東海道は、尾張国から、伊勢国へ入ると、四十二番宿桑名です。
桑名宿から3里8丁で、四日市宿に着きます。
現在は、国道1号が、並行して走っています。
旧東海道は、わずかに面影を伝えながら、市内に残っております。
日永神社から、数里行くと、日永の追分です。
今は、国道1号と国道23号(伊勢街道)の分岐路になって、旧道は、少し離れておりますが。
ひだりいせ、みぎけふの道しるべが立っています。
昔の旅人が、喉を潤したり、手を清めて伊勢神宮を揺拝した涌き出の水。
今も、こんこんとわき出して、市民に憩いを与えています。
四日市宿の次は、石薬師宿ですが、この日永追分は、ちょうど中間にあり、旅人の、間の宿と
して利用され、当時は、多くの旅籠、茶屋が並んだと言うことです。
私の小学校のころは、遠足というと、こんな道を歩いたものです
今考えると、よく歩いたものだと思うのですが。。
いいえ、バイクで回って来ました。
片道5kmです。三重団地からですと、もう、プラス2kmです。
mcnjの足では、とても無理です。
今日は、内部まで行って来ました。
その先の、杖突峠まで行こうと思ったのですが、
道が分らなくなって、止めにしました。
うらやましいですねぇ。追分。そして
道しるべはひだりいせ、みぎけふ。
何とも良い響きです。
そして、今でも街道筋の名残を留める
風景を拾い出すかのように撮影して
回るのも楽しいでしょうねぇ。
50年前、初めて越して来た時も、有りました。
その頃とは、そう、変わっていない様にも思えますが、松の木は、少なくなった様な気がします。
やはり、今、有るがままの姿を、何らかの形で、残しておくのも、必要だと思いました。
地理佐渡さんの、佐渡の風景も、いつも楽しませて戴いております。
朱鷺は、今日も、元気だろうかなどと思いながら。
まで歩きました。
梅雨時と夏は歩けないので、4年の歳月がかかり
ました。
延日数にして28日間でした。
桑名もこの四日市の宿場も通りました。
桑名の焼きハマグリはお店が閉まっていて食べる
ことができませんでした。
懐かしく拝見しました。
ありがとうございました。
そうですか、この辺をお歩きにられたのですね。
五十三次を28日間と言う事は、一日、約2宿こなされた訳ですね。
さすが、健脚者の旅ですね。
もっとも、江戸時代の旅人は、28泊も出来なかったでしょうから、時間を掛けて、もっと歩いた事でしょうね。
この辺は、七里の渡しを利用しないと、熱田から、桑名まで、大きな河の連続ですから大変だったでしょうね。
石薬師、亀山、関、坂下と続く、鈴鹿越えも、箱根と並ぶ難所でした。