独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

ハワイアン ライブ ♪ と お食事会 

2008年10月31日 09時57分32秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

 

                
                      ワイキキ エコーズ (お一方ご免なさい)

     
              ウクレレ演奏と熱唱する  わが 歌 姫
        
                    プ ロ グ ラ ム 


私たち歴史倶楽部の マドンナ ウクレレ ・ ヴォカル 木原 孝子さん の美しい歌声と  ワイキキ エコーズ の素敵な演奏に酔いしれながら、お仲間の皆様と美味しい 
 
頂き、楽しい夕べのひとときを過ごしました。 
フラダンス  の友情出演の皆様にも華を添えていただきました。 
わが歌 姫は、美空ひばりさんの 「津軽のふるさと ・ りんご追分 他」 を熱唱され、お仲間の皆さんともども満員のお客様から大きな  が贈られました。
 
                           友情出演のフラダンス  の皆様 

        
           歌姫を囲んでライブを楽しまれた歴史倶楽部の皆様
          

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千葉県戦没者追悼式

2008年10月29日 23時13分01秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

           
                平成20年10月29日(水) 於 千葉県文化会館

この度、戦争犠牲者の冥福を祈る千葉県戦没者追悼式が執り行われました。参列した遺族ら関係者は悲しい歴史を繰り返さないという決意を確認し合ました。

資料によりますが

 ●日清戦争以後の千葉県の戦没者  57,248名
        (日中戦争以後ですと約52,000名です。)
 ●一 般 戦 災 死 没 者         1,320名
    
20年度の千葉県戦没者追悼式の参列者数
 ●遺   族    約1,000名
 ●来   賓      約100名
 ●市町村職員等       約100名   合計 約1,200名
    
犠牲になられました尊い多くの御霊に心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

           式  次  第
                            午前10時30分 開  式
    1.開 式のことば    千葉県健康福祉部長
    2.国 歌 斉 唱       (一同起立)
    3.拝      礼        (一同起立)    
    4.式      辞    千 葉 県 知 事
    5.黙  と  う       (一同起立)
    6.追 悼のことば     千 葉 県 議 会 議長
                  千葉県市町村会代表
                  千葉県町村会代 表
                  遺  族  代  表
    7.献      花    千 葉 県 知 事
                  来       賓  
                  遺  族  代  表
    8.閉 式のことば     千葉県健康福祉部長

堂本暁子知事は「戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代にしっかり伝え、恒久平和の実現に努力していくことを誓います。」とお言葉を述べられました。
遺族代表は香取市在住の岩崎和子様。現在、千葉県遺族会女性部長の要職にあるお方でした。
「追悼のことば」は硫黄島で戦死されたご主人様の思い出を切々と語られました。
 敗戦間近に奥様の元に届いた 1通の書留
 何が入っていたと思われますか。
 「髪」 と 「爪」 だったそうです。
 何を意味すると思いますか。 
 武器もなく、水も食料もなく 肉弾で戦わざるを得なかった悲惨な戦い に命を捧げた悲劇と語られました。
 国策の過ち でなくて何と言うのでしょうか。 
 短歌を学ばれていらっしゃる部長さんはその時の想いを短歌に詠まれました。

     書留で送られて来し夫の爪薄き封筒にかさかさとなる
     

 そして 栗林中将から大本営に訣別の電文を打電した 昭和20年3月17日 戦死 がご主人様の命日 と語られました。 合掌
 お二人のお子さまが成長されるまでのご苦労も語られましたが、言葉に尽くせない壮絶な日々と推察されます。
 結びに 「恐ろしい戦争を二度と繰り返してはならない」と間もなく米寿を迎えられるお方とは思えない程力強いお言葉でご挨拶されました。
 女性部の益々のご繁栄と岩崎部長様のご健勝をご祈念申し上げました厳粛な追悼式に参列させていただきました。
「参照」 硫黄島の戦いについて (HPより)
硫黄島守備隊は陸軍中将・栗林忠道小笠原方面兵団長指揮のもと、海軍少将・市丸利之助第27航空戦隊司令官と陸軍少将・千田貞季混成第2旅団長は共同して見事な持久戦を
展開し、圧倒的な兵力を有する米軍上陸部隊に多大な損害を与えた。しかし、米軍上陸約一ヵ月後の3月17日、壮絶な戦闘を続けてきた。

