孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

未成年に選挙権ですか・・

2015年06月20日 | 日記
来年から選挙権が18歳まで引き下げられるそうだが、私は反対だった。むしろ5歳くらい引き上げるべきだと思っていた。

何よりも懸念されるのが、中学・高校の教育関係者が、これまで以上の偏向教育にシャカリキになり、それにマスコミも加担して、いわゆる左巻きのお花畑の住人が量産される心配がある。

教職員組合に属する教員は、日の丸掲揚も国歌斉唱も生徒には勧めないそうだ。敗戦後の占領期に押し付けられた憲法を、かたくなに護れと狂ったように主張する集団である。憲法九条があった所為で、そのお陰で日本は戦争せずにこれたと、主張する組織である。

強盗が、突然襲ってきて、ドアをドンドン叩いても、抵抗しないで話し合えば解決できるという姿勢である。反抗して怪我をする位なら、言いなりになって怪我などしない方をとるべきだという考えのようである。

武器など準備してはいけない、警察官に任せればよいという思想である。何なら、強盗の手下になってでも、無事でいる方が利口だと言いたげである。

そもそも、GHQの占領下にありながら、つまり日本人に主権などなかったときに、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」などとあること自体、変だと思うのがまともではないか。

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会・・・」などと、奇麗事を並べても、事実はそんなもんじゃないことくらい、まともな大人なら簡単に分かることだと思うが、祈ればそういう世界にすることは可能だと信ずるカルト宗教信者のような連中がかなりいて、今後そういうカルト信者が急増する可能性がある。

腕まくりをし始めた日教組教師たちが、日本中にいることを考えると、少し憂鬱になってくるが、この国の将来を担う若者たちには、教師の言うことや、マスコミの言うことを丸呑みせず、疑ってみることを勧めたい。

感情で物事を判断せず、出来るだけ事実に基いて、論理的な考えをするような癖をつけて欲しい。テレビの討論番組などでは、笑いものになっているような、女性知識人や女性政治家の主張は、その多くが、感情に基くものだ。

「だって、イヤだもん。」「ダメなものはダメ。」「怖い」「恐ろしい」と感情に訴えて自分だけ悦に入っているものが多い。歴史は時の流れであって、どんな出来事にもそうなった原因があり、その出来事が原因となって別の結果を生むことになる。

視点を今までより少し高いところにおいて、空から見下ろすように歴史を眺めると、バカバカしい主張が見抜けて、芽から鱗が音をたてて落ちることがある。

先祖が狩猟民族の西洋人と比較して、先祖が農耕民族のアジア人は、行動も考え方もそれなりに西洋人とは違うものだという、比較文化論を学生時代読んだことがある。

それは、まるで肉食動物と草食動物の違い、あるいは動物と植物に対比できると書かれていたと思う。そして、植物は地上では平成を保っているようでも、地下では水分と養分を激しく奪い合っている、というように締めくくっていたと記憶する。


我が家の野菜たち・・・(画像)

2015年06月20日 | 日記
よく、有機栽培だとか無農薬栽培だとか、オーガニックなど、肩書きが色々ついた野菜を見かけることがあるが、私はそれぞれの定義が良く理解できていないので、ほとんど無視するしかないと思っている。

農薬や除草剤も使い方がまともなら、適度に使ってもよいと思うし、そんなにシャカリキになって作ってくれなくても構わないと思うようになってきた。むしろ、テレビなどで、「消費者の健康を考えて、安心・安全の野菜を供給したい・・・」などと、ドヤ顔で言う生産者や流通業者を見ると、よくもまあ聞き飽きた決まり文句をあんな風に言えるものだと、逆に胡散臭く感じてしまう。

野菜よりもコンビニで売られて毎日良く売れている、おむすびに入っている添加物の方が気になって、いつも食べるときはそれなりの覚悟がいる。

おむすびは工場で作られる食品で、農産物でないことを認識させられる添加物の種類だ。



我が家の菜園のオクラも順調に成長している。これが実を付け始めると、毎日的確に収穫して、胃袋に入れていかないと、たちまち腐らせてしまうことになる。



ピーマンは小さな実を三つ付けていた。もう少し大きくなったら食べようかと思う。


サツマイモも根が出て無事活着したようだ。暑くなるにつれて、ツルがぐんぐん伸びてくる。



カミさんの植えたミニトマトも順調だが、どこまで世話を続けられるか・・・。


この頃になると、やはり苗の出来が成長に大きく影響するんだと思い知らされる。いや、決して苗の所為にするつもりはないのだが・・・。

素読のすすめ、(日本語です)

2015年06月20日 | 日記
初孫なっちゃんと話が出来るようになると、あらためて言葉を覚えるということが、その人を作っていくうえで大切なことなんだなあと感ずる。何が言いたいかというと、子供の頃は母国語をしっかりと見につけることは大切なんだということを、痛感させられる。

