孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

白い変人たち

2016年02月27日 | 日記
白人というと、肌の色が白いと思うが、私が実際にアメリカに渡ったとき見た多くの「白人達」は、皆そばかすが多いピンク色のような顔をしているという印象だった。

その白人達が映画のお祭り、アカデミー賞を独占していると、有色人種たちが騒いでいるそうだ。去年も今年も、候補者は白人ばかりだ。不公平だ。人種差別だ・・・という主張らしい。



そもそも、この賞の選考に投票する人たちの9割以上が白人で、8割近くが男性だという。それで、有色人種や女性は、差別だ差別だ、是正しろ、と大騒ぎをしている。

オリンピックもそうだが、そもそも始ったときが白人達のお祭りだったわけだから、当然といえば当然だろう。確かにアカデミー賞を受賞した映画には、出来のいい作品は多いが、あれも文学の直木賞とか芥川賞というのと同じ、営業拡販戦略の一部だ。

日本のような大きな市場での関心を高めるために、日本人の作品や日本人俳優が出ている映画を、作為的に候補に入れたりすることは、当然考えているはずだ。

我々はさほど強く意識しないものだが、人口1億2千万人の日本は、市場価値としてはかなり大きいのだ。

肌の色の違いや、性差をことさら大袈裟に取り上げて、何でも平等にしようとしたがる集団には違和感を覚えてしまう。

関東の学校などでは、トイレも男女の区別をしないようにしたとか、異文化共生とかの耳当たりのいい言葉で、外国人たちを集めて料理教室を開いたりするお役所の姿勢には首をかしげたくなる。

歴史を少し遡ると、西欧にいた白人達は西から来る黄色人種は厄介な存在であった。世界地図でもその勢力が如何に大きかったかよく分かったが、騎馬民族「モンゴル帝国」はユーラシア大陸を席巻したのだった。



契丹とかキタイとか、呼ばれるが、この「支那」の旧称は、今でも航空会社の名前で「キャセイ航空」として存在している。 Cathay とはこの英語訳である。

私は、20代のとき東南アジアからの出張帰りにキャセイ航空を一度だけ利用したことがある。確か、台湾からだったと思うが、機内はガラガラに空いていたのに、あてがわれた席は前よりの真ん中辺りで、隣にも乗客が座っていた。



トイレに立った際見ると、後部半分はほとんど空席だった。暫くして水平安定飛行になるとすると、スチュワーデスがやってきて、もしよければ後ろに移ってもいいですよ、と言ってくれた。肘掛を上げて、寝てもいいから、とも。

それなら、早速・・と私は後部の4人掛けの列に移動した。すると、その後もスチュワーデスがかわるがわるやってきて、気分はどうだ?とか、飲み物は要らないか?ワインはどうだ?とか、トランプもあるけど欲しいか?とか、盛んに世話を焼いてくれた。

だから、私はキャセイ航空に対する印象はすこぶるいいのだ。何度も、また利用したいと思っているのだが、アレ以来ご無沙汰である。

西欧は、モンゴル帝国の脅威が起因して、大洋に進出し大航海時代に向っていくことになるのだが、当時から西欧の白人達は、黄色人種を禍をもたらす脅威として迷惑がっていたわけだ。いわゆる「黄禍論」である。

その鬱憤晴らしでもないだろうが、インドから東南アジアまで進出してきた西欧人たちは、植民地にしてアジア人たちを奴隷のようにこき使って搾取の限りを尽くした。

あるいは、アメリカに渡った侵略者は、「北米先住民」が言うことを聞かないと見るや、彼らの命の糧となるバイソンを皆殺しにすることで糧道を断ち、数百万人の先住民をほとんど全滅しさせた。



その代わりに、今度はアフリカ大陸からアフリカ人を拉致してきて奴隷にしたわけだ。その総数は1200万人になるという。

そのうち金鉱が発見されると、支那から大量の安い労働力として支那人がやってくる。自分達の職が奪われるといって、支那人排斥法を作る、今度は日本人移民が増えてきて、まじめにこつこつ働き、我々の職を奪うといって、排日移民法を作って迫害する。

そして、国際連盟で日本が「人種差別撤廃」を訴えると、猛反対したのは白人達ではなかったか。

だから、どうのこうの言うつもりは毛頭ない。

こういう歴史を少し知っておくと、アカデミー賞が滑ったとか、ノーベル賞が転んだとか、はしゃいでいる人たちが滑稽に見えてくるから面白い。


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