まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄曇り あじさい園でも 見てくるか

2014年06月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は薄雲が広がっているが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18度から28度、湿度は86%から65%。風は1mから2mの東北東の風が少し。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるものの、気圧の谷の影響で昼過ぎから雲が広がる見込みらしい。

 

 我が家の横の水路脇に草が伸びてきたので、ボランティアで草刈りをやっておくことにした。

 

 南側の水路も・・・。我が家の敷地の範囲は80mくらいである。だから、左右を刈り払うと160mほどになって、時間はおよそ50分。

 

 この水は「弥勒奥池」に流れ込み、富田中村一帯をうるおす農業用用水となるらしい。昨日から水が流れなくなったので、これ幸いと草刈りになった。ここに水が流れていると長靴で水の中での草刈りはなかなかに難しい。

 

 で、食後はどこに行こうかと考えたが・・・長尾町を南下して・・・前山ダムから多和地区を経由、大窪寺に抜けてみた。たいした目的があった訳ではない。

 

  その昔・・私がまだ小学生の頃・・・昭和30年代前半には、四国霊場88番札所大窪寺の門前にはきたない農家風の萱(カヤ)葺き屋根の建物がぽつんとあった。遍路宿とも木賃宿とも言われていたが、お遍路さんが寝泊まりする家だったが、土間があるばかりだったように思う。そこでたきぎを燃やして夜を過ごしていたのだと聞いた。

 

 その後、それを取り壊して、このような土産物屋ができた。昔も、こんな屋根の建物だった。これが四国霊場88番札所大窪寺前の最初の土産物店「八十八(やそば)庵」になった。戦後、人々の暮らしが落ち着いてきて、お遍路ブームがわき上がってきた頃。観光バスやら自動車でのお遍路も盛んになった。

 

 その後の「第一次うどんブーム」にも乗ってお店は繁盛し、近くにお店も次々とできた。だから、お店を東に増築してうどん席を大幅に広くしたし、裏手には宴席もできる部屋も作った・・・。この頃は、まだ、茅葺き屋根のまんまだった。

 

 近年になって、屋根が瓦葺きになっている。民主党の菅さんも鳩山さんもやってきておうどんを食べた。まだ、野田さんは来ていないみたい。それどころじゃなくなってしまったみたい。

 

 この裏手の山に、しゃくなげ園があるが、時期は終わったみたい。こんどはあじさい園だな・・・ということで、あじさい園に向かってみた。

 

 山の入口には、こんな看板がある。八十八庵の方に言えば「入園券」を渡してくれる。

 

 これが無料入園券である。八十八庵さんが手入れや管理をしているのだから、ご挨拶をしてからあじさいを見せていただきたいものである。私はおみやげを少し買ったが、何も買わなくても入園券はくれるみたい・・・。

 

 アジサイは途中の山道にもいくらかはあるが、本当のあじさい園の入口にはこんな箱があって、入園券を投入する。

 

 そのあたりの山肌に1500本のあじさいが植えられているそうで、多くの観光客やおへんろさんで賑わっているが、少し山奥にあるせいか色づきが遅いように思った。全体に花がまだまだ・・・というところ。

 

 日当たり部分は相当に色づいてきている。

 

 午後からは、ねっとりとした空気がまとわりつくような風がゆるやかに流れてくるようになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「言わないで後悔することが 一番よくない」という吉永小百合さんのことばらしい。言わないですむたくさんの言葉がある。だけど言わないとわからないたくさんの思いもある。言ってもどうしようもない言葉がある。だけど言わないでいると少しも前には進めないこともある。言って後悔する言葉がある。だけど言わないで後悔する方がもっと悲しい。簡単で難しいのが言葉。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花菖蒲 今年の雨は どうなった

2014年06月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われているらしいが、上空の気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は18度から27度、湿度は88%から59%。風は2mから4mの北北東の風がときおり吹いていた。明日の15日は引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は曇っていて満月は望めないかなぁと思って、数匹ばかり飛んでいるほたるを眺めていたら、少し遅くなって山陰から月が昇ってきた。

 

 少しばかりオレンジがかった満月だった。

 

 坂出市川津町にある「かわつ花菖蒲園」が15日までだというのを思い出して行ってきた。ここは坂出市上水道課川津浄水場の中にある。ここには、72種類16,500株(約66,000本)が咲き誇る。 また,かわつ花菖蒲園では毎年,早生(わせ)・晩生(おくて)など,開花時期の違う品種を混生させていることにより、開放期間中,咲き具合が移り変わっていく様子を楽しむことができるが、もう、終盤というところ。

 

 この菖蒲園は,現在使用していない川津浄水場の4つのろ過池に花菖蒲を植え、のどかな親水空間“かわつ花菖蒲園”に生まれ変わっている。

 

 いよいよ明日が公開最終日。ここは浄水場という職場区域のため、通常は市民が立ち入ることはできない。明日の日曜日には臨時駐車場も開かれるらしい。

 

 こういうバルブやハンドルが浄水場らしい風景を作っている。今日は土曜日と言うことで、家族連れが眼に止まった。

 

 今日もデイサービスセンターの一行らしい一団が園内をにぎやかに歩き回っているのが印象的だった。

 

 しかしのかかし、梅雨だというのに雨は降らないし、梅の実も色づかない。聞けば「梅雨の中休み」と云うのだそうだ。紫陽花の色づきも今年は遅いような気がする。ま、自然が急ぎすぎるのも慌ただしくていけないが。

 

 思いがけなく、本山から「真宗公論」が届いた。「掲載誌」ということだろうと思う。少し前ならば、母や叔母や叔父さんやらが大喜びしたんだろうが、今となっては、これを喜んでくれる人もいなくなった。内容が内容だけに、誰しもが読んでみたいという本ではない。

 

 そういえば、4月以降、島の家にも行ってないが、島の家の草も伸び放題になっているのではないのか。来週の月曜日、16日の予約診察日で、異常がないと云われたら、島の家の草刈りにでも行って来ようか。気になると云えば気になることだ。

 

  今夜は奥方のけいこばぁが屋島の娘の家にお泊まりに出かけたもので、今夜も一人。今夜はお月様も見えそうにないし、ホタルの季節も終わったし、早めに夕食を食べて寝てしまおうか。

 

 今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんにあったもの。「その人の都合でよい雨 わるい雨」というもの。昔、「泣きばばあ」という話があった。そのおばあさんには、二人の子供がいた。一方は、傘の職人になった。もう一方は、帽子の職人になった。そのおばあさんは、晴れると、「ああ、傘職人の息子の商売が悪い、、、」と嘆き、雨が降ると、「ああ、帽子職人の息子の商売がだめに、、、」と、嘆くのだった。真逆に考えれば、人生は楽しいのに。しかも、
悪い環境からは、改良や改善が生まれるのに。物事には、良い悪いどちらもない。起こったことに、「良し悪し」や「幸不幸」といった感情をつけるのは、いつもその人自身なのだ。という話だった。人生、「笑いばばあ」、「笑いじじい」でいきたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮に 寝ぼけまなこの 眼をこする

2014年06月13日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がっている。気温は18度から27度、湿度は90%から62%。風は1mから5mの西の風が気持ち良かった。明日の14日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 家の前の山はどのようにしようとしているのか、重機が上がったり下がったりを繰り返している。

