだった。
彼は自分で作ったインスタントラーメンを丼には移さず、鍋ごと抱えて食べていたのだった。
それにしても、台所に面した食堂にはテーブルもあるのに、なぜ台所の床にしゃがんで食べていたのだろうか?この話を別の日本人に話すと、彼は素っ気無く「彼らの食べ方なんですよ」と教えてくれた。
一般的な食べ方らしい
帰国してから、ネットで検索してみると、確かに南朝鮮ではインスタントラーメンはそうやって食べるのが標準のようだった。
テレビCMなどでも、女優がそうやって食べるシーンが放映されているという。
鍋のふたを受け皿に。
まさか、その食べ方をもって、「我々は、この食べ方を数百年前からずっと続けている」などと主張して、「ゆえにこの食べ物は我が国オリジナルのものだ。」と言い出すのではないか。
しかし、もし家族みんながインスタントラーメンを食べたいときは、彼らはどうするのだろうか?
以前。シンガポールで食に関する博覧会を見に行った時、太巻きの実演をしているブースがあって、行列が出来ていたのに遭遇した事があった。直径が10cmくらいの太巻きを作ってから、厚さ3cmくらいに切って、並んだ人たちに試食させていた。
私も並ぼうかと思ったが、ブースに貼ってあったポスターがハングル文字だったので、やめておいた。よく見ると、そのブースはいわゆる「韓国海苔」の宣伝ブースだった。
実演者の話を聞いていると、彼女は確かに「これは、我が国オリジナルのxxxxで・・・」という言い方をしていて(英語で)、私は「嘘をつけ!」と心の中で叫んだのだった。
しかし、あそこに集まったシンガポール人たちは、皆その女性の言うことを鵜呑みに下であろうと思うと、私はその時少し憤りをおぼえた。
日本人が考え付いて世界に広まっているものには、「カラオケ」があり、今ではどの国の繁華街にも「KARAOKE」の看板が見られるようになった。
日本食の中でも、「ラーメン」は最初は「支那そば」といったくらいであるから、支那から伝わってきたのだろうが、日本独自で進化発展していき、今では本場のそれとはまったく違った独自性のある食べ物として、世界中に膾炙している。
さらにその亜流として、「インスタントラーメン」、「カップラーメン」も、瞬く間に世界中に広まっていき、味付けはタイ風とか朝鮮風とか、日本では見られない、実に様々な種類がスーパーマーケットの売り場の棚を埋めている。
嫌な思い出ばかりが残るフィリピンでの2ヶ月間であったが、その理由は南朝鮮人の経営する向上で、あちらの人たちと一緒に仕事をしなければならなかったからだった。
工場内にも食堂はあったが、南朝鮮人たち幹部社員は、朝食と昼食を専用の小さな食堂で取ることにしていた。私も誘われて、フィリピン人のおばさんが作る、目玉焼きや味噌汁(もどき)と、テーブルに数種類並んだキムチと共に、食べたのだった。
初めこそ、珍しさもあってそこでの食事もまんざらではなかったが、さすがに毎日ほとんど変り映えがないとなると、一月ほどで飽きてしまった。
フィリピン人の賄いおばさんは、土曜日が休みのため、南朝鮮人たちは土曜日に出勤する時は、各自が持ち込んだ物を食べていたようだ。私はそれを知らなかったので、土曜日にも拘らず、食堂に入っていった。
すると、誰もいなかったが、一人台所の床の隅のほうで、こちらに背を向けて、ウンコ座りの格好で猫背を小刻みに動かしながら、何かをしている南朝鮮人が目に入った。
一体、何をしているんだろうかと見ていると、彼はゆっくり私の方へ振り向いた。左手には鍋が、右手にはステンレスの平べったい箸が、そして彼の口からは、麺が4~5本ぶら下がっていた。私は危うく「ヒーッ!」と声を出すところだった。
これまでに見たことも無い状況での、思いもしなかった様相の顔を見て、一体彼がそこで何をしていたか、私にはまったく想像できなかったからだった。
彼は自分で作ったインスタントラーメンを丼には移さず、鍋ごと抱えて食べていたのだった。
それにしても、台所に面した食堂にはテーブルもあるのに、なぜ台所の床にしゃがんで食べていたのだろうか?この話を別の日本人に話すと、彼は素っ気無く「彼らの食べ方なんですよ」と教えてくれた。
一般的な食べ方らしい
帰国してから、ネットで検索してみると、確かに南朝鮮ではインスタントラーメンはそうやって食べるのが標準のようだった。
テレビCMなどでも、女優がそうやって食べるシーンが放映されているという。
鍋のふたを受け皿に。
まさか、その食べ方をもって、「我々は、この食べ方を数百年前からずっと続けている」などと主張して、「ゆえにこの食べ物は我が国オリジナルのものだ。」と言い出すのではないか。
しかし、もし家族みんながインスタントラーメンを食べたいときは、彼らはどうするのだろうか?
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