独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

日本遺族通信 平成23年10月15日号の遺書と九段短歌          

2011年10月27日 07時07分18秒 | 日本遺族通信

  
              平成23年10月 靖国神社社頭に掲示された遺書
          福岡県京都郡出身 海軍一等機関兵 安藤 照太郎様 (24歳)
            昭和13年10月16日 中華民国湖北省西塞山にて戦死 合掌

この度は 「涙して下さるな」 とご両親様に宛てた最後のお言葉をご紹介させていただきます。
暑さも盛りを過ぎて、心持ち涼味を感ずる頃ともなりました。
其の後、皆様には御機嫌麗はしく御過しの御事と存じます。
           (中  略)
今迄不遇な運命にありましたる私も時機到来、或る方面に転勤する事になりました。
          
(中  略)

一度戦地へ臨む上は、軍人として愧(は)ぢざる行ひは心に銘じて居りますれば、御安心下され度。
終りに臨み特に御願ひ致し度は、不幸にして聖戦半にて斃(たお)るるとも、家に在りて必ず涙して下さるな。
此れが臨地に向ふ私の唯一の御願ひです。

笑って迎へて下されば、此に越した喜びは御座いません。
呉々も涙して下さらざる様御願ひ致します。
           (中  略)
明年は出港の予定。御機嫌よう。
元気で行って参ります。                                      終
  昭和13年8月19日
ご両親様
      膝下
国の為に尊い命を捧げたお若い方が、ご両親様にお届けした最後のお言葉をご紹介させて頂きました。
「涙して下さるな」 と届いたお手紙にご両親様のお心はいかばかりでしたでしょうか。
愚かな戦争は絶対に繰り返すことの無きことを祈ります。合掌
戦争を知らない国民が多くなり、戦争も遠い過去の事になりつつありますが、事実は事実として悲しみが癒える事はありません。
私たち遺族は命ある限り鎮魂の歌を詠み続けて参ります。
お目を通して頂けましたら幸に存じます。

   八月や戦禍に逝きし父偲び母の新盆無事終へにけり          宇和島市 遺児男性
   還らざる兄と摘みしをしのばするそよぐ葉の間の朱き桑の実       横手市 遺族
   父没すソロモン海を眺めては戦時をしのぶ朝な夕なに        富士吉田市 遺児男性
   命日の近き父の墓清むればはつ秋の陽眩しくはじく           青森県 遺児女性
   戦地より吾に届きし父のハガキペン字薄れて読みがたくなる       大阪市 遺児女性
   父からのわづかにのこりしはがきには戦況のこと書きあらずなり    名古屋市 遺児女性
   今の世の乱れし様を知らぬままルソンの海に眠れし父よ         長崎市 遺児女性
   掘り出しし兵の頭蓋に白樺の血赤珊瑚のもみぢ葉の降る         出雲市 遺族
   一兵として戦にゆきし我眼裏にある戦友の最期よ            篠山市 遺族
   帰らざる兄の面影顕たせつつ我は戦時を若者に説く           京都市 遺族
   子の為に子孫のために描いてやろ親父の想ひ今にして知る        米原市 遺児男性
   「鳥海」の艦長の子息に出会ひたり船上に交はす熱き熱き握手      千葉市 私
23年度も今号で9首の掲載を頂きました。
今春、洋上慰霊祭に参加して父が乗艦しておりました「鳥海」の艦長様のご子息様にお会いできましたことは言葉に言い尽くせない感激を頂きました。
ご子息様も遠く長崎の地でこの遺族通信をご覧頂いておりますことと存じます。
その折りの出会いに感謝を申し上げました歌を掲載して頂きました事にとても嬉しく思います。

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友人の庭のお花のご紹介    

2011年10月20日 19時25分55秒 | 友人の庭のお花のご紹介

永い間 「友人の庭のお花のご紹介」 をご覧頂きましたが、「この度、パソコンが不調で
今回 {XP」から「Windows 7」 にアップします。
このため現在のHome Pageのソフトの互換性が無く使用できず新規に作成しなければ
なりません。
誠に恐縮ですがしばらくの間 Hide Gallery はクローズさせて頂きます。」
といただきました。
いつも多くの皆様にお楽しみ頂きまして有難うございました。
しばらくお待ちいただきたく、最後の  をご覧頂きたくご紹介させていただきます。