日本軍は、栗林中将から大本営に訣別の電文を打電し、総攻撃を最後に日本軍の組織的な戦闘は終わるがその後、6月末まで日本軍による奮戦は続いた。生還者は僅か1,023名だった。
硫黄島の壮絶な戦いは、米軍28, 686名の戦死傷者と日本軍21,900名の戦死者を数え、今尚多くの人々の心に癒しきれない悲しみを刻んでいます。

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琴城流大正琴千葉雅会チャリティーコンサート

2008年10月26日 12時21分08秒 | 町内会関係

                 

 
           「小さなスナック」 ・ 「1950年代メドレー」 ・ 「天城越え」 他を演奏される  の皆様

                        
                  のメンバー (前列左側) として素晴らしい演奏をされる町内会の先輩
   
演奏会は 団塊の世代に捧ぐ 青春の時代 (とき)Ⅱ に相応しくオープニングは高校三年生 ~ セーラー服に見立てられたお衣装で出演され、会場の皆様の楽しい歌声と共に開始されました。
出演は「みやび」・「四季彩」・「ユーカリ」・「しすい」 の 4グループ、総勢33名の皆様に加えて、ドラム・キーボード奏者のお方、千葉県出身の歌手  山 大樹さん  が演奏に華を添えられ、
とても素晴らしい演奏会に、
ここに出演された皆様方は各地域で指導者としてご活躍のお方と伺いました。 のメンバーとして演奏された町内会の先輩も勿論、指導者としてご活躍です。
とても傘寿を迎えられるお方とは思えないほどに若々しく、物事に積極的に取り組むお姿は私達の範とするところです。この度の赤いブラウスのお衣装がとても可愛く特にお似合いに思いました。 


                 千葉雅会代表 伊藤 敦子先生 のご挨拶と先輩先生を囲んでお琴を楽しむ町内会の皆様
 
         晩秋の一日  で1時間余の会場まで 「ドライブの旅」 と素晴らしい 「お琴の演奏」 を拝聴する機会を頂きました。 
      この度、運転役を引き受けてくださった方々は、ご主人様とご一緒に下見をされ、安全運転にご配慮いただきましたことを伺いました。
昔から「遠くの親戚より近くの他人」と言い伝えられて参りましたが、大切な言葉と心に刻み、先輩角田様の指導者としてのご活躍をお祈り申し上げますと共に
                   隣人の皆様との絆に
感謝を申し上げました幸せなひとときを頂きました。 
   

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日本遺族通信 平成20年10月15日号の遺書と九段短歌

2008年10月23日 15時46分45秒 | 日本遺族通信

      
          平成20年10月靖国神社社頭に掲示された遺書               千鳥ヶ渕戦没者墓苑に眠る 合掌
             「お母さんの夢を見ました」
           海軍二等兵曹 池田 顕雄様 (24歳)
         昭和17年10月18日 ソロモン群島にて戦死 合掌
「池田様遺書」より
何時とどくか知れんと思ふとなんとなく淋しい様な氣がするのですが、それでゐてかうして書いて見たくなるところを見ると、思ひを馳せてゐる日本の空がこんな柄にもない感傷を起こさせるのだと自分ながらをかしい様なそれでゐてしみじみした変な氣持になります。
                 (中    略)
“俺の使命”なんて、大きな事も言へる柄でもないのですが、それでもあと僅かになって来たこの生活の終止符を最も意義深く戦ひ抜きたいと思います。
                 (中    略)
 今朝方でしたか5分位うとうとしてゐるうちに母上さまの夢を見ました。それで今日一日中うれしくてたまりませんでした。
 皆様方のご健康をはるかお祈りして筆を擱きます。
                                               池 田 顕 雄
    父上様
    皆  様 ヘ

 上記に遺書の一部を転記させていただきました。
 「あと僅かになって来たこの生活」とは?お母様の夢を見て「それで今日一日中うれしくてたまりませんでした。」とのお言葉に胸がつまります。
「遺骨収集」の件
 今年は、戦後63年を数える程になりましたが、今尚、祖国の土を踏めない多くの戦死者が外地に眠ったままになっております。
 政府主催によります収集作業は、日本遺族会関係者を初め、関係ご遺族、抑留経験者等の皆様によって継続的に実施されております。
 この度、8月25日成田空港出発、寒い地方にて最高気温は10度Cを下回り、突然の雨に見舞われるなど厳しい環境下のもと、2週間の作業に 241柱 を収集され、60余年ぶりに懐かしい
 祖国の土を踏むことが出来ました事の報道がありました。