 

 とにかく、風化している部分を削って落として、植栽をするのだろうが、なんだかわからない動作を繰り返している。ま、私が心配するようなことでもないのだけれど。

 

 10日間で、ゴーヤーが1mにも伸びてきた。まさに、ぐんぐんと伸びているようだ。

 

 さて、我が家の東側には草がこのように伸びてきた。これも5月の連休前に刈ったのだけれど、40日か50日で元の木阿弥で、草まみれになってきた。朝方は寒いほどの天候だったので思い切って草を刈ってみた。

 

 そうそう、草刈り前の朝食時に、「景気づけに一杯!」と、500mlの缶ビールを取り出したら、「ダメダメ!」と取り上げられた。「我が人生に悔いはない!」と、350mlを呑んで元気を出して草刈りに臨んだ。奥方は「私にも少しは楽をさせてよ~」と言うのだけれど、私が草刈りをやっている間中、ピアノを引いているのだから、ずいぶんと「楽をしてる」じゃないか。

 

 1時間弱で、予定通りに刈り払ったが、刈った草はそのままにしておく。乾けば土に戻ってしまうだろうし。上のほうの高い所はまたの機会に残しておいた。さすがに気温が上がると汗まみれになってしまった。

 

 シャワーを浴びて一休みしてから、昨日の続きのスキャナーでの読み込み再開。今日は「隠れ念仏」のページだったのだが、いきなり「カヤカベ教」が出てきた。薩摩の隠れ念仏はガマと呼ばれる洞穴や地下室でのお念仏だが、この霧島の「かやかべ」はまた異質。カヤでできた壁に向かって、ご本尊なしでお念仏するのだそうだ。

 

 「かやかべ教」をグーグルで調べてみたら・・・「通称「カヤカベ教」といわれる秘密の信仰集団が世間の注目を浴びたのは第二次世界大戦後のことである。調査を行った元龍谷大学学長、千葉乗隆五木寛之語ったところによると、鹿児島県旧牧園町の小学校給食牛乳をどうしても飲まない児童がいた。不思議に思った担任教師が家庭に連絡すると、保護者は自分たちの宗派では、日によっては牛乳を飲まない習わしであると答え、日本では珍しい食物タブー持つ集団の存在が浮かび上がったという。これを機に1964年(昭和39年)、龍谷大学宗教調査班が、鹿児島大学京都女子大学などの協力を得て、調査に乗り出した。」とあった。隠し念仏のことも、五木寛之は千葉乗隆先生から教わっている。そうなのか・・・。

 

 そのカヤカベ教の入力が終わって、昼食を食べて戻ったら、web検索を切ったつもりが、ワード文書のほうを落としてしまって、午前中の作業は痕跡も残っていない・・・。いつもは保存しながら読み込みを続けるのに、しまった、しまった、島倉千代子。

 

 ばかばかしくなって、昼寝をしてしまった。30分ほど寝たら、気分も戻ったので、最初からやり直し。わずか15ページほどの文書を一日がかりで電子化することになってしまった。

 

 なぜ、隠れてまで、弾圧されてまでお念仏を守ろうとしたのか?という私の疑問は、「極楽羨望」ということばで氷解した。妙好人と言われた人々も、一様に「地獄」を極端に恐れていた。薩摩の人も、仙台藩の人も、「地獄には落ちたくない」「極楽浄土に生まれたい」という願いから、ひたすらに命がけで信仰を守ってきた。昔の人は、それほどに「地獄」というものが怖かったそうだ。

 

 今の人たちは、地獄だの極楽だのと言っても相手にはしてくれない。私にしても、地獄・極楽の話をするけれど、本当の地獄や極楽を知らないから、本物のお話にはならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと 今ここに生きていることの尊さを味わいました」という「相田みつを」さんのことばから。

 つまづいたり ころんだり したおかげで 物事を深く考えるようになりました あやまちや失敗を繰り返したおかげで 少しずつだが人のやることを 暖かい眼で見られるようになりました 何回も追いつめられたおかげで 人間としての自分の弱さとだらしなさを いやというほど知りました だまされたり 裏切られたり したおかげで 馬鹿正直で親切な人間の暖かさも知りました そして・・ 身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと いま ここに生きていることの尊さを 骨身にしみて味わいました

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮の その明るさが ほしい時

2014年06月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は20度から26度、湿度は92%から71%。風は2mから4mの北北西の風がゆるやかに吹いていた。明日の13日は、寒気の影響で雲が広がりやすく、未明まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜は弟と旅談義なんぞをやりながら呑んだもので、今朝は幾分か、頭が頭痛で痛かった(笑)。しかしのかかし、弟もけいこばぁも朝の5時から起き出して犬の散歩やら畑仕事・・・。私は6時過ぎに起きたのだけれど、頭が重たいし、眼が霞んでねぼけまなこ状態の夢うつつ症候群・・・。

 

 今日からは通常モードにシフト・チェンジすべく、高松市林町にある香川県立図書館に行ってきた。先週は「資料整理」ということで休館だったもので、借りていた本を大至急で返却しなければならなくて・・・。確か、期限は昨日までだった筈。

 

 開館10分後はこんなもの。それでも早い人は行列して待っていたのだとか・・・。熱心な方もいるものだ。そういう私もその仲間みたい。

 

 今日は気分を入れ替えて、「讃岐の民衆史」なんぞを読んでみたくなった。ここは「郷土資料」のコーナー。私は歴史学でもなく、民俗学でもなく、一般社会大衆学・・・みたいなものが好みかなぁとは思ったりする。

 

 続いて専門書のコーナーに行ってみる。哲学だの仏教だのというコーナーは閑散としたもの。

 

 それとか・・・昨日の続きの「かくれ念仏」と「かくし念仏」に関するものも・・・。

 

 九州南部は「かくれ念仏」。山の中や、船の上や、地面の下で真宗の教えを守り続けた人たちがいた。私たちは「キリシタン」の弾圧とか殉教というのは歴史の教科書の中で習ったけれど、それと同じように、一向宗・浄土真宗の門徒たちもまた石責めや拷問などで改宗を迫られ、従わない者は処刑されたことは教えられなかった。

 

 一方、親鸞聖人の一子善鸞らの教えの流れを汲む教えは仙台藩や南部藩に伝わり、「隠し念仏」となって根を下ろし、本願寺からも弾圧され、仙台藩からも弾圧されるという二重の苦しみを与えられたという・・・。それが今もなお、残されているというのだから、根深い信仰になっているらしい。興味のある方は以下の動画をご覧あれ。

https://www.youtube.com/watch?v=e_N1WTAskJ8


 

 その中から参考になりそうな部分をスキャナーで読み込んで電子化しておく。画像はスキャナーで、文字は「読んでココ」というアプリを使って、ワード文書にまとめてしまう。

 

 こうしておけば、読みたい時に、調べたいときに開けば読める。ただ、これも手間な作業で、誤変換をなおしたり、変な文字が入っていたりと、一日かかっても、そんなには読み込めない。

 

 ワード文書で40ページも読み込めば、これまた、頭が頭痛で痛くなる(笑)。

 

