孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

台北で観る、名作邦画

2018年01月08日 | 旅行
烏来で日帰り温泉を満喫してから、バスで台北に戻ってきた。その日の昼過ぎから上映される、邦画を観るためだった。

「台北之家SPOT」は、元米国領事館だった建物で、今ではカフェや世界の名画を選んで上映するミニシアターを併設する、オシャレなスポットになっている。

 SPOT台北之家

事前にネットで上映作品をチェックしておいたので、昨年8月に封切りになった浅野忠信主演のドラマ「幼な子われらに生まれ」(台湾のタイトルは、「親愛的外人」)を観ることにした。

離婚した後の複雑な人間関係を描いた、重松清の同名小説を映画化した作品だった。浅野忠信は私の好きな俳優の一人で、彼が主演の映画であることと、共演の女優が寺島しのぶだったので、見逃す手はないと思ったからだ。

  『親愛的外人』

離婚して再婚した男性のがんばる姿を描いた作品かと思っていたら、物語は徐々に深刻化していき、子供たちの名演技を微笑ましく感じながらも、観終わった後フーッとため息が出る、実に考えさせられる映画だった。

 原作を読みたくなった

宮藤官九郎がいい味を出していた。そして、やはり寺島しのぶは存在感があった。浅野の妻役の田中麗奈もそれまでのイメージとは違う、名演技であった。

重松清の原作を読みたくなって、今日アマゾンで注文してしまった。

DVDレンタルが始ったら、ぜひもう一度観てみようと思う。

烏来(ウーライ)とは温泉のこと

2018年01月08日 | 外国ネタ
台北に深夜に到着した時は、雨は降っていなかったが、翌朝外を見たら予報どおり小雨が降っていた。予定では、台北からバスで小1時間の山中にある、烏来という台湾原住民の街に行くつもりだったので、どうしようか迷った。

烏来では街を散策して、原住民博物館を観て、台湾最大の滝をみるつもりであったが、雨の中、傘をさしながら散策するのは少し気が引けた。

しかし、温泉宿が多いので、日帰り温泉を味わうなら天気は関係ないと思って、烏来に行くことに決めた。

ガイドブックに従って、バス停で待っていると烏来行きのバスがほぼ時間通りにやってきたので、傘をたたんで飛び乗った。台北の街を過ぎると、曲がりくねった山道をバスは高速でぶっ飛ばした。約1時間で終点の烏来に到着した。

 烏来の玄関口

まだ、朝早かったので、土産物屋はほとんど開いていなくて、予想していた賑わいはまったく見られなかったが、日帰り温泉の看板を掲げる温泉宿は数件営業していた。

料金は、1時間2名で300~400台湾ドル(1500円ほど)。私が立ち止まって看板を眺めていると、中から宿の従業員の男性が出てきて何か話しかけてきた。

私は、「1人で利用してもいいのか?もし、1時間を少しオーバーしたら料金はどうなるのか?」などと相手の言うことを無視して、英語で聞き返した。

すると、その男性は少し困ったような顔になって、中のレジのところにいた中年女性の方を見ていた。すると、その女性は私に向かって手招きをしながら、流暢な英語で「こちらに入ってきたら?」と言うではないか。

彼女は、どうも経営者らしく、私の質問にテキパキと回答してから、「実際にどういう温泉か見てから決めたらどうか?」と私を風呂のある小部屋の一つに案内してくれた。

そこは、部屋というより風呂場といった感じで、脱衣スペースに反対側の川沿いに1坪ほどの風呂があって、温泉源泉と水道水のパイプが2本引かれていた。赤い方のレバーを開くと、温泉が飛び出し、青いレバーを開いて水を出して湯音を調節する。

壁には液晶テレビが掛かっていて、窓の外は川が流れていた。シャンプー・石鹸・タオルもあり、シャワーも合ったので、私は迷わずそこに決め、300台湾ドルを前払いで払った。