安易に、国際化だとか、グローバルだとか、国際人だとかいう得体の知れない言葉に踊らされる今の風潮に乗っかってはいけないと思う次第だ。

英語を理解すれば便利で、役に立つことも多々あることは間違いないが、限られた時間をそれに大きく費やして、他に時間をかけるべきことを犠牲にすることは、間違いなく正しくはない。

以前、なっちゃんが自慢のトランプ手品を披露してくれて、「不思議?不思議でしょ?」と連発してたことをブログで書いた気がする。先週きたとき、なっちゃんとUNOというカードゲームをして、コテンパンに負けた。歯が立たなかった。

そのとき、なっちゃんはニコニコしながら、「おじいちゃん、くやしい?」と聞いてきたのだった。「くやしいなあ・・・。」と仰々しくくやしがってみせると、なっちゃんは大喜びしていた。

この、「くやしい」という言葉も、「不思議」という言葉同様、なんとも抽象的な日本語ではないか。4歳そこらの子供がそういう抽象的な言葉を使いこなすのを目の当たりにして、こんなことを思った。

学校教育で最低6年間ほとんどの日本人が英語を学習するのだが、さて、「不思議だ」とか、「くやしい」とか、どれだけの大人がこの日本語を英語で言えるだろうか?

今後、小学校でも英語を学習することになるようだが、世の母親たちは、特に英語にコンプレックスを持つママさんたちは、我先にと我が子を英語教室に送り込むことになるのは必至である。そこで、動物の名前や野菜の名前を英語で覚えてきた我が子を見て、小さな感動を覚えるのである。

小学校に入りたての幼児に、金をかけて英語を覚えこませようとするような乱暴なことをするなら、一層のこと、「教育勅語」を買ってきて、声をあげて素読させた方が、ずっと人間形成に効果的だと思うが、どうだろう。


カラス脅し 第2弾。

2015年06月20日 | 日記
カラス脅しのCD と目玉は何とか効果が1週間続いたようである。

しかし、すぐ近くまで飛んできて、ナンダ、ナンダ?といった様子で偵察していたカラスを見ているので、そのうち効果はなくなると思う。そこで、第2弾を作ってみた。



少しでも、以前より改善効果があればいいのだが、正直言って自信はあまりない。





朝、明るくなりかける頃、カア、カアと鳴く声がするので、近所には来ているのは、分かっている。

カラスにバカにされないように、今後も改善案をひねり出し続ける必要がある。

なんだか、カラス如きに課題を突きつけられているようで、忸怩たる思いも少しある。

シャルル・ダレ著、「朝鮮事情」。

2015年06月20日 | 日記
手元に「朝鮮事情」という東洋文庫の本がある。これは、フランス人宣教師だった、シャルル・ダレという方の本で、1870年ごろの朝鮮半島の様子をこと細かく書いている本で、当時の朝鮮半島の住居から、土地の人達の暮らしぶり、性格、娯楽等々、なかなか鋭い観察眼で摸写していて、大変興味深い本である。

しかし、身銭を切って買うほどの本ではないと思ったので、図書館で借りられるかどうか調べてみた。最近は便利になって、インターネットで図書館に本が置かれているかどうか、その本は貸し出し中かどうかが調べられる。

いつも利用している隣町の市立図書館のホームページで検索すると、借りられると分かったので、先週末に借りてきておいて、早速拾い読みを終えたところだ。

140年以上も前の朝鮮の様子は、英国人女性旅行家のイザベラ・バードほどではないにせよ、このフランス人宣教師の目にも少し呆れ気味に驚気を持って写ったようだ。


近代国家の仲間入りをしたと思っている現代の韓国人そのままと、納得させられる部分があちこちに見られて、何度もうなづきながら読んだ。

『朝鮮では、人々が非常に高い声で話し、先天的に喧騒を好む・・・。』 高い声とは、大声という意味だろうが、マニラ二赴任していたとき、住んでいたコンドミニアムに韓国人家族が何家族か住んでいて、エレベーターでよく一緒になったものだった。

韓国人の主婦たちが数人乗り込んできたかと思うと、大声で話し始め(彼女たちは普段の調子なのだろう)、冗談ではなく両耳をふさぎたくなるほどだった。これが、ほとんど毎日のように体験できた。

『朝鮮人は、一般に頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、まだ彼らが浸っている半未開性のせいである。この国では、ひとたび決心すると、これを証明するために、自分の指を刺しその血で誓いを記す・・・。

怒りが爆発したりすると、人々は不思議なほど安易に首を吊ったり、投身自殺をしたりする。彼らは、怒りっぽいが、それと同程度に復讐心に満ちている。』

この辺りは、読んでいて、思い当たるフシがあり、私の体験した光景が一々蘇ってきてしまった。そうでなくても、今の韓国の反日行動や、女酋長の動向を見ていれば、昔と何も変わっていないことが実によく分かる。

気難しく、怒りっぽく、執念深く、騒々しい・・・。友人にはしたくない、典型的なタイプであろう。シャルル・ダレは当時の民衆の住居をこのように面白く表現していた。

『みすぼらしい茅葺きの住居を見たことがあるでしょう。あなたの知っている最もみすぼらしい住居を、その見た目と強度を更に落とした姿を想像してみてください。すると、それが朝鮮の住まいについての、ほとんど正確な姿となるでしょう。』

時間のある方は、ネットで「日韓併合前 ソウル 画像」と、検索すれば、当時の画像が簡単に見られるので、お試しを。



広報担当役員でしょ?