  
     つ り 花 1           つ り 花 2
  
     つ り 花 3           つ り 花 4

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平成23年度 「千葉市戦没者追悼式」 が行われました。 

2011年10月16日 07時19分27秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                       千 葉 市 戦 没 者 追 悼 式 
          平成23年10月14日(木)14:00開式
                 於 千葉市市民会館
    
         会場案内板                  千葉市受付担当の皆様        

先の大戦にて尊い命を落とされました4200余柱のご冥福を祈る 千葉市戦没者追悼式」が千葉市消防音楽隊の皆様による演奏が流れる中2時開式に厳かに執り行われました。
式典には熊谷千葉市長様を初め、市議、県議、国会議員、母子推進委員、民生委員他多数のご来賓の皆様、遺族関係者約400名が参列されました。

 
      千葉市遺族会会長 「追悼のことば」         遺族代表 川上 智子様 「思い出のことば」

ご来賓、各関係会長様の「追悼のことば」に続いて、遺族代表「思い出のことば」が奉読されました。
今年度は千葉市花見川区にお住まいの 川上 智子様 でした。
「お父様の戦死の日に生を受けましたこと」「戦争遺児は私たちの代で終わりにしたい」等々を丁寧にお言葉を述べられました凛としたお姿に会場の皆様が感激と共に
熱き思いにハンカチを目にして 「とても立派でした」 との感想が多く耳に届きました。

95歳になられたお母様を会場にお迎えして、お父様への想いを奉読されましたことに「親孝行ができました」と語りながら、貴重な機会を与えて頂きました千葉市遺族会
鈴木会長様に感謝を申し上げたいと述べられました。

ご本人のご了解を頂きましたのでここに全文を綴らせていただきます。お目を通して頂けましたら有難く存じます。

           「思い出のことば」
          
父への想いと鎮魂の言葉

 本日茲に、千葉市長、熊谷俊人様をはじめ、多数のご来賓のご臨席を賜り「千葉市戦没者、戦災死没者追悼式」 が執り行われますことは、私共遺族にとりまして誠に有難く、
千葉市遺族会を代表致しまして厚く御礼申し上げます。

 又、此の度の東日本大地震で亡くなられた方々、及び被災された多くの方々に心よりお悔やみを申し上げます。
戦後66年が過ぎました今年3月「戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年記念洋上慰霊祭」に全国からの362名の遺族代表の方々と共に参加させて頂くことが出来ました。
3月5日に神戸を出港し、大和沈没地点、父の戦死したバシー海峡、シブヤン海、フィリピン沖、小笠原諸島近海など約7500キロを航行しつつ合計13回の洋上慰霊祭を
執り行いまして16日に神戸へ戻って参りました。

11日には東日本大地震発生の船内放送が有りましたが、テレビも携帯も不可の異国の洋上では連絡を取る事も出来ず、何とも不安な日々が帰国するまで続いたものでした。
それでは私の父についてお話しをさせて頂きたいと思います。
私は父の顔を写真以外には知りません。父は「戦艦武蔵」に乗っており、昭和19年10月24日のシブヤン海海戦での 「武蔵」 沈没に何とか一命を取り止めました。
 しかしながら1ヶ月後、内地帰還の折り、バシー海峡を商船“さんとす丸”で航行中、敵の潜水艦の魚雷攻撃を受け、わずか数分で海中に没したと、生き残った戦友の方から
お話しを頂きました。

 今回バシー海峡にての慰霊祭では島影1ツ見えない大海原に、あまたの軍艦、徴用船が沈没し、そしてそれらの船と共に何千メートルの海底に散って行かれた多くの英霊の
方達は、どの様にして、又どのようなお気持ちで亡くなられたのか、考えれば考えるほど切なく、哀しい気持ちでいっぱいになりました。

 父がバシー海峡で亡くなりましたのが、昭和19年11月25日未明で、私がこの世に生を受けましたのも同じく、昭和19年11月25日午後1時半と妊婦手帳に記載
されています。

