まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨明けを 待つ勢いの たちあおい

2014年06月30日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われていたのだが、気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は20度から29度、湿度は96%から68%。風は1mから3mの東北東の風が少し。明日の7月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 いよいよ、今日で六月も終わり、一年の半分が終わった。何かをしたという印象はないが、あっという間の半年だったなぁとは思う。よく、年齢時速の法則というらしいが、若い内は時速10kmとか20Kmの一日だといい、60歳台は60Km、70歳台は70Kmで過ぎてしまうというらしい。

 

 そういうことで、毎月の月間予定表があっという間に終わってしまって、早くも7月分、8月分になってしまう・・・。午前中はその予定表の更新作業をやっていた。

 

 ま、これも生存証明みたいなことで、「今日も生きておりました」という「フラッグ立て」、「安否確認」である。

 

 この更新が止まれば、入院したのか事故があったのか、それとも往生してしまったのか・・・。そういう「生きていますよ」という黄色いハンカチのサインになっている。

 

 野生動物も暑くなってきたものか、山から下りてきて水浴びなんぞをやっている。このあたりは、本来は野生動物のものだったに違いない。それを私らが後からやってきて「ここはオレんちだぞ」と言っているに過ぎないのかも・・・。

 

 今日はあっさりと冷たいそうめんでお昼にした。昨日のレポートもまとめておかねばならなかったし。しかしのかかし、歴史の勉強の中に、「TQC」を取り入れて、Plan(プラン)・Do(ヅゥー)・Check(チェック)・Action(アクション)の「P・D・C・A」のサイクルを回そう・・・という講師の先生の話には驚いた。ま、研究の計画を立てて、やってみて、チェックして、改善してやってみる・・・という手法には納得できるのだけれど。

 

 ①Plan:まず目標を設定し、それを具体的な行動計画に落とし込む。②Do:組織構造と役割を決めて人員を配置し、組織構成員の動機づけを図りながら、具体的な行動を指揮・命令する。③Check:途中で成果を測定・評価する。④Action:必要に応じて修正を加える。 一連のサイクルが終わったら、反省点を踏まえて再計画へのプロセスへ入り、次期も新たなPDCAサイクルを進める。こういうことは、工場や生産ラインあたりではさかんに行われてきたが、これを歴史の研究にも応用しようという発想には驚いた。

 

 で、やってきたのは四国霊場の一つの「屋島寺」、84番札所になるのかな。ここの宝物館にお邪魔した。

 

  宝物館には、屋島寺に伝わる数多くの寺宝の他に、源平合戦に関する宝物などを多数展示してある。那須与一の子孫が寄進した「源氏の白旗」、「源氏の勝臼」、土佐光起筆「屋島合戦屏風」、「源平盛衰記絵巻」狩野深信筆「源平合戦絵図・那須与一の扇の的」などの絵画が所像されており、屋島寺と屋島の歴史がうかがえる。有料500円 9:00~17:00 無休 文は屋島寺パンフレットより転載した。屋島寺本尊、木造千手観音坐像=重要文化財(彫刻)もここに収蔵している。昭和30年2月2日指定。

 

 ここは源平の古戦場として知られる屋島の山上にあり、第84番の札所である屋島寺に伝わる宝物を収蔵・展示する宝物館で、源平盛衰記絵巻物、弁慶が勝利の餅をついたといわれる「源平の勝臼」、土佐光起・光信の筆と伝えられる屋島合戦屏風など、源平合戦の遺品や寺宝を数多く所蔵し、歴史ロマンの宝庫として知られている。一階が仏具や仏像を展示してあり、二階に源平の戦いの遺品などが展示されている。

 

 この宝物館所蔵所蔵の宝物リストは以下の通り。

http://www.boukaiso.com/punf-siryo/a-yashimadera-02.html

 

 ということで、六月も終わってしまう。七月は京都にお出かけして大きな峠を越える。それが過ぎたら、各種論文の総整理に入るつもり。暑い夏をどう乗り切って過ごすかがこれからの課題でもある。

 

 六月も最終日だから、期限ぎりぎりでの今日の掲示板になった。「欲を減らせば苦しみも減らせる」というもの。苦しみの原因は、無知と執着であると言う。知ることは、苦しみを減らすカギになり、人それぞれが抱える苦悩を知ることで、和らぐ苦しみがある。失敗から学ぶことによって、追い払える苦しみもある。執着とは、不要なものに、しがみついているところから生ま出て来る。思い込みや執着を手放せば、苦しみが減るかも知れない。執着をゼロにすることはできなくても、減らすことは可能であり、苦しみをゼロにはできなくても、減らすことは可能にはなる。でも。欲を持ったまま、苦を持ったまんまの生き方もまた、大切ではないのかと思う今日このごろ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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