2015年06月20日 | 日記
今朝、出掛けにテレビのニュースでチラッと見て、気になっていたので、昼休みにネットで確認したニュースに、トヨタの役員である米国人女性が、日本では麻薬扱いの薬物を密輸しようとした容疑で、逮捕された・・・というものがあった。

オキシコドンという名前の鎮痛剤で、日本でもアメリカでも医師の処方箋無しでの入手は出来ないという劇薬のようだが、あのマイケルジャクソンも乱用していたというから、何となくそっち系の薬物なのだろうという、第一印象だった。

そこで、英語で oxycodone とググって見ると、米国でもかなり中毒性のあるいわくつきの劇薬で、中毒患者もたくさん出ているようだ。この薬に限らず、日本でも最近「脱法ドラッグ」による交通事故が多発して問題になっているが、本場米国ではその数が日本の比ではない。

ニュースによると、逮捕された米国人女性は、GMやペプシで広報担当の職歴があり、TOYOTAの常務役員になるほどなのだから、知的レベルも相当高いだろう。その薬の持つ危険性や、日本の麻薬に対する対応についても、知らなかったでは済まないはずだ。

もう数十年前になるが、私が米国にいた時なども、(当時はサタデー・ナイトフィーバーなどが流行っていた)ディスコ全盛期で、盆踊りすら出来ないくせに、何度かダンスパーティーに出かけた事があった。開場に入るや否や、マリファナの煙が蔓延して、場内が独特な臭いで充満しているのに仰天したことがある。

シアトルの港近くのマーケットに行けば、誰でも簡単にマリファナなど買うことが出来ると、笑って教えてくれた青年がいた。また、米国映画のシーンなどでもよく細かく砕いた薬物を指に付けて、歯茎にこすりつけたり、ストローで鼻から吸い込んだりしているのを見る。

アメリカは、自由の国だそうだから、そういう薬物に関して法律で寄生はしているのだろうが、現実は別物であったことを知った。そんなこんなで、私は今朝のニュースを見たとき、別にTOYOTAがどうのこうのではないが、「ああ、これはクロだな・・・。」と瞬間に感じたのだった。

それにしても、小包の送り主は誰なのか、常備薬なら常備薬として必要なので送ったと主張しなかったのか、なぜおもちゃのペンダントなどに隠すようにして送ったのか、広報のベテランならば、もう少し説明してもよさそうなものを、胡散臭さ一杯だったではないか。

ネットを見ていたら、Q&Aのサイトで、ある米国人が、「今度妻を連れて東京に赴任することになるが、妻は何種類か持病の薬を携帯している。日本はドラッグに厳しい国だと聞いているが、事前にどういうことをする必要があるか?どこに聞けば良いか?」と、聞いている人に対して、それを見た人が、ここのURLを見れば、詳しく出ていいる、と教示していた。

逮捕された米国人女性は、「私は、麻薬を密輸したとは思っていない。」と答えていたと報道されていたが、子供のような言い訳で、他人の足を踏んでおいて、あなたの足が私の足の下にあったなんて、知らなかった・・・と言っているようなものだ。

報道の仕方も、第一報だったにせよ、何となく腰が引けているようで、胡散臭かった。ポールマッカートニーだろうが、TOYOTAの重役だろうが、法を犯すような輩は、堂々と入国禁止、国外追放にすればよい。

夜のニュースでは、TOYOTAの社長がグダグダ身内を庇う様なことを言っていたが、米国人だから怖気づくような素振りは、決して見せないでほしい。広報担当で雇ったのなら、堂々と本人に弁解させればいい。ヤバイから、弁護士を盾にするのではないのか。ド素人はこう思ってしまったのでした。

MERS に朗報あり。

2015年06月19日 | 日記
朝から朗報が飛び込んできた。

韓国に寄港したくない外国の観光客船が九州に寄港要請してきて、最早パンク状態だという。

いい加減な対応で、迷惑と不安を撒き散らしている隣国のMERS 騒ぎである。

『 西アフリカを中心に流行し、世界的な感染拡大が懸念されているエボラ出血熱のウイルスを不活化する抗体をダチョウの卵から大量精製することに、京都府立大大学院の 塚本康浩教授(動物衛生学)のグループが成功した。 12月中旬には、この抗体を使用したスプレー剤が海外の空港で販売される予定という。 』


