独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

千城台公民館文化祭開催される

2011年10月31日 20時43分33秒 | 日々の出来事

            日 時 平成23年10月29日 (土) ~ 30日 (日)            
                    午前 9:00 ~ 午後 4:00  
 
           文化祭の表示             素晴らしい生花に迎えていただきました
毎月第4水曜日に 「短歌教室」 でお世話になっております公民館です。
自宅から  で東へ30分ほどの距離にあります公民館ですが、地域住民の熱心な皆様により
ます公民館活動も盛んに、特に陶芸教室は7教室を数えるほどに活動しております。
書道の部 「泉会」 は私がご指導を頂いております市川蘭華先生のご指導のもとに、ご活躍の
多くの皆様の素晴らしい作品に魅了されました。
伺いますと市川蘭華先生の先輩先生の時代から長いお方は40年間も学ばれ、千葉市民展や千葉
県展に毎年出品され、多くの