孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

SHARPの上り坂時代

2016年02月28日 | 日記
家電メーカー、早川電気はそのヒット商品・「金属製繰出鉛筆(早川式繰出鉛筆)」通称「シャープペンシル」に由来して、後に社名を『シャープ』と変えた。

因みに、シャープペンは英語では、mechanikal pencil と呼ぶ。

電卓が世に出始めた頃は、製品自体も大きく、値段も高く、表示部分に蛍光表示管を使用していたため、消費電力が大きかった。

ライバルメーカー、カシオとの競争は、小型化とコストダウンであった。

この時代の技術者のしのぎを削る戦いの様子を、40分ほどのドキュメンタリーにした番組のDVDが興味を引いたので借りてきてみた。

失敗続きのシャープの技術者が、「液晶」という物質を知り、特性を利用して電卓に利用できるという提案をしてから、プロジェクトチームが組織され、急ピッチで製品化する有様をドラマチックに描いていた。



液体であり、結晶でもある高価な「液晶」を2枚のガラスで挟み込み、電流を流すと色が変わる。電気に反応した分子の配列が変わり、その分子間を通って光が通過したり通過できなかったりと、制御する原理である。

しかし、反応が早く電卓に向いた液晶を探すには、液晶自体の種類がとてつもなく多く、それを組み合わせてデータを収集するだけで、途方もない時間を要する。

おりしも、電卓は世の中に普及し始め、新製品は飛ぶように売れていた。



「答え一発!カシオミニ」のキャッチコピーで売り出されたカシオ社製の新電卓は爆発的に売れた。

また、敗北者となるのかと思われたとき、プロジェクトのスタッフがライバル社の新製品の消費電力を調べて、年間の電池消費コストを割り出した。

液晶が実用化すれば、この点で十分勝負できると分かった。

開発チームは徹夜の連続で、液晶電卓一号機の試作機を完成させた。同時にそれを量産化するための加工機の製造を依頼しに機械メーカーに設計図を持ち込んだ。

とんでもない短納期に尻ごむメーカー側は、検討する時間が惜しい。この場で契約書に署名してくれれば、すぐに取り掛かる、と条件を提示してきた。

総額数千万円となる機械を独断で発注することになる、プロジェクト責任者は悩んだ。

もし、首脳部がその発注を許可しなければ、解雇されて、しかも個人で負債を抱えることになるが、彼は独断で発注書に署名した。

会社に戻ると、すぐさまその経緯を上司の専務に伝えた。『社長には俺が掛け合い、事後承認を得る。』と言ってくれた。かくして、シャープの液晶電卓は世に出たのだった。そして、ライバル社の電卓をしのぎ、業界1位に返り咲いた。



消費電力は、蛍光表示管の100分の1というのが、セールスポイントだった。

以後、この会社は「液晶」の専門メーカーとして業界に君臨し、大型液晶テレビは三重県亀山工場の「亀山モデル」として売れに売れたのだった。

新製品の寿命は長くない。今やそのシャープは経営難に苦しんでいるのは周知の通りだ。しかし、当時の液晶電卓の開発ドキュメンタリーは、なかなかスリリングなものであった。

ただ、心配なのは、あまりにもスリリングでドラマチックなだけに、どこかに事実を捻じ曲げた「ヤラセ」があるのでは、と思ってしまったことだ。

何せ、このテレビ局はそれが大得意で、これまでにも写真や映像を切り貼りしたの偏向報道や、ドキュメンタリーに仕立てた嘘八百のヤラセ報道番組を何食わぬ顔で放映していた過去がある。



劇的なドラマのような事件や出来事は、そうそこいらに転がっているものではないから、観る方は心していなければならない。

感動を求める人は、特に要注意である。


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