ここに母の歌があります。

  「あまりにも 奇(く)しき運命(さだめ)よ いとし子は 父みまかりし日にぞ 生まれる」
父と母の結婚生活は、職業軍人であった父が乗っていた船の寄港地での生活が主で日数的には1年もなかった様に聞いております。
 母も今年、数えの齢、96歳になりました。私が結婚した時に、母から父の手紙を渡されました。
 父のことを何も知らない私は1人の男として、又軍人としての考え方、両親、兄弟、知人、そして妻への気持ちを手紙からしか知る術はありません。
 陛下の為、国家の為とはいいつつも延いては家族を守る確固たる信念は、今の私には考えられない程の強いものであったと思われます。
 父の手紙を読んでみたいと思います。昭和19年5月15日にに届いた手紙です。
 「呉の生活の思い出も、新たに、萬、波、荒れ狂う洋上の一線に来ている。體は益々強健の度を加え、来るべき時に備えているから、ご安心ください。
  長いようで短かった期間ではあるが、有効なる時であった。中でも父となる喜び溢れている此の頃は、決戦の庭に立つ喜びと共に世界第一の幸福者と思っている。
  遠からず身を捧げなければならない時も来るだろうが、大義の為に俺も喜んで散って行こう。
 御前も 屹度(きっと)喜んでくれることと思ふ。(しかし、それは最後の時と考えたときにのみ)
  お前も母となる体なれば、充分に注意して立派な陛下の赤子を世に出してくれる様祈っている。
  今のうちから子供の修育をする事だね。何事にもこだはらずに、よい日本人となる様に心掛けるべきです。
 不足を言わず、いつも感謝の念であってほしい。
  お前の事であるから間違いはないと思ふが、その1つ1つが子供に移る言ふ事を聞いています故に、母の行こそ大切と思う故、書きました。

  「たとえ身は 千尋の底に沈むとも 安らじおくや 日の本の国」
又、他の手紙には「今、23時、南十字星をみている」 との件がありました。

私も今回の洋上慰霊航行中の3月10日、マニラ上陸の日、まだ夜の明けきらぬ朝に、煌々と輝く南十字星を見ながら、「平和」 の2文字を強く強く感謝した事でした。
 しかし残念ながら、今、この時でさえも世界のどこかで家族、民族、国家を守る為に戦っている人々が大勢います。
それ故、私たちは「平和」の大切さと有難さを、子や孫達にしっかりと伝えていかなくてはと考えます。

 又、二度と戦争を繰り返さない事を戦没された尊い英霊の方々に誓わなくてはなりません。
 そして、戦争遺児は私たちの代で終わりにしたいと切に願っております。
 私も彼岸に行った折りには父に問うてみたいと思います。
 貴方の考えていた様な国に、又、娘に育ったでしょうか?
最後にご来賓の皆様、並びにご遺族の皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げて、私の「父への想いと鎮魂の言葉」 とさせて頂きます。有難うございました。
                平成23年10月14日
                                                千葉市遺族会 遺族代表 川上 智子
 
                                     献花を行う遺族の皆様

 
        千葉市役所吟詠会の皆様                         遺族代表 「御礼のことば」

会の終わりは千葉市役所吟詠会の皆様の 「献詠」 を有り難く拝聴させていただきました。
     
         弔 慰 式 (寺岡弥三郎)

        庵然夢の如く  幽明を隔つ
        定めなき人生  限りなきの情
        骨肉親朋  皆席に列し
        拈香三拝して  泣いて声を呑む

        亡き人を 終いの別れと弔えど
        心は消えず ありし面影

          金州城外作 (谷口廻瀾)

        父は明君に奉じ  子は親に奉ず 
        我来って憑弔し  涙痕新なり
        金州城外  秋深き処
        坐に憶う  斜陽馬を立つるの人を

遺族の皆様も高齢化が進み会場の空席が目立ち始め、一抹の寂しさを感じますが、幸いにもお天気に恵まれ、厳粛なる追悼式に参列させて頂きました事に千葉市関係者
多くの皆様に御礼を申上げます。