 ごく最近DNA鑑定にてお父様のお遺骨と判明されましたお方のお話を伺い感無量でございましたが、ご遺族のもとに帰還出来ますお遺骨は皆無に等しいのです。
 お遺骨の殆どが「千鳥ヶ渕戦没者墓苑」に安置されております。 合掌

戦後63年、戦争を知らない世代の方が多くなって参りましたが、過去の悲しみを誰に訴えたらいいのでしょうか。その術がわかりません。
私達は過去の悲しみを記憶し、戦争の悲惨さと、散華された尊い犠牲を風化させることのないように語り継ぐ使命があると考えます。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたので、ご一読頂ければ幸いに存じます。

     親子三人の写真を今も胸に抱き温州沖に夫ねむりゐむ       横手市 女性
   比島にて六十余年を眠りゐる遺影の父は老いることなし       敦賀市 女性  
   旗ふりて父を送りし沿道を妹を抱く母の悲しも           大阪市 女性 
   戦死せし父の部隊の残桜会戦時の苦汁忌みて忘れじ        南相馬市 男性 
   ますらをの悲しき命謝しながら九段の宿の語らひ長し        江南市 女性 
   校庭に立てばなつかし級友は護国の神になりて久しき        篠山市 男性 
   征きませし兄の姿はそのままに仏間に仰ぐ吾高齢者        和歌山県 女性 
   沖縄の海澄み渡る南方のラバウルへ続く父逝きし地へ       名古屋市 女性
   母ひとり父なきあとの家計支へ七十一歳につひに逝きたり     名古屋市 女性
   還らざる戦死の兄の戒名を僧の読む声浄土にとどけり        京都市 男性       
   永き歳月の念ひ叶ひて沖縄の平和行進母娘で遂げし         常滑市 女性       
   三ヶ根山に高くそびえる比島観音五十万のみ霊に慈愛をそそぐ       千葉市 私

       三ヶ根山とは http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/rengo-hitou.htm

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友人の庭のお花のご紹介 

2008年10月19日 11時32分35秒 | 友人の庭のお花のご紹介

10月19日は 「千葉県美術展覧会」 前期 洋画 ・ 彫刻 ・ 工芸 の最終日 です。
大切な友人、先輩の作品を鑑賞させていただきたく伺って参ります。
その前に、大切な友人から  頂きました美しい庭のお花をご紹介させていただきます。

「 木陰を明るくする斑入り葉の「雁草 (かりがね草)」は、1cm ほどのガラス 細工のような美しい花です。
  かりがね草は 「雁金草」 と書くそうですが、雁を 「かりがね」 と読ませるところ に趣があります。
  他の野草はかってこの宮野木の野山の秋を美しく彩っていたもので、毎年庭で 美しく咲き続ける多年草です。」 とメッセージを添えていただきました。

 
           雁  草                       南天萩

               
          さくらだて                   もみじはぐま

 
            山白菊                     ふうろ草

「県展」 洋画の部に出品されておりましたご主人様の作品をご紹介させていただきます。
                    
         
                  「 静  物 」
       

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幕末を駆け抜けた 越後の 「河井継之助」 の足跡、他を訪ねる旅

2008年10月17日 00時18分41秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                  千葉実年大学校 歴史倶楽部 10月定例会
       1. 開催日  平成20年10月15日 (水)  ~ 16日 (木)  一泊二日    
    2. 旅  先  15日 (水) 
             小千谷市 「慈眼寺」、長岡市 「山本五十六公園、同記念館」、「河井継之助記念館」、「如是蔵博物館」、「阪之上小学校伝統館 (米百俵)」
            16日 (木) 魚沼市 「奥只見湖遊覧」、「西幅寺」(小出町)
    3. 参加者  48名 (男子 25名、女子 23名) 
    4. 宿泊先  新潟県魚沼市 「大湯温泉」 
    5. 昼食等  15日 昼  食 : わたや平沢店 (小千谷市) 
            16日 昼  食 : 奥只見ターミナル (奥只見湖畔)
            16日 夜弁当 : 登利平 (駒寄PA) 

