孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

本名、北詰文司。

2015年06月13日 | 日記
私が小学生のとき、東京オリンピックが開催され、当時はあの張りのある声で三波春夫が歌う「東京五輪音頭」がよく聞こえてきたものだった。

♪ハァー、あの日 ローマで眺めた月が 今日は 都の空照らす、、、、オリンピックの顔と顔 ソレ、トトント トトント 顔と顔・・・♪

それから、時は流れて、私が高校に入学した頃、大阪で万国博覧会が開かれ、先輩たちは修学旅行で万博見物に行った。テレビで連日、どこどこのパビリオンは3時間待ちだとか言って、開場をぐるぐる巻くような行列を見せられて、あんなところには行きたくもないなあ、と思っていたので、自分が高校3年生でなくてよかったと思ったのをよく覚えている。

このときも、♪こんにちは、こんにちは、西の国から、 こんにちは、こんにちは、 東の国から・・・♪ と、例の声で歌っていたのが三波春夫だった。

youtube で当時の様子が観れるが、東京五輪の時は、バックに歌謡番組でおなじみだった花柳社中の踊り。対して、大阪万博の時は、世界中の子供達をバックに、笑顔を振りまきながら歌う三波春夫は、名実共に、まさに国民的な歌手だったといえる。

彼の経歴を見ると、二十歳で徴兵され、満州に行き、終戦でシベリアに4年間抑留されている、とある。酒を飲まず、ヤクザ関係の人達とのお付き合いは意識的に控えていたようだ。今ではすでに定着している、演歌歌手と暴力団関係者との付き合いだが、当時テレビなどで見る、三波春夫の普段の言動からも、その清廉潔白さが感じられて、私はいつも好感を抱いていた。

しかし、何と言ってもあの名曲、「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を聞いてから、この歌の魅力に取り憑かれてしまった。歌謡曲というよりも、長編歌謡浪曲という新しいジャンルの歌で、赤穂浪士を応援した槍の名手、俵星玄蕃(たわらぼしげんば)を扱った名曲である。

歌詞がいい。『槍は錆びても この名は錆びぬ、 男、玄蕃の 心意気・・・』出だしはこんな具合で始まり、話は佳境に入っていく。槍の教え子の一人が、蕎麦屋として時期を待っていた赤穂の浪士で、討ち入りの夜駆けつけた吉良の屋敷で、再会する。

最も盛り上がる場面である。『かかる折しも 一人の浪士が 雪を蹴立てて、 サク、サク、サクサクサクサク・・・先生!』『おぅ!そば屋かぁああ・・・!』

浪士の襟に書かれた「杉野十兵次」の文字を見て、玄蕃は『わしが教えたあの極意、命惜しむな 名をこそ惜しめ。 立派な働き、祈りますぞよ。』と、心で告げるのだった。

一度、カラオケで歌ってみたいと思うのだが、これが大変難しい。聴きたい時にいつでも聴ける様に、i-pod に保存してあるが、いつかはマイクを持って歌ってみたい。

そして、歌っている姿を見たいときは、youtube でじっくり何度でも観る。見事な長い歌詞を書いたのは、北村桃児という方。歌詞だけでなく、曲の構成まで考えたというから、大した演出家である。

北村桃児・・三波春夫のペンネームだとは、つい最近まで知らなかった。



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