 弟は朝早くに帰ってしまい、奥方は訪問介護に出掛けてしまい。迷犬ごんの散歩や、洗濯物の取り込みとかお風呂の準備とか・・・夕方になると、全くの日常のパターンに戻ってしまった。

 

 梅雨らしく、夕方からは雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「わたしたちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません でも、その一滴の水が集まって大海となるのです」というマザーテレサさんのことば。マザー・テレサはインドの修道女、「死を待つ人々の家」創立者、ノーベル平和賞受賞、(1910~1997)。自分のしていることが、世間から見れば小さいことだからといって、自分の無力さを嘆くことはない。少なくともその分だけは周りに貢献しているのだから。私たちのしていることは大海の一滴(ひとしずく)に過ぎないけれど、私たちがやめてしまったら、確実にその一滴は減ってしまうことだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮の その張り切りように 教えられ

2014年06月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前を中心に雨が降っていた。気温は20度から26度、湿度は92%から74%。風は1mから2mの北西から北東の風が少し。明日の12日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、午後を中心に大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 年寄りは朝が早いと言うけれど、外が明るくなったら寝ていられないのも事実。ま、最近は曇り空だから6時前までは寝てられる。でも、6時に起きたからと言って、とくにやることもない。迷犬ごんさまは弟の家に預けられていていない。朝の散歩も仕方がないから一人で行ってきた。

 

 そうそう、千葉に出掛ける前にびわの実が色づいていたので、心配しながらの旅行だったが、案の定、戻ってみたら一粒も残っていなかった。幸いに、ジャガイモは無事だったので、けいこばぁは雨が降る中、ジャガイモを収穫していたので、朝食は9時からになった。

 

 で、迷犬ごんを連れて帰るのに、けいこばぁの車に乗せて弟が帰ったもので、奥方は私の車に乗ってお仕事に出た。おかげで私は一人、軟禁状態。ま、行くアテもないからかまわないだが、なんとなく・・手持ちぶさた。

 

 すると、誰もいない筈の玄関あたりでガサゴソと・・。「何だろう・・・」と出て見ると、宅配便屋さんが、千葉からの荷物を持ってきてくれた。お袈裟や着替えの入ったお荷物だった。これで、私のお仕事はおしまい。それと、親戚からの「クール・宅配便」も一個、届いた。

 

 今日の読書はこれ。これは郵便受けに投げ込んであった。amazonで注文したんだと思うが記憶にない。でも、私宛に送られてきているのだから間違いはない。うっかりと買ってしまったのかも知れない。

 

 でも、薩摩の隠れ念仏は本願寺も認めていたらしいが、仙台あたりの「隠し念仏」はおどろおどろしい、「秘事法門」、「異安心」などと言うことばが並ぶから普通のお念仏でないことは確か。そういう、陰の宗教にも興味がある。なんで、そこまでしなければ、お念仏ができなかったのか・・・などと。

 

 ま、夏休みの自由研究としては、こちらのほうが優先しそう。「四国遍路の闇と陰」・・・。大きく捉えれば、「人間性の確認作業」。平たく言えば、あまり知らない分野の聞き書きの記録集。

 

 今月の29日の日曜日にも、拘置しない・・・・・高知市内へバスツアー研修に行って来る。「現地に行こう」、「現物にさわろう」だ。土佐藩の四国辺路に対する処遇や対処は異常ともいえるほどの厳しさだった。そういう痕跡探しができればいいなぁと考えている。

 

 目が見えるうちに、指が動くうちに、おつむが働いている間に、記録を少しでも残しておきたいと考えている昨今。そうそう、「英国士官レキの墓研究」の資料作成も梅雨の間には片づけておかなければ・・・・。

 

 夕方に、迷犬ごんが戻って来た。弟と私とけいこばぁの三人の夕食会も千葉の話題で盛り上がった。これで、いつも通りの生活に戻る。いなければいないで手持ちぶさた。居ればいるで邪魔くさい犬だが仕方がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「この泥が あればこそ咲く 蓮の花」というもの。ありふれた、おもしろくないことばではあるが、これこそ真実のことば。泥の中にあっても、泥から生まれたとは思えぬほど美しい花。私たちの人生も同じ。たとえ、どれほど煩悩にまみれた暮らしであったとしても、煩悩の泥に染まることなく、美しい心の花を咲かせることができるもの。また、泥があってこそ、蓮はあれほど綺麗な花を咲かせることが出来るともいえる。清水には蓮の花は咲かない。私たちの人生を振り返れば、苦労し悩む日々があればこそ、他人の苦悩も理解でき、やがて豊かで静かな心を持つことが出来るというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいに 旅の終わりを 話しかけ

2014年06月10日 | たまには旅など・・。

 成田市の朝は曇っていたが、やがてには晴れてきた。気温は18度から25度、湿度は76%から82%。風は2mから3mの南南東の風が少し。

 

 旅はおおまかでアバウトなところがいいのかも知れないが、いつものくせで6時前に目が覚めるがすることがない。テレビはカードを買わないといけないが、わずか1時間か30分ほどしか見ないのにもったいないと言うし、散歩をすると言っても山の中のホテルだし・・・。

 

 7時半から5人は揃って1階の食堂に降りてバイキング方式の朝食。洋食系の人が多いなぁと思った。

 

 ゆっくりと食べましょうね・・・と言われても、そうそうは食べられない。30分もすればおなかがいっぱいになる。三日目ともなると、面白い話も出て来ないし。30分ほどで失礼して旅のまとめの支度。JR成田駅に向かう送迎バスは10時10分だというので、これまた・・・手持ちぶさたな時間。ここは朝のお風呂がないのだそうだ。

 

 11時前、JR成田駅からは、お店のならぶ参道を歩いて、「成田山新勝寺」に向かう。ま、成田といえば「成田山」なのだろう。この頃になると空は晴れてきて暑くなってきた。ま、雨に降られるよりかはマシだなぁ・・という声があちらこちらで。ここは外国人の観光客も多かった。

 

 で、ここがお土産物屋さんの「米屋総本店」。羊羹がおいしいのだとか。ここでは無料のお茶が飲み放題で、休憩しながら試食品を食べながら休憩している人が多い。けいこばぁはお土産用の羊羹をたくさん買っていた。

 

 成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山だとか。だからと言う訳でもないが、あんまり、お寺や建物などには興味がない。ま、でかいなぁ・・と思う程度。この仁王門の大提灯は大きくてものすごく重いらしい。この提灯は「魚がし講」が寄進したもので、「魚がし」と書いてある。800Kgもあるそうだ。

 

 これは狛犬というもの。普通は「神社」の参道に座っているものだが、ここにはあちらこちらに狛犬が奉納されている。このカラフルな狛犬は一級品。火消しの組が寄進したものらしい。

 

 これは「獅子山」という形式。溶岩を組み合わせて岩山を作り、そのあちらこちらに獅子を配置してある。山のてっぺんに親獅子がいて、そこから突き落とされた子獅子がよじ登っている様子が再現されている。こういう狛犬が、これでもか、これでもか・・と並んでいる。讃岐のこんぴらさんよりも数は多い。

 

 このドハデな建物は三重の塔。まぁ・・・というような感想。

 

