まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

七草の 初々しさには 出会えずに

2010年01月07日 | 自然
 今日は正月の七日。「七草がゆ」の日なんだそうだ。

 「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ。これぞ七草」と、子どものころに一所懸命覚えた春の七草の名前だが、私はそんなものを食べたことがない。

 スズナ、スズシロくらいならば畑にはあったんだろうけれど、正月の寒い時期に、ハコベやペンペン草なんぞ生えていない。おそらく・・旧正月の二月中旬になると見かけたのかも知れないけれど・・。

   

 この・・芹・・というのもこのあたりにあるんだろうか・・。見たことも聞いたこともない。「なずな」というのも最近は見かけたこともない。「ゴギョウ」というのも「ハハコグサ」というらしいが、このあたりではなんていうのかな・・。見たような記憶はあるが食べたことはない。
   

 ハコベラというのは「ハコベ」のことだというが、これらは「雑草」で、人間様が食べる・・・というのは驚きだった・・。「ホトケノザ」というのも記憶にない。このあたりの名前を言われたらわかるんだろうけれど。雑草を食べる習慣はなかったなぁ・・。

  

 スズナはカブ、スズシロはダイコンのこと。この七草をお粥にして1月7日に食べる七草粥の習慣は、江戸時代に広まったそうだが、七草の種類は時代や土地によって異なり、七草がもっと多くなったり、少ない場合もあったそうらしい。そりゃそうだと思う・・・。こんなものが見つかる地域というのは限定されているように思う。

 我が家では・・・そういう野菜ではなくて・・・単に・・ほうれんそうだけのお汁になった・・。情緒も歴史もありゃしない・・・。

>七草は、早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うといわれました。そこで、無病息災を祈って七草粥を食べたのです。古くはまな板の上で、草をトントン叩いて刻むその回数も決められていたとか。こんな、おまじないのような食べ方も素敵ですが、実はこの七草粥、とても理に叶った習慣です。

>七草はいわば日本のハーブ、そのハーブを胃腸に負担がかからないお粥で食べようというのですから、正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べものです。また、あっさりと仕上げたお粥は、少し濃い味のおせち料理がつづいたあとで、とても新鮮な味わい。

 我が家では・・おまじないはしないし、無病息災も祈らないからか・・そういう習慣が全くなかった・・・。最近になって・・・「へぇ・・そうだったんか・・」と思うようなことがしばしば・・。地域によって、いろんな行事や風習があるからね。

 ま、それだし・・、私らの地方では・・お正月疲れが出るようなご馳走が無かったのかも知れないし、胃腸を回復させるようにも食べられなかったのかも知れない・・・。

 

 今はスーパーでパックやセットになって売られているらしいから、食べようとすれば食べられるんだろうけれど、そういうものをいまだかつて食べたことがない。

 それはそれとして・・。 日本の正月遊び10選 というのを調べてみた。

■1.子供の厄払いだったんだ! →羽根つき 

■2.新春の凧あげには意味がありました →凧あげ 

■3.江戸版「塵も積もれば…」 →いろはかるた

■4.笑う門には福来る →福笑い  

■5.人生ゲームは出世双六です →双六(すごろく) 

■6.勝つためにはカスタマイズを → めんこ 

■7.脳を活性化!日本人の器用さにも貢献しました →お手玉  

■8.パパ教えて!4千年も前から遊んでいます →独楽まわし  

■9.灯台までできれば1級です → けん玉  

■10.転んでも起き上がらないから、一喜一憂 →だるま落とし  
 
 ボクらのこどもの頃には・・・たこ揚げ・いろはかるた・福笑い・すごろく・メンコ・コマ回しくらいなものやったかな・・。それも少年雑誌の付録とかについてきたもの。ま、タコとかコマは・・小学校近くのお店で買ったものだったけれど。

   

 けん玉とかだるま落としというのは・・本でしか見ることはなくて、いったい、どうやって遊ぶんだろうかと思ったものだった・・。

 お手玉とか羽根突きとかは女の子の遊びだったし・・。

  

 時代が進むと・・トランプ遊びとか小倉百人一首とか・・花札遊びとか・・。将棋とかでも遊ぶようになったけれど。そういう遊びも近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんがいろいろと教えてくれて覚えたものやった・・・。最近は・・そういう横のつながりが少なくなったように思えるけれど・・・。