最後に私事ですが、今年も父方の従姉3名のお方が、千葉市在住とはいえ会場からは遠く、花見川区、若葉区から参列して下さいました。
何時までも父を偲んでいただけますご厚意に有難く、亡き父もさぞ喜んで居りますことと、心から御礼と感謝を申し上げました追悼の日でございました。

    
   川上様母娘を囲む洋上慰霊団              毎年参列して下さる従姉の皆様 

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友人の庭のお花のご紹介 

2011年10月15日 21時39分43秒 | 友人の庭のお花のご紹介

厳しかった夏の暑さも記憶が薄れそうな昨今でございますが、いつもお訪ねいただいております皆様には夏のお疲れはございませんでしょうか。
気温の変化に戸惑います日々にお風邪など召しませんようにご健勝をお祈り申し上げます。

この度、秋の可愛いお花を  頂きましたので早速ご紹介させていただきます。 

「今回は庭の花 つり花 ・ まゆみ ・ 霜柱 ・ ふじばかま ・ 風露草 ・ 南天萩  をご紹介し、追って「つり花」のファイナルをご案内いたします。」
と頂きましたのでご一緒にご覧いただけましたら嬉しゅうございます。

 
            つ り 花                          ま ゆ み

 
             霜  柱                          ふじばかま

 
             風 露 草                         南 天 萩

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2011年(平成23年)千葉県護国神社秋季大祭

2011年10月13日 11時10分04秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

              秋季大祭 2011年(平成23年)10月10日 (月)  10時 開式

           千葉県護国神社                   来賓の皆様による慰霊碑への拝礼


                         靖国神社の巫女さんによります奉納の舞


                          沖縄の奉納の舞


                    千葉県内から1000名余の参列者の皆様
に恵まれました10月10日 () 10時開式に熊谷千葉市長様を初め多くのご来賓の
ご参列を頂きました。
千葉県内から1000名余の遺族関係者は遠くは千葉県南端の南房総市をはじめ、都心に近い流山市方面から大型 や自家用車で多くの皆様が参列されました。
今年は戦後66年、戦後生まれの国民が多くなっております現在ですが、私達は悲惨な戦争を語り継ぐべく大切な行事に鎮魂の誠を捧げております。 合掌
当日の嬉しかったこと 
10月2日UPの千葉県遺族会女性部研修旅行のブログと  をお届けできましたことです。
千葉県遺族会事務局を初め、岩崎女性部長様、一夜さの親睦を深めました長生村の皆様他10名余の皆様方に喜んでいただきました。
夜は  ラッシュに嬉しく幸せの一時を頂きました。
岩崎部長様は米寿を迎えられ、ますますお元気にご指導を頂いておりますことに遺児の一人として感謝を申し上げておりますところです。
昭和28年戦没者妻の会 「婦人部」 を発足する迄のご苦労から現在までのご尽力に想像を絶する多くがありましたこと。
特に恩給復活の28年は当時ヤミ米1俵8000円の時代に年間23,000円の給付でした。
お仲間の中には苦労のままにご主人様のもとに旅立たれたお方も大勢お出でですが今、尚平和な世の中に生有ることに大きな喜びですと。
長時間のお に恐縮しながらも部長様から戦後のご苦労を拝聴させていただき、多くを学ぶことが出来ました。

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金澤の山ちゃんだより ~ 73 ~                 

2011年10月09日 10時39分45秒 | 金澤の山ちゃんだより

                                 石船 (いわふね) 神社

 
       
新潟 (村上 石船神社 鳥居)             新潟 (村上 石船神社 拝殿)

 
    新潟 (村上 石船神社 境内から見る漁港)         新潟 (村上 石船神社 鳥居の注連縄)

石船神社 (いわふね) は延喜式の磐舟郡八座の筆頭に記されている、古くからある神社である祭神は饒速日命 (にぎはやひのみこと)、罔象女命 (みずはのめのみこと)、
たかおかみの命、くらおかみの命の四神