 烏来、日帰り温泉

黒いゴム製の栓をして、赤いレバーを開くと、湯気と共に温泉が噴出した。その半分くらいの勢いになるように、青いレバーも開くと水面はぐんぐん上昇して行き、栓に鎖で繋がっている黄色のアヒルがプカプカ浮かんできた。

私はどちらかと言うと烏(カラス)の行水だが、この日はたっぷり30分は入っていたと思う。

「カラスが来る」と書く烏来(ウーライ)とは、タイヤル族の言葉で「温泉」を意味するのだそうだ。烏来のいいところは、温泉だけではなく、その風景が山あり川ありの自然に満ちていることがあげられる。

 山あり川ありの烏来

さらに、タイヤル族の女性は、どこかエキゾチックな感じがして、美人が多いそうだ。一昔前、日本のお笑い、ウッチャン・ナンチャンの番組に出て、確か「タイミング」とかいう歌を歌って人気者になったビビアン・スーも母がタイヤル族の方だったそうだ。

バス停への帰り道、タイヤル族の博物館に立ち寄った。タイヤルとは漢字で、『泰雅』と書き、英語では別名のアタヤル族をアルファベットにした Atayal people と呼ぶようだ。

このタイヤル族は、主だった台湾の原住民族、16民族の中でもアミ族・パイワン族に次いで人口が多く、9万人弱だそうだ。

展示を見ていくと、最後の方に首刈りの風習についての展示があった。どくろが並んだ展示は一瞬ギクッとするが、そこに書かれていることを読むと、「そんなにしょっちゅうやってた風習ではなく、儀礼的なものに過ぎなかった。

現代の戦争に比べれば、どちらが残酷だと言えようか?」とあった。(確かにそうだ・・・)

 ヘッドハンティングの風習

日本の占領時に台湾の原住民を総称して、「高砂族」と呼んだ。私も以前、台湾の首刈族と何かで読んだ記憶があるが、それがタイヤル族のことだったとは今回初めて知った。

今回は雨だったので、滝を見るのは諦めたが、次に機会があったら、トロッコに乗って滝を観に行こうと思う。

気候はいいが、気象が難点-台北の旅。

2018年01月08日 | 外国ネタ
この時期の台湾旅行は、暑がりの私にとっては最良の時期なのだが、天気が悪いのは困りものである。まるで梅雨時の日本のように、毎日小雨が降り続く事がある。

2016年1月16日の台湾総選挙の時、支那が台湾への旅行者を絞るという情報を得て、私は「支那人観光客がいなくなるなら、今がチャンス」とばかりに、台北旅行を即断したのだった。

選挙運動真っ盛りの台北市内を体感する目的もあったが、あの時もシトシト雨が降っていたのを覚えている。今回も三日間晴れ間を見ることは出来なかった。太陽が出ないので、一日中薄暗い感じで、歩道は濡れていて歩くだけでも滑らないように注意を要する。

今回改めて感じたのは、日本の市街地と比べると、台北市内はまだまだ段差が多くて、うっかりすると、つまづいて転びそうになることがある。

まだ、フィリピンのマニラほどではないにしろ、足元に常に注意をしながら歩く必要がある。(マニラの歩道は、突然陥没箇所があったり、どぶ板が割れていたりして、むしろ車道を歩く方が安全だった気がする)

さて、今回の台湾旅行も、例によって家から車で15分ほどの富士山静岡空港からスタートした。登場口の売店では、支那人観光客目当てに電気炊飯器が並んでいたり、北海道名物の土産菓子が積み上げてあったりして、私を呆れさせてくれた。しかし、今回は・・・

 東京ばなな

今、台湾人に一番人気の日本の土産商品である「東京ばな奈」が積み上げられていた。なぜこの御菓子が大人気なのか知らないが、台湾人旅行客は、これを何箱も買って帰るそうだ。

売店の店員も増員されていて、今回は2名いた。どちらも日本語がカタコトの中年女性であった。台北行きの乗客は7割が日本人、3割が台湾人といったところで、彼らは支那人ではなく台湾人であることは、話し声で明確に解かる。