じゃぁ、また。




病院の 待合室も 初景色

2010年01月07日 | 自然
 今日も冷たい朝になって・・・風が冷たい。気温は1度ほどで肌を刺すように吹き付けてくる。

 だから・・・犬の散歩も午前八時ごろになってしまう。帽子にマスクにジャンバーに手袋という・・冬支度でないと歩くのさえいやになる・・。

 今日は今年最初の予約診療日。県立病院の内科の定期検診日になっている。寒いけれど仕方がないので出かけてみた・・・。予約外になると採血やら検査などに時間がかかって煩わしくなってしまうもので。

 

 九時前に病院に着いたのだけれど、驚くほどには患者さんがいない。受付でも、待合室でも、内科の前でも・・・数えるほどしか待っている人が少ない。予約診察だから、慌てて来る人がいないからなんだろうか・・・。だから・・・すぐに採血があって、尿検査とかの検査があって、九時半にはドクターの診察があった。

 でも・・血液検査の結果が一時間ほど待たないと出ないものだから・・結局は一時間ほどは待たされる。

 

 「まだ・・・アルコールの結果が高いですよ。やめられませんか?」と・・、いつもの言葉だ・・。お正月直後だし、年末年始はいつもそんなもの・・。毎年の仕事始めのころには・・・二日酔いに胃腸が動かないくらいに疲れていたもの・・。今年はまだ・・元気なほうだ。自慢にはならんのだけれど。

 ま、血圧とかには目立つ変化はないみたい。飲み過ぎだけを注意された。で、薬はいつも通り・・。ワーファリンもよく効いているみたい。

 

 で、今日のお昼は・・東かがわ市三本松の「かま八」さんに寄った。パチンコ屋さんの駐車場脇にある一般店だ。今月末に広島県のお寺さんの一行がうちのお寺に来るもので、どこのうどん屋さんをおすすめしようか・・と、その下見を兼ねて・・・。 

 しかしのかかし・・、そこにあるパチンコ屋さんも開店休業みたいに・・数えるほどしか車が止まっていない・・・。店内をのぞいたことはないが、正月気分が残る時期なのに・・なんか寂しそう・・・。

 

 で・・何を食べようかなぁと・・・店内を見回したが、ここにはしっぽくうどんはないみたい。で・・・かまたまを注文したら・・・うどんが釜に入っていないのでできないという・・。そこで・・・似たような(でもないか)・・「月見うどん」を注文した。かけうどんに生卵が入っただけのものだな。これでも・・400円だそうだ。一般店はそんなものやね。

 それから・・・家の近くの薬局で・・薬を受け取る。病院代金が約四千円、薬代も約四千円・・・。毎月・・・これくらいはかかるみたい・・。

 

 家に戻ると・・・けいこばぁもちょうど・・戻ってきて。さっちゃんが昨日から調子が悪いみたい。寒くて熱があるのだとか・・・。で、今日は・・いつも行っている施設の院長さんが往診してくれて・・・。またいしたことはないらしいが、高齢でもあるしね。寒さが身にしみるのかも・・・。で、薬をもらってきたところだという・・。

 ま、高齢者には新型インフルエンザは近寄らないとか・・・。ま、暖かくしてれば・・元気になるんだろうと思う・・。

 

 私の右手の痛みも少なくなって・・・、食事をするにも洗い物をするにも、キーボードを打つにも支障がなくなってきた。暖かくしていれば・・・右手も自由に動くようになってきた・・・。

 明日からは・・少し・・・暖かくなりそうだというので、明日から、また、さぬき広島に行ってきたいと思うのだけれど、明日の天気が心配だな・・・。

じゃぁ、また。

粉雪が 幼き頃を 浮き立たせ

2010年01月06日 | 自然
 今日も冷たい朝になったし、ほぼ・・一日中・・冷たい冬らしい天候のままだった。これが本当のお正月なんだなぁと思った。

 で、昨年の今頃、一昨年の今頃のブログを読み返してみると・・白い雪が写っていた・・・。毎年・・・お正月というのは寒いものらしい・・。私だけが寒がり屋になっただけではないのだなぁと思った・・。

 県立図書館で借りていた「丸亀市史」や年表などの本の返却日が明日までとなっていたもので、寒いのだけれど出かけることにした。

 