  
                奥只見湖観光船乗船を前に参加者48名の皆様
 一日目 10月15日 (水)  
千葉 NTT前 7:00  スタート
夜遅くまで降り続いた雨音に眠りも浅く4時半起床の目覚まし時計を止めてもう少しと、目覚めたときの時間にもうダメ?に、何とか6時45分集合の48名の車中の一人となることが出来ました。
貴重な資料を沢山ご準備いただき、担当役員さんのユーモアを交えながらの丁寧な説明に5時間余の車中も有意義に最初の訪問先、小千谷市到着(12:20) 
ボランティアガイドさんから4年前に起きた中越地震の被害状況等を伺い、復興状況などのお話に一同大きな  を贈りました。
先ず「慈眼寺」へ。ボランティアガイドさんの説明を聞く。
長岡藩の命運を決した 「会談の間」 へ。
北越戊辰戦争を語るには欠かすことの出来ない史実、小千谷会談の行われた場所。
河井継之助の懇願は届かず、岩村精一郎はわずか30分で席を立ち、会談は決裂した。
本堂に入ると右側には、二人が対面した部屋が当時のまま残されています。
勿論、地震で崩壊 (写真を参照) したあとに復元されたものです。
本堂内には、各種資料も展示されていました。                                  

   
             慈眼寺山門                      「小千谷会談の間」
     真新しい灯籠が中越地震を物語っています            復元後の 「小千谷会談の間」 にて説明を聞く

 小千谷市を襲った地震による傷跡の写真が展示されておりましたので収めて参りました。

            崩れ落ちた伽藍                   崩壊した 「小千谷会談の間」
 

        
                            展示資料より撮影
又、ガイドさんから小千谷の特産品として重要無形文化財の小千谷縮、越後上布の原料となる苧麻 (からむし)のお話に、とても懐かしく興味深く伺いました。
2年ほど前の事ですが、ある呉服屋さんで、初めて苧麻 (からむし)に出会い、伝統工芸に魅せられたのでした。
帯の絵は新潟地方の山々が描かれております。

                        
         
昼食は 小千谷名物 「へぎそば」 を初めて頂きました。
    

そばのつなぎに 「ふのり」 を使い、打ち方も伝統の技に工夫を凝らし、しなやかで腰が強くとても美味しく独特の風味がありました。
「へぎ」 とは、幅30cm ・ 長さ50cm程の大きなセイロの様な箱、そばを一口程度に丸めたものを30個ほど並べ、3~4人で囲んで食べます。
大勢で同じ「へぎ」からそばを摘んで食べれば心も通い合うと言うことです。
名前の由来は、杉や檜などを薄く削って作った 「折ぎ板」 に入っているから「へぎそば」と呼ばれるようになったそうです。
又、茹でたそばを手を振りながら水からあげ、へぎに盛りつける特有の動作から「手振りそば」とも呼ぶそうです。

山本記念公園 
 山本五十六の生誕の地は、生家高野家が市に寄贈し、記念公園として整備されたものです。園内には生家が復元され、胸像が建っています。
 この胸像は元は全身像で、かつては霞ヶ浦の海軍航空隊にあったそうです。終戦後の1948年に進駐軍による取り壊しを恐れ、二分し密かに霞ヶ浦の湖底に沈めた。
 後に引き上げ、胸部のみを長岡の山本元帥景仰会が貰い受けてブロンズ像に鋳直したものです。
 生家の見学及び、胸像についてガイドさんのご案内を頂きました。         
       
    
           復元された山本五十六の生家                  山本五十六の胸像

山本五十六記念館
明治17年(1884)、儒学者の家系に生まれた高野五十六は、聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野をもっていた。
旧長岡藩家老・山本帯刀家を継ぎ、旧会津藩士族の娘と結婚。
文武両道、質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神に磨きがかかる一方、石油や航空に早くから注目。
リンドバーグの大西洋横断にも触発され、特に航空の重要性を力説。
太平洋戦争開戦時、その先見性を世界に実証した。開戦にはあくまでも反対だった。
「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と、わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し、郷土を愛し、慈愛の心を強く保っていたからこそである。
しかし、その意に反し連合連合艦隊司令長官として未曽有の大戦争の指揮をとった。
昭和18年(1943)ブーゲンビル島 (現在のパプア・ニューギニア) で戦死。 山本五十六 享年 59歳 合掌
激動の世紀に、しなやかかつ強い心で生きた山本五十六の人間性を、21世紀に語り伝えたいと関係者のお話でした。
館内には、家族や親友に宛てた手紙や軍服などの遺品、ブーゲンビル島で撃墜された搭乗機「海軍一式陸上攻撃機」の左翼などが展示されています。

