昨年末義母が他界したので、初詣は控えるべきなのかどうか考えたが、元来それほど信仰心は強い方ではなく、死んだらスイッチが切れてお終い。天国だの極楽だの黄泉の国だの、想像することすら出来ずにここまで生きてきたので、あと少しこの調子でいくつもりだ。
従って、先週の日曜日の早朝に、私は台北の龍山寺に参拝して、大日如来のお守りを買って帰ってきた。あれが戌年の初詣となったわけだ。
パワースポット・台湾、龍山寺
雨がシトシト降っていたが、相変わらず早朝から地元の台北市民だけでなく、南朝鮮の観光客やら、日本の小ツアーの観光客で賑わっていた。
そして、一週間後の今日、今度は車で40分ほどのところにある神社に参拝してきた。正月も二週間経てば、初詣の人などいないだろうと思っていったのだが、とんでもない誤算だった。無料の駐車場は行列が出来ていて、10分ほど待たされた。
しかも、沿道には食べ物屋の出店が並んでいて、こういう雰囲気の沿道を歩くのは随分久しぶりのことだった。
出店が並ぶ神社沿道
ひいたおみくじは中吉であったが、気になったのは、「今年の八方塞がりのひと」と大きく書かれた看板が鳥居の近くに立ててあって、その中に私も入っていたのを発見してしまったことだった。
こういうのは、知らないで過ごしてしまえばそれに越したことは無いのだが、知ってしまうと妙に気になるもの。帰りに少し大きめの厄払いのお守りでも買おうか、という気になる。
しかし、そうすると、まんまと神社側の「霊感商法」にまんまと乗せられたみたいなので、そこはサラッと無視して帰宅した。
神社では二礼、二拍手、一礼と参拝せよ、と表示がある。今日も見たのだが、よく二拍手の後、長いこと何かを祈っている方がいる。多分、願い事を延々と祈願しているのだろうが、私はいつもそれはしないことにしている。
これは単に私流のケジメに過ぎないのだが、お寺や墓前では両手を合わせて、心の中でいろいろと話しかける。自分の先祖たちに話しかけるのだ。
しかし、神社に参拝する時は、私は二拍手して、「来ましたよ!」と心の中で一言だけ言うに留めることにしている。いつもそれだけのことだ。
厳粛な雰囲気がいい
高嶋易断を立ち読みしても、私の本年はあまり良い事が書かれていなかった。それはそれで、厳粛に受け止めて、一年を過ごそうと思うのだが、大抵三月頃になるとそんなことも忘れてしまって、春が過ぎ夏が来て、秋の気配を感ずる頃、残る暦はわずかになるものなのだ。
期待が大きいと、失望も大きくなる。
欲をかかずに、でしゃばらずに、腹を立てずにのんびりと一年を送る、というのが本年の私の計である。
従って、先週の日曜日の早朝に、私は台北の龍山寺に参拝して、大日如来のお守りを買って帰ってきた。あれが戌年の初詣となったわけだ。
パワースポット・台湾、龍山寺
雨がシトシト降っていたが、相変わらず早朝から地元の台北市民だけでなく、南朝鮮の観光客やら、日本の小ツアーの観光客で賑わっていた。
そして、一週間後の今日、今度は車で40分ほどのところにある神社に参拝してきた。正月も二週間経てば、初詣の人などいないだろうと思っていったのだが、とんでもない誤算だった。無料の駐車場は行列が出来ていて、10分ほど待たされた。
しかも、沿道には食べ物屋の出店が並んでいて、こういう雰囲気の沿道を歩くのは随分久しぶりのことだった。
出店が並ぶ神社沿道
ひいたおみくじは中吉であったが、気になったのは、「今年の八方塞がりのひと」と大きく書かれた看板が鳥居の近くに立ててあって、その中に私も入っていたのを発見してしまったことだった。
こういうのは、知らないで過ごしてしまえばそれに越したことは無いのだが、知ってしまうと妙に気になるもの。帰りに少し大きめの厄払いのお守りでも買おうか、という気になる。
しかし、そうすると、まんまと神社側の「霊感商法」にまんまと乗せられたみたいなので、そこはサラッと無視して帰宅した。
神社では二礼、二拍手、一礼と参拝せよ、と表示がある。今日も見たのだが、よく二拍手の後、長いこと何かを祈っている方がいる。多分、願い事を延々と祈願しているのだろうが、私はいつもそれはしないことにしている。
これは単に私流のケジメに過ぎないのだが、お寺や墓前では両手を合わせて、心の中でいろいろと話しかける。自分の先祖たちに話しかけるのだ。
しかし、神社に参拝する時は、私は二拍手して、「来ましたよ!」と心の中で一言だけ言うに留めることにしている。いつもそれだけのことだ。
厳粛な雰囲気がいい
高嶋易断を立ち読みしても、私の本年はあまり良い事が書かれていなかった。それはそれで、厳粛に受け止めて、一年を過ごそうと思うのだが、大抵三月頃になるとそんなことも忘れてしまって、春が過ぎ夏が来て、秋の気配を感ずる頃、残る暦はわずかになるものなのだ。
期待が大きいと、失望も大きくなる。
欲をかかずに、でしゃばらずに、腹を立てずにのんびりと一年を送る、というのが本年の私の計である。