孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

衝撃の「猿のは臭せえ」

2015年03月28日 | 日記
社会人になって4ヶ月目に海外出張を仰せつかった。タイからマレーシアに向かい、台湾に立ち寄って帰国するという1週間の出張だった。タイでは、取引先の水産会社のタイ駐在員二同行して、紋甲イカの加工工場の視察と、他にサトウキビの収穫後の穂先を集めて、酪農家に牧草として販売するという可能性を考えるための現地調査だった。

楽しみにしていたのは、サトウキビの案件だった。というのは、その視察場所が今は国名をミャンマーと変えたビルマとの国境近くの、カンチャナブリというところだったからだ。そこは、戦争当時日本軍がタイとビルマをつなげる泰緬鉄道のために川にかかる鉄道橋を造った場所だった。

クワイ川に架かる鉄道橋は、映画「戦場にかける橋」で一躍有名になったが、映画を見なかった人でも口笛で始る『クワイ川マーチ』は耳にしたことがあるだろう。映画は、アカデミー賞作品賞を受賞し、原作のピエール・ブールは脚光を浴びることとなった。

しかし、ピエール・ブールはこの映画で日本を貶めようとしたのであって、立派な橋を建設した日本軍を称えようとしたわけではない。日本嫌いの彼は調子に乗って、「猿の惑星」というSF小説を書き、これも映画化された。私が中学生の時だったが、当時猿のメイクアップがあまりにもリアルで、映画雑誌でも大きく取り上げられて話題になった記憶がある。

映画も大ヒットして、私は友人と観にいったが座れなくて最後まで立ったままだった。しかし、ピエール・ブールは日本人を猿に見立てて物語を考えていたということを知っていた日本人は、当時いなかったのではなかろうか。日本人嫌いの白人たちは、昔から日本人のことを「イエロー・モンキー」と呼んで蔑んできた。

人間以下の生き物たちに、長い間植民地支配してきた東南アジアを追い出された欧米の白人たちは、当時あの映画を観てさぞかし溜飲を下げたことだろう。その後、映画は次々と続編が作られている。

猿扱い、というと、こんなことがあったのを思い出す。それは私が富士登山をしたときのことだった。晴天の日を選んで、一人でのんびりと頂上まで登頂してから、ゆっくり下山してきたが、喉が渇いたので7合目辺りの山小屋前のベンチで一休みしていた。眼下には雲海が広がり、これから頂上を目指す人達も多くて小屋前は賑わっていた。

暫くして外国の女性二人連れが下山途中に休憩に立ち寄った。同じようにベンチの空いたところにザックを下ろし、汗を拭きながら飲み物を飲み始めた。二人とも身長170cm以上の大柄なお嬢さんで、格好や装備から山登りの経験がかなりありそうだった。そのときだった、一人がやおら着ていた上着を脱ぎ始め、着替えを始めたのだった。

上半身は下着一枚になって豊満な体が他の登山客の注目の的になっていた。しかし、不思議なことに彼女は恥らうでもなく、まるで我々など眼中にないといった素振りで、黙々と着替えを終えた。あまりの大胆さに周りの男性たちの方がオドオしていた様子で、見てないようでチラチラ目をやる姿は滑稽だった。

下山してから、友人にこの話しをすると、「多分ネエ、彼女は周りの日本人男性たちを人間だとは思ってなかったんだろうね。畑のかぼちゃか何かだという感じだったんだろうな。」と、何とも皮肉な解説をしてくれました。


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