独り居の充実ライフを求めて!

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日本遺族通信 平成23年11月15日号の遺書と九段短歌            

2011年11月24日 18時06分43秒 | 日本遺族通信

 
               平成23年11月 靖国神社社頭に掲示された遺書
        新潟県中魚沼郡出身 陸軍軍属 (看護婦) 湯川 カツ様 (24歳)
          昭和20年11月30日 内地帰還後、本籍地にて戦病死 合掌

兄妹様共に戦場に激務を続けられ、戦争に翻弄されながらも無事に日本に帰還された妹様はお疲れの為でしょうか、 戦後まもなく戦病死されました報に哀悼の
誠を捧げたく存じます。合掌

お兄様の消息は不明ですが、ご無事の帰還をお祈り申し上げております。
今号にも、12名の遺族関係者の鎮魂の歌が掲載されておりますので、お目を通して頂ければ有難く存じます。

   忠魂碑その背に刻む夫の名をなぞれば草に秋の虫鳴く             角田市 妻
   社ふかく眠りいまさむ靖國の社頭に立てるうつしゑの父          富士吉田市 遺児女性
   今宵又おぼろ月夜の空の下靖國の父心にぞ住む                 甲州市 遺児女性
   軍服の遺影が父と知らされし五歳の夏の思ひ出悲し              名古屋市 遺児女性
   栗拾ひきそひき戦死の兄しのびふるさとに来て秋の声きく           横手市 遺族女性
   原色の花々の咲くラバウルのいづくに在す兵士の御魂は         富士吉田市 遺児男性
   父果てしシベリアを機で通過せし弟の話胸あつく聞く                大阪市 遺児女性
   白樺の美しきもみぢ葉シベリアの収骨日誌に色褪せてあり            出雲市 妻
   銃声も軍靴のひびきも沁みてゐむ父の形見と石ひとつ拾ふ           鳥栖市 遺児女性
   台風の過ぐ秋彼岸本堂の香のけぶりにしばし安らぐ             名古屋市 遺児女性
   木犀の香る季なり征きしままかへらぬ人の偲ばるる朝              常滑市 妻
   「お父さ~ん」と呼べど叫べど届かぬか海底の「鳥海」浮かびて来ぬか    千葉市 遺児私

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金澤の山ちゃんだより ~ 79 ~                                            

2011年11月22日 06時32分01秒 | 金澤の山ちゃんだより

                        舞  鶴  か  に


      京都 (舞鶴 海鮮市場風景)           京都 (舞鶴 ズワイガニ 高級品)

      京都 (舞鶴 ズワイガニ 腹)             京都 (舞鶴 コッペ セコ)

11月初旬にかに漁が解禁され市場に並ぶ雄は松葉がに (ズワイかに) と呼ばれ、
雌は ”セコかに” またの名は ”コッペかに” という

水揚げされた漁港の名前のタグがつけられ夫々ブランド品として各地へ出回る

雌のセコかには資源確保のため1月早々に禁漁となる
                             道の駅 舞鶴港とれとれセンター
美味しそうな かに 情報は金澤の山ちゃんさまより頂きました。
私には手の届かない高級品に、何度も唾を呑みながらご紹介させて頂きます。

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タンゴの夕べを楽しみました

2011年11月19日 23時25分16秒 | ダンス

       
            日 時 2011年11月19日 (土) 
           場 所 四街道市文化センター
           開 演 18:30

      ~ 哀愁と旋律と情熱のリズムが織り成すタンゴの世界 ~
エンリケ・クッテイーニ楽団 http://www.danceview.co.jp/news_detail.php?id=901

        
     
エンリケ・クッテイーニ氏   はHPより  舞台を彩るダンサー
ブェノスアイレスの場末で故郷を捨ててきた移民たちが生み出した娯楽、タンゴ。
それは時を超え洗練され、現在では様々な音楽の中で確固たるジャンルを築きあげました。
その源流であるアルゼンチンタンゴは、猥雑なエネルギーと繊細なメロディを併せ持つ希有
な音楽です。
人が生きる喜びや悲哀といった心のうつろいを表現する演奏家と、曲中で出会い別れていく
ダンサーたち。
日本の反対側で生まれたアルゼンチンタンゴは、古典として風化することなく、言葉も文化の
違いも超えた普遍的な感動を我々に与えてくれます。
 

       
       
