阿波の十郎兵衛屋敷で観た『傾城阿波の鳴門』。巡礼歌の段の中の一場面が私はどうも気がかりであったので、資料館にいたボランティア・ガイドだという高齢の方に、話してみた。
おつるが、お弓に「なんぼ一人旅でもたんと銭さえあれば、宿に泊めてもらえる。わずかでもこの金を旅の路銀にして、国へお帰り・・」と紙に包まれた小銭を渡された。
「あーいー、うれしうござんすけど、金は小判というものを、たんと持っております。」といって立ち去る場面があった。
別れの場面
「あのとき、おつるは本当に小判をたんと持っていたんでしょうかね?私は、あれは娘ながらおつるの、そこまでの施しは受けられないという、気丈な奥ゆかしさから出た方便ではなかったのかと思うんですよ。そう思って私はあの場面で、グッと感動したんです。」
そういうと、ガイドの老人は、あっさりと、『いや、おつるは小判を持っていたでしょ。』と言う。続けて、『巡礼って、あなた知ってます?みんな施しを受けるんですよ。』
私が、子供ながらもおつるの示した気丈さ、凛とした奥ゆかしさに心打たれたというのに、目の前に入るジジイは、『巡礼は施しを受けるものだ。』とぬかしたので、私の右脳の奥の方の琴線がプンッと音を立てて切れたような気がした。
私は、何度かそのジジイに、おつるの振る舞いに、子供ながらも、日本的な気高い、凛々しい、品位を感じてあの場面が最も感動した、と説明しようとしたのだが、彼は「ふーん」と言いながら納得できないといった表情をして、首を傾げて言った。
『あなたは知らないだろけど、巡礼する人は、みーんな物やお金で施しを受けるものなんですよ。』
私は、もはやこのジイさんと話をするだけ無駄だと思い、こう言ってその場を去った。
「そんなことは知ってますよ。おつるだって、最初に玄関でお弓がお盆で持ってきたお米をもらっていたじゃないですか。巡礼はみんな施しを受けるものだって言うけど、じゃあ巡礼者は乞食ですか?物貰いなんですか?」
翌日の朝の上演も私は観ようと思った。
上演は11時からで、前日とは、人形遣いも太夫も三味線弾きも変わるので、また違った味わいが楽しめると聞いていたからだった。
1時間ほど早く着いたので、すぐ近くにある、「阿波木偶人形会館」に向かった。ここは人形作りの職人さんが、その作り方、からくりの仕掛けなどを、実物を見せながら説明してくれる、貴重な施設である。
15分くらいの説明の後、ワイドスクリーンで資料映像を見せてくれる。
その後半に、『巡礼歌の段』に続く、『十郎兵衛住家の段』のダイジェスト版が流れた。つまり、お弓の家から、おつるが立ち去った後、いたたまれぬお弓が家を飛び出して、おつるの後を追っていった場面に続く場面である。
舞台の設定は、相変わらずお弓の家である。
銀十郎と名前を変えてお弓と暮らす十郎兵衛が、なぜか巡礼姿のおつるを連れて家に帰ってくるところから話は始まる。
乞食どもに襲われそうになっていた娘を助けようとして、家に連れ帰ったのだが、お弓は留守である。
「先ほどは、乞食どもが金を盗ろうとしていたようだが、お前、お金を持っているのかい。」
「アーイー、余所の小母様にもろうて、持っております。」
「なに、それはあぶない事じゃ、あぶない事じゃ。その金はどれほどある。見せてごらん。」
「あーいー、これほどざんす。」おつるは、もらった金を差し出した。
「こりゃ、小銭が五拾文ばかり・・・。他には無いのかえ?」
「いえ、まだ小判というものがたんとござんす。」
「何、小判がたんとある?それはよいものを持っておるの。これ、このあたりは用心が悪いによって、子供がもっているのは人に取られる。わしが預かってやろう。ここへ出しや。」
「いえいえ、この財布の中には、大事なものが包んである程に、人に見せるなと婆さまが言わしゃんしたによって、誰にもやる事なりません。」
銀次郎こと十郎兵衛は目を怒らし、「エエ、そのようなに隠すと為にならぬぞ。」
おつるは、「それでも、大事な金じゃゆえ。」と拒むと・・。
「大事な金じゃによって持っていると為にならぬ。片意地言わずと預けておきや。」