訪日台湾人はいまや年間420万人以上になる(台湾の人口は2400万人)。対して台湾を訪れる日本人観光客はその半分にも満たないばかりか、最近は減少傾向にあるそうだ。

その一因には、訪日台湾人の急増で、飛行機のチケットを台湾の旅行会社に押さえられてしまっていることがあるらしい。

日本のあちこちの観光地に台湾人観光客はいるはずだが、支那人たちほど目立たない所為か、静かなブームである事はさほど話題にはなっていない。

台湾人たちも、意識して日本の街角では小声で話すようにしているそうだ。理由は、当然、あのマナーの悪い支那人に間違えられたくないからだという。

昨日も、台湾の空港ロビーで、周りを憚ることなく、我が子に向かってギャーギャーと発狂し、空港中に響き渡る声で、叱り飛ばしている母親がいた。

あれは間違いなく支那人であろう。私は、その様子をカメラに収めようとしたが、その母親と一瞬眼が合ったのでやめた。


全員ではないのだろうが、台湾にはいわゆる親日派が多いのは、よく分る。そしてそれはいつもタクシーを利用した時に感ずるのだが、へつらうような感じではなく、極めて控えめにこちらに伝わってくる。

私はその一瞬に、いつもほんのりとした快感を覚えるのだ。例えば、タクシーを止めて乗り込み、私はいつもノートに行先・住所を書いたページをドライバーに見せる。

走り出しても彼は何も話しかけてこない。7~8分走って目的地に着き車を止める。私はメーターを見せて金額を払う。大抵、そのときこちらをチラッとみて、「ニホンジン?」と聞いてくる。

「そうです。」と答えると、彼はニコッとして、(やっぱりな・・・)といった如何にも納得した表情を見せるのだった。

勝手に彼の気持ちを忖度すると、最初彼は、「この乗客・・日本人かな、韓国人かな・・見ただけじゃ判断できないけど、どっちかな・・多分日本人だろうな」と思った。

降りる時、聞いてみたら、「やっぱり思ったとおり、日本人だった」

こんな感じか。

以前、乾物屋の店先で、「あんた日本人?」と店の女性から聞かれた事があった。私は「そうですけど、なぜ分るんですか?韓国人にも見えるんじゃないですか?」と言うと、彼女は「分る、分る。日本人は分る。」と言う。

「どうして?」と聞くと、彼女は「分るよ、日本人は」とだけ言うのだった。そのとき、奥で話を聞いていた店の主人らしき老人が笑いながら出てきて、「お金を払う時アリガトって言うのは、日本人だけ・・」と言うのだった。

たったこれだけの出来事でも、私は自分が日本人である事を強く再認識させられるのだった。

ちょっと、台湾へ

2018年01月02日 | 趣味の世界
近くの富士山静岡空港から出ている台北便の割安チケットが買いにくくなってきたような気がしていたのだが、キャンセルでもでたのか、手頃な値段でのチケットがあったので、迷わず予約した。

同時に、ネットで検索した台北のホテルも二泊予約した。

4日からの相場としては、割安な価格が出ていたので、ホテルはいつも利用する一泊2000円ほどのカプセルホテルではなく、狭いながらもシングルルームのホテルを予約した。

実際、夜中に何度かトイレに起きる私には、カプセルタイプの宿はその出入りが結構辛かったので、恐らく今後はもう利用しないと思う。

さて、台湾も6度目となると、もう観るところは無いんじゃないかと思うかもしれないが、とんでもない。

今回は、バスを利用して台北近郊の街に出向いてみることにする。

そこで、二日後に迫った台湾の旅の「やることリスト」を作ってみた。

1. 野柳ジオパーク観光

海岸にある奇岩が見れるジオパークで、台北駅からバスで1時間弱でいける距離だ。

 野柳地質公園


2.烏来タイヤル族博物館

こちらは、台湾の部族のひとつ、タイヤル族の街、烏来(ウーライ)。台北からバスで1時間半で行ける。前から一度行ってみたかったところだ。

 少数部族の街

3.台北之家で名画鑑賞

年中、世界の名画を上映している台北之家は、元米国大使館だった建物で、カフェがあったり、小さな映画館があったりする憩いの場となっている。別の場所にも似たようなコンセプトの名画座があり、映画好きにはたまらない。