こういうニュースを目の当たりにすると、さすが日本は先進国なんだなあと、痛感する。感染が進行中で、死者も出ている最中に、女酋長自ら終息宣言するような隣国と比べるのもアホらしい気もするが、改めてその医療技術や学術レベル、衛生観念などの大きな差を感ずる。

先手、先手を打っていく姿勢と、後手後手に回って、挙句の果てに政府を批判し始めるといういつもの姿勢は、その民度の違いを如実に示すものだ。国をあげて、隣国にイチャモンを付けて金をせびろうとする悪い癖を直さない限り、いくらちょっかいを出されても無視し続けることが、彼らのためでもあると思う。

強いのか、弱いのか・・・男子サッカー。

2015年06月19日 | 日記
もともと、好きなスポーツ観戦と言えば、ボクシングと卓球くらいなもので、野球やサッカーというスポーツは見るのも聞くのも、どちらかと言うと避けるほうだった。

しかし、おとといの晩は、食後新聞を何気なく見ているときにテレビで始ったシンガポールとのサッカーの中継に見入ってしまった。そもそも、シンガポールにサッカーの代表チームが存在することなど、聞いたこともなかったので、少し驚いた。

1年弱シンガポールに赴任していた事があったが、そのとき確かロンドンでオリンピックがあった。女子卓球のシンガポール代表選手が、何色だったか、メダルを取ったと新聞の一面を飾っていたとき、知り合いのシンガポール人の若者に、そのことを話題にしたら、彼はほとんど関心がなく、拍子抜けしたことがあった。

「彼女は中国人でしょ。」と言うのが、無関心を装った理由のようだったが、それを差し引いても、どうもシンガポール人は、スポーツそれ自体に、あまり強い関心を持たない人種のようだと感じたのだった。

そんな、シンガポールが対戦相手だったせいもあり、私はテレビの前に陣取って、試合を観戦することにした。テレビのアナウンサーも口にしていたが、シンガポールはどうも格下の相手らしくて、結果は見えている様子だった。

戦力の知識などまるでない私だが、ヨーロッパのチームで活躍中の日本人選手も何人かいることだし、まあ4対ゼロくらいで圧勝するんじゃないかと、楽観していた私だった。ムシャクシャしていたわけではないが、その晩は、何かこう日本チームに大量得点してもらって、すっきりした気分になりたかった。

ところが、試合が始ると、あの有様で、シュートを何本も放ってみても相手のゴールキーパーに阻止されて、前半はゼロ点。解説者も次第に口数が少なくなってきた。試合前は余裕しゃくしゃくの感じに見えた監督も、イライラしている様子が痛々しかった。

後半も残り時間が少なくなってくると、負けムードになってきた。サッカー好きのカミさんも、試合前は楽勝ムードで、先に風呂に入ってくる余裕があったが、風呂から出てもまだ点が入っていないことを知ると、怒り狂った様子で、「1点取れば、シンガポールは攻めに転ずるから・・・」と、解説するのだが、その1点がなかなか入らないのだった。

結果は、楽勝どころか無得点の引き分け。シンガポールは勝ち点を得ただけ、思惑通りだったのだろう。監督は、笑みすら浮かべていた。大勝してすっきりした気分になるどころか、寝つきが悪くなるほど失望させられた観戦だった。

お陰で、寝不足気味の今日は、仕事中何度も睡魔に襲われ、辛かった・・・・。

カラスとの頭脳戦、始る。

2015年06月16日 | 日記
食べ物カスを捨てていく犯人がカラスだと分かったら、その対策を考えなければなりません。インターネットで調べると、色々なグッズが通販で買えますが、あまり金をかけたくないので、とりあえず安上がりな案山子を自作してみました。

エクセルで円を描き色を塗りつぶして印刷し、クリアファイルに挟んだだけ。夏みかんの枝にテープで留めました。



もう一つは、古いCD 2枚を透明なナイロン糸でぶら下げただけでそよ風にゆられて、
いろんな方向に反射光を放ちます。(赤い矢印がそれです)





カラスが貯食する場所は、夏みかんの木の下で、早速昨日の夕方少し離れた家の屋根の上から、こちらを偵察しているカラスを見かけました。

愚息が、「何あれ?キモイんじゃない?」と言ってましたが、カラスも最初はそう感ずるそうです。しかし、その効果はあまり長続きしないそうです。

誰もいなかった小屋に、人間が5人入って、4人が出てきたから、まだ中には一人いるはずだ・・・・このくらいは計算できる知能があると、何かで読んだ事があります。

カラスとの戦いは、これからです。

低すぎる衛生観念。

2015年06月15日 | 日記
MERS の一時感染の終息宣言を発表してからも、感染者や死者が出続けるという、近くて遠い隣国は、いかにも韓国らしい、何ともお粗末な状況となっている。