 
           山本五十六記念館                      撃墜された搭乗機の椅子
                                    
 
      ブーゲンビル島で撃墜された当時の搭乗機                 墜落現場に残る碑
河井継之助記念館
幕末の長岡藩の、それもたかだか百二十石取りの子息が、封建の枠に囚われず、自由な発想で思うが儘に生き、そして死んだ。
その反面、道理だとか義理人情には厚く、弱きを助け、強きをくじく、真の勇者だった。
司馬遼太郎の代表作「峠」から見えてくるものは、運命の負を甘受し、最期は武士であろうとした河井継之助の姿がある。
この継之助の人間的魅力を知れば、今を生きる者も元気が貰える。
長岡藩には 「常在戦場」 の精神、 「米百俵」 の精神、 「互尊独尊」 の精神がそれぞれあった。
藩に伝わる 「牛久保の壁書」 は、牧野家が戦乱の地で培った武士の心得18条を纏めたものである。
250年間の統治によって深く長岡の地に根を下ろし 「常駐戦場」 の4文字は、かつて藩士達の一番の信条で、継之助もこの言葉を書にして肝に銘じたという。
          
                       入 館 券
  
              河井継之助記念館
                                 

            馬遼太郎 「峠」 の直筆の原稿                        河井継之助が両親に宛てた手紙                                                   

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歴史倶楽部 「長岡の旅」 続き

2008年10月16日 22時36分28秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

阪之上小学校伝統館 ・ 米百俵 (長岡市) 
小学校伝統館の玄関を入りますと 「千葉県実年大学校 ・ 歴史倶楽部」 歓迎の立て札に迎えて頂きました。
倶楽部員一同感激  早速、立て札をバックに記念 
モダンな建物は、7年前に建てられたそうですが、幸いにも地震の影響は無かったそうです。

戊辰戦争で負けた長岡藩の苦しい生活は2年間続きました。
明治3年(1870)5月、長岡藩の窮状を見かねた支藩・三根山藩 (現在の巻町)から百俵の米(当時の相場で金270両相当)が贈られました。
歴史校として 米百俵の精神 を今に伝え、様々な資料が、展示されておりました。
そのほか、長岡藩主牧野家と戊辰戦争に関する資料も展示されておりました。
米百俵の精神 は小泉元首相が演説に挿入されましたことで、改めて知る事となりました。
小泉元首相の写真や記事が掲げられており、皆さんも当時を懐かしく語り合っておりました。                            
                                 




一日目の楽しく充実した見学の旅も無事に終了して  は宿泊先 大湯温泉 ・ 湯元 へ到着。
日帰り旅行では味わえない夕食の郷土料理に舌鼓を打ち、越後の地酒「八海山」に程良く酔いしれ、二次会のに旅の疲れを癒し、会員相互の絆を深め合いました。
二日目 10月16日 (木)  
大湯温泉 ・ 湯元 → 銀山平定期船乗り場へ 
奥只見湖
湖に通ずるシルバーラインは、全長22kmの内18kmの区間を19ものトンネルで構成されて、昭和36年に完成した日本一の貯水量を誇る人造湖。
江戸時代に銀鉱があったことから「銀山湖」とも呼ばれています。奥只見ダムの高さは157mで、約100万人が消費する電力を発電しているそうです。
湖では遊覧船が就航しており、新緑と残雪のコントラストが美しい5月下旬 ~ 6月中旬、紅葉の10月中旬 ~ 11月上旬が一番の見頃。
「ファンタジア」という300人乗りの外輪船が美しい風景の中に浮かんでいます。
私達は  に恵まれ、満席の「ファンタジア」 に乗船、周囲の薄化粧の美しい紅葉に満喫しながら秋の銀山湖遊覧を楽しみました。
                                   
 
           美しい薄化粧の紅葉                     いよいよ 「ファンタジア」 乗船遊覧へ
 
                           船上から見る美しい眺望 
 

西福寺
 山号 : 赤城山 (せきじょうさん) 寺号 : 西福寺 (さいふくじ)
 宗派 : 曹洞宗 (そうとうしゅう)
 本山 : 永平寺 (福井県)   総持寺 (神奈川県)
 開創 : 1534年 (約474年前)
 開山 : 芳室祖春大和尚 (ほうしつそしゅんだいおしょう)
 本尊 : 阿弥陀如来三尊
本堂内の欄間、襖などには、狩野松州、江戸末期から明治にかけて越後で活躍した名匠石川雲蝶等の勝れた彫刻絵画が遺されていました。
会員の皆さんは説明の彫刻絵画の一作一作に頷き、その素晴らしさに感激致しました。
また本堂の大縁 (廊下) の床板には、雲蝶の施した埋め木が数多くあり、歩く人の目を楽しませてくれます。