上記  及びご紹介の文章は、プログラムより頂きました  

この度、ダンスの先輩のご招待に甘えさせていただき、初めて本格的なタンゴの世界に
優雅な夕べのひとときを頂きました。
司会者が楽曲などの解説を交えながら進行され、解りやすく説明して下さいましたので
充分に楽しめました。
エンリケ・クッティーニ氏の素晴らしい魅力的なピアノ演奏に又、ユーモア溢れる日本語
の挨拶に会場からは温かい  が贈られました。
ボーカルの歌声、舞台を彩るダンサーのアルゼンチンタンゴにも魅了され、激しい動き
の中にも柔軟性、巧みな足さばきの素晴らしさ、曲毎に準備された  にも最大の
関心事でした。
お仲間の皆様と 「若かったら踊ってみたい!」 と夢物語のひとときでもありました。
舞台の最後は、歌手と会場の皆様と一緒に 「べサメ・ムーチョ」 を歌うコーナーがあり、
楽しい歌声が会場いっぱいに響き渡りました。
そして最後の  とは
中央の通路側に席を頂きました私は、世界的なピアニスト エンリケ ・ クッティーニ氏を
はじめ、歌手 ・ 演奏者 ・ ダンサーの皆様と熱い熱い握手を交わすことができました事
は、記憶に残る大きな感動を頂きました。
帰宅時は生憎の  に見舞われ  も拾えずに、ちょっぴり悲しい思いもしましたが、
先程までの優雅なひとときが充分に心を癒してくれました。
Kさま、この度はお心遣いを頂きまして誠に有難うございました。

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金澤の山ちゃんだより ~ 78 ~                                        

2011年11月18日 20時35分04秒 | 金澤の山ちゃんだより

                                                       野   麦   峠

              長野 (野麦峠 街道標識)                          長野 (野麦峠 乗鞍岳を臨む)

             長野 (野麦峠  政井みねの像)                           長野 (野麦峠  山の風景)

野麦峠 (のむぎとうげ) は、岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置し、古来から野麦街道が
あり、能登で取れたブリを飛騨を経由して信州へと運ぶ道筋であった。 
信州では飛騨ブリとして珍重され、能登では1尾の値段が米1斗であるものが、峠を越えると米1俵
になると言われた。

明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪地方の
岡谷へ、飛騨の女性 (多くは10代の少女) が女工として働くためにこの峠を越えた。
この史実は1968年に発表された山本茂実 (やまもと ・ しげみ) のノンフィクション 『あゝ野麦峠』 で
全国的に有名になった。

名前の由来は 峠に群生する隈笹が十年に一度、麦の穂に似た実を付けることがあり、土地の人に
「野麦」 と呼ばれていたことによる。
凶作の時にはこの実を採って団子にし、飢えをしのいだと言う。
                                                                 長野県(松本市)と岐阜県(高山市)の県境
以上は金澤の山ちゃん様より  いただき 『あゝ野麦峠』 を懐かしく思い出しました。

朝夕はお寒くなりましたが、お訪ね頂いております皆様にはお変わり御座いませんでしょうか。
私事ですが、この1週間に身近なお三方様をお見送り致し、とても悲しい日々を過ごしております。
特に昨日は最近までお元気にお過ごしになられ、毎月定期的に受診して血圧などのお薬を頂いて
おりました近隣の後輩のご逝去に 「何故?」 の疑問符にお別れが辛うございました。 
役員会などの折りには、いつも美味しいお赤飯などを持参されご馳走になりました。
趣味も多彩で手芸品なども  頂き、町内行事などにも積極的にご尽力頂きましたので、近隣の
多くの皆様が、通夜、告別式に参列され、心からご冥福をお祈り申し上げました。 合掌

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従姉の発表会にお招きいただきました

2011年11月13日 22時01分25秒 | 我が家・親族

                平成23年11月13日 (日) 
                 開場 午前10:30  開演 午前11:00
                 場所 千 葉 市 文 化 セ ン タ ー   

           
                            「お吉傘」 を舞終えて記念撮影に収まる従姉

   「京人形」 を踊られた5歳のお嬢ちゃま      「お月様」 を踊られた7歳のお嬢ちゃま

                  「お吉傘」 を踊られる従姉の舞姿

間もなく喜寿を迎えられます従姉は、ますますお元気に熱心にお稽古を積んでこられました。
この度をもって、最後の舞台にしたいと 「お吉傘」 落ち着いて、しなやかに素晴らしい舞姿
を務められました。
しかし、素晴らしい舞台映えのする舞姿にまだまだ継続して発表の場を公表していただきたく、
惜しみない大きな  を贈らせて頂きました。    
優雅なひとときを有り難うございました。
益々のご精進とご健勝をお祈り申し上げまして御礼とさせていただきます。  

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金澤の山ちゃんだより ~ 77 ~                                    

2011年11月10日 07時04分33秒 | 金澤の山ちゃんだより

                    乗鞍高原 スーパー林道を往く


      長野 (乗鞍高原 白樺の根本)           長野 (乗鞍高原 穂高岳を撮る)

