孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ポール・ハービー名作選。

2015年06月14日 | 日記
彼は、自分のしていることに決して満足しているわけではないと、十分納得してはいた。それどころか、自分の行動が、イヤでイヤで仕方なかった。

庭の草陰に寝そべって、幼い少女がいつか庭に出てくるのを待ち構えているのは、彼がその2歳の少女の行動をしっかりと調べた上でのことだった。おばあちゃんの家に来たときは、やがて庭に出てきて遊び始めるはずだ・・・。

木の下の草むらの中で息を殺してじっと待ちながら、誘拐を企てている自らの過去を、思い返すには時間は十分あった。

彼が5歳のとき、農業を営んでいた父親が死んだ。14歳で彼は学校を退学し、放浪の旅に出たのだった。

ハーランのそれまでの人生は、少し急ぎすぎたのかもしれない。生きるために、何でもやった。農場で雑用を手伝って小遣いを稼いだ。うんざりする仕事だった。バスの車掌もした。退屈すぎて辞めた。

16歳のとき、歳を偽って陸軍に入隊したが、嫌で嫌でたまらなかった。1年の任期終了で、除隊しアラバマ州に向かい、鉄工場で働いた。そして、これもうまくいかなかった。

サザン鉄道の蒸気機関車の機関助手になって石炭で真っ黒になりながら働いた。結構この仕事が気に入って、これなら長く続きそうだと彼は思った。

18歳になって、彼は結婚した。そして、暫くして妻が妊娠の知らせを告げた。しかしその日は、彼は機関助手の職を失う解雇通知を受けた日だった。ハーランは、職探しに出かけているその間に、妊娠している妻はすべての持ち物と一緒に、実家の両親のもとに帰っていた。

再び彼は失意の中にあった。機関助手のとき、彼は通信教育で法律の勉強をしたのだったが、続かなかった。保険のセールス、タイヤのセールスも上手くいかなかった。フェリーボート事業を始めた、ガソリンスタンドの経営などもやった、結果はみんな無駄だった。

そう、ハーランは典型的な人生の負け組みだったのだ。そして今、ハーランは、バージニア州の片田舎の庭に隠れて誘拐を企んでいる・・・。女の子の癖を調べ、この時間絶対に庭に出てくると分かった上で実行に移したハーラン・・・。

しかし、この日、なぜか女の子は外に出てこなかった。ハーランの不運は相変わらず続いていたのだった。

晩年、彼はコルビンという小さな町のレストランのコックになり、皿洗いもしながら何とか暮らしていた。すると、そのレストランのある場所にバイパスが通ることになった。うまくいきそうになると、惨めな結果になる。幸せの青い鳥は、もう少しで手が届くというときに、決って逃げてしまう。

彼の人生、あの忌まわしき誘拐の件を除いて、何か悪巧みをした事があっただろうか?彼はそれまで、誠実に、正直に生きてきたはずだった。彼の名誉のために言うと、誘拐しようと企てたのは、実は彼自身の娘だった。家出した妻が連れて行った娘を取り戻そうと企てたのだった。

あの日、誘拐を企てた日の翌日、妻も娘もハーランのもとに帰ってきたので、彼は犯罪者にはならなくて済んだのだが、彼はもう年老いた。

何もかも無くしてスッテンテンになったハーランに、ある日年金の小切手が届いた。ハーランは、政府が同情して、「ご苦労さん、あんたもそろそろ諦めなさい。リタイヤする歳ですよ・・。」とあざ笑っているように感じた。

コルビンのレストランの常連さんたちは、今でもハーランを懐かしんでくれるのに、政府は年金を送りつけ、バースデーケーキにろうそく65本は十分多いでしょ。あなたは「年寄り」なんです、と言う。

彼は、次第に怒りが込み上げて来て、105ドルの年金小切手を新たな事業に投資した。その事業は順調に成長し、86歳になったハーランも事業と同様、順調に暮らしている。

何をやっても上手く行かなかった男。法を犯して誘拐を企てても、それも失敗するほど、計画通り進まなかった男。そして、もう辞めたら?と言われたので、事業を始めた男・・・ハーラン。

正式な名前は、ハーランド・サンダース。人呼んで、サンダース大佐・・・カーネル・ハーランド・サンダース。彼が最初にもらった年金小切手を元手に始めた事業とは、ケンタッキー・フライド・チキン。 後のことは、もう言わなくてもお分かりでしょう。

『Paul Harvey's The rest of the story 』 より


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