源氏の物語には伝本を考えなければならない。印刷技術においてその発達を遂げるまでは、媒体が紙であり、いわゆる活字が作られるまでにどのように人々は物語を読んだろうか、それは本を読むという行為が源氏の物語にどのように実現をしていたかを考えることになる。紙の普及と墨書による物語の記録は、それはものを書いて伝えるという、そのことを1000有余年の前にさかのぼってみなくてはならない。そしてそれは書き写すという作業によって伝えられるであろうことは、源氏の物語を伝本として現在まで存在していることになる、その本の一つ一つで証明される。だれが、いつ、どこで、どのように書き写したか、ということである。よく言われるように、巻物であったのは巻子本という形態をとらえていくと、東洋で紙が製作される紀元前には、竹簡、木簡である竹片、木片に書かれた記録用、伝達用のものがって、紐で編まれて巻かれていたので、紙媒体に変わって巻物状をしていたからである。源氏の物語にはいまその様子を見せる形状のものは、絵巻物としてその姿を持っているが、それも現在では保存と鑑賞の便のために切り離されている。物語の伝本は冊子となり、書誌学の分類でとらえられることになる。 . . . 本文を読む
文字史を考える。文字に歴史があるとするなら、文字の発生と使用の変遷、そしてその文字の衰滅また廃棄のことである。漢字には歴史があるとすると、いまは中国で一部の用字で簡体字の時代になっている。日本で常用漢字の時代であるし、簡略化を遂げた通行新字体の日常使用に、そのもととしての繁体となる旧漢字などを含めての併用である。仮名文字に歴史があるなら、その発生と変体仮名、また異体を用いた、長い時代を経ての仮名の一字一音を対応させた使用を原則とした現代がある。発生と変遷に歴史的な活気を求める出来事があるか。それは文字改革として位置づけられることがらになるが、発音と文字のことがらは中国と日本でそれぞれの歴史をたどっているし、文字改革のような言語計画に当たることは歴史上に多くはない。文字は書き手のその使用の意識に支えられているので、その地域、その民族にある言葉とともに、文字を持ち歴史を持つとしたなら、人々の慣用がどのように、発音とともに、かわってくるかが、歴史の事項となるかならないか、というようなことである。文字を言語に捉えてその発明、創意工夫は容易ではないが、民族によってそれが時として稀有な出来事として表れている。文字の研究で女真文字を解読した日本の言語学者がいる。また発音表記を文字として工夫する、あるいは創造するということがある。 . . . 本文を読む
ザッツ、日本!ザッツ、紅白!、とは、年の瀬の恒例行事である紅白歌合戦のテーマである。このザッツとは何なんだ、と思ってしまった。それをサイトによって、これぞ、日本!これぞ紅白、とあって、ザッツなステージを届けるという。そうなのかと思うがまた、ザッツが雑に、ざつにならなければいいがと、オヤジギャクを言いたくなる。ザッツはホンダ車の名前にあった。トールボディの軽ワゴンである。ホンダの車名は、ザッツを、英語That isの短縮形、「あれだっ」と思わず言ってしまうような、親しみの持てる存在のクルマになれば、ということから、と説明がある。これは、ザッツ、なじみやすい。紅白のテーマにザッツ、ザッツと繰り返すには、これだ、これだ、そう思わせる何かがいる。辞書を検索するとこの語が登録されているので、見てみると、ドイツ語のザッツ、ドイツSatz
⇒サッツ とあって、もう一つの項目に、ザッツ(that's)他の外来語の上に付いて、それこそ…である、と強調する意を表すとなっている。ザッツライト、ザッツ―オールに用いるザッツである。 . . . 本文を読む