     長野 (乗鞍高原 乗鞍岳と馬の背)          長野 (乗鞍高原 白樺と黄葉)

平湯温泉から安房峠を越え、国道158号線を南下して、途中から 「乗鞍高原」 に向かった。
秋も深まり黄葉も見事だった。

そこから 「奈川温泉」 方面へスーパー林道を走り、途中の展望台からは 「乗鞍岳」 の名前
の由来になった ”馬の背” を仰ぎ見ることが出来、片や 「穂高岳」 を望むことも可能でした。

出会ったカメラマンは「上高地」の秋を撮りに行くのだと言っていた。
                               松本市安曇乗鞍高原スーパー林道にて
以上は金澤の山ちゃんさまより素晴らしい乗鞍高原の秋を  頂きましたので、ご一緒に
お楽しみ頂けましたら嬉しゅうございます。

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本場の富有柿を頂きました

2011年11月09日 07時30分58秒 | 友人のご紹介


富有柿発祥の地、岐阜県の本場の美味しい柿を沢山  頂きました。
Mさま、お心遣いを頂きまして心から御礼を申し上げます。
柿は大好きですので、遠慮なく頂きます。
誠に有難うございました。 

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友人の庭のお花のご紹介

2011年11月08日 07時07分32秒 | 友人の庭のお花のご紹介

 の関係で 「友人の庭のお花のご紹介」 をしばらくお休みさせていただいておりましたが、
この度、再開のご案内を頂きホット致しました。
「秋の庭の花は 「大葉升麻」 「上臈ほととぎす」 「白山菊」 「岩砂参」 を掲載いたします。
 今年最後の山野草で来春まで冬眠します。
 次回からは椿が中心となります。」 と頂きましたので、早速ご紹介させていただきます。
 
        大葉升麻                上臈ほととぎす
 
         白山菊                    岩砂参

「今回は油彩画、陶芸をリニューアル ・ オープンします。」 と頂きましたので下記に
ご紹介させていただきます。 
      Hide Gallery  http://www6.plala.or.jp/inage3/ 

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2011年最初の忘年会を楽しみました

2011年11月05日 12時54分04秒 | 恩師・同窓会関係

 
千葉蓮池 丸万  http://www.maruman-sushi.com/index.htm

丸万寿司のHPより転載
「千葉蓮池 丸万寿司」 の 『蓮池』 って何?とよく聞かれます。
もう、地元でも蓮池をご存じの方はすくなくなりましたね。
『蓮池』 とは、旧千葉市の中心地区であった吾妻町 (現中央地区) の一画で、料亭や芸妓置屋
などがあった花街の通称でした。
当時は軍人やお医者さん、旦那衆、政治家などでたいへんに繁盛したそうです。
なぜ、蓮池と呼ばれたか? は、昔、その周辺は泥深い蓮田だったのでしょう。
やがて、その蓮田を埋め立て造成地をつくり、さらに同じころ、県庁が木更津から千葉に移転して
きました。
千葉が発展するにつれ繁華街が生まれ、そこが 蓮池花街 となるわけですね。 
と説明されておりました。

幼なじみの男女11名のお仲間の忘年会に、創業50年余の伝統を守りながら千葉蓮池の名
を継承して営業を続けております 丸万寿司 においてお花見以来の再会をいたしました。
先ず、千葉駅11時集合、昔の千葉の中心街が様変わりした風景に千葉から離れた友人達は
千葉駅から、お店までユックリと散策の時を楽しみ、街角で見つけた「蓮池碑」に足を止めなが
ら歩を進め、久し振りに目にする「蓮池通り」の旗に迎えられ、お仲間の皆様は懐かしさで幸せ
いっぱいのようでした。
 
               蓮池碑                 「蓮池通り」 の旗
「蓮池碑」
千葉銀座通りに徳田秋声の 『縮図』 に描かれた蓮池千葉銀座入り口の四つ角付近に
「蓮池碑」 と呼ばれる文学碑がある。
ここには徳田秋声の小説 『縮図』 の一節が刻まれている。
「蓮池」とはかつての千葉市花柳界の代名詞。(HPより)

11時半、半年ぶりの再会に  を掲げて早々の忘年会開始。
一品一品丁寧に調理された和食の素晴らしさを味わい、美味しい   
等も沢山頂きながら勿論、「丸万寿司」 の美味しさは充分に堪能させて頂きました。
話題も多方面に饒舌になりながらも健康の大切さ、友情の絆を真剣に語り、楽しい幸せ
なひとときを過ごすことができました。
初めての会場でしたが、皆さんから 「次回も是非この会場でやって欲しい。」との声に、
更に幸せを重ねさせていただきました。