饒速日命は物部氏が祀る魂の名で、罔象女命以下は海神で貴船神社の神々でこの神社を明神様ともいう所以である鳥居の注連縄の結び方に特徴があった
           
                                                         新潟県村上市岩船三日市にて

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未歩ちゃん4歳の運動会

2011年10月08日 07時25分53秒 | 未歩ちゃん

              平成23年10月5日 (水)  ~ 7日 (金)  に延期して開催 
               4歳1ヶ月を迎えた未歩ちゃんは3回目の運動会に参加しました

 
            綺麗に飾られた運動会会場                 開会式 「所長先生のお話」

 
       可愛いチューリップ組のお友だち 「ジャブジャブゴシゴシお洗濯」 をして上手に干せました

 
        年長児のお友だちと保護者の皆様による 「ねらってシュート (玉入れ)」 赤勝て 白勝て

 
          「人間っていいな」  踊る未歩ちゃん       「力を合わせてオーエス(綱引き)」も頑張りました

 
                     「スズメ蜂に気をつけろ」 を踊る年中児のお友だち

 
                    練習の成果が素晴らしい年長児のお友だちの組み体操

 
                  「一世風靡参上!ハードオプソード」 年長児のお友だちの演技

 
    「送って送って!」 頑張れ!お父さんお母さん         「リレー」  年中児 ・ 年長児のお友だち

  
      未歩ちゃんは  応援もしっかり出来ました             運動会が終わってほっと一息

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千葉県遺族会女性部研修旅行に参加

2011年10月02日 19時11分22秒 | 遺族会関係の旅

  1.日   時 9月29日 (木) 気温  ~ 30日 (金) 気温  
  2.研修場所 静岡県 焼津黒潮温泉 松風閣
  3.参 加 者 70名

  4.集合場所 JR千 葉 駅 前 9時00分
           JR西船橋駅前 9時30分
【日 程】
1日目 9月29日(木)
千葉駅 → 西船橋駅 → (鬼高PA休憩) → 首都高速道路 → 靖国神社昇殿参拝
        
        平日のために静かな靖国神社                  参拝記念に御朱印を頂きました

お国のために夫を奪われた妻のお立場の皆様が婦人部を結成され、今日までの長い年月を強い絆で結ばれて参りましたが、平均年齢が90歳を超えました高齢化に伴い、
今後の活動
を継承すべく名称を女性部と改め、妻と遺児、母娘で再出発の運びとなりました。
千葉県遺族会岩崎部長さんは米寿を迎えられ、ますますお元気にご指導をいただいております
事に遺児の立場の私たちは大きな喜びとするところです。
この度の靖国神社昇殿参拝に岩崎部長様をはじめ、妻のお立場の皆様はご主人様に、遺児の私達は父に想いを寄せ、「心安らかにお眠り下さい。」 とお祈りすることが
出来ました。 合掌

 
     昼食は上野東天紅にて (HPのより)               より東京タワーを

上野東天紅(昼食) → 首都高速道路 → 東名高速道路→(海老名SA休憩)→(富士SA休憩)→ 焼津インター→ 焼津黒潮温泉松風閣へ
焼津黒潮温泉  
昭和58年、地下1500mから湧出した51℃もの高温で良質な温泉。
この温泉は海水の約半分の濃度の塩分を含む塩化物泉で、弱アルカリ性。
虚弱体質をはじめ、神経痛、筋肉痛に効き、健康と美容に良いとされている。と事前にガイドさんからご紹介を頂き、素敵な 松風閣  に迎えていただきました。

 
      山頂にそびえる松風閣 (HPのより)          駿河湾に美しい富士山を望む (HPのより)