今回上映中の、リバイバル映画「時計じかけのオレンジ」と、邦画「幼な子われらに生まれ」を観る予定だ。

 「時計じかけのオレンジ」

 「幼な子われらに生まれ」

4.台北アイで京劇鑑賞

台北に行ったら必ず観るのが京劇である。今回もこれは同じこと。

 台北アイで京劇を

5.龍山寺で神頼み

帰国の日の朝、必ず詣でるのが龍山寺。なんとなくご利益があるような気がする。

 パワースポット?

6.DVDショップでショッピング。

前から捜しているのだが、なかなか見つからないDVD「湾生回家」というドキュメンタリー映画のDVDを見つけて買って来たい。台北で一番大きなDVDショップは、宿の近くにある。

時間と体力が許せば、どこかの夜市にも行きたい。

私は、グルメでもないので、マンゴーアイスだとか、ショー・ロン・ポーなどの料理にはあまり関心が無い。腹が減ったらその辺の食堂で、チャーハンを食べたりして空腹を満たすだけ。

今回もそれは変わらないたびになると思う。

懐の広さか、節操の無さか。

2018年01月02日 | 社会観察
昨年、暮れに他界した義母の葬儀で、葬儀社や寺の僧侶たち、火葬場の職員たちの言動などを傍から見ていて、自分の来し方行く末や、その他様々なことに思いをめぐらすことができた。

通夜のとき、菩提寺の僧侶が最後の法話で、「人が亡くなって仏になって、十万億土という果てしなく遠いところへ旅たっていくわけですが、大切なことは残された私たちが、心の中に、仏を想う心を持ち続けることではないか・・」と言っていた。

これは、正に私が常々感じていたことで、寺の僧侶が同じことを言ってくれたので、何だかとても嬉しかった。

仏教に限らず、世界の宗教に眼を転じると、その組織の大小に限らず実に様々な儀式が付きまとう。そして、大抵その組織の頂点に立つ者の格好は派手派手しく権威付けされているものだ。

誰がどうやって決めたのか知らないが、儀式の流れや数々の所作は複雑で、一体どういう意味を持つものなのかは、素人にはまったく分らない。

宗教は、洋の東西を問わず、広まるか否かはその発生原点の教義よりも、むしろその後の者たちの手による一種の「マーケティング手法」に関わっているのではないだろうか。

人類の発生から今日までの間に、生物の宿命である、やがて訪れる「死」に対してどう向き合うべきか。宗教の原点はこんなことだっただろうが、それが何十何百にも枝分かれしてきたのは、その「マーケティング手法」の違いに拠るものだったと思うのだ。

ひるがえって、お正月という行事は、これは宗教行事ではない。元来正月は暦の上でのひと区切り、新年を迎えるのを祝う心機一転のための祭事だったはずだ。

しかし、ここにも今では様々な宗教的な小道具や仕来りが存在していて、各地域ごとにその特色を持つものになっている。

日本人は、クリスマスを祝い、教会で結婚式を挙げたがり、神社に初詣に行って願い事を祈念する。正月にはお年玉を配って、人が無くなれば寺の僧侶が出てきて念仏を唱えてお墓に埋葬する。

キリスト教あり、神道あり、儒教あり、仏教あり、近頃では古代欧州のケルト人のお祭りを真似て、秋になると馬鹿騒ぎをするようになってきた。

宗教観なんてまったく無いが、楽しけりゃ何でもいいじゃないか、といった感覚らしい。

こういう日本人の宗教観を、特に西洋人は理解しがたいようだ。教義やルールでがんじがらめにする西洋的な宗教感を持っている人たちには、日本人の振る舞いがほとんどりかいできないようだ。