 

              
   
年一度の一泊旅行も素晴らしい企画のもと、車中での会長さんをはじめ、この度の見学地ご出身の役員さんの説明に御地に親近感を覚え、何度もなるほどと頷きながら有意義な二2日間を
過ごす事が出来ました。

又、女性のお化粧に例えて 「厚化粧も綺麗ですが、薄化粧も良いものですね」 と紅葉には少~し早い景色を表現されましたことが快く特に印象に残りました。
おかげさまでこの記録を綴りながら「薄化粧」の表現を沢山使用させていただきました事御礼を申し上げます。
夕食は うなとり弁当 (鰻と鳥の弁当) のお手配まで頂き、とても美味しく頂きました。
ご馳走様でございました。 
そして、最後の駒寄PA休憩時「烏瓜」を発見!
お部屋に飾りたく「ほしいわ~」と独り言。周囲は暗く、出発の時間にご迷惑を掛けてはと 素敵な 烏瓜の君(失礼!ご免なさい)に願いを叶えて頂きました。
何から何まで御世話になりました。
歴史倶楽部最高   
急にお寒くなりました。
役員の皆様を初め会員の皆様方のご健勝をお祈り申し上げております。 
本当に有り難うございました。  
                  
                 
                
                           の 「烏瓜」


   越後長岡の旅の想い出を詠む

      晩秋の越後長岡に降り立ちて河井継之助の足跡たどる

      慈眼寺の「会談の間」にひざまづき幕末の志士の無念さ偲ぶ

      壁が落ち伽藍も崩れし慈眼寺の写真が中越地震を語る

      ブーゲンビル島にて撃墜されし五十六の搭乗機の椅子赤錆の浮く
                                 (山本五十六記念館)
      紺青の奥只見湖をゆく船の右に左にさざなみ光る

      銀山湖を周る満席の遊覧船色付きし山の間をすすむ
                                 (銀山湖は奥只見湖の別名)
      窮状に贈られし米百俵で虎三郎作りし学校ぞこれ
                                 (阪之上小学校伝統館)
      給付金話題の昨今思ひをり米百俵のかの精神を

      以上 「軽雪」 2009年 第51卷 第1号 に掲載される。 

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未歩1歳1ヶ月 園日記 9日目 

2008年10月14日 20時02分25秒 | 未歩ちゃん

10月14日 (火)  午後から   娘からの 
 題 初めてのお休み
  初めて聞く「手足口病」は連休で直りましたが、病院がお休みで登園許可証明書」が頂けず、初めてお休みしました。
  久し振りの会社で沢山  助かりました。
  明日の朝、病院に行き、証明書を受領してから保育園に行きます。
  遅刻届を出してきました。
  お休みが続き、明日、5日振りの朝はどうなるんでしょうか。 
  みったんはいたって元気です。
               ー END ー

  ババちゃんより
   15~16日は歴史倶楽部の新潟旅行に参加します。
   朝夕は、大分寒くなってきました。
   みったん、風邪をひかないように気を付けてね。

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平成20年度 千葉市戦没者追悼式

2008年10月13日 09時15分33秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                              千 葉 市 戦 没 者 追 悼 式 
                       平成20年10月10日 (金)
                          於 千葉市市民会館                 
 
       「式 辞」 千葉市鶴岡市長様               「思い出のことば」 山崎幸子様

第二次世界大戦で尊い命を落とされた4200余柱の冥福を祈る「千葉市戦没者追悼式」が千葉市消防音楽隊の皆様による演奏が流れる中、厳かに執り行われました。
式典には、千葉市鶴岡市長様をはじめ、市議、県議、国会議員、母子推進委員、民生委員等のご来賓の皆様、遺族関係者約400名が参列いたしました。
式典は2時開始、式次第に添って進行されました。

                   式  次  第
            1.開 式 の 言 葉   千葉市保健福祉局長
            2.国  歌  斉   唱
            3.拝    礼     
            4.黙  と   う
            5.式    辞   千  葉  市  長
            6.追悼のことば   千葉市 議 会議 長 
                       千葉県遺族会会長
                       千葉市遺族会会長
                       千葉市戦災遺族会会長
            7.思い出のことば   遺 族 代 表
            8.献     花   市長・来賓・遺族代表
            9.献     詠   千葉市役所吟詠会
           10.お 礼 のこ と ば  遺 族 代 表
           11.閉 式 のこ と ば  千葉市保健福祉局次長