 
           お世話役を頂きましたU様              報告される岩崎女性部長様と参加された部員

 
                  岩崎女性部長の 「全国女性部研修会の報告」 に耳を傾ける部員
「全国女性部研修会の報告」 の概要
 1.開 催 日 2011年8月23日 (火) ~ 24日 (水)
 2.開催場所 東京 九段ホテルグランドパレス
 3.参加者数 146名
開会式終了後は5つの分科会に分かれ、各県女性部が1年間かけて検討してきた 
 ①組織対策
 ②財政の確立
 ③女性部として相応しい事業
 ④日本遺族会への要望
以上4つのテーマについて、各県がテーマ毎にまとめた結果が報告され、さらに討議が深められた。
2日目は、各分科会の討議内容が報告され、特に組織対策について議論が白熱した。
女性部として「戦没者遺児の世代で遺族会を終わらせてはならない。
後継者を作る事が焦眉の急である事から女性部自らが直ちに行動し戦没者の孫、曾孫に働きかけて組織化を図る」 という事が確認されました。
以上部長様のお話を記録に残したく綴りました。
この度の女性部研修会においても組織について話し合われ、あの悲惨な戦争の記憶が風化する今日孫、曾孫に働きかけることは困難としても、私たち戦没者の遺児が生有る
限り、
平和の尊さを語り継いで行かなければならない。と話し合いました。
研修会終了後は、2次会の に又、初めて一夜の宿を共にする他市町村の部員の皆様との懇談に楽しい有意義なひとときを過ごすことが出来ました。
早朝、5時40分、素晴らしい  日の出を拝み、か~すかに見えた  ような富士山を仰ぎながら最後の癒しのひとときを満喫しました。
    
                                       上記2枚の  はHPより頂きました
温泉露天風呂 (松風閣のHPより)
展望大浴場から扉を開けて出ると、そこは海抜90mの絶壁にある露天風呂。
肩まで浸かってみると、視界は駿河湾の大海原に包み込まれ、遠く富士山と伊豆連山を望む。
夜の漁火と星空、翌朝の朝日の眺望。いずれの時間帯のご利用でも、日本人ならではの心の癒しをご体験頂けます。
※露天風呂のみ温泉となります
2日目 9月30日(金) 気温
松風閣スタート
(9時00分) → 石原水産マリンステーション → 久能山下(説明のみ)

 
    石原水産マリンステーション (HPのより)           久能山 (HPのより)

【石原水産マリンステーション】 
お魚が好き、お土産を買うことが好き・大好きな皆様が両手に持ちきれない程の袋にお土産タイムを楽しみました。
      

【久能山】 (ガイドさんの説明のみ)
ご幼少の頃からのあらゆる艱難辛苦を払いのけ、遂には天下を統一し、征夷大将軍の座に就かれた徳川家康公は、日本史上最も平和な時代を築かれたお方です。

晩年を静岡で過ごされた家康公は遺命として久能山に眠ることを家臣に託し、元和2年(1616年)4月17日に神々の世界へと旅立たれました。
徳川家康公を祀る全国初の神社、それが久能山東照宮です。
当時の最高の技術と芸術をもってして造営された社殿は、平成22年12月に国宝に指定されました。

【東海大学海洋科学博物館見学】
 
            海洋水槽 (HPのより)               ようやく撮れた1枚、貴重なお魚たちです
海洋水槽 : アクリルガラスに色を付け、水深20mの海中を表現している。地下からのぞく窓もある。
この水族館の魚類たちは、特別に状態がよく、どれも太りすぎずやせすぎず傷もなく大きく成長し、なぜかしら色落ちもしていない。
素人目にも分かるほどの飼育技術の高さに好感が持てる。 (以上説明より)

 
                     地震による海底の隆起や陥没で津波が起こる様子を実験しております

→ 日本平 (昼食) → 展望台見学  → 赤い靴を履いた女の子像
    
          
「母子像」               岩崎部長様を囲んで
     高橋 剛作1986年4月完成
「母子像」 : 赤い靴の女の子 「きみちゃん」 の像は、麻布十番のほかに、生まれ故郷の静岡県日本平山頂、歌詞に読まれた横浜の波止場 ・ 山下公園、母かよさんが入植した開拓農場のあった北海道留寿都村、かよさん夫妻が晩年を過ごした北海道 ・ 小樽市の運河公園にあります。
平成21年8月7日、新しく6つ目の像が函館に出来ました。
函館はきみちゃん、かよさんが初めて北海道に渡ったところです。
平成22年11月3日、青森県鰺ヶ沢町に 「赤い靴の女の子 記念像」 完成除幕されました。
7つ目の 「きみちゃん像」 です。
赤い靴の女の子きみちゃんは日本で亡くなりました。合掌  歌詞との違いに
不幸にも当時不治の病と言われた結核に冒され、身体の衰弱がひどく長い船旅が出来ず、東京のメソジスト系の教会の孤児院に預けられたのです。
薬石の効無く一人寂しく幸薄い9歳の生涯を閉じたのは明治44年(1911)9月15日
の夜でした。
  (以上はガイドさんの説明とHPより)
→ 清水 → 東名高速道 → (海老名SA休憩) → 首都高速道 → 京葉道 
 