 ファンヒーター用の灯油も切れているし、お昼のうどん屋探訪もやらないとあかんし、さっちゃんがみかんを買って来て欲しいと言うてるし・・。

 寒いからと・・・書斎に籠もっていてもメールがじゃかじゃかと届くわけでもないし、ブログにコメントがドカドカとつくわけでもないし・・。だから・・、パソコンの前に座っていても仕方がない・・・。

 

 丸亀市史ほかは、牛島の情報とか英国士官レキに関する情報を調べるために借りたもので、その御用も終わったので返却した。代わりに・・多度津町史・町誌・資料編の三冊を借りた。借りたが・・・おそらく・・何もせずに・・返却するのだと思う・・・。三ページくらいは読めるかも知れないけど・・。なかなかに活字を読む好奇心が少なくなったし、眼が疲れていけない・・。

 

 で・・高松市東部あたりのうどん屋さんを見渡してみたのだけれど・・・時間的に開店前とか定休日とかあって・・・。今朝は・・・食欲がなくて・・朝食抜きで出てきたものだから・・・10時半過ぎの朝食兼昼食になるのだからして・・。

 そういうことで、久々に・・「こんぴらや三谷店」に寄ってみた。ここは「こんぴらや・チェーン店」の一つ・・。ここの名物は「おんたま・ぶっかけ」・・。つまりは温泉タマゴ入りのうどんにぶっかけ出汁をかけるもの。

 でも・・・と考えながら・・メニューを眼で追って・・追って・・。「あった!」しっぽくうどん380円・・・。

 

 ま・・、標準的な「しっぽくうどん」で、硬くなく、柔らかくなく・・甘くなく・・薄くなく・・。標準的においしいと思えるうどん・・。食べて良かった・・・みたいなことではないが、二度と来るもんか・・とも思わない・・。そんなおうどん・・。あたりまえの味かな・・・。

 ダイコンが飴色でないでしょ・・。煮込みが甘いのかなぁ・・・。全体的に・・煮こむ時間が少なかったのかも知れない。ま、それぞれのお店の味だからね。

 

 今年もおうどんばかりの食生活になるのかしらんね・・・。あまり・・食に関して意欲がわかないのも事実・・・。欲しい食べ物がないっていうか、食べたいものがないっていうか・・・。それでは困るのだけれども・・・。

 

 そうそう・・・思い出したのだけれど・・。

 元日にお年玉をもらって・・・。でも、元日には村のお店もお休みだし、元日から出歩いてはいけないとかと親に言われていたもので、元日には自宅でじっとしていたのだけれど。

 二日になれば・・・「初売り」ということで、お店が開く・・・。だから、こどもたちは連れだって・・「初買い」に出かける。たっぷりではないにしても、それなりのお小遣いが「お年玉」で膨れ上がっている。

 やっこ凧や武者絵凧も買えるし、プラスチック製のピストルも買えた。あめ玉やら少年雑誌やら漫画本も欲しい物が買えた・・・。

 

 小学生の高学年になると映画館にも行くようになった。お正月映画はチャンバラ映画の時代劇が多かったように思うし、覆面ものの・・・月光仮面とか七色仮面とかという映画もあったように思う。でも・・時代にもよったのだろうけれど、白馬童子とか怪傑黒頭巾とか笛吹き童子とかの時代ものが面白かったようで、神社の境内で、見てきた映画を・・みんなで再現してチャンバラをしたものだった。

 で・・、上級生が「ええもん(主役とか正義派)」、下級生は「わるもん(悪役とか敵役)」に割り振られて・・・さきほど見てきた映画を思い出しながら再現させられたものだった・・・。

 私らの村の小学校の入り口前に・「王子座」という劇場兼映画館があって、そこがみんなのたまり場になっていた。隣村には「一楽館」というのがあり、同じような興業をやっていた。同じフィルムを配給するものだから、見逃した場面は隣町の映画館でみたものだった・・・。

 

