孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

平和のお花、満開賛歌

2016年08月14日 | 芸能関連
明日の終戦の日を控えて、この日本が大嫌いな反日新聞は若者洗脳キャンペーンを張っているような今朝の朝刊の紙面づくりだった。多分、これは毎年のことでそう驚くことではないのかもしれないが、たまたま喫茶店にあった新聞を見た私には、胃液が逆流しそうになるほどの不快感をおぼえた。

【18歳をあるく】と題した特集は、「戦争体験 自分でしろうとしないと」と「平和 自分も伝えていいんだ」という、いかにも脳内お花畑の女学生さんたちの脳味噌に、ドーパミンという濃厚な快楽ホルモンのシャワーを降り注ぐような見出しで、若者たちの気を引こうとしていた。

全部読まなくても、そこには「戦争って怖いんだよ。このことを忘れちゃいけないんだよ。」とか、「お友達を誘って怖い戦争体験をした人のお話を聞こうよ。怖い話から逃げちゃダメだよ。勇気を出して平和を叫ぼうよ。」ってな事が、ダラダラ書かれていたに違いない。

更に、別の紙面には、CMや映画で売れっ子の女優さんに、【石原さとみさんが語る】という見出しで、『戦争 繰り返さぬため 知る勇気持って』というタイトルのインタビュー記事を載せていた。



なぜ石原さとみなのかその詳細は分からないが、記事を見ると最新の出演映画「シン・ゴジラ」の宣伝と映画の題材=ゴジラ=水爆実験で誕生=核兵器、戦争=怖いもの・・・というつながりで、きっとそういう公開中の映画に出ている女優の言う事なら、若者やオタクたちの共感を呼ぶであろう、という極めて安っぽい左翼らしい目論見が垣間見えるから可笑しい。

なんでも石原さとみはこの映画の中では、核兵器使用を巡ってカギを握る役どころを演じているらしく、反日左翼の全国紙からのインタビューの申し出とあれば、その思惑を瞬時に察するのは総難しいものでもなく、新聞社の意図に沿うようなことを喋ったのかもしれない。

しかし、得てして映画業界には反日左翼思想に毒された俳優や監督がはびこっているようで、そういう業界で生きていくうちに、次第次第に洗脳されていくのもやむをえないのかもしれない。

吉永小百合などはもうほとんど共産党の広告塔といった存在であることは、世間周知のことだ。もしかして、この新聞社は石原さとみという女優を、社の宣伝広告塔にしようと企んでいるのかもしれない。

さて、彼女はインタビューでどんなことを喋ったのか・・・。



恐らく聞き手は出演映画の話題から、ゴジラ→核兵器→広島被爆→オバマ訪問と誘導していったのだろう。彼女曰く・・。

『オバマさんの広島訪問はすごいことだと感じました。被爆した方を抱きしめられて、献花されて。落とした側ですよ?』

この純無垢なお嬢さんと同レベルな読者なら、これだけで「そう、そう!」と声を出して共感しそうである。

石原さとみは続ける。

『オバマさんがそういうことを表してくれたからには、日本は絶対に二度とそういうことをしちゃいけない。日本のトップの皆さんは、どう受けとめたんだろう。絶対にしちゃだめだよ。核を一緒に廃絶していきましょうね、って思うのかどうなのかって・・』

ここまでくると、読んでて「アレレレレ・・???」となってくる。

テンションが上がってきた石原さんは、聞き手の誘導に載せられたのか、思ったことを誰かに伝えろ、と力説する。

『どういう形でも、当時のことを知る勇気を持つこと。知ったからには、その感情を、思ったことを誰かに伝えることも大事ですし、それが事実だということを知ることも大事です。』

『今生きているうえで、同じことが繰り返されちゃだめだよねということを、声を大にして言っていかなきゃいけない。』

妙に、彼女の言うことが、二面の【18歳をあるく】という特集面とつながっているのが実に胡散臭くなってくる。



石原さとみさんは、18歳の頃、ドキュメンタリー番組の撮影で小野田寛郎さんと旅をしたときのことを語った、と記事は続くのだった。

小野田さんとは、終戦後29年間してフィリピンのルパング島から帰還した元陸軍少尉である。その小野田さんに石原さんはこう語りかけられたそうだ。

『殺されそうになったら、生きるためにどうする?人を殺すと思わない?』

石原さとみさんは、『子供ながらに、怖いと思って。そういうことにならない世の中にしないといけないと思いました。』と聞き手に話している。

石原さんは小野田さんの単刀直入な問いかけに対して、一体何と答えたのか答えなかったのか、記者の判断でその部分を割愛したのか、真相はどうもよく分からないが、29歳となった現在ではどう思うのか、是非聞いてみたいものだ。