 正面にそびえているのが「大本堂」。ちょうど、「御護摩」のおつとめ中だった。お坊さんが大きな御幣でお祓いをしているのが印象的だった。ここはなんでもアリなんだなぁと思った。

 

 おつとめの終わった法中がお戻りになるところ。

 

 お昼は参道の古いお蕎麦屋さんに入って、さっぱりとざるそば。ここには冷房がなくて、古めかしいウチワを貸してくれたのがおかしかった。このお店はおじいさんとおばあさんの二人だけでやっているものだから、実にのんびりとしたお店だった。

 

 昼食が終わると、JR成田駅から成田空港・第二ターミナル駅に向かって、そこで皆さんとお別れ。時間は14時半。出発時間は18時10分。4時間ほどの待ち時間。することもないし、行きたい所もない。ただ、待ち続けることしかない。

 

 フライト3時間前になると、この端末機で自分で発券する。予約番号や手荷物の数、預ける荷物の有無などをタッチしていけば「搭乗券」が出て来る。その後、保安検査を受けて、ただ、時間を待つばかり。

 

 フライト30分前になると搭乗手続きと言っても、搭乗券のバーコードを読み取るだけ。送迎用のバスに乗って、臨時駐機場に並ぶ一群の航空機の中の一機の前でバスを降りて搭乗する。

 

 これからが大変。フライト予定は18時10分だが、この時間帯は離陸ラッシュらしく、プッシュバックが始まったのが18時20分。そこからエプロンを右に左に走って走って・・・。各社の飛行機が大名行列みたいにエプロンをのろのろと・・。離陸したのは18時50分。松に着陸したのが20時。ようやくに戻ってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「実行するところに成功があり これを忘れるところに失敗がある!」というもの。安田不動産の創始者安田善次郎は生前、処世に関する様々な本を書いている。その中で彼は、自分がお金持ちになれた理由をいろいろと述べている。善次郎は最晩年「この二十年間守り通した処世の信条は?」という雑誌社の質問に対して、「勤倹、克己、一にもってこれを貫く」、また別のところでは「人生は克己の二字にある。これを実行するところに成功があり、これを忘れるところに失敗がある」と答えている。現代人はとかく、自分のいまあるがままの姿をめてもらいたいといった風潮が見受けられるが、立派な人間になったり、成功したりするためには、自分に打ち克つという意志の力を持たなければいけないということを、善次郎は教えているのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨もまた 旅のみやげと してみたい

2014年06月09日 | たまには旅など・・。

 千葉県流山市は朝から曇ったまんま。ときおり、小雨がぱらついたりした。気温は18度から25度、湿度は78%から88%。風は3mの東北東の風が少し。

 

 8時から朝食のパンを頂いてから、9時過ぎに近くの公園を散歩することになっていた。流山市の道路一本隔てれば、柏市ということで、県営の「柏の葉公園」を散歩することにした。

 

 公園の中ほどにあるバラ公園を散策したり、日本庭園を回ってみたりとのんびりムード。ここも実に広い公園で、柏レイソルのサッカー場があったり、野球場があったりと・・・。付近にはガンセンターだの東大の柏キャンパスもあったりするところ。

 

 ついでに、色衣や五条袈裟などの衣類などを自宅へ返送しておく。LCCは、お荷物1個でいくらだというのが面倒だから・・・。

 

 お昼は焼きそばに缶ビールを何本かいただいて、13時過ぎに流山を出て、バスでJR柏駅に向かう。施主さんのご夫婦と、お姉さん、それに私たち夫婦の五人連れの珍道中。目標は成田空港近くの「成田ビュー・ホテル」。

 

 JR柏駅から成田線で成田駅まで。そこからさらに乗り換えて空港第2ターミナル駅へ。ここまでで3時間ほどを費やしている。

 

 この頃も、雨が降ったり、止んだりだが、私たちは電車の中だから心配はいらない。このあたりは四国香川と変わりないような風景。

 

 電車の中もこんなもの。私たちの借り切りみたいなもの。成田空港駅で降りて、今度はバスターミナルで待つこと20分。ホテルの送迎バスがやってきて、それに乗ると、ホテルまで無料で連れて行ってくれる。

 

 お施主さんのおなじみのホテルらしい。外国のCAとかクルーとかがロビーにあふれていた。外国からのキャプテンやコーパイ(副操縦士)たちがにぎやかに談笑している。さすが、成田のホテルだなぁと思った。

 

 こういう、温泉、「美湯温泉」がウリらしい・・・。

 

 露天風呂というか「岩風呂」もあって入ったが、それなりだなぁ・・と思った。

 

 で、今日のメイン・イベントの夕食会。飲んで食べて、楽しいひとときを過ごしたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せそうな顔をしていれば 幸せになります」という荒良寛さんの言葉から。普段にはパソコンに向かって、むつかしい顔をして一日を過ごしているのだけれど、今回の思わぬ旅で、飲んで食べて、大声で話して、笑って・・・・。ずいぶんと顔の表情が変わった気がする。明日はまた、どんな旅になるのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨ごもり 「花は咲く」ばかりを 聞いている

2014年06月08日 | たまにはご法務

 千葉県流山市は雨の一日になった。夜中には激しい雨が降っていた。気温は18度から23度、湿度は100%から92%。風は2mから1mの東北東の風が少し。明日の9日も雨が降るらしい。日本列島、梅雨まみれ・・・。

 

 さて、なんで私が千葉県にいるのかというと、話がずいぶんと長くなる。奥方のけいこばぁのお父さんの妹、つまり、けいこばぁの叔母さんという人が七年前に亡くなった。その叔母さんの遺骨を引き取ったのが長女だった人。ということで、今日は叔母さんの七回忌・・・ということで、はるばると千葉県流山市まで呼ばれてやってきたというわけ。

 

 ここのおうちは、特に宗派はないそうで、たまたま、叔母さんの葬儀をされたのが浄土宗だった・・ということから、浄土宗経典による真宗的なお勤めになった。ま、浄土三部経は同じなもので。そんなことから、私が七回忌の法要をお勤めすることになった。けいこばぁの実家が浄土宗だったという関係もあって・・・。

 

 

 午前十時からご家族たちが集まっての法要になった。ここのおうちの息子さんや娘さん家族だけだった。

  

 浄土宗・・・ということで、ご法話は急遽、「「法然上人のご生涯」ということで、パワーポイントでの電子紙芝居になった。

 

 その後はお墓参りに出かけた。こういう霊園でも、お参りの人がいないのか草ぼうぼうのお墓があったり、中には木が伸びている区画もあった。お墓を建てても、おまいりの人がいなくなるとさみしいものだなぁと思ったりした。

 

 この頃には雨も小休止だったのがうれしかった。

 

 後ろの方のお墓に、草ぼうぼうのお墓が見えるけれど、管理組合が、除草なんぞしてくれないのだろうか。管理料というものを徴収してるはずなんだが。

 

 その後、みんなでそろって「おとき」で、中華料理のお店に案内された。お店の方は中国の方かな、「王」さんという名札の人だった。台湾の方かも知れないという話だったが・・・。

 

 12時半から14時までのお食事会を楽しんだことだった。こうして家族が集まる機会も少なくなった・・・という話だった。叔母さんのおかげで、こうして私もみなさんとお会いできてお話ができたことだった。

 