 ほかには・・・駄菓子屋でくじ引きをしたり、映画スターのブロマイドを買ったりしたり・・・。

 女の子はゴムまりで遊んだり、ゴム跳びやら羽子板ではねつきもしていたように思うし、「おじゃみ」というお手玉でも遊んでいたように思う・・。

 そんなこんなで・・・お正月が過ぎていったように思う・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

とびっきりの 静けさがある 寝正月

2010年01月05日 | さぬきうどん
 連日の宴会で・・・さすがに昨夜はダウン気味・・・。けいこばぁも夕方からダウンして寝てしまい・・・、私も・・夕方の七時から寝てしまった・・・。さすがに夕食にビールは欲しくなかった・・・。

 例の五十肩らしきものは落ち着いたんだけれど、連日の寒さの中で弓を引いたからか・・・、右手首が痛くて痛くて・・・。右手がしびれるようで・・冷たくて・・・。神様のお手伝いをしたのに、なんで・・・こうなるの?みたいな・・・不都合な真実やね・・・。お賽銭をねこばばしたってことはないし、神様におしりを向けたってこともないし・・・。

 とにかく・・・昨夜は痛くて痛くて・・・、それでもなんとか寝たみたいどけれど。腱鞘炎とかいうものやろうか・・。

 

 で・・朝は・・・七時半まで寝ていたし・・・。社会はすでに昨日から動き出しているっていうのにね。ずいぶんとのんきになったものか、それとも気分的に老け込んだんだろうか・・・。

 8時過ぎから愛犬ゴンの散歩・・・。老犬なのに寒さもものともせずに走り回るんだ・・・。私の方が遅れを取ってしまっている感じ・・・。

 

 今日も北風が強くて木枯らしみたい・・。一時は粉雪まで舞う始末・・・。どうにもこうにも行動が起こせない・・・。寒いときには寒いままに・・・、じっと我慢でいるしかないか・・・。

 と、思ったところへさっちゃんが・・・「年賀状を出してきてよぉ~」というので、完全装備でお出かけ。防寒帽子に白マスク、防寒コートに手袋姿・・・。昨年の肺炎になってからというもの・・すっかりと臆病になった。

 

 毎日が土曜日!さんのブログ情報を見て驚いた。いつの間に・・うどん屋さんができたん??

 そこで・・・早速に行ってきた。郵便局ではがきを投函して・・長尾町の東部卸売り市場内に新規オープンしたらしい「讃岐うどん・みさと」を訪ねた。早くにはここにうどん屋があって、仕事の合間にうどんを食べていたが、いつの頃からか行かなくなってしまっていた。やっていたのかどうかも知らなかった・・・。

 今は・・「東部流通センター」とも呼ばれている場所でもある。

 

 正門から入って突き当たり、右を見るとこのマークが見える。赤と黄色い開店灯も回っている。朝の6時から15時までの営業というのもうれしいし、休みも「不定休」というのも嬉しいような怪しいような・・・。ふらりと立ち寄ったら・・お休みだった・・・というのは悔しいものね。

 店内には開店祝いのお花がたくさん並べてあって、まるで花屋さんみたいに見える。

 

 最初に入ったお店では、「かけ小」を注文するんだけれど、ちょうどいい場所に「しっぽくうどん」の写真があったもので、それを注文してしまった。380円だった。

 

 これが・・しっぽくうどんだが、見かけはなんだか田舎の手作りみたいな素朴さが目立つが。



ま・・、食べてみて驚いた。見た目とは違って味は上品でなめらかでおいしい・・・。麺も固くなく柔らかくなく・・・平麺のようなイメージ・・・。ここはくせになりそうなお店だと思った。

 午後からはホームページの更新やらメールのお返事ほかのなんだかんだ・・。早くも・・講演依頼がぽつり・ぽつり・・と。今年も忙しい年になるんやろうかね・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

お雑煮を 食べたことのない 日々ばかり

2010年01月04日 | 自然
 昨夜はまたまた・・飲みすぎてしまって・・・。

 朝食が終わって・・、ふと、気がつけば・・・もう、誰もいなくなってしまっていた。午前中はブログの更新ほか。画像の整理や登録はすませていたのだが、飲みすぎてしまって本文を書く元気が残っていなかった。だから・・朝の間に・・・片づけねば・・・と。

 それだし・・年賀状だ。母のさっちゃんも、けいこばぁも「喪中だから・・」と言うていたのに、やはり・・年賀状が届くと「年賀状を買ってきてほしい。」と言いだして。それだから・・最初から書いておけばいいものを・・・。