そもそも、この国人達の歴史を遡って、その文化・習慣を見れば、こういう感染症や伝染病には実に都合の悪い、汚さを厭わない文化や、衛生観念の欠如した習慣が、土台になっていることが分かる。

以前、英国婦人の旅行家、イザベラ・バードの朝鮮紀行文を少し紹介したが、彼女も当時のソウルの街並みを不潔極まりないと言わしめ、世界中を旅してきた彼女をして、世界で最も汚い街と言わせたのだった。

このたびのMERS騒ぎも、彼らの低い衛生観念が固定にあることは、まず間違いない。日本が韓国を併合する以前は、ネットで写真を見ることもできるが、道路は細く曲がりくねっていて、瓦葺きの家などなく、庶民の家は、三匹の子豚の藁葺きの家のような街並みである。

しかも、個々の家にはトイレというものがない。皆、通りに出て用を足すのだった。信じられないが、真実で、朝鮮通信使などのように、数百人が一つの宿場町に泊まった次の朝は、みんな街道に出て、用を足したので、その宿場は酷い目に遭ったという。

日韓併合で、韓国人が最も困ったこととは、道端に排便する習慣を改めさせようと、日本政府が「路上脱糞禁止令」を発令したことだったという。

仕方なく、彼らは狭い家の中に穴を掘り、トイレとして使い、いっぱいになれば、埋めて、その横に新しい穴を掘るということを繰り返していったそうだ。

家の中といっても部屋が仕切られて、いくつもあるわけではなく、大家族がゴロンと横になって寝るだけのくうかんだったようである。大雨が降れば、家の中に水が浸入し、トイレにも当然水が入り、溢れ出て大変なことにあったそうだ。

また、病気が治りにくいときは小便を飲むといい、と信じられていたり、最終的には大便を食べると治る・・などという民間療法もあったらしい。

反日デモなどでも、何かというと、すぐに人糞を投げつけたりする韓国人たちは、我々とは遥かに異なった便に対する愛着を持っているようだ。

今回も医師が、隔離通知を無視して、1500人も集まる集会やシンポジウムに参加したり、国外に旅行に行ったりしていたというし、感染者を乗せた飛行機を消毒もせず使い続け、その機体は日本にも来ていたというではないか。悪名高いアシアナ航空である。

地元の赤字空港にもアシアナ航空は乗り入れている。受け入れ側として、大丈夫だろうかと心配になるが、不衛生な地域でインフルエンザや今回のような感染症は変異するそうだから、中国人がウジャウジャ入国している昨今、不安の種は尽きないのではないだろうか。


なっちゃんと昼食。

2015年06月14日 | 孫ネタ
次男一家が食事に誘ってくれたので昼食をイタリアン・レストランで一緒に食べた。イタリアンレストランと言っても、ピザやパスタ中心のファミレスのような感じで、看板は焼きたてパンとサラダバーなのだが、最近は客足が徐々に減ってきて、焼きたてパンの種類が激減したという情報を、カミさんから知らされた。

なっちゃんは、10時半頃家に来るなり、「おじいちゃん、何してあそぶ?ウノやりたい?」と畳み掛けてきた。みんな朝食がまだだということなので、すぐに隣町のレストランに向うことにしたが、なっちゃんは少しご機嫌斜めのようだった。

教会風の結婚式場が併設されていて、玄関では新郎新婦を囲んで、多くの来賓たちが手に手に紅白のハート型の風船を持ち、一斉に空に放つところだった。司会の女性の声で、「皆さんで、おめでとうと言ってから、風船を放してください。まず、私がおめでとうございます、と言いますので、皆様も後に続いてください。」という、案内が聞こえてきた。

風船を見ようよ、とみんなで結婚式場の玄関の方を見ていると、また女性の声で、「それでは、皆様、おめでとうございますに続けて、おめでとうと言ってから、風船を放してください。」

そそっかしい、人が数人風船を放してしまったので、ふわふわと紅白のハート型の風船が宙に舞い上がっていった。女性が、「それでは皆様、用意はよろしいでしょうか?私がおめでとうございます!・・・といいますので、後に続けてください!」

そういうと同時に、また数人の人が風船を放してしまった。我々も少しイライラしてきたが、女性がようやく本番を告げて、無事大量の風船が一斉に空に放たれた。なっちゃんは、それを見て大喜びだったが、何だかコントを見せられたようだった。

次男の嫁曰く、「紅白の風船も散り散りに大空に飛んでいって、揚がるとこまで揚がったら、パンッと割れちゃって地上に落ちるんだよね・・・(笑)。」



最近太り気味なので、今月から炭水化物を抑えるダイエットをしているので、私はパスタもピザも控えて、ハンバーグを注文した。サラダバーは、種類も豊富だったので、お替りをして、十分野菜補給をした。

