リオ五輪の男子柔道は、7階級すべてでメダルを獲得して、よく前回のロンドン五輪の成績と比較される。
因みに、ロンドン五輪では銀メダル2個、銅メダル2個の合計4個。今回は、金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル4個の合計7個。すべての階級でメダルを獲得したことになった。
新聞記事でも、ロンドン五輪、金メダルゼロに対して、リオ五輪は全階級でメダルという表現の仕方なので、その差がグッと大きい印象を受ける。(実際、その価値から見ればおおきいのだろうが・・)
そして、記事はその差を監督の指導方法の差であると言うのだが、読んでみるとなるほど、うなづける点は多々あった。
ロンドン五輪の男子柔道監督は篠原信一氏で、初めから合宿、合宿、練習、練習と何が何でも練習をするよう選手たちを追い込み、個々の技の研究とか、予想対戦相手の研究などはそっちのけだったそうだ。つまり、一昔前のスポーツ根性路線に徹したようだった。
スポーツ根性路線とは、我々世代が中学・高校の頃真っ盛りであって、私自身部活動は運動部だったが、当時は練習中に水を飲むことなどご法度であった。
更に、ほとんどイジメに近い、うさぎ跳びや腹筋運動など、まったく科学的という言葉など当てはまらない、酷いものだった。
篠原監督の下でコーチ役を務めたのが、今回の監督、井上康生氏だった。ロンドン五輪の後、篠原氏の後任で男子柔道の監督となった井上氏は、言ってみれば、ああすればこういう結果になる、という悪例を目の当たりにしていたわけだから、監督に就任してからの改革の着手は速かったようだ。
合宿は体重別や課題別に計画したり、コーチも専任コーチ制にして、選手ごとの極め細やかな指導をさせたようだ。そして、がむしゃらな練習を避け、いわゆる科学的練習メニューに基き具体的な目標を選手別に設定して一つずつこなしていったそうだ。
聞いてみれば、井上監督は特別変わった事をやったわけではないように感ずる。様々ないわゆる「問題解決法」があり、製造業などでも応用されているが、それを一通り知っている人なら、極めて「当然の対応策」を実行したに過ぎない気がする。
それよりも、大きな差というのは、両監督の人間性・人格の差にあったのではないかと思うのである。
聞けば、ロンドン五輪で、篠原監督は金メダルを期待していた選手が銀メダルに終わったときの表彰式を見ることなく、会場を引き揚げてしまい、その選手と顔をあわせたのは翌日だったそうだ。
後は推して知るべしで、選手間でこういう情報が伝われば、士気は益々下がったことだろう。
個人攻撃をするつもりは毛頭無いが、ロンドン五輪男子柔道の監督選考時点で、すでに結果は見えていたような気がしてならない。
それを裏付けるような、篠原氏の柔道を離れてからの身の振り方である。
本人が好きでやっているのなら、他人は口を挟むの控えるべきだろうが、私は見るに耐えないのだ。
漢字の「柔道」が五輪競技になり、「JUDO」となってから、服を着たレスリングみたいになって、組んで崩して技をかける柔道などお目にかかれなくなったのだが、何といっても柔道は日本のお家芸である。
かつて、日本柔道の監督を務めた方の成れの果てが上の写真では、出すなと言われても、私は深ーいため息が出てしまうのである。
(間違っても、この男を東京五輪の柔道解説者などに起用してはならない!)
因みに、ロンドン五輪では銀メダル2個、銅メダル2個の合計4個。今回は、金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル4個の合計7個。すべての階級でメダルを獲得したことになった。
新聞記事でも、ロンドン五輪、金メダルゼロに対して、リオ五輪は全階級でメダルという表現の仕方なので、その差がグッと大きい印象を受ける。(実際、その価値から見ればおおきいのだろうが・・)
そして、記事はその差を監督の指導方法の差であると言うのだが、読んでみるとなるほど、うなづける点は多々あった。
ロンドン五輪の男子柔道監督は篠原信一氏で、初めから合宿、合宿、練習、練習と何が何でも練習をするよう選手たちを追い込み、個々の技の研究とか、予想対戦相手の研究などはそっちのけだったそうだ。つまり、一昔前のスポーツ根性路線に徹したようだった。
スポーツ根性路線とは、我々世代が中学・高校の頃真っ盛りであって、私自身部活動は運動部だったが、当時は練習中に水を飲むことなどご法度であった。
更に、ほとんどイジメに近い、うさぎ跳びや腹筋運動など、まったく科学的という言葉など当てはまらない、酷いものだった。
篠原監督の下でコーチ役を務めたのが、今回の監督、井上康生氏だった。ロンドン五輪の後、篠原氏の後任で男子柔道の監督となった井上氏は、言ってみれば、ああすればこういう結果になる、という悪例を目の当たりにしていたわけだから、監督に就任してからの改革の着手は速かったようだ。
合宿は体重別や課題別に計画したり、コーチも専任コーチ制にして、選手ごとの極め細やかな指導をさせたようだ。そして、がむしゃらな練習を避け、いわゆる科学的練習メニューに基き具体的な目標を選手別に設定して一つずつこなしていったそうだ。
聞いてみれば、井上監督は特別変わった事をやったわけではないように感ずる。様々ないわゆる「問題解決法」があり、製造業などでも応用されているが、それを一通り知っている人なら、極めて「当然の対応策」を実行したに過ぎない気がする。
それよりも、大きな差というのは、両監督の人間性・人格の差にあったのではないかと思うのである。
聞けば、ロンドン五輪で、篠原監督は金メダルを期待していた選手が銀メダルに終わったときの表彰式を見ることなく、会場を引き揚げてしまい、その選手と顔をあわせたのは翌日だったそうだ。
後は推して知るべしで、選手間でこういう情報が伝われば、士気は益々下がったことだろう。
個人攻撃をするつもりは毛頭無いが、ロンドン五輪男子柔道の監督選考時点で、すでに結果は見えていたような気がしてならない。
それを裏付けるような、篠原氏の柔道を離れてからの身の振り方である。
本人が好きでやっているのなら、他人は口を挟むの控えるべきだろうが、私は見るに耐えないのだ。
漢字の「柔道」が五輪競技になり、「JUDO」となってから、服を着たレスリングみたいになって、組んで崩して技をかける柔道などお目にかかれなくなったのだが、何といっても柔道は日本のお家芸である。
かつて、日本柔道の監督を務めた方の成れの果てが上の写真では、出すなと言われても、私は深ーいため息が出てしまうのである。
(間違っても、この男を東京五輪の柔道解説者などに起用してはならない!)