孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

宗教という厄介なもの

2016年08月13日 | 社会観察
ブラジルの五輪の入場行進を見ていたとき、イスラム教の国の行進風景が、信仰する宗教の所為でひときわ目立っていたのが面白かった。



面白い、と言っては失礼かもしれないが、開催地はカソリックの国でしかもあのカーニバルが有名な土地柄である。つまり、そのコスチュームには天と地の隔たりがありながら、信仰する宗教は、元々似たような宗教で、それぞれの教義とて天と地ほどの隔たりがあるわけではないからだ。



イスラム教徒の衣装は、体全体をゆったりとした布で覆い隠しているが、あれは体の線を見せないようにするためだと聞いた。特に女性の胸やお尻の線は絶対に隠さなければ、男たちの妄想を掻き立てることになり、禍の元になるかららしい。

リオのカーニバルでは、女性はかろうじて乳首を隠し、大きな尻をこれでもかとばかり、狂ったように振りまくる。

イスラム教徒の人たちは、ああいう光景を見ていったいどういう感情を抱くのだろうか、といつも疑問に思うのだ。

日本列島は、盆休みに入り、我が初孫なっちゃんたちも夕べ車で嫁さんの実家に帰省したそうだ。そして、来週の後半には我家にも来る予定らしい。

近所にある自動車部品の下請け工場で働いている、多分インドネシアから来ている研修生だと思うが、彼女達も長期の盆休みのため、地元の商店街のあちこちで見かけることがあった。

通勤に自転車を与えられているようで、それに載ってスーパーや百円ショップやファミレスなどに出かけているようだ。

久しぶりに、牛丼を食べたくなって近くの「すき家」に出かけたら、そこでも彼女達を見かけた。イスラム教徒独特のチャドルを身にまとって牛丼を食べていた。



マレーシアやインドネシア、シンガポールなどではまったく珍しい光景ではないが、日本ではまだまだ回りの風景にはなじまない衣装なので、目に入った瞬間、「なんだ、あいつらは・・?」と一瞬気にかかるものだ。

以前、移民について討論する番組を動画サイトで見ていたら、最近はイスラム圏からの研修生や留学生が増えてきて、それに伴ってそこから来た男性と恋に落ちる日本女性も多くなっているようだ、と話題にしていた。

恋が成就していざ結婚するとなると、女性はイスラム教徒に改宗する必要があるため、そこから生ずる大小の問題が意外と深刻だそうだ。

豚肉を食べられなくなるなどは序の口だそうで、評論家の方は「近くのラーメン屋の人気店へ行くと、ムスリムの方たちをたくさん見かけるんですよ。そこは、豚骨ラーメンで有名な店なんです。」と座を笑わせていた。

断食や毎日の礼拝も慣れるのが大変であるし、何より死んだら土葬しなければならないことは、かなり深刻な問題だそうだ。

実際に、日本に滞在するイスラム教徒たちは、共同で山を購入して、土葬の墓地を造ろうとして、地域社会と問題を起こすこともあるらしい。

日本でも土葬の習慣があったのだが、自然災害などの影響も無視できないこともあり、様々な紆余曲折を経た上で、現在は火葬が定着したわけだ。

ある評論家は、「イスラム教に改宗するということは、日本人であることを捨てると言うくらいの覚悟が必要であると言える。」と言っていた。

それにしても、同じ場所を聖地とし、「旧約聖書」という共通の基になる経典を持つ彼らが、繰り広げる文化習慣の違いを観察すると、興味は尽きない。

グローバル化で薄まる伝統文化

2016年08月13日 | 社会観察
相撲界は相変わらず、純日本人の横綱は誕生せず、上位は騎馬民族に席巻された状態が続くが、ちょっと前、今年プロ野球球団に入団した黒人とのハーフの青年が話題となっていた。



そして、今連日大活躍の五輪選手団の中の柔道で、金メダルを獲得した青年も姓名が日本人離れしていた。おそらく、姓はベイカー、名はマシューなのだろう。



水泳や柔道は終わって、陸上競技が始るが、ここにも日本人離れした体格の、期待の選手がいる。オックスフォードではない、ケンブリッジ飛鳥選手だ。



胴長短足という日本人特有の体型も、白人や黒人の一滴で、日本人離れした身体能力の子供が誕生する。

米国に渡って住み着く日系人や、支那人、朝鮮人などは、概して自分の子供たちには、アメリカっぽい名前を付けたがるものだ。マイク・ホンダとか、チャーリー・チャンとか、ハーバート・チョイなどである。

カタカナの名前にすると野暮ったい自分が少しは気分的にハイカラになるのだろうか、いい歳をしても尚、自分の渾名をトニーとかスティーブとか外国人に呼ばせて悦に入っている日本人がいるのは、嘆かわしいことだ。

先週だったか、あの日本大嫌いの朝日新聞が、『ブラジルの多様性を日本も少しは見習うべきだ・・・』などと偉そうに記事に書いていたが、あの新聞の魂胆は、移民を(といっても、支那人や朝鮮人のことなのだが)ジャンジャン受け入れて、日本の伝統的な文化や国柄をぶち壊そうということなのだろうが、スポーツ界や芸能界はすでに行き過ぎた感すらある。

外国人二世の活躍を疎ましく思うわけではないが、正直言って日本人離れした風情と名前の選手を心の底から応援する気が薄れるのは事実だ。

あの赤穂浪士四十七士の一人、武林唯七は、祖父が古代中国の思想家孟子の後裔(六二世)として浙江省杭州武林に生まれ、医学を学んで育った支那人であったというから、出自を一々調べ上げて、イチャモンをつける気は毛頭無い。

日本人の親を持つ選手たちには、精一杯母国のために戦って欲しい。

しかし、日本の政治を司る政治家の出自は運動選手と同列には見れないのではなかろうか。日本の文化・思想を壊そうという革命思想が根底に存在している政党や政治家が、はびこっていくを静観するわけにはいかない。



本当の名前を名乗らず、いわゆる「通名」で立候補する者もいれば、堂々と日本人離れした本名で通している政治家もいる。



敗北を知って、敵前逃亡した代表に代わって、次期代表に名乗り出たこの方も、一体姓なのか、名なのかわからないが、何となく「私は日本人ではないのよ!」と主張しているようで、私はいただけないのである。

  どこの馬の骨?

台湾人の政治家を遠戚に持つそうだが、頭の中はかなり偏向している様で、どちらかというと支那べったりらしい。ベラベラ喋ることはお得意なようだが・・・。