         
お宿を共にしたお仲間の皆様                清水の町を後にして よりの
→ 西船橋駅着 (17時20分) 千葉駅着 (17時50分) 予定通りの到着に
 
に恵まれました2日間、千葉県遺族会事務局長様を初め、事務局、岩崎女性部長様他多くの皆様のご尽力を頂き、一年一度の各市町村女性部代表の皆様との再会に楽しい
語らいのひとときを過ごすことが出来ました。

千葉県遺族会の益々のご発展をお祈り申し上げまして御礼にかえさせて頂きます。 誠に有り難うございました

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日本遺族通信 平成23年9月15日号 遺書と九段短歌    

2011年10月01日 07時04分14秒 | 日本遺族通信


                平成23年9月 靖国神社社頭に掲示された遺書
             三重県度会郡城田村出身 陸軍曹長 中西 八郎 様 (23歳)
              昭和18年9月14日 東部ニューギニア ラエ付近にて戦死 合掌

この度の 「遺書」 はお兄様からご弟妹に送られた最後のお言葉です。
兄ハ此ノ度、大東亜戦争ノ第一千戦ニ参加スルノ光栄ニ浴シ、勇躍征途ニ就ク。
固ヨリ毫モ生還ハ期セズ。        (中  略)
兄ハ、オ前達一同ノ健康ヲ祈ルヤ切ナリ
    昭和18年6月24日                      兄ヨリ
弟妹一同ヘ

この度、千葉県女性部研修旅行にて靖国神社昇殿参拝の機会に恵まれ、社頭に掲示されておりました中西 八郎 様の遺書を拝読することができました。
お若いお方が、弟妹様達に「家名ノ隆昌昂揚ニ勉ムベシ。・・・」 と宛てた遺書に拝読しましたお仲間の皆様と涙が溢れました。
と同時にお参りをしてくれる子供が居ります父達の幸せに想いを寄せることができました。

今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたのでご紹介させて頂きます。
お目を通して頂けましたら幸に存じます。

   いつまでも父を思ひつ母は言ふ痛い膝をば擦りに来たと        甲州市 遺児女性
   密林を抜ければ続く泥の道英霊の島ガダルカナルは        富士吉田市 遺児男性
   はろばろと父の精霊乗せ来しか蜻蛉盂蘭盆の墓石をめぐる       青森県 遺児女性
   収骨を終へて帰り来ふる里の流れに沿ひし彼岸花の赤            出雲市 妻
   父散華踏ん張り来し母九十四三人(みたり)の子らも七十を超ゆ      南相馬市 遺児男性
   営門に別れしきりの夫なりき戦死の公報戦後にきたる          諫早市 妻
   荘厳の靖国の社に風薫る御霊寧かれ国弥栄に              篠山市 遺児男性
   吾四歳戦死の父の葬列の先頭行くも死の意味分らず          うきは市 遺児男性
   忘れまじ「ヒロシマ」「ナガサキ」福島の復興願ひつ共に生きなむ   名古屋市 遺児女性
   百二歳命あらばと父の齢年々数ふ終戦の夏               香川県 遺児女性
   靖國の宮居にたてば七十年の刻とどまりて夫の声聞く          常滑市 妻
   船上の祭壇に並ぶ供物類ラベル美しきな地酒が多し           千葉市 私
 (71首目)

この度の九月号は、多くの行事掲載の為、いつもより到着が遅れましたことのお詫びがありました。
私の歌は八月号は未掲載でしたので、九月号を心待ちにしておりました。
不安な中の旅行から帰宅、ポストに届いておりました紙面の九段短歌の先頭に我が歌の掲載を頂き、回復の一助に感謝をいたしました。

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