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東海道五十三次 四十三番宿 四日市

2012-12-20 06:49:24 | 写真

東海道は、尾張国から、伊勢国へ入ると、四十二番宿桑名です。

桑名宿から3里8丁で、四日市宿に着きます。

現在は、国道1号が、並行して走っています。

旧東海道は、わずかに面影を伝えながら、市内に残っております。

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沿道には、沢山の神社仏閣があります。

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日永神社から、数里行くと、日永の追分です。

今は、国道1号と国道23号(伊勢街道)の分岐路になって、旧道は、少し離れておりますが。

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手前が伊勢街道(参宮街道)、向こう側が、国道1号です。

ひだりいせ、みぎけふの道しるべが立っています。

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昔の旅人が、喉を潤したり、手を清めて伊勢神宮を揺拝した涌き出の水。

今も、こんこんとわき出して、市民に憩いを与えています。

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四日市宿の次は、石薬師宿ですが、この日永追分は、ちょうど中間にあり、旅人の、間の宿と

して利用され、当時は、多くの旅籠、茶屋が並んだと言うことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歩いてこられたのですか (のんき)
2012-12-20 14:59:08
歩いてこられたのですか
私の小学校のころは、遠足というと、こんな道を歩いたものです
今考えると、よく歩いたものだと思うのですが。。
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のんきさん、こんにちは。 (mcnj)
2012-12-20 17:21:41
のんきさん、こんにちは。
いいえ、バイクで回って来ました。
片道5kmです。三重団地からですと、もう、プラス2kmです。
mcnjの足では、とても無理です。
今日は、内部まで行って来ました。
その先の、杖突峠まで行こうと思ったのですが、
道が分らなくなって、止めにしました。
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こんばんは。 (地理佐渡..)
2012-12-20 20:11:01
こんばんは。

うらやましいですねぇ。追分。そして
道しるべはひだりいせ、みぎけふ。
何とも良い響きです。

そして、今でも街道筋の名残を留める
風景を拾い出すかのように撮影して
回るのも楽しいでしょうねぇ。

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地理佐渡さん、こんばんは。 (mcnj)
2012-12-20 23:05:47
地理佐渡さん、こんばんは。
50年前、初めて越して来た時も、有りました。
その頃とは、そう、変わっていない様にも思えますが、松の木は、少なくなった様な気がします。
やはり、今、有るがままの姿を、何らかの形で、残しておくのも、必要だと思いました。

地理佐渡さんの、佐渡の風景も、いつも楽しませて戴いております。
朱鷺は、今日も、元気だろうかなどと思いながら。
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東海道は10数年前に日本橋から京都の三条大 (山小屋)
2012-12-21 07:09:04
東海道は10数年前に日本橋から京都の三条大
まで歩きました。
梅雨時と夏は歩けないので、4年の歳月がかかり
ました。
延日数にして28日間でした。

桑名もこの四日市の宿場も通りました。
桑名の焼きハマグリはお店が閉まっていて食べる
ことができませんでした。
懐かしく拝見しました。
ありがとうございました。
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山小屋さん、おはようございます。 (mcnj)
2012-12-21 08:25:23
山小屋さん、おはようございます。
そうですか、この辺をお歩きにられたのですね。
五十三次を28日間と言う事は、一日、約2宿こなされた訳ですね。
さすが、健脚者の旅ですね。
もっとも、江戸時代の旅人は、28泊も出来なかったでしょうから、時間を掛けて、もっと歩いた事でしょうね。
この辺は、七里の渡しを利用しないと、熱田から、桑名まで、大きな河の連続ですから大変だったでしょうね。
石薬師、亀山、関、坂下と続く、鈴鹿越えも、箱根と並ぶ難所でした。
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