看板の焼きたてパンは、確かに種類が減っていたが、その代わり小さなピザがサービスで頼めるそうだった。なっちゃんはカルボナーラやマルゲリータをたらふく食べたようだった。

ドリンクバー、サラダバー、焼きたてパンに焼き立てピザ・・・という芽ユーは、女性(特に中年以降の)に人気があるようで、客の9割は女性だった。

周りのテーブルを眺めると、みなさん食欲旺盛の様子で、それにしてもよくまあ、炭水化物をたくさん摂るものだ、と感心した。

ポール・ハービー名作選。

2015年06月14日 | 日記
彼は、自分のしていることに決して満足しているわけではないと、十分納得してはいた。それどころか、自分の行動が、イヤでイヤで仕方なかった。

庭の草陰に寝そべって、幼い少女がいつか庭に出てくるのを待ち構えているのは、彼がその2歳の少女の行動をしっかりと調べた上でのことだった。おばあちゃんの家に来たときは、やがて庭に出てきて遊び始めるはずだ・・・。

木の下の草むらの中で息を殺してじっと待ちながら、誘拐を企てている自らの過去を、思い返すには時間は十分あった。

彼が5歳のとき、農業を営んでいた父親が死んだ。14歳で彼は学校を退学し、放浪の旅に出たのだった。

ハーランのそれまでの人生は、少し急ぎすぎたのかもしれない。生きるために、何でもやった。農場で雑用を手伝って小遣いを稼いだ。うんざりする仕事だった。バスの車掌もした。退屈すぎて辞めた。

16歳のとき、歳を偽って陸軍に入隊したが、嫌で嫌でたまらなかった。1年の任期終了で、除隊しアラバマ州に向かい、鉄工場で働いた。そして、これもうまくいかなかった。

サザン鉄道の蒸気機関車の機関助手になって石炭で真っ黒になりながら働いた。結構この仕事が気に入って、これなら長く続きそうだと彼は思った。

18歳になって、彼は結婚した。そして、暫くして妻が妊娠の知らせを告げた。しかしその日は、彼は機関助手の職を失う解雇通知を受けた日だった。ハーランは、職探しに出かけているその間に、妊娠している妻はすべての持ち物と一緒に、実家の両親のもとに帰っていた。

再び彼は失意の中にあった。機関助手のとき、彼は通信教育で法律の勉強をしたのだったが、続かなかった。保険のセールス、タイヤのセールスも上手くいかなかった。フェリーボート事業を始めた、ガソリンスタンドの経営などもやった、結果はみんな無駄だった。

そう、ハーランは典型的な人生の負け組みだったのだ。そして今、ハーランは、バージニア州の片田舎の庭に隠れて誘拐を企んでいる・・・。女の子の癖を調べ、この時間絶対に庭に出てくると分かった上で実行に移したハーラン・・・。

しかし、この日、なぜか女の子は外に出てこなかった。ハーランの不運は相変わらず続いていたのだった。

晩年、彼はコルビンという小さな町のレストランのコックになり、皿洗いもしながら何とか暮らしていた。すると、そのレストランのある場所にバイパスが通ることになった。うまくいきそうになると、惨めな結果になる。幸せの青い鳥は、もう少しで手が届くというときに、決って逃げてしまう。

彼の人生、あの忌まわしき誘拐の件を除いて、何か悪巧みをした事があっただろうか?彼はそれまで、誠実に、正直に生きてきたはずだった。彼の名誉のために言うと、誘拐しようと企てたのは、実は彼自身の娘だった。家出した妻が連れて行った娘を取り戻そうと企てたのだった。

あの日、誘拐を企てた日の翌日、妻も娘もハーランのもとに帰ってきたので、彼は犯罪者にはならなくて済んだのだが、彼はもう年老いた。

何もかも無くしてスッテンテンになったハーランに、ある日年金の小切手が届いた。ハーランは、政府が同情して、「ご苦労さん、あんたもそろそろ諦めなさい。リタイヤする歳ですよ・・。」とあざ笑っているように感じた。

コルビンのレストランの常連さんたちは、今でもハーランを懐かしんでくれるのに、政府は年金を送りつけ、バースデーケーキにろうそく65本は十分多いでしょ。あなたは「年寄り」なんです、と言う。

彼は、次第に怒りが込み上げて来て、105ドルの年金小切手を新たな事業に投資した。その事業は順調に成長し、86歳になったハーランも事業と同様、順調に暮らしている。

何をやっても上手く行かなかった男。法を犯して誘拐を企てても、それも失敗するほど、計画通り進まなかった男。そして、もう辞めたら?と言われたので、事業を始めた男・・・ハーラン。

正式な名前は、ハーランド・サンダース。人呼んで、サンダース大佐・・・カーネル・ハーランド・サンダース。彼が最初にもらった年金小切手を元手に始めた事業とは、ケンタッキー・フライド・チキン。 後のことは、もう言わなくてもお分かりでしょう。

『Paul Harvey's The rest of the story 』 より

県民期待の、新教育長!