千葉市鶴岡啓一市長様式辞より抜粋
千葉市では昭和 27年 以来、追悼式を挙行し、先の大戦で尊い一命を国難に殉じられた戦没者 ・ 戦災死没者の御霊前に進展止まない市政の現況をご報告申し上げるとともに、平和で明るい社会の
建設と郷土繁栄への決意をお誓い申し上げ、ひたすら御霊のご冥福をお祈りいたして参りました。  (中 略)

       
私達は、過去の悲しみを記憶し、戦争の悲惨さと戦没者 ・ 戦災死没者の尊い犠牲を風化させることのないよう、恒久平和の確立に心を新たにいたすとともに、郷土千葉市の繁栄と市民福祉の
一層の向上を図るため、最善を尽くして参ることをご霊前に固くお誓い申し上げるものであります。 (中 略)とお言葉を頂きました。


遺族代表 「思い出のことば」
遺族を代表して、千葉市中央区にお住まいの山崎幸子様がフィリピン・ルソン島で戦死された弟さんがお父様を他人の人とおっしゃった信憑性。
お父様の思い出は皆無に等しいこと。
千葉市の七夕空襲の悲惨だったことをお姑様に伺っておりましたこと。
そして昭和20年6月20日 お父様が フィリピン・ルソン島 で戦死されましたこと。 合掌
遺品の中に、昭和19年に頂いておりました賞状を発見され、思い出を新たにしましたこと。
平成19年、慰霊友好親善事業訪問団の一員として千葉市から参加の機会を頂き、ルソン島に慰霊の旅が出来ましたこと。
最後は「戦争と核兵器のない世界を願いつつ、戦争の悲惨さを語り継いでいかなければならない」とお父様を偲ばれ、時折ことばを詰まらせながらも一言一言、言葉を大切に訴えられました。

会の終わりは千葉市役所吟詠会の皆様の 「献詠」 を有り難く拝聴させていただきました。
     
             弔 慰 式 (寺岡弥三郎)

            庵然夢の如く  幽明を隔つ
            定めなき人生  限りなきの情
            骨肉親朋  皆席に列し
            拈香三拝して  泣いて声を呑む

            亡き人を 終いの別れと弔えど
            心は消えず ありし面影

              金州城外作 (谷口廻瀾)

            父は明君に奉じ  子は親に奉ず 
            我来って憑弔し  涙痕新なり
            金州城外  秋深き処
            坐に憶う  斜陽馬を立つるの人を

遺族の皆様も高齢化が進み会場の空席が目立ち、一抹の寂しさを感じておりますが、幸いにも天候に恵まれ、会が無事に終了致しましたことに千葉市関係者の皆様に御礼を申し上げます。 

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護国神社 秋季大祭 2008年10月10日

2008年10月13日 08時38分24秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)


            千葉県護国神社                       奉納の舞



                 千葉県内各市町村から約1000名の遺族が参列しました

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未歩1歳1ヶ月 園日記 8日目 

2008年10月11日 15時27分33秒 | 未歩ちゃん

10月10日 (金)  娘からの 
 題 保育所 8日目
  ようやく、1週間が終わりました。
  朝はいつも通り大泣きでしたが、連絡帳には「昼食もよく食べて、大好きな絵本も自分で捲って楽しんでいました。」と書いてくださいました。
  お迎え時は,気持ちよく  中でした。成長が嬉しいやら寂しい  やら複雑な感じです。
  今日も元気だけど、初の鼻水がず~と続き、足に赤い・・・が。病院に行きました。
  初めて保育所でいただきました感染症・・・ 
  「手足口病」 と言う夏風邪ですが、10月だから軽く済みそうです。
  「感染症」だから夏にかかると、保育所はお休みしなくてはなりませんが、「このお休みでよくなるでしょう」と先生のお話をいただきましたので、ホットしています。
                          - END -    

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未歩1歳1ヶ月 園日記 7日目 

2008年10月11日 14時24分24秒 | 未歩ちゃん

10月9日 (木)  娘からの  
 題 保育所 7日目
  ブログを見ましたが、「未歩1歳1ヶ月 園日記」 が良いと思います。
  他の方のブログを探すときに、何歳の時の事かしら  と見るのが大変でしたから。