「エエ、こんなところに入るのは嫌や。」と逃げようとする。
その首筋を掴むと、「あれ、怖い怖い・・」
「エエ、やかましい、やかましい。近所へ聞こえる。声が高い。」とおつるの口をふさぎ、「怖がることはない。わしにも、ちと金の要る事があるによっての、どれ程あるか知らぬども、二三日預けてたもや。」
そう言って両手をはなせば、がっくりとそこへそのまま倒れる娘。「こりゃ、どうした。」と声掛けようにも息も通わぬ即死の有様。
その時、外に女房のお弓の足音が。慌てて布団で娘の死骸を隠したのだが・・。
「オオ、こちの人戻っていたか。お前の留守の間に国に残した娘のおつるが不思議とここへ来たわいのう。」
お弓の家
「ヤ、何、娘がきた。そりゃまあなにかい、母者人と一緒にかい。」
「イエイエ、おつるひとりでござんす。不思議とここへきたわいのう。」
しかし、夫婦は共にお尋ね者となっているので親子だとは明かせず、泣く泣く返したのだ、と伝えるお弓に、「よくも俺に知らせずに追い返せたものだ。お前は鬼のようだ。」と言って、
その娘の歳格好を尋ねると、まさしくそれは布団の中の死骸となった娘であった。
夫が借金を返す金欲しさに殺してしまったことを知り、夫婦で悲しんでいるところに追手がきた。
二人は、おつるの死骸に火を放ち、泣く泣くその場を逃げるのだった。
その後、おつるの死骸の懐にあった小判を包む手紙から、主君の名刀「国次」を盗んだのは、小野田郡兵衛というお家乗っ取りを企んだ悪者である事が分り、事件は一件落着、十郎兵衛は阿波藩への帰参が叶うことになったのだった。
結末まで観ると、おつるは確かに婆さまから小判を預かっており、しかも包み紙が盗まれた名刀の犯人のことまで記された手紙であったというオチで、おつるの奥ゆかしい気丈ぶり云々は、どうでも良くなった感じではある。
しかし、あの場面では、率直に娘の気高さに感動させられた私であって、それは日本人が共通に持つ精神からくる振る舞いであると思っていることに変わりはないのである。
おつるが、お弓に「なんぼ一人旅でもたんと銭さえあれば、宿に泊めてもらえる。わずかでもこの金を旅の路銀にして、国へお帰り・・」と紙に包まれた小銭を渡された。
「あーいー、うれしうござんすけど、金は小判というものを、たんと持っております。」といって立ち去る場面があった。
別れの場面
「あのとき、おつるは本当に小判をたんと持っていたんでしょうかね?私は、あれは娘ながらおつるの、そこまでの施しは受けられないという、気丈な奥ゆかしさから出た方便ではなかったのかと思うんですよ。そう思って私はあの場面で、グッと感動したんです。」
そういうと、ガイドの老人は、あっさりと、『いや、おつるは小判を持っていたでしょ。』と言う。続けて、『巡礼って、あなた知ってます?みんな施しを受けるんですよ。』
私が、子供ながらもおつるの示した気丈さ、凛とした奥ゆかしさに心打たれたというのに、目の前に入るジジイは、『巡礼は施しを受けるものだ。』とぬかしたので、私の右脳の奥の方の琴線がプンッと音を立てて切れたような気がした。
私は、何度かそのジジイに、おつるの振る舞いに、子供ながらも、日本的な気高い、凛々しい、品位を感じてあの場面が最も感動した、と説明しようとしたのだが、彼は「ふーん」と言いながら納得できないといった表情をして、首を傾げて言った。
『あなたは知らないだろけど、巡礼する人は、みーんな物やお金で施しを受けるものなんですよ。』
私は、もはやこのジイさんと話をするだけ無駄だと思い、こう言ってその場を去った。
「そんなことは知ってますよ。おつるだって、最初に玄関でお弓がお盆で持ってきたお米をもらっていたじゃないですか。巡礼はみんな施しを受けるものだって言うけど、じゃあ巡礼者は乞食ですか?物貰いなんですか?」
翌日の朝の上演も私は観ようと思った。
上演は11時からで、前日とは、人形遣いも太夫も三味線弾きも変わるので、また違った味わいが楽しめると聞いていたからだった。
