ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

老々介護・・ではない!

2015-04-30 20:16:20 | 日々の出来事
ご近所の春


母は9?歳、認知症ではない。近所の一回り15分、万歩計で1300歩~1500歩ぐらいは一人で散歩に行ける。日常のルーティンはできる。去年の終わりから緑内障が進んで右目が霞み始めてから、趣味の読書ができなくなり(医師は読んでいいというがその気にならない)そのことに拘って、色々なことに前向きではなくなった。

母ができること
・薬の管理自分でできる
・食事は量は減るが自分で賄える
 調理済みのもの(生協などで)を利用することが多い
・お風呂も一人で入れる
・衣類の着脱、選択できる
 ちょっとの散歩でも着替えるし
 食事に行くとなったらちゃんとする
 私がいる時に洗い物だけは自分の仕事としている
・洗濯ものOK
・毎日雨戸の開け閉めをする
・庭木の水やりする
・お財布の中の出し入れはできる

母がしないこと できないこと
・買い物はしない 週末に妹に頼む 
 生協で頼む―この頃は妹か私が代わって注文することが多い
・掃除は週一回、昔から来てくれる人に頼む
・通院―去年の後半から、聞こえも悪くなっているので
 先生の説明をちゃんと受け止めていないので付き添う
・銀行には行かない
・行きたいところがない
 欲しいものがない
・私が月半分ぐらい一緒にいる時には全く台所に立たない。

毎日繰り返して言うこと
・早く逝きたい
・長く生きすぎた 
 生きている価値がない 意味がない
・お迎えに来てほしい
・目が霞む 目が見えない

段々、聞いているだけしかできない私も疲れてきているのを感じ始めている。
聞き流せない性質なので、つい口を出して嫌がられている。
妹は聞きたくないと母に宣言して、母も妹にはスルーされていると分かっている。
聴いてくれるのはあなただと言われていたけれど、
ここ数日はかなり険悪な空気も多くなった。
聴いていないなぁと思っている。

母は色々と分かっているし出来ることも多いけれど、老いと向き合い、できないことが増えたり、回復するのに時間がかかったり治らないことも多くなっていくことが認められなくて「生きるって本当に大変だなぁ」とつくづく思う。
好きな読書ができない、テレビを見ても目が疲れる、出かける気力もない、目の鬱陶しさは本人にしかわからない辛さだと思うし可哀そうだなと思うのだけど、母とどう向き合ったらいいのだろう。

悔いないように、できる親孝行はしたい、が。ふぅ~~


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