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南東北の旅 7 白虎隊と鶴ケ城

2008-05-02 08:48:23 | 写真
会津若松の飯盛山は白虎隊自害の地です。
戊辰戦争の折、鶴ケ城に立てこもった松平容保は官軍を向かえ撃ちます。
15,16歳の少年(今の中学三年生、高校一年生)で編成された白虎隊343名は、磐梯山方面の応援に派遣されますが、戦い利あらず、山伝いに敗走を余儀なくされます。
城に戻って、味方と共に戦おうとしますが、飯盛山までたどり着いた20名の若者達は、はるか彼方に煙に包まれた鶴ケ城を見て自害して果てます。実際は、市内の民家の炎上を見間違えたのですが。
容保は、更に、一ヶ月篭城の末、もはやこれまでと降伏するのですが、少年達が帰城していれば、死ななくても住んだと思うと、哀れでなりません。
敗走の途中、山中に主人を出迎えた愛犬と、主人の像も、見る人の涙を誘っていました。
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会津武家屋敷。
会津藩代々家老、西郷家の復元屋敷。
幕末の家老、西郷頼母は、容保に京都守護職辞退を進言しますが入れられず、朝廷への恭順論も退けられ、後、数奇な運命をたどります。
西郷一族、2,3歳の子女を含む21名は、戦争の足手まといにならないために、自害して果てたそうです。
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最後は鶴ケ城です。
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