1時間ほど早く着いたので、すぐ近くにある、「阿波木偶人形会館」に向かった。ここは人形作りの職人さんが、その作り方、からくりの仕掛けなどを、実物を見せながら説明してくれる、貴重な施設である。
15分くらいの説明の後、ワイドスクリーンで資料映像を見せてくれる。
その後半に、『巡礼歌の段』に続く、『十郎兵衛住家の段』のダイジェスト版が流れた。つまり、お弓の家から、おつるが立ち去った後、いたたまれぬお弓が家を飛び出して、おつるの後を追っていった場面に続く場面である。
舞台の設定は、相変わらずお弓の家である。
銀十郎と名前を変えてお弓と暮らす十郎兵衛が、なぜか巡礼姿のおつるを連れて家に帰ってくるところから話は始まる。
乞食どもに襲われそうになっていた娘を助けようとして、家に連れ帰ったのだが、お弓は留守である。
「先ほどは、乞食どもが金を盗ろうとしていたようだが、お前、お金を持っているのかい。」
「アーイー、余所の小母様にもろうて、持っております。」
「なに、それはあぶない事じゃ、あぶない事じゃ。その金はどれほどある。見せてごらん。」
「あーいー、これほどざんす。」おつるは、もらった金を差し出した。
「こりゃ、小銭が五拾文ばかり・・・。他には無いのかえ?」
「いえ、まだ小判というものがたんとござんす。」
「何、小判がたんとある?それはよいものを持っておるの。これ、このあたりは用心が悪いによって、子供がもっているのは人に取られる。わしが預かってやろう。ここへ出しや。」
「いえいえ、この財布の中には、大事なものが包んである程に、人に見せるなと婆さまが言わしゃんしたによって、誰にもやる事なりません。」
銀次郎こと十郎兵衛は目を怒らし、「エエ、そのようなに隠すと為にならぬぞ。」
おつるは、「それでも、大事な金じゃゆえ。」と拒むと・・。
「大事な金じゃによって持っていると為にならぬ。片意地言わずと預けておきや。」
「エエ、こんなところに入るのは嫌や。」と逃げようとする。
その首筋を掴むと、「あれ、怖い怖い・・」
「エエ、やかましい、やかましい。近所へ聞こえる。声が高い。」とおつるの口をふさぎ、「怖がることはない。わしにも、ちと金の要る事があるによっての、どれ程あるか知らぬども、二三日預けてたもや。」
そう言って両手をはなせば、がっくりとそこへそのまま倒れる娘。「こりゃ、どうした。」と声掛けようにも息も通わぬ即死の有様。
その時、外に女房のお弓の足音が。慌てて布団で娘の死骸を隠したのだが・・。
「オオ、こちの人戻っていたか。お前の留守の間に国に残した娘のおつるが不思議とここへ来たわいのう。」
お弓の家
「ヤ、何、娘がきた。そりゃまあなにかい、母者人と一緒にかい。」
「イエイエ、おつるひとりでござんす。不思議とここへきたわいのう。」
しかし、夫婦は共にお尋ね者となっているので親子だとは明かせず、泣く泣く返したのだ、と伝えるお弓に、「よくも俺に知らせずに追い返せたものだ。お前は鬼のようだ。」と言って、
その娘の歳格好を尋ねると、まさしくそれは布団の中の死骸となった娘であった。
夫が借金を返す金欲しさに殺してしまったことを知り、夫婦で悲しんでいるところに追手がきた。
二人は、おつるの死骸に火を放ち、泣く泣くその場を逃げるのだった。
その後、おつるの死骸の懐にあった小判を包む手紙から、主君の名刀「国次」を盗んだのは、小野田郡兵衛というお家乗っ取りを企んだ悪者である事が分り、事件は一件落着、十郎兵衛は阿波藩への帰参が叶うことになったのだった。
結末まで観ると、おつるは確かに婆さまから小判を預かっており、しかも包み紙が盗まれた名刀の犯人のことまで記された手紙であったというオチで、おつるの奥ゆかしい気丈ぶり云々は、どうでも良くなった感じではある。
しかし、あの場面では、率直に娘の気高さに感動させられた私であって、それは日本人が共通に持つ精神からくる振る舞いであると思っていることに変わりはないのである。
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