2015年06月13日 | 日記
我が県の教育長が、県知事のパワーハラスメントに悩んで、辞表を出してから、当事者の県知事は、もっと立派な、富士山よりも気位の高い方を教育長にする・・・というようなことを言っていたが、そのお方のインタビュー記事が朝刊のローカルページにでかでかと出ていた。

そういう立派なお方は一体どのようなお考えの持ち主なのかと思って、早速読んでみて、予想通り失望させられた。

自分を教育長に抜擢してくれた県知事に、恩義を感ずるのは分かるが、何だか記事から受ける印象は、新鮮味がまったくなく、ただの県知事に与えるりんごの磨き役でしかないと感じた。

今の県知事は、よく記者会見で気色ばんで、けんか腰になっていたが、ああいう上司の下では、有能な職員もその手腕を発揮しにくいだろうと思わずにはいられない。ただでさえ、休まず、遅れず、働かず、の公務員が、言われたことしかやらないようになっていくパターンである。

実際、ユネスコの世界文化遺産登録で盛り上がり、県知事はその当時、ヒョットコ踊りでも踊りだしそうなくらい、欣喜雀躍していたのだが、熱が冷めるとまったく山梨県側との調整が出来ていないことが露呈し、ほとんど主導権を山梨側に取られている有様である。

さて、新教育長のインタビュー記事だが、記者が、「知事は県内高校生全員にパスポートを渡す構想を明らかにしているが・・」と水を向けると、新教育長様は、「高校生くらいで一度外国に行くことは、非常にインパクトがある。高校で一度行くと、大学や社会人になっても行くことが出来る。国際化の一歩になる。」

このように、のたまうた。何でもかんでも外国に行けば良いってもんでもなかろうに、この手の人達は、外国に相当コンプレックスを抱いているらしい。国際化、国際化と言っていれば、先を見据えた視野の広い人物だと見られるとでも、勘違いをしているようだ。

そんなことを心配しなくても、中部地区の製造業の海外移転はどんどん進んで、今では「隣の班の山田さんちのお父さんが、来月からタイの工場に赴任するんだって・・」とか、「親戚の鈴木さんのお父さん、最後のご奉公だといって、インドネシアの話、引き受けたそうよ。」などという会話が、まったく普通に耳に入ってくるご時世なのを、知らないようだ。

教育長、更に続けて、「一度海外に行って終りではなく、普段が大事。」と力説していた。「県内の大学にも留学生がたくさんいる。各国の料理を披露しあったりして、国際交流大会を開き、県内にいても国際交流できる取り組みを県全体に広げる・・・云々」と、実に斬新なアイデアを披露していた。

国際化、国際交流。国際人、などという空虚な言葉が独り歩きして、そのためには英語を。早くから語学力を。こういう風な安直な論理立てで事が決められていくとしたら、藤原正彦氏の言葉を借りずとも、国を滅ぼす、手っ取り早いことを実践していると言えるのではないか。

教育は、限られた時間を何に振り分けるかが、ポイントである。猫も杓子も国際化だ、英語だとバカ騒ぎするのは、真のバカだけである。

県知事推薦の、富士山よりも、高貴なお方だと期待したが、何だか一昔前に活躍されたロートルを舞台に引っ張り出してきたようだ。






名画に名タイトル。

2015年06月13日 | 日記
毎月、毎月、新作映画が封切られているわけですが、技術も費やす資金も昔と比べれば大きな差があるとおもうのですが、出来映えはそれほどでもないのはなぜなのか、不思議である。

何度観てもまた観たくなる映画がいい映画だと定義すると、昔の映画の方が断然いい映画が多いのではないかと思う。

戦後は娯楽の頂点にあった映画産業には、日本中から才能のある優秀な人材が集まったようで、考えてみれば、いい映画が出来ないわけがなかったはずだ。

それは、映画監督のみならず、プロデューサー、撮影スタッフ、編集者、脚本家、などなど、すべての関連部門に当てはまる。

最近の封切り洋画を眺めていると、タイトルが現代をカタカナにしただけのものが多い気がするが、気のせいだろうか。

昔の好きな映画は、タイトルも実に味があって、原題に捕らわれていない所が、作者のセンスが表れている。例えば、原題 「Butch Cassidy and Sandance Kid 」 とか、「Bonnie and Clyde 」

いずれも、当時のならず者の名前を並べただけの原題だが、日本語のタイトルは、「明日に向って撃て!」と「俺たちに明日はない」という具合に、違った趣になるわけだ。タイトルと共に、クライマックスのシーンをすぐに思い浮かべることができる。

西部劇の名作、「荒野の決闘」。名匠ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の代表作である。英語の学習教材としても手頃だったので、もう数十回は観ていると思う。

中でも、最後のワイアット・アープのセリフは、覚えたくて何度もその場面を繰り返して観た。今でもはっきり覚えている。

Ma'am, I sure like that name, , , Clementine.