 この日の参列者は全員で九人ということだったが、皆さんの食べっぷりも見事だった。

 

 こうした料理はよくわからない。でも、出されるお食事は完食してしまうメンバーだった。

 

 こうして、私のお役目はおしまい。明日からは観光旅行になるらしい・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「夢はある程度大きい方が良い さもないと追いかけているうちに見失ってしまうから」と云うもの。オスカー・ワイルドという人の言葉らしい。確かに、小さな些細な夢は、うかうかとしている間に忘れてしまう。「大工さんになりたい」とか「左官屋さんになりたい」などという夢は・・・おとなになると忘れてしまって・・「会社員になりたい・・」とかで終わってしまう。かと云って、「宇宙飛行士になりたい」とか、「アラブの石油王になりたい・・」という夢はまた・・・大きすぎて潰されてしまうのかも・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


旅に出て 梅雨のしずくに かすむ明日

2014年06月07日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。今朝も朝の5時前に起こされて旅の支度を確認して、朝の7時過ぎに家を出た。迷犬ごんがいないから朝の散歩も必要ないし・・・。

 

 高松空港に着いたのは8時過ぎ。チェックインも難なく通過し、8時半の搭乗時間までおみやげを買ったり、トイレに行ったりとしておくが、今日は「利尿剤」がよく効いているのか何度もトイレに駆け込んでいた。

 

 メールで送られてきた予約票を提示すると、すぐに搭乗券が発行された。LCCということもあってか、周囲には若者が多い。

 

 八時半前に成田からの飛行機がやってきて、乗客が降りてきて、機内の清掃などがあって、8時40分に搭乗開始。この時には一番で乗り込んだのだが、成田で下りるのは最期になった。当然にそうなるのか。座席は25のAとB。後ろの方である。機内はほぼ満席状態。

 

 下界は雨模様らしいが上空は青空。雲の下には何も見えない。10時前から着陸態勢に入ったが、着陸したのは10時20分過ぎ。この頃、猛烈にトイレに行きたくなるのだが、着陸態勢に入っているからと・・・・。着陸してからもエプロンを右に左と走り続けて、今度はバスに乗り換えてしばらく走る・・・。

 

 成田空港は激しい雨が降り付けている。ここではタラップを踏んで下りるのだが、傘を開く間もないので、濡れながらバスに駆け込む。空港ビルに到着したら、けいこばぁと二人はトイレを捜して走る走る・・・。

 

 ようやく安心した二人は、昼食を食べるお店探し・・・。けいこばぁの好みで、おそば屋さんに入った。

 

 私はネギトロ丼とおそばのセット。お店の中には「讃岐うどん」のお店もあったが、ここまで来て「讃岐うどん」でもあるまいということで即座に却下。それだから・・・と言う訳でもないが、「おそば」にしたのだが、これは全く口にあわずに、ほとんどを残してしまった。どうにもべちゃべちゃで口には入らなかった。

 

 やっぱ・・・口にあうのはこれだな・・・。ごちそうさまでした。

 

 このお店からはLCCが離発着する様子が見られたのだが、激しい雨ではどうにも景色にはならない。昼食が終わってもまだ12時前・・。することもなく、行きたい所もないので、ターミナルビルをぐるぐると歩いてから電車乗り場に向かう。

 

 成田空港駅から京成電鉄スカイアクセスに乗って新鎌ヶ谷駅まで。田舎のおばさんのけいこばぁは誰にでも話しかけて、乗り場を聞いたり、尋ねたりして、どんどんと進んでいく。若い娘さんはスマホでてきぱきと調べて答えてくれるから、私のタブレットなんぞ出る暇がない。

 

 新鎌ヶ谷駅で下車して、今度は東武野田線に乗り換えて柏駅まで乗る。そこで別の線に乗り換えて・・・すんなりと、目的地の「江戸川台駅」に13時過ぎに着いてしまった。夕方までに着けばいいのに、4時間も早くに着いてしまった。

 

 ここでお施主さんがお出迎えに来てくれて合流。少しも迷うことなく、時間のロスもなく、お小遣いも使うことなく・・・・目的地に到着。あとはゆっくりと缶ビールをいただいて一休みして、夜の食事会になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんとに忙しい人は 忙しいなんて云わないものだよ」という荒了寛さんの言葉から。。「本当にお金持ちはお金持ちだなんて言わないものだよ」、「本当に賢い人は 賢いなんて云わないものだよ」、「ほんとうに幸せな人は幸せだなんて云わないものだよ」・・・と、いくらも似たようなバージョンは作れそう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


旅支度 なぜだか重たい 梅雨の空

2014年06月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は四国付近にある低気圧の影響で雲が広がり、雨は降ったり止んだりの状態の1日。気温は18度から25度、湿度は96%から77%。風は2mから4mの東北東の風が少し。これが梅雨なんだなぁと思う今日このごろ。明日の7日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨となる所があるという予想だった。

 

 さて、明日の朝、LCCで松から成田に向かうのだけれど、24時間以内に手続きをしておくこと・・・と娘に言われているのだけれど、何をやっとけばいいものかと思案しながら、あれか、これかとやっていた。何かのバーコードとかを打ち出してカウンターへ持って行くこと・・・という伝言だったけれど。

 

 どうにかこうにか、バーコードまでは印刷できたけれど、「これは搭乗券ではありません」と書いてあるが、これでいいんだろうか。「旅程表」と書いてある。GRコードはどこにも印刷されていないが。

 

 とにかく、早めに空港に着いて手続きをしておけば成田までは行けると思う。思うが、千葉も明日は雨だろうか・・・。雨の日の旅はどうにも苦手なんだけれど。

 

 それに、成田空港からお施主さんの家まで、どうやっていけばいいものか。ある程度のルートとか電車の時刻表は送られてきているのだが、どうにもこうにも感覚がわからない。「スカイアクセスの特急に乗って新鎌ヶ谷に行き、東武アーバンパークラインに乗って江戸川台へ・・・」田舎者には外国へでも行くようなもんだ。

  

 それにしても、あれほど邪魔くさかった迷犬ごんがいなくなると手持ちぶさたでどうしようもない。散歩に行くのも面倒だったのに、いざ、いなくなると・・・部屋の中を歩き回って手持ちぶさたを解消している。ま、明日になれば、それどころではなくなるのだけれど。

 

 さて、昨日は金剛杖のことを書いたが、この笠もまた大切なものらしい。この笠は「菅笠」というもので、上になっている梵字の書いてあるほうが前。同行二人の字が後ろ。笠の四方に以下の文字が書かれている。

 

「迷故三界城」:まようが ゆえに さんがい は しろ
「悟故十方空」:さとるが ゆえに じっぽう は くう
「本来無東西」:ほんらい とうざい なく
「何処有南北」:いずくんぞ なんぼく や ある 
<迷っているが故に私達を取り巻く環境はまるで堅固な城郭に閉じ込められているかのような圧迫感がある。その迷いを突き抜けて悟ってみれば、もう十方世界は大空と同じように自由で伸び伸びとしている。>

 

「四国遍路」(辰濃和男.岩波新書)では次のような、うまい訳をつけている。
<迷えば狭い枠のなか、悟れば宇宙のただなかだ、風にまかせて歩くだけ。>

 