 寒中見舞いを出すくらいならば・・・最初から年賀状にしておけばいいように思うのだけれど、微妙な違いがあるものだろうか・・。

 

 近くのコンビニに行くと・・、「もう年賀状はありません」とのこと。面倒だけれど郵便局(JPって言うんやろうか・・)の窓口まで行って・・・。

 お昼前から、けいこばぁの同僚らがやってきて新年会をやると聞いていたのだが、今回は二人だけになってしまったとのこと。ま、簡単な昼食会になってしまった。

 

 さすがに正月の四日にもなると、飲む元気も食べる余裕も空きスペースもない。母のさっちゃんも、弟のよっくんも途中退席してしまい、私も話題の中に入れないもので戦線離脱・・・。

 午後からは・・年賀状の印刷を60枚ほど・・・。結局例年通りの150枚の年賀状になった。

 若いころには初詣だ、新年会だ、同窓会だ、クラス会だのというにぎやかなこともあったけれど、今はその元気すらないし、そういう会への案内も来なくなって久しい。

 

 第一、道路が渋滞するし、どこにいっても混みあうばかりだし、行列までして神頼みやらお寺詣でをしたくもない。出不精になってしまったものだと思う・・。また、暖かくなったら・・・「ご近所のお寺シリーズ」でもやって、お寺詣りでもすることにしようと思う・・・。

 

 それだし・・、会社に入ってからは・・年末年始勤務というものがあって、電話の故障修理の当番というものが組まれて、若いうちには一月の1・2.3・・・あたりに勤務させられた・・。電話の故障をなおすために出勤するようになって、すっかりと正月にお休みする・・ということが少なかったせいもある。

 だから・・神戸時代の数年間は・・・年末年始を通して帰郷することもなかったせいもあって、クラス会や同窓会や成人式にも出たことがない。そういうこともあって、お正月を楽しむ・・・という習慣がなくなってしまったのかも知れない。

 

 島の家ができてからは・・二日の日が「ももてまつり」ということで、これまた・・年末から島に帰り、三日に戻れば、もう、四日から勤務と言うことになって、これまた・・・お正月というものを楽しむ余裕もなくなった。

 その間の20年ほどには自宅にいたこともあって、年末は正月の準備。松飾りや餅つきなんぞをやって、新年の三日か四日の間の1日には出勤して故障修理に出たもので、その年・その年のやることが違ったこともあるし。

 ま・・、多くの人たちの間にも・・これというお正月の楽しみというものが大きく変化をしたように思う・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

新春に 鋭く矢羽根は 鬼を撃つ

2010年01月03日 | 民俗
 前日もまた・・・自治会長さんと11時過ぎまで話し込んでいたので、朝の間はゆっくりと寝るつもりでいたのに、七時半過ぎにけいこばぁからの電話で起こされた・・・。

 「今日は早くに戻って来てよ~。お客さんがお待ちかねなんやから・・」

 一度、起こされたらもう寝られない・・・。お布団を片づけてお掃除をして、「今日こそは帰らねば・・・」みたいなことやね・・。

 

 この日はお隣の「立石:たていし」という集落での「ももてまつり」に行こうと誘われている・・・。気分的にはどうでもいいのだけれど、自治会長さん同士の約束があるみたいで・・・。

 午前中は散歩をしたり、部屋の片づけをしたり、食材を片づけたり、生ゴミの片づけをして・・・。お昼前から立石八幡神社に向かった・・・。島にはいくつもの神社があるが、「はちまんさん」というのは、ここの立石八幡神社しかない。

 ここも・・・廻船問屋だった「尾上吉五郎」さんが大旦那となって寄進を続けてきた神社で、古くは天霧城から落ちのびてきた香川氏が建てた神社だとか。由緒あるお宮さんらしい。

 

 だから・・由緒あるようなお作法で「ももてまつり」が行われる。ここは・・きちんと袴姿に裃をつけている。この三人が「三将弓」というらしい。奥から「はやのはや」「中」「とやのとや」というらしい。

 一連の神事があって弓を打つが、まずは「三将弓」から・・・。

 

 まずは・・この大的から・・。ま、準備運動みたいなものだろうか・・。でも、最初はこの大的を外して山の中へ飛び込む矢が続出する。やがてには的に当たるようにはなるんだけれど。

