ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

屁理屈を言わないで!

2011-11-03 00:27:30 | 日々の出来事
昨日はかなりへこんだ。そんな言葉を言われたことは無かったかもしれない。
大抵のことには言い返すことなどしたことがない。
昨日は、黙っちゃダメだと思った。まだまくしたてている彼女に
今、なんて言いました? 屁理屈ってどういうことですか?と聞いた。
私には屁理屈に聞こえるわ、と答えていたように思う。
・・・・
私は、単純な提案をしただけでそのことに固執していた訳ではなかったから
彼女の最初から感情的な物言いに、あっけに取られていた、かもしれない。
でも、本当にご意見は無いの?という司会者の言葉に背中を押されて
こんなことも考えられるけれど・・という位の提案をしただけだったのに
件のコトバ!
この人この言葉の使い方分かっているのかなぁと最初に思った。
私がショックを受けるような意味じゃなかったりしてって次に思った。
この頃、自分の思い違いが多いんじゃないかと心配でもあったり
かなり我儘な自分がいるような不安感があったり・・・自信がない。

帰路についてすぐに検索してしまった。
トップにあったはてなキーワード:
論理的だとは第三者には思われないような論理によって構成されている理屈。
理屈のための理屈。
当人は一見正道の理論に基づく意見を言っているように思っているが、実際には破綻部分が多く、大多数の人間には賛同されないような理屈(論理)である場合が多い。
目上若しくは同等の人間が、出された意見(特に挑戦的なもの)に対して適切な反対意見を出せない時に、却下するのに使用される事がある。「屁理屈」のレッテルを貼られた理屈が実際に破綻を来しているかはかように怪しいものであるから、思考停止の口実として「屁理屈」というレッテルを持ち出すことは厳に慎みたいものである。
こんなのもありました:「自分を正当化させるための、意地の悪い言い訳」

自分に都合のいいように解釈すれば、私は屁理屈なんか言っていなかったと思う。
同じ場にいた他の人はやっぱり屁理屈ととったのだろうか。誰かに聞いてみたい気もした。
こんな言われ方ってあると思う?って手当たり次第友達の顔を浮かべながら、聞いてみたくなった。
でもやめた、その時は。(・・・情けないけれど結局、日付が変わる頃に娘とのチャットで少しこぼしていた) 

言った相手に怒りは無かったけれど、がっかりしていた。そう、がっかりした。そういう人なんだとレッテルを貼って、以降そういう風に見てしまいそうな気がしていた、それも違うかな?と思いつつ。

夜、電話がかかってきた。
S「あの後、すごく気持ちが重くなっちゃった。まとめ役はできないと思った。貴女の真意を組むことができなくて、どういうことだったのかYさんに聞いたの。そうしたら~~。貴女の気持ちになって考えることは全然なかった。皆にいい子になろうとして、結局中途半端になって何やっているんだろうと思った。こんなミーティングは止めた方がいいかな?云々云々」とずっと彼女は話していた。少なくとも初めの15分間位は、一言も口を挟む余地は無いほどに。
私「まとめ役もおりなくていいし、提案を取り下げたのも私は納得しているのだからそんなことは気にしなくてもいいし、悪いと思わなくてもいい」と言い、ミーティングについても「少人数でもかなり個性的なメンツで、連絡ノートがきちんと機能しているかというとはなはだ疑わしい現実からすると月に一回のミーティングで表情や口調もみながら確認し合うことは大切な機会だから止めない方がいい。もしもその月に全く議題がないということがあったら、間隔をあければいい」と言った。

彼女が落ち着いて、いつものように会話になってきた時に、「実は今まで話してきたことは私にとってはこうでなければいけないということではないので気にしなくていいけれど、これから話すことはSさんの気持ちを軽くするか、さらに重くするか分からないけれど、私はあの時に《屁理屈を言わないで!》と言われたことが今日、一番嫌な気持ちになった。だから珍しく言い返したのは覚えている?」
S「あれはわたしにとっては屁理屈だった。だって私はやるかやらないかシンプルだけれど、貴女は言葉で説明しようとする。例えば美しいものを見て私なら《美しい》だけだけれど、きっと貴女なら繊細だから(こういう時にそういう?)その前に形容詞をつけるでしょう。そういう違いがあると思う。私は短気だから結論を早く出したいし、気が短くてもう早く結論を出したかっただけといい、全然気付かなかったので言ってくれて良かった~~」って。

もっと吠えても通じないかな。私がどれだけ傷ついたかって(イエ、そんなに傷は深くなかったかも、ですが)言葉の使い方はそれぞれの解釈があったりして、受け取る側がそういう使い方で傷つくと思ったら、それは人に向けないわねぇ。 彼女はそういう気づきはしていないだろうな、と思った。やっぱりこちらが用心深くなってしまうかも。

今朝、司会をしていたYさんが冷静な目で見ていたことを話してくれた。娘とメル友もこのブログ読んで心配してくれる友達もいる。それだけで、もういい。


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