「清澄寺」(せいちょうじ)と「日蓮聖人」のご紹介
千葉県鴨川市清澄にある日蓮宗の大本山。山号は千光山。
日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる日蓮宗の開祖である日蓮聖人は12歳の時に小湊から当山へ入り、道善法師に師事し出家
得度されました。勉学修行に励んだ日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年(1253)4月28日32歳の時、旭が森で立教開宗の第一声をあげました。
千葉TV放映より 千葉県鴨川市の位置
千葉県鴨川市清澄 「清澄寺」 「清澄寺」住職 佐野 貴仁様
「この地で修行せよ」と ↑ 「虚空蔵菩薩を安置したのが清澄寺の始まりとされている」と ↑
寺の縁起によれば、旅の僧(聖僧)が当地を訪れて虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し、山岳信仰の霊場となったという。僧の素性は不明で、「不思議法師」と呼ばれた。
山頂近くに古い柏の木があり怪しく千光を発していたことから山号を千光山とし、柏の木の下に水の涸れた池があって、加持すると清泉がたちまちに沸いたことから寺号を清澄寺としたという。
「清澄寺 本堂」 の 「欄間」には十六羅漢とその弟子が智慧の宝珠を授かる場面が描かれています
「清澄寺 本堂」 には。江戸時代の有名な宮彫り師・後藤義光作の「梵字額」が飾られています
宮殿や厨子は江戸の彫刻大工・嶋村唐四郎の作である。堂内の「欄間」には、十六羅漢とその弟子が智慧の宝珠を授かる一場面や、東端は持国天、西端は広目天、宮殿斜め上には唐獅子牡丹が
彫られている。また、正面頭上には、江戸時代の有名な宮彫り師・後藤義光作の「梵字額」が飾られている。
「日蓮聖人と誕生寺」
貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕した。その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まった
「妙の浦」という不思議な「三奇瑞」が伝えられている。聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした。文永元年(1264)聖人は母梅菊の病を祈願し蘇生させる。
延命した母梅菊はそれを記念し「菩薩荘厳堂」を創建。その後直弟子日家上人が建治2年(1276)10月、聖人生家跡に一宇を建立し高光山「日蓮誕生寺」と称したのが当山の始まりである。
日蓮聖人が誕生時は、大鯛小鯛が飛び跳ねて誕生を祝ったという伝説に「鯛の浦タイ生息地」(国指定特別天然記念物)があります
「日蓮聖人と旭が森」
勉学修行に励んだ日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年(1253)4月28日32歳の時、旭が森で立教開宗の第一声をあげました。
旭が森からの朝日は日本の朝日百選に選定されており、初日の出にはうってつけの場所です。
文化財等が数多くあり、日蓮聖人修行の地として著名な清澄寺での初詣もできます。
「旭が森」は日蓮聖人が朝日に向かってお題目を唱え、開宗を宣言した場所と説明あり。 ↑ お題目を唱える日蓮聖人の像
以上、千葉TVにて千葉県鴨川市の清澄寺と日蓮聖人について改めて学ぶことができましたが、「旭が森」については初めて学びましたので 保存させて頂きました。