 的に当たればごほうびが出るらしい・・。

 

 で、これが「笹」というもので、ここに賞金が飾られる。一等が2500円、二等が2000円・・・みたいに六等まである。

 とやのとやを務めた若い衆の多度津水産高校ほかで弓道をやっていた川上くんが一等から三等を独占・・・。賞金6000円と清酒3本を射止めた。さすがやね・・。

 私は四等で1000円と参加賞・・・。ま、ゲストやからね・・。

 

 で・・13時からはじめて・・、14時半には行事も終わってお片づけ。ここは厄除とかはないらしい。とにかく・・・一等から六等までが決まればそれでおしまいみたい・・。同じ島なのに、それぞれのやり方があるみたい・・。

 で・・・心配してくれた横瀬さんの好意で・・・よこせ丸で丸亀港まで送ってくれて・・・。時間的には16時40分過ぎでないと船がないので、一刻も早く帰りたいと言う思いを叶えてくれて・・・。15時過ぎに江の浦港を出港・・。

 

 多少の風と波とがあったけれど、それを突き切って・・・20分ほどで丸亀港に着き、15時半・・・。一気に走って・・・17時前には自宅に到着・・。やれやれだわ・・。

 あとはお荷物を片づけたり、着替えたり・・データを整理したりして夕食には間に合って・・・。

 

 あとは食べたり、飲んだり、お話したりといつものパターン・・。

 

 どうにか・・皆さんともお会いできてやれやれ・・・。皆さんは、明日の朝にはもうお帰りになるというので短い時間だけれど、それなりに楽しんでいただけたのやろうか・・・。

 

 ということで、お正月の予定行事はこれでおしまい・・。なんだかんだとあったけれど、ひとまずこれでしめくくり。また・・・362日の日々の暮らしが始まるわけやね・・。

 でも・・早くも娘家族は今週末からの「三連休」を楽しみにしているみたい・・。

 私は・・たってき・・七日の日の県立病院の定期予約診察が難関・・・。ここんところずっと飲んでばかりだだからね・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

宮深く 百々神事の 弦の音

2010年01月02日 | 民俗
 正月二日はさぬき広島で目覚めた。朝のうちは穏やかそうに思えた。風も強くなく、寒さもそんなでもなかった。

 大みそかに遅くまで起きていたためか・・この日は七時過ぎに眼が覚めた。それから置きだして部屋を片づけ、簡単な朝食を食べた。ゴミを片づけ、いちおう、部屋の片づけをした。いつでも帰れる準備だけはした。この日に帰れたら帰るつもりにして・・。

 

 で、九時前に広島神社に向かった。「百々手:ももて」祭りの準備のためだ。連日の強風で落ち葉が散乱しているし、まつりの設営もしなくてはならない。柱を並べたり紅白の幕を張ったり、ゴザを敷いたりと少ない人数でやらなくてはいけない。

 今年の立ち人は四人になった。喪中の人は神社に入ってはいけないとかの「ブク」の禁忌があるためとか、ま、いろんな事情があるらしい・・。それはそれで仕方のなことだ。それだし、この集落の人口も大きく減ったし、お盆と違って帰省客も少ないらしい。

 

 まつりの準備が整うと、立ち人は竹で作った捨て矢一本ずつを持って、集落内の小さなお宮さんにお参りする。裏恵比寿宮・浜恵比寿宮・牛頭天王宮・貴船神社・天神宮などを回って集落内にまつりが開かれることを触れて回る。

 神社にもどると金刀比羅神社だの荒神社などの小宮にもおまいりする。それからまつりが始まって行く。宮総代さんは「ご祈祷」というのだが、私はこの言葉が苦手なもので「まつり」ということにしている。

 

 弓道では一回に二本の矢を持つ。これには「甲矢:はや」と「乙矢:とや」という羽根の向きが違うものを使う。だから、「はや」「とや」の順で打つことからか、一番最初の立ち人を「はやのはや」という。これも名手が受け持ち、最後の人を「とやのとや」という。この人も名手が受け持つ。その間にまぁまぁの人が並ぶ。

 で、「はやのはや」が祝詞を読み上げる。

 「射ちたてまつる・・ももてご祈祷・・・」

 続いて「三度弓」ということで、一人が二本ずつ、「悪魔降伏・悪鬼退散!」と唱えながら・・三回打つ。一人が六本、四人で24本の矢が放たれるということだ。これで・・・射場お祓いするような意味だろうか・・・。