この全国紙は、有りもしないことを平然と新聞記事にしたり、まともな取材もせず裏も取らずに適当に捏造して記事にして、日本を貶めたりすることはお手の物である。

こういうマスコミのお先棒を担ぐような女優になるようなら、この方の出ている映画は観たくもないと思ったインタビュー記事であった。

昔から強かった200m女子平泳ぎ

2016年08月14日 | テレビ・ラジオ
リオ五輪も前半終了して、これからは陸上競技やレスリングなどが目玉競技となりそうだ。

競泳で金メダル・銅メダルからスタートして、一気に盛り上がったのだが、その競泳も合計7個のメダルを獲得して終了した。

鍛え抜かれた体格は見事だが、欧米人と並ぶと彼らの大きさは比較にならない。それでも日本の選手はなぜあれだけ活躍できるのか、何だか謎めいていると思う。

女子200m平泳ぎの金藤理絵選手とてそれほど怪物のような体格ではなかったが、接戦を制して見事金メダルを勝ち取った。インタビューでも感情をグッと抑えたところがよかった。

 

1992年のバルセロナ五輪では、無名の岩崎恭子選手が同じ200m平泳ぎで見事金メダルに輝いた。全く予想外の上、当時わずか14歳の少女であったので、世界中が驚嘆したのを記憶している。(岩崎選手は静岡県沼津市出身である)



インタビューでの、「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」と心境を語ったのも、今でも語り継がれる名セリフだった。因みに、このときの優勝タイムは、2分26秒65であったが、今年の金藤の優勝タイムは、2分20秒30だった。

テレビではもう話題になることはほとんどなくなったが、この女子200m平泳ぎといえば、この人を忘れてはいけない。

1936年ベルリン五輪の200m平泳ぎ金メダリスト、前畑秀子選手である。前畑選手は、1932年のロサンゼルス五輪で1位と0.1秒差の2位で銀メダルを獲得していた。その後、家庭の事情もあって引退を考えていたのだが、周囲の期待に押されて現役を続行したのだった。




一日2万メートル泳ぎきる猛練習に耐え、本番では地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で見事勝利を収めた。

この試合をラジオ中継で実況した河西三省アナウンサーは、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させたのだった。



そしてこのときの状況は、今でも youtube で当時の映像とともにここで堪能できる。

このときの優勝タイムは、3分3秒60だったというから、今年の優勝タイムとの差はなんと43秒ということになる。






鉄の心臓、アンパンガール・伊藤美誠!

2016年08月14日 | テレビ・ラジオ
墓参りから戻って、テレビをつけたら卓球女子団体が準決勝進出だと報じていた。

『女子団体準々決勝が行われ、世界ランキング2位の日本は同10位のオーストリアを3―0で下して準決勝に進出。2大会連続のメダル獲得に王手を懸けた。』

 (スポーツニッポンより)

個人戦初戦で、北チョ選手に負けた石川佳純選手も見事に勝利して、まだまだ活躍しそうだ。世界ランク6位の実力を思う存分発揮して、さわやかに生き生きとプレーして欲しい。



福原愛は、台湾の卓球選手との仲も順調のようで、支那の福原ファンをやきもきさせているそうだが、彼氏が台湾選手でほんとに良かった。最近はお姉さんっぽくなってきたようだが、まだまだ天然振りが感じられて憎めないキャラだ。得意のバックハンドを見るのは楽しみだ。



そして、選手村で同室の福原が壊れたトイレを修理するのを見て、「まるで修理屋さんみたいだった」と感心していた伊藤美誠選手は、大舞台でも全く緊張していない様子で、「鉄の心臓」を持つ少女、と報じられていた。

顔はデコッぱちで、まん丸顔のアンパンマンのようだが、この娘は何かしでかしそうな雰囲気を持っている。意外にあっさりと支那人選手を負かしてしまうかもしれない。

試合中は、銅メダルの水谷隼選手より気合の入り方が強いようで、見ていて頼もしい。



今頃、水谷、伊藤の故郷・磐田市は大変な興奮状態じゃなかろうか・・・。

やがて、卓球の街・磐田市などと宣伝することになりそうだ。