  午後からは久し振りに会社に行きましたが、運動会で疲れたのか  の中で  
  会社に着いたら又  お昼寝何と 3時間も。 
  ただ、日に日に夜の甘えがひどくなってくる感じ・・・です。
  今日は  役、感謝です。
  どんな表情が見られるか楽しみにしています。
                           ー END ー

  と言う訳で 「未歩1歳1ヶ月 園日記」 と訂正しました。

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未歩1歳1ヶ月 初めての運動会 

2008年10月11日 12時45分33秒 | 未歩ちゃん

 
              先生方のお心のこもった飾り付けに感激いたしました。 
         10月9日 (木)   未歩は初めての運動会に参加しました。 

 
       整然と並んだ開会式 お見事!               白熱した応援席  

 
             競技名 「おさんぽだいすき!」 すみれ組  リンゴ狩り 
             大勢の方にビックリ! やっぱり  いてしまいました。
           とうとう車には乗れずに、お母さんに抱っこされてのゴールでした。

 
    未歩 競技が終わってほっとしました~        先輩お兄ちゃん・お姉ちゃんのお遊戯 
    沢山  ちゃったので目が腫れていま~す

 
            赤勝て                    白勝て  
 に恵まれました秋の一日、子ども達の幼稚園以来の運動会に参加することが出来ました。
競技用の沢山の用具も子ども達の手作り、司会進行も年長組が受け持ち、見ること、聞くこと、全てが新鮮に感動致しました。
最後の紅白リレーに見る、力の限りに真剣に走る子ども達の姿に明るい未来を感じるかのように頼もしく存じました。 
先生方の日頃のご指導に改めて感謝を申し上げながら、楽しい一時を過ごさせていただきました。有り難うございました。     

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未歩1歳1ヶ月 園日記 6日目 

2008年10月09日 20時34分16秒 | 未歩ちゃん

10月8日 (水) 小 後  娘からの  
 題 保育所 6日目のこと
  朝は 大  でしたが、お迎え時に先生から嬉しいお言葉を頂きました。
  先生 「初めて少しだけ笑顔  を見せてくれるようになりました。  
       今まで  ばかりでしたので、分かりませんでしたが、お話が好きなようですね。
       絵本の時間も、おりこうさんに関心を示してくれます。
       外に出た時等に指を指す仕草が可愛いですね。
       お昼のカレーも全部頂きました。」 とお話しいただきました。
    「みったんも  っていま~す。」
      
  以上ですが、夕方の甘え方は異常ですね。
                         ー END ー

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未歩1歳1ヶ月 園日記 その3 

2008年10月08日 10時44分41秒 | 未歩ちゃん

ながらの保育園3日目が終わり、土・日 のお休みは、ルンルン気分のようでした。さて!月曜日の朝は  
        
10月6日 (月)  4日目 娘からの 
 題 みったんは 
  先生が抱いた瞬間 大 です。
  かげで少し見ていたら、すぐおんぶされ泣きやむ。又  の繰り返しでした。
  ず~と  ぱなしではないからホットしました。あとは昼食とおやつをいただいて欲しい。

  夕食の「栗ご飯」楽しみにしています。 宜しくお願い致します。
                        ー END ー
  夕食を共にして
  「未歩ちゃん、お帰りなさい」に瞼の腫れたお顔で「にっこり」は何とも痛々しい。
  初めて昼食・おやつを全部頂きましたことにホットしました。
  季節の物を食べると健康に良いといわれますので、初めての栗ご飯も食べましたが、
  母親から少しも離れず、慣れない事に戸惑いばかりです。 
10月7日 (火)  5日目の朝
 題 今朝も 
  今朝も大  でした。
  庭まで響き渡っていました。 
                        ー END ー
10月8日 (水)  後  6日目 
 題 運動会
   のため明日9日(木)に延期になりましたので、普通通りに保育園に行きました。
  大 です。手を広げて 「行かないで ~ 」と言ってるよう・・・。
  昨日 5日目のこと
  昼食・おやつも食べ、お昼寝も1時間半。
  起きている間は、まだシクシク  状態だそうです。
  迎え時は布団で寝ていました。
  17時から  もともと、お昼と夕方に寝るタイプでしたからね ~ ・・・。
  夕方布団で寝る子はいないそうです。
  麦茶を飲むときのストローの使い方が上手と褒められました。
  少しづつ慣れてきたように思います。 
  さて明日のお天気はどうでしょうか。 
  見てあげてくださいね。  ヨロシク! 
                         ー END ー      

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