 真言宗と禅宗では死者を収める棺に書く文字らしいが,遍路が亡くなった時,この菅笠で死者を覆い、棺の代わりとする。これを被っている遍路は死者であることを表している。つまりは、遍路は棺桶をも背負って歩いているというわけだ。遍路が終わって、杖を納め、笠を納めたら、すなわち、死の世界から再生することが遍路の意味であるという。

 

 これは、「白衣」とか「おいずる」で、白衣は、袖のあるもの。笈摺(おいずる)は、袖のない法被。白衣も「びゃくえ」と呼んだり「はくい」と呼んだりしているが、決まりはないらしい。「死に装束」で遍路が他界(聖なる世界)を行く者であることを象徴している。身体には死に装束をまとい、ふところには「捨て往来」を持ち、棺桶を背負い、手には墓標を持っての、つまりは、「お遍路さん」は形も精神も「死出の旅」であった。

  

 ということで、明日の7日からしばらく、ブログの更新はお休みになる。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分をかえたいと思ったら 思い切って新しいことをやってみるんだね」というもの。このままじゃダメだ、どうにか自分を変えてみたい・・。何度も何度も考えたものだった。でも、なかなかに、自分を変えるなんてできないもの。個人的には、新しいことより、興味があることには行動を移していきやすい。そして「やれること」と「やるべきこと」は区別するようにしている。なぜなら「やっている(やっていない)」ことより「できている(できていない)」自分を客観的に確認できるからだ。いまの自分に感謝しながらも、前向きに生きていくことは、常に新しいことにチャレンジしていくことなのかもしれない。
 If you want to change yourself, do something completely new.

 

 それではしばらく、ごきげんよう・・・。


夜が来る 梅雨のしずくの あいだから

2014年06月05日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は四国沖に停滞する低気圧や前線の影響で雨や雷雨となっている。大雨が降ると聞いてはいたがこぬか雨のような小さな雨が降ったりやんだり。気温は17度から25度、湿度は92%から84%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の6日は、四国沖の低気圧の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 まさしく梅雨だなぁと思う雨。奥方のけいこばぁは野菜に水やりをしなくて楽だと喜んでいる。ご近所の田んぼでは田植えの準備が進んでいる。この上流の県営ダムの放流が例年、10日に行われて、一斉に田植えが行われるらしい。

 

 さて、この週末から千葉のほうへお出かけするので、その準備が始まった。法要のための色衣や袈裟、着替えなどの荷物を先に送ったり、お土産を送ったり。午後からは弟が迷犬ごんを預かってくれるというので引き取りに来る。3日か4日の旅なんだが、なんだかんだとやることがいっぱい。

 

 この教区の機関誌の原稿依頼が早くも来た。6月末ということだったが、旅行に行く前に片づけておかねば・・ということで、朝の間はこの原稿書き。

 

 ま、ひな形もあるし、資料もたくさんあるから悩むような作業ではないが、何カ所の記事を、どのくらいの分量で配置するか・・・みたいなささやかな心配。ま、編集担当に調整していただくことにして、記事と写真とをメールで送っておいた。旅先で何が起こるかわからん時代だ。

 

 前の山の掘削工事は、今日もお休みだ。そんなに工事を止めるほどの雨でもないのだが、それなりの「段取り」というものがあるのかも知れない。

 

 けいこばぁは、できあがった荷物を宅配屋さんに持って行ったり、自動車屋さんに行ったりと、これまた準備に余念がない。来週の月曜・火曜のお仕事の振り替えとかもあって。

 

 昼前に弟がやってきて、ごんの手入れとか食器を洗ったり、ドッグフードの準備とか・・・。ねぇ、3泊4日の旅なのにてんやわんや・・・とやっている。その後、3人での昼食会。

 

 迷犬ごんは、何もわからずままに、車に乗せられてレオマワールド近くの綾歌町に連れて行かれてしまった。ま、7日から10日まで、犬の散歩とエサやりのために通ってくれ・・というお願いをするけいこばぁもけいこばぁだ。

 

 午後の3時過ぎにようやく準備が終わって、けいこばぁはお昼寝タイム。私はやり残している作業を始めた。昨年の研修で頂いた資料を電子化する作業・・・。スキャナーで読み込んだり、「読んでココ」というアプリで資料を読み込んで電子化してしまう。

 

 「この金剛杖といいましたらね、これは生きてるときは大師です。ほいで我が身で同行二人といいますけどね。まあ、お四国まいる方はね、これはもう有難い有難いいうてね、宿へ行ったらね、杖の先、足を洗いましてね、床の間に置くんですわ。誰もお茶蕩も線香も供える人はおらんわけです。金剛杖にはね。普通はありがたいから供えるのが本当ですけどね、それはそれでかまんのです。ここにこれ四つきずがあるんです、金剛杖にはね。ここには、きゃ、か、ら、ば、と書いとるわけですね。これは真言宗で四角塔婆です。塔婆に書く文字を書いとる訳ですよ。この四国の霊場まいるからね、お大師さん御利益をくださいと。くださらなくなったらね、自分は死んでもかまいませんと。死んだときはどうぞこの枚をね、自分の石塔のかわりに立ててくれとね。自分の石塔をもって歩いとるわけですよ。」                                      語り・文殊院荒井浩忍 採録・大塚実

 

 遍路が金剛杖を大事に扱う気持ちは現在でも変わりがない。遍路を迎えいれる宿の側でも、金剛杖をたてておく設備を宿の玄関や部屋のなかにもっているほどである。金剛杖は大師の分身と考えられ、道をゆく遍路にとって心身両面の支えである。あえぎつつ難路をゆく遍路はこの杖にすがり.「南無大師遍照金剛」と唱えていく。そして彼らはみずからの墓をもたずさえて道を歩んでいるのである

 

 本当は、その前にあった、遍路の死とその処理・・なんぞを載せたかったのだが、あまりにも生々しいので割愛したら、なんということのないお話になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。少し読みにくい画像になっているが、「人は生まれによって尊からず その人の行いにより尊し」というもの。あるバラモン青年が、「バラモンは生まれによるのでしょうか、それとも行いによるのでしょうか」と問いかけた。仏陀は「草や木や昆虫や動物や魚や鳥には、生まれによる種類の区別がある。しかし、人間には生まれによる区別は存在しない」と説かれた。さらに「牛によって暮らす人は農夫であり、技能によって暮らす人は職人であり、売買によって暮らす人は商人であり、盗みによって暮らす人は盗賊である。このように、人はその行いによって、それぞれの名称で呼ばれるだけである」と教えられた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいに 今日の怠惰を 叱られる

2014年06月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雨が降るというたけれど、少しも降らない。気温は22度から26度、湿度は88%から90%。風は3mから5mの南南東から南の風が・・・。明日の5日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方にかけて雨となり、雷を伴う所があるらしい。

  

 今日は気圧の関係か頭が重い・・・。天気も良くないことだし・・・と云うことで、今日もデスク・ワークになった。で、今日は「へんろの墓」。

 

 こういう立派なお墓もあれば・・・、

 