実際、江戸時代に意気込んでやってきたキリスト教の宣教師たちは、日本人に布教は無理だとお手上げの報告をしていたそうだ。

元来、「宗教」という言葉自体が日本には無かった言葉で、これは英語の religion 二対する翻訳語なのである。従って、それから派生する「宗教観」という言い方も、昔の日本には無かった概念である。

こういう日本人の生態を言葉で説明したり、定義づけしたりするのは、なかなか難しく、どういってみたところで、100%言い表すことは出来ないかもしれない。

「日本人は、懐が深いので、外国の文化や宗教などをなんでも簡単に受け入れて、自分流に解釈して、加工するんです。」などと分りきったことを言う学者がいたが、私はこれを聴いた時、素直に賛同できなかった。「違うなあ・・」と思った。

我々の祖先は、そんな節操の無い人たちだったとは思いたくなかったのかもしれない。

「いや、昔はいざ知らず、最近の日本人はそうでしょ。」と言われれば、そんな気もするが、それをよしとする気には到底なれない。

  お墓に正月飾り

だから、私は、「この辺の人は昔からこうやってるよ。」と言って、お墓にしめ飾りをぶら下げたり、禅宗の菩提寺の僧侶が、サイドビジネスで【宗派不問の永代供養・ペット霊園】などと謳って、霊園ビジネスに精を出したりすること。

 霊園ビジネス

さらに、その同じ霊園の一番奥の一等地に十字架を掘った墓石を抱く馬鹿でかいお墓設置を許容したりするのを見るのは、もう耐えがたい気分になるのである。

 でかい!!

 キリシタンのお墓


こういう懐の広い「お寺さん」には、いくら自分の先祖を守ってくれているからといって、私は敬意を持って接したくともそうすることはできないのだ。

折りしも、今年から二年間、私は地区を代表する菩提寺の世話人を担当することになった。

新年から、少々気が重いのはその所為である。

悲しさより、凛々しさだろう。

2018年01月01日 | 外国ネタ
Yahoo ニュースで、CNN が配信した内容を読んで、私は自分の首を左に90度以上傾ける程、強い違和感と疑問を同時に感じた。

そのニュースを抜粋するので、まずは読んで欲しい。戦時中外国人が撮影した1枚の写真についてである。

以下、抜粋。

//////////////////////////


(CNN) ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出していることが1日までにわかった。カードの裏には、法王の要請により「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている。

「焼き場に立つ少年」


この写真は、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。第2次世界大戦末期に原爆が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんにより撮影された。

法王は今回、カードの裏に自身の署名とともに「戦争が生み出したもの」という言葉を記載するよう要請した。

写真の内容と由来は短いキャプションにより説明。「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などと記している。

(中略)


CNNのバチカン専門家、ジョン・アレン氏は「新年を前にこの写真を公開したことで法王の立場に何か実質的なものが付け加わるわけではないが、法皇が年末年始の休暇期間中に特定の画像を配布するよう依頼したのは今回が初めてだ。

これは法王が、写真のメッセージが今特に重要だと考えていることを示唆している」と述べた。

アレン氏によれば、法王は以前にも核兵器を非難し、紛争が子どもたちにもたらす影響を強調したことがあるという。


/////////////////////////

私はこの少年の写真を見るのは、初めてではない。

何年か前に見たような気がする。そして、その時私が感動したのは、この裸足の少年が多分、死んだ弟を背中に背負って、荼毘に付す順番をジッと直立不動の姿勢で待っている姿が何とも凛々しく見えたからであった。

犠牲者が焼かれる光景を見つめるその眼に少年の悲しみなどまったく私は感じ取れなかった。それどころか、少年の頭からつま先までが、あまりにも堂々としていて、雄雄しく見えたのだった。

「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などというカトリックの坊主のセリフを目にした私のへそは、チンチンと茶を沸かしていた。

この少年の写真を、安っぽいプロパガンダに利用して欲しくは無い。これは、日本人に対して失礼極まりない愚行だと思う。

だれか、正式に抗議してくれないか。