孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

八方塞がりの年だそうで・・・

2018年01月14日 | 趣味の世界
昨年末義母が他界したので、初詣は控えるべきなのかどうか考えたが、元来それほど信仰心は強い方ではなく、死んだらスイッチが切れてお終い。天国だの極楽だの黄泉の国だの、想像することすら出来ずにここまで生きてきたので、あと少しこの調子でいくつもりだ。

従って、先週の日曜日の早朝に、私は台北の龍山寺に参拝して、大日如来のお守りを買って帰ってきた。あれが戌年の初詣となったわけだ。

  パワースポット・台湾、龍山寺

雨がシトシト降っていたが、相変わらず早朝から地元の台北市民だけでなく、南朝鮮の観光客やら、日本の小ツアーの観光客で賑わっていた。

そして、一週間後の今日、今度は車で40分ほどのところにある神社に参拝してきた。正月も二週間経てば、初詣の人などいないだろうと思っていったのだが、とんでもない誤算だった。無料の駐車場は行列が出来ていて、10分ほど待たされた。

しかも、沿道には食べ物屋の出店が並んでいて、こういう雰囲気の沿道を歩くのは随分久しぶりのことだった。

  出店が並ぶ神社沿道

ひいたおみくじは中吉であったが、気になったのは、「今年の八方塞がりのひと」と大きく書かれた看板が鳥居の近くに立ててあって、その中に私も入っていたのを発見してしまったことだった。

こういうのは、知らないで過ごしてしまえばそれに越したことは無いのだが、知ってしまうと妙に気になるもの。帰りに少し大きめの厄払いのお守りでも買おうか、という気になる。

しかし、そうすると、まんまと神社側の「霊感商法」にまんまと乗せられたみたいなので、そこはサラッと無視して帰宅した。

神社では二礼、二拍手、一礼と参拝せよ、と表示がある。今日も見たのだが、よく二拍手の後、長いこと何かを祈っている方がいる。多分、願い事を延々と祈願しているのだろうが、私はいつもそれはしないことにしている。

これは単に私流のケジメに過ぎないのだが、お寺や墓前では両手を合わせて、心の中でいろいろと話しかける。自分の先祖たちに話しかけるのだ。

しかし、神社に参拝する時は、私は二拍手して、「来ましたよ!」と心の中で一言だけ言うに留めることにしている。いつもそれだけのことだ。

  厳粛な雰囲気がいい

高嶋易断を立ち読みしても、私の本年はあまり良い事が書かれていなかった。それはそれで、厳粛に受け止めて、一年を過ごそうと思うのだが、大抵三月頃になるとそんなことも忘れてしまって、春が過ぎ夏が来て、秋の気配を感ずる頃、残る暦はわずかになるものなのだ。

期待が大きいと、失望も大きくなる。

欲をかかずに、でしゃばらずに、腹を立てずにのんびりと一年を送る、というのが本年の私の計である。