 こういうものもある。遍路は懐中に、「もし死んだ場合その土地の習慣で葬ってほしい、故郷への連絡は不要である」との手形を持って、巡礼をしている。しかし、死者に接した地元の人は、多くの場合丁重に遍路を葬った。その際、死後に石碑を建てるだけの金銭を所持していた遍路には、その金で墓碑が建立された。着のみ着のままで死んだ遍路は路傍に土饅頭をこしらえ、所持していた杖を墓標にし、笠を土饅頭に乗せたと伝えられている。

 

 だから、こんな、何もないお墓もあちらこちらに残されている。特に88番大窪寺周辺には異常に多い。結願(けちがん)満願を目前にして力尽きてしまったのだろうか・・・。

 

 このあたりは、まだ、木の枝でも供えてあるから立派なもの。花も花筒も何もないところが多い。多くの行路死した遍路は現在では自然の景色の中にまぎれてしまってもうその所在すらわからなくなっているのが実情。

 

 この人は四国順拝二百八十回を達成し、二百基に余る道標石を残した中務茂兵衛義教で、下の歌を添えた石を二基立てている。これらの道標石を自身の墓標とみなしていたので、実際に自身の墓はない。

 生れきて 残るものとて 石ばかり 我身は消えて 昔なりけり

 

 四国へんろは結願寺、大窪寺をめざして四国中を歩いてきた。江戸時代の遍路は、旅の苦難のために命を落とす者もあったという。一部の裕福な階層の遍路をのぞいて、多くの遍路は多くの路銀を持たない貧しい人々であったという。遍路道の沿線にある家々の門前に立ち、遍路の修行と称して門付けし、その家の祖霊を拝み読経した。そしてその家から接待という何がしかの喜捨をうけた。これを旅の費用とした。

 

  貧しい遍路は基本的に四国の沿線の人々の行為に頼って巡礼を続けていた。そういう貧しい遍路は総じて栄養事情がよくなかった。そのために、普通の人には何でもないところでも、落命につながる変事になったという。河川を渡っていて足をとられ流されたり、岩山で転落したり、山越えの道でも命がつきることがあった。また寒い冬に仮の宿とした橋の下で遍路が明け方に冷たくなっていた、というような話は、遍路沿いで数多く語り継がれてきた。

 

 遍路墓の建立はひとり、死んだ遍路の問題だけでなく、地域を巻き込んだ一大事でもあった。地元の者は、遍路のことをヘンドと物乞いをする乞食のように一段と低める呼び方をして冷遇する一方で、別には弘法大師の化身の聖者であるかのごとく扱う見方もあったため、死んだ遍路の存在はその処置をめぐって地元の人々にも大問題であったという。 

 

 こう暑くなってきて、夏草が伸び出してくると、お墓探しもできなくなってしまうので、梅雨の間や夏場には資料整理になってしまう。

 

  梅雨になるとアマガエルが賑やかになった。このあたりは過疎と高齢化でたんぼを作る人が少なくなって、水田というものが見えなくなってきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間にとって いちばんひどい病気はだれからも必要とされないと感じることです」というマザーテレサさんの言葉から。マザーテレサさんの遺言からです。

 「私たちは忙しすぎます。ほほえみを交わすひまさえありません。
 ほほえみを、ふれあいを、忘れた人がいます。
 これはとても大きな貧困です。」

 「多くの人は病んでいます。
 自分が全く愛されていない、関心を持ってもらえない、
 いなくてもいい人間なのだと…。

 人間にとって
 いちばんひどい病気は、だれからも必要とされていないと感じることです。」

 「どんな病気に対しても、医薬品や治療法があります。
 けれど、だれからも必要とされないという病気は、
 喜んで差しのべられる奉仕の手と、
 愛するための愛の心があるところでない限り、
 癒されたことはないと、わたしは思います。」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨となり 今日の予定を ひるがえす

2014年06月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雨の降っている所がある。気温は21度から27度、湿度は90%から84%。風は8mから4mの南南東の風から南の風。朝方は寒いくらいの風が吹き荒れていた。明日の4日は、四国沖を東へ進む前線の影響で雨が降り、夜は雷を伴う所がある見込みなんだとか。

 

 四国地方は、本日梅雨入りしたとみられると気象台から発表があった。現在雨雲は、沖縄から四国と中国地方にかかっていて、九州南部では、夜は雷を伴って非常に激しく降る所があるらしい。西日本の太平洋側では、明日にかけて大雨の恐れがあるので要注意。

 

 本来ならば、今日から京都に向かい、今日は前泊、明日から「安居」で、明日の夜は「興正学会」に参加する予定だったのだが、心臓の電気ショック治療以降、あまり体調が芳しくない。微熱も続いているようなので、大事をとって、今回はお休みすることになった。最近の気候の影響なのでは・・・と思ったりしている。

 

 で、気分がすぐれないならば・・・と云うことで、香川県立図書館にでも行って気分転換でも・・・とおもって、1時間もかけて出掛けたのに、今週は「資料整理」とかでお休み。がっかりのガックリで、またも1時間をかけて戻って来た。なんたるこっちゃ、サンタルチア~。

 

 麦が収穫前・・・。そろそろだなぁと想っていたら・・・。

 

 麦刈りをやっている田んぼもあった。今日の午後からは雨になるぞと、急いで収穫にかかったのかも。そろそろ麦を片づけて田植えの準備もしなくてはならない。このあたりはどんな麦を作っているんだろうか・・・。農家の事情にもうとくなってしまった。

 

 で、例の通りの「四国遍路の闇と陰」のお勉強。「職業遍路」でググッてみたら・・・出るわ出るわ・・・。今でも、そんなに「職業遍路」がいるのか。法律で「こじき」などは禁止されているが、白衣を着て菅笠を被っていれば、「ものもらい」ではなくて「行乞」や「托鉢」になるのか・・・。「接待」という文化の衣を身にまとっていれば、それなりに喜捨がもらえて、生活できるというのだからおかしな話だ。

 

 これが「職業遍路」。確かにお遍路の姿をしているが、白衣がきれい過ぎる。ま、これが汚れていれば、余計に「汚い」とかで追い払われるんだろうけれども。これで、二千円でも三千円にでもなったら、やめられないだろうなぁ・・・。でも、お経もあげずに無言で立ち尽くす・・・というのも、この時期からは重労働になるな。

 

 同年11月には再び遍路取り締まり令が布告された。遍路の風体をした者が各地に姿を見せ奇妙な行動をしている。医師のまねごと、占い師めいた仕業で庶民の悩みに乗じて金銭を詐取する者があるし、または弘法大師の灸点(きゅうてん)などと唱えて人心を惑わす者もある。これは風教の上にも甚だ好ましからぬことであるから、遍路街道はいうに及ばず、脇道であっても取り締まりを厳重にするようにと、地下(ぢげ)一般(一般領民)に戒告したものであった。

  

 四国のこうした風土だから、今も昔も、こうした辺土というか、遍奴というか「職業遍路」というものが存在し続けられるんだろう。

 

 これだけ、福祉、福祉と叫ばれながら、子供に食事も与えずに餓死させたもまま放置するような親もいるし、介護介護と云われながら、徘徊したまま行く目不明の老人が何十人もいるという現実・・・。「お四国病院」という医師の居ない病院に転がり込んだままの人がいる。

 