 それが終わると休憩してお神酒をいただく・・。

 その後・・・広島周辺の神社の名前を読み上げながら矢を放って行く。

 

 「天照皇大神宮・・・」「帝都靖国神社・・・」「広島神社・・・」「羽節大明神・・・」などと・・・二十幾つかの神社の名をあげて矢を打ちこむ。的に当たれば賞品が出る・・。間に休憩が入ったり、お神酒が回されてくるとほろ酔い気分になる。風は強く吹くのだけれど・・・手元には炭火の入った火鉢や手あぶりが用意されているし、熱気がこもって来るとあたたかくなってくる。

 

 これも商品の一つ・・・。ティッシュボックスとかお菓子とかが多くなった。集落の人口が少なくなればお参りの人も少なくなるし、賞品の数も少なくなる。それもまた歴史のひだの一つなおかもしれない。そうした波を繰り返して人は生きてきたのだろうと思う。

 

 それが一段落すると・・お昼の休憩になる。世話役さんが昼食を準備してくれてお神酒やビールもふるまわれる。こうなると・・帰れなくなってしまう。けいこばぁからは「早く帰って来て。お客さんがお待ちなんだから・・」と言われているが・・・それどころやない・・。

 神社の中央に焚き火があって、古い枝なんぞを燃やしている周囲で暖をとりながら・・・情報交換やら世間話をしながら昼食を楽しむ・・・。

 一時からは・・・それぞれのお願いを読み上げる。お包み袋に「家内安全」とか「健康長寿」とか書いてあるので、それと名前を読み上げながら矢を放つ。

 「だれそれさんの・・・かないあんぜんを・・・いのる!」パシッ!・・・。みたいな感じで・・。今年は「やくよけをいのる・・」というのはなかったような。

 

 これも・・・二十数人の名前が読み上げられたような気がする・・。「百々手」というのは・・「たくさんの・・・」みたいなことかなぁと思うけれど、とにかく・・・何本の矢を打ったのかは記憶にない・・・。

 前にも書いたけれど、的は28メートル先にある28センチの丸い的だが、見た目には50mも先にあるかのように思うほど小さい。熟練者は百発百中なんだろうけれど、素人には狙って当たるものではない。たまたま・・当たる程度のもの。

 

 今年のももて祭りもなんとか無事に終わって・・・。その後はみんなで後片付け。幕を片付け、ゴザを片付け・・・。元の神社のあったように片付けしまって、平成22年のももてはおしまい・・。やれやれだ・・。

 

 これが・・・今年の賞品・・。案外と的中が少なかったみたい。早めにお風呂に入って冷え切った身体を温めて・・・しばしの休息・・・。

 その夜は自治会長さんとの懇談会。あの・・「青き島よりGO!」の中に出てきた・・「平井雅子さん」の詩碑を港前に作ろう・・・という大きな目標を設定したり、咸臨丸渡米150周年をどう記念するか・・・みたいなことで。初夢に終わることのないようにできたらいいね・・。

じゃぁ、また。

正月の 独楽が止まって 酒が尽き 

2010年01月01日 | 歴史
 むかしの元日は登校日になっていて、紅白歌合戦を聞いていて、眠たい思いの中、寒さをものともせずに登校したものだった。年代にもよるが、まだ、テレビのある家は少なく、ほとんどがラジオで歌合戦を聞いていて、「赤が勝ったんぞ」とか「白が負けたなぁ」と話をするのが挨拶のようになっていた。

 小学校の講堂で年賀式が行われた。紋付羽織に袴姿の町の有志や、背広姿にきちんとネクタイを結んだ多くの人々が出席して、生徒たちとともに新しい年を寿ぐ。
 だが、来賓の人たちの面白くもおかしくもない話を、窓の隙間から吹き込んでくる寒風や床下からの冷気が吹きあがって来る中で、ながながと聞かされるのには閉口した。