かすかに恋心を抱いていた、クレメンタインに対して言った言葉だった。強いて訳せば、「クレメンタインか・・・ホント、いい名前だなあ!」といったところか。この、「荒野の決闘」の原題は、My Darling Clementine

オー、マイダーリン、オー、マイダーリンのメロディーは、♪雪よ、岩よ、我らが 宿り、でお馴染みの雪山賛歌だ。京都大学山岳会が日本語の詩を原曲に載せた歌で、山に登ると不思議と歌いたくなる。

日本が誇る映画監督といえば、小津安二郎だと思うが、彼の作品の中で「長屋紳士録」という小品がある。私はこの映画が大好きで、繰り返し観るのだが、この間の台湾旅行で、実は小津の作品18作のDVDパックを買ってきた。価格が700円ほどなので、少し信じられなかったが、衝動買いした。

この中にも、「長屋紳士録」がある。面白いのは、その中国語タイトルで、「貧民窟紳士録」となっている。映画の中の長屋は貧民窟と呼ぶほど酷くはないが、終戦直後の東京の長屋をよく表していて、なんとなく懐かしい感じの映画だ。



何と、全編 youtube で観ることができる。小津映画の常連、笠智衆の覗きからくり口上の芸達者ぶりがすこぶる楽しい映画だ。

いやあ、映画って、ホントにいいですね!


本名、北詰文司。

2015年06月13日 | 日記
私が小学生のとき、東京オリンピックが開催され、当時はあの張りのある声で三波春夫が歌う「東京五輪音頭」がよく聞こえてきたものだった。

♪ハァー、あの日 ローマで眺めた月が 今日は 都の空照らす、、、、オリンピックの顔と顔 ソレ、トトント トトント 顔と顔・・・♪

それから、時は流れて、私が高校に入学した頃、大阪で万国博覧会が開かれ、先輩たちは修学旅行で万博見物に行った。テレビで連日、どこどこのパビリオンは3時間待ちだとか言って、開場をぐるぐる巻くような行列を見せられて、あんなところには行きたくもないなあ、と思っていたので、自分が高校3年生でなくてよかったと思ったのをよく覚えている。

このときも、♪こんにちは、こんにちは、西の国から、 こんにちは、こんにちは、 東の国から・・・♪ と、例の声で歌っていたのが三波春夫だった。

youtube で当時の様子が観れるが、東京五輪の時は、バックに歌謡番組でおなじみだった花柳社中の踊り。対して、大阪万博の時は、世界中の子供達をバックに、笑顔を振りまきながら歌う三波春夫は、名実共に、まさに国民的な歌手だったといえる。

彼の経歴を見ると、二十歳で徴兵され、満州に行き、終戦でシベリアに4年間抑留されている、とある。酒を飲まず、ヤクザ関係の人達とのお付き合いは意識的に控えていたようだ。今ではすでに定着している、演歌歌手と暴力団関係者との付き合いだが、当時テレビなどで見る、三波春夫の普段の言動からも、その清廉潔白さが感じられて、私はいつも好感を抱いていた。

しかし、何と言ってもあの名曲、「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を聞いてから、この歌の魅力に取り憑かれてしまった。歌謡曲というよりも、長編歌謡浪曲という新しいジャンルの歌で、赤穂浪士を応援した槍の名手、俵星玄蕃(たわらぼしげんば)を扱った名曲である。

歌詞がいい。『槍は錆びても この名は錆びぬ、 男、玄蕃の 心意気・・・』出だしはこんな具合で始まり、話は佳境に入っていく。槍の教え子の一人が、蕎麦屋として時期を待っていた赤穂の浪士で、討ち入りの夜駆けつけた吉良の屋敷で、再会する。

最も盛り上がる場面である。『かかる折しも 一人の浪士が 雪を蹴立てて、 サク、サク、サクサクサクサク・・・先生!』『おぅ!そば屋かぁああ・・・!』

浪士の襟に書かれた「杉野十兵次」の文字を見て、玄蕃は『わしが教えたあの極意、命惜しむな 名をこそ惜しめ。 立派な働き、祈りますぞよ。』と、心で告げるのだった。

一度、カラオケで歌ってみたいと思うのだが、これが大変難しい。聴きたい時にいつでも聴ける様に、i-pod に保存してあるが、いつかはマイクを持って歌ってみたい。

そして、歌っている姿を見たいときは、youtube でじっくり何度でも観る。見事な長い歌詞を書いたのは、北村桃児という方。歌詞だけでなく、曲の構成まで考えたというから、大した演出家である。

北村桃児・・三波春夫のペンネームだとは、つい最近まで知らなかった。