 さて、今夜は奥方が泊まり勤務。洗濯物とかを取り込んで、お風呂の用意をして夕食の準備でもするとしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「子は親のいうようにはしないが親のするようにはなる」というもの。生活態度も、思想信条も、仏縁を結ぶにつれても、何においても同じこと。親(オトナ)が大切にしているものを子は大切にし、親(オトナ)が疎かにしているものを子は疎かにするのである。さしずめ、今は前者が「カネ」で、後者は「仏縁」でないことと思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ほたる草 いとしき人を 待つように

2014年06月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は19度から29度、湿度は98%から68%と蒸し暑かった。風は3mから7mの南東の風が・・・。明日の3日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がり、夜には雨が降る見込みらしい。

 

 今年もゴーヤーでグリーン・カーテンを作って欲しいとケイコばぁが云う。苗をたてたのも、プランターに植えたのもケイコばぁだから仕方がない。朝方から曇っていて、昨日のようなカンカン照りではないので、重い腰をあげて工作(?)に掛かった。

 

 手近にある竹の竿やのぼり用のポールやらを利用して大まかな柱を立てる。その間に、園芸用の支柱を立てていく。そして、ネットを貼り付ければできあがり・・・。

 

 このネットは昨年も使ったもので、今年の費用はゼロ円。時間も20分ほど・・・。

 

 早くも蔓がネットにからみついている。目がついている訳でもないのに、素早く見つけるものだ。

 

 今朝は気温も高くないし、曇っているので、久しぶりにお墓の草刈りでもやっておこうか・・・と出掛けたのだけれど・・・。なぜだか、草刈り機のエンジンが動かない。始動はするのだが、回転が上がらない・・・。20分ばかり悪戦苦闘してみたが、回転が上がらずに草が刈れない・・・。

 

 仕方がないので農機具屋さんに走って見てもらった。燃料タンクからキャブレターに向かうビニールチューブが裂けているとのことで部品交換。一発でエンジン始動・・・。わずか5分の修理で1,000円の支出。背に腹は替えられない。

 

 その頃になると気温がぐんぐんと上昇してきて25度台から26度・・・。汗が流れて目に入る。メガネが曇る・・・・。わずか・・・30分でギブアップ。最近、熱中症で倒れるお年寄りが多いらしい。こんな山の中で倒れていても誰も気づかない・・・。早々に撤収・・・。

 

 先の電気的除細動治療では、こういう「EDパッド」という電極を張られた。右上の肩先のパッド部分の跡が「やけど」状態になっていて、これが痛かゆいのだ。そこに汗が染みこむものだから・・・痛い・痛い・・。

 

 すぐさま・・・シャワーを浴びようと家に戻ったら・・・先客のケイコばぁが・・・。奥方も畑仕事が終わったところらしい・・・。ま、シャワーを浴びて缶ビールで水分補給して一休み・・・。

 

 その後は、例の「ヘンド」の原稿の整理。昔のお坊さんは「行乞:ぎょうこつ」をして修行した。だから、昔のお遍路さんも「行乞:ぎょうこつ」しながら札所を回った。ところが、いつごろからか、「行乞」だけして回る人が出てきて、それが増えた・・・。それが「ヘンド」だというのだ。昔は「勧進」とか「法謝」とか「喜捨」とか云ったが、四国では「ヘンドをする」とか「ヘンドに行く」とか云うようになった。今はカッコ良く「職業遍路」と云うらしいが、要は「ものもらい」。最近は不用意にことばを使えないから「ホームレス」なんて云うが、彼らはホテル住まいしながらの「職業遍路」で、自宅にはきちんと送金しているのだと云うからややこしい。

 

 それとか「病気遍路」のこともまとめておきたいものだし・・・。お遍路の闇と陰の部分などなど。こういう、「絶対に売れない本」を作るのもまた大切なことだと思っている。絶対に売れないから作らない。だから読まれない。私は「世界に一冊だけの本」を作りたいのだし、「どこの本屋にも売っていない本」を作りたいのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。私は掲示板を管理していないので、同じことばが何度も出て来るかも知れないが、それはご容赦。その時々のことばを選んでいるだけのことだから。「いい仕事をしている人はいい顔をしています 仕事を楽しんでいる人の顔は輝いています」と云うもの。いつもの「荒良寛」さんのことばから。まさに、今日の私はいい顔をして、輝いているに違いないなぁと思ったことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


水無月の 風とは思えぬ 草の丈

2014年06月01日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。また、黄砂を観測しているらしい。気温は18度から32度、湿度は74%から57%。真夏のような暑さだ。いきなり、こんな気温になると身体がついていけない。風は2mから0m・・・。北東の風が気休め程度。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の接近で夕方からは雲が広がる見込みらしい。引き続き1日にかけて黄砂を観測する可能性があるとのこと。

 

 さて、いよいよ今日からは6月、水無月に入った。ま、農家でもないので、だから、どうしたと云われるとなんでもない。このブログ、今日で開設から、3,333日目なのだそうだ。ま、一般的な通過点だから、これまた、なんでもない情報だったりする。

 

 お山から「真宗公論」という「興正学会」の機関誌が届いた。うちの宗派のお勉強会の本だ。

 

 昨年に発表した、私の論文が掲載されている。今年は「体調不良」で学会はお休み。「安居」もお休みさせていただいた。で、「じゃぁ、再来年は「法然さん」ですね」と云われたので、来年の発表用の論文を用意しないといけない・・・。

 

 これが昨年にまとめた「讃岐における法然聖人足跡巡拝指南書」と云うもの。この中に掲載されている「主題論文」を加筆修正して、そこそこのページ数に調整して提出することにしたい。

 

 これも、この秋頃までに提出だったかな。調べてみると、来年の三月末が提出期限らしい。まだ、間があるといえば間があるけれど。優先順位をつけないと・・だな。

 

 我が家のビワもほんのりと色づいてきたが、食べられるようになると、山のお猿が食べてしまうに違いない。先週だかに高知に行ったら、ちょうどいい具合に色づいて、あちこちで売ってはいたが買って食べたいとも思わない。

 

 今日は娘と孫のなぎちゃんがやってきて、お昼はこの、「さわらの押し寿司」というものを、なぎちゃんが作ってくれた。

 

 このさわらの押し寿司を食べると、「さぁ、田植えをがんばれよ」という合図だったと云う。「春祝:はるいを」と云ったが、食べたいが、食べたくないなぁ・・・という気分にはなった。PTAの総会後の懇親会にも「サワラ」の料理が出た。「あ、ハルイオやな・・」と聞いただけで、任期の終わった者は良かったが、新しく役員になったものは、「・・・・」と云う気持ちになった。

 

 しかし、云うと云わんと、少し動くと汗が流れるようになった。これから数ヶ月が大変だ。暑さになれてしまえば、そうでもないのだろうけれど、梅雨を乗り切るまでが心配ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の幸せは自分で決めていい 今のまんまそのまんま だからあなたはそのまんまでいいよ」と云うもの。「遊書家 とし」さんの言葉から。 「自分の幸せって自分で決めて良いんですよねぇ~。だから、今のまんまの自分でも幸せだったりするんですよねぇ~。だから、そのまんまの自分でいられることが幸せだったりするんですよねぇ~。なぁ~んて、ふと思ったトシでした♪。みなさんに幸せな事が起きますように♪  」と云うことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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