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金澤の山ちゃんだより ~ 76 ~                                    

2011年11月04日 07時08分41秒 | 金澤の山ちゃんだより

                    ==日本の温泉シリーズ==
                     乗 鞍 高 原 温 泉


    
長野 (乗鞍高原温泉 旅籠の裏山)         長野 (乗鞍高原温泉 露天風呂)

      長野 (乗鞍高原温泉 夕食)           長野 (乗鞍高原温泉 囲炉裏料理)

信州には山から湧き出る数多くの温泉がある乗鞍高原の主要道からちょっと脇道に入った林の
中に温泉宿があった。

泉質は単純温泉で源泉温度は38度と温めだが源泉賭け流しの湯であり、露天風呂には枯葉が
浮く風情がある。

部屋の窓ガラスは三枚重ねになっており、冬のスキー客用の防寒対策らしい。

林の中の周りに灯かりの見えなくなる頃、囲炉裏の灯かりでいただく夕餉は旅情豊かな夜だった。
                                   長野県松本市安曇乗鞍高原  にて

以上は金澤の山ちゃん様に頂きました。
朝晩は気温も  温泉宿に心が誘われます昨今でございます。
暖かな囲炉裏の炭火にも郷愁を覚えます。
乗鞍高原温泉をお楽しみ頂きたくご紹介させていただきます。
ご一緒にご覧いただけましたら嬉しゅうございます。

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『灼熱の迷宮から』 をご紹介

2011年11月02日 20時05分09秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

 
    三浦様有難うございました     昭和31年11月末の新聞報道(著書より)

この度、岩手県ご出身の友人から、ご紹介の中野重平著書 『灼熱の迷宮から』 をいただきました。
中野重平様 著者紹介より一部転載
大正11年岩手県軽米町に生まれる。
昭和18年、茨城県にある水戸103飛行大隊に入隊し、満州へ出征後、フィリピンへ派遣される。
昭和19年末マニラにて特攻隊員となり、ミンドロ島へ上陸。
11年間に及ぶ潜行生活を経て、昭和31年11月末奇跡的に日本へ生還する。
帰国後は柔道整復師の資格を得て開業。現在は無職。

中野様は生還してから、48年後の平成16年12月、「はじめに」 の一文より
「今日でも世界では相変わらず、あちこちで戦争が行われています。
 私が体験した事実を明らかにする事で、多くの人々が戦争の愚かさに気づいてほしいと思います。
 ここに改めて、多くの戦友の冥福を心からお祈りするものであります。」
とお書きになられております。

ミンドロ島においては7人による共同生活開始でしたが、途中マラリアなどで3名が亡くなり、帰還
時は4名でした。
戦争終了のビラを信ずることもできず、マギャン族との交際を続けながら長い潜行生活に耐えた事。
「結果的には、マギャン族の酋長 ・ サイヌマに気にいられたのがよかったのだと思います。」
と書かれております。
また、大使館の方の 「ミンドロ島南部ロハス周辺の山嶽部におられる日本人の皆様へ」 と題する
長い手紙の中の 「日本の復興振りは真にめざましく・・・」 という内容の言葉に戦争は終わったのだ。
大使館の支持に従えば大丈夫と確信したそうです。
そして13年ぶりの帰還に、ご両親様との再会はどんなにかお幸せだったことでしょうと、想像いたし
ました。
多くの皆様の歓迎会にも幸せを述べられております。
しかし、自宅の天井に黒ぶちの写真がかかっており、位牌に書かれた戒名を見て絶句したそうです。
菩提寺には 「重平 二十年七月二十一日 レイテ島で戦死」 と刻まれた立派なお墓まで建っていた
そうです。
そのお墓を見て生きてここにいることが夢ではないかと思ったそうです。
このような事実は戦後多く見聞きいたしました。
帰国後は悪夢に悩まされたそうですが、結婚をされ、55歳で整骨院を開業されましたこと、そして
「83歳 (平成16年) になってもなお、整骨院をボランティアで続けているのは社会とのつながりが
 欲しいからです。
 戦争で亡くなった多くの戦友たちの分までしっかりと生きないといけない。  (中 略)
 戦争というものがどういうもので、私たちが戦争に振り回され、いかにばかげた生活を余儀なくされ
 たか。知ってもらいたい。そう思っているのです。」
と結ばれております。
出版から5年経ても尚、HPにはこの本のご紹介がされております。

戦後66年が過ぎ、戦争も遠い過去のこととなりつつありますが、戦争の事実を風化させることがなき
ように語り継ぎ、いまある生命を生き抜くことの大切さを日々考えて参りたく思います。

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