 式の最後は全員声高らかに「元日の歌」を歌った。

  ♪ 年の初めの ためしとて
     終わり無き世の めでたさを
    松竹立てて 門ごとに
     祝う今日こそ 楽しけれ ♪

 文語体の歌を、ところどころ面白く替え唄にして遊ぶもので、それが思い出されて笑い声を噛み殺すのに苦労しながら歌った。

  ♪ 年の初めの ためしとて
     終わり無き世の めでたさを
    松竹ひっくり返して大騒ぎ
     あとの始末を 誰がする ♪

 あのころはオルガンの伴奏で、オルガンを弾く女の先生は引きずるような袴をはいていた。そして、式の帰りに紙袋に入った紅白のおまんじゅうとかお餅がもらえた。これをもらいに寒いのを我慢して登校したのかもしれない。

                 

 元日の朝は・・とにかく早く起こされた。そのころ、我が家には水道がなくて、台所の水がめから氷を割って顔を洗うか、近くを流れる小川の水で顔を洗ったし、歯を磨いた。そして・・家族全員が「飯台」という四角な座卓に座る。母がお雑煮をついでくれて、一同が整列すると、祖母が「おめでとう」と挨拶をするとみんなはお雑煮にお箸をつけられた。父はお神酒だかおとそだかとおちょこでお酒を飲んでいた。

 その時に、祖母や母からお年玉をもらった。そして、兄弟三人はそろって登校準備をして学校に向かうのだった・・。
 
                

 式から帰ってくると、あとはこどもの世界だった。「番屋こたつ」という丸い土でできた器に炭火を入れておわんのようなふたをしたこたつを入れた布団にもぐりこんで漫画本を読んだり、少年雑誌を読みふけったりしたものだった。とにかく、元日にはどこにも出かけてはいけないと言われて、こたつの中で遊ぶくらいなものだった。そのころにはテレビなどないし、ラジオも子供用の番組はほとんどなくて、自分で空き箱の中に入って、テレビごっこやラジオごっこをするのも楽しかった。

 独楽回しや凧上げは冬の間ならばいつだってやったし、そんな遊びしかなかったから、特にお正月の遊びと言うものではなかった。少年雑誌の付録のすごろくや福笑いなんかは12月中にやってしまって飽きてしまっていた。雑誌はいつも情報が先取りされてやってきたものだった。

 コマまわしはもっぱら男の子が幅をきかせていて、秋から冬にかけてはまずそれで遊べた。コマはあのころの私たちにとって、きわめて大切な持ち物だった。鉄の輪がはまったコマが多かった。それをヤスリやコンクリートで心棒を削り、ふらつかずにまわる座りの見事さなどを競い合った。心棒をあまり鋭く磨いているものだから、こけたりけんかをしたりすれば、その心棒が身体に刺さって痛かったりした。

 それと「じゃんけん」というメンコだった。メンコの片隅に「グー・チョキ・パー」というマークがついていたから「じゃんけん」と言ったのかも知れない。それに「おいっこ」という「ビー玉」遊びも子供の必需品だった。


新しき 年の初めの ご挨拶

2010年01月01日 | 日常
           あけましておめでとうございます。 
     

 私こと・・、昨年三月でNTTを退職。43年間・・愛と誠を守り、「通信」と言う二文字に命をかけて守り続けてきたところですが、そのお仕事にも卒業させていただきました。長い間、お世話になりました。

 その後・・、旧宅周辺の草刈りや雑草退治に打ち込んだり、妙好人庄松同行の研究、法衣や袈裟の研究、英国士官レキに関する研究など、好きな勉強に没頭しました。塩飽本島の城石残石の研修やら牛島の歴史探訪、高見島や佐柳島にも旅して、島の民俗や歴史にも触れました・・。

 さぬき広島では・・咸臨丸渡米150周年記念行事のプレイベントで作成した、「咸臨丸乗組員水夫のお墓探訪マップ」を作成して、ふれあい祭りで展示し、島のコミュニティセンターに掲示されています。それが、今年の「渡米150周年記念行事で横須賀市にも展示予定です。

 昨年の四月には啓子の父の寅衛さんが、九月には母の妹の和子さんが西国に向けて旅立ちました・・・。長年のご指導ご鞭撻に感謝です。そういうことで、賀状の届かなかった方にはごめんなさいです。

 啓子ばぁもめげずに、元気で介護のお仕事に頑張っています。さっちゃんもなんとか頑張っています。

 そんな私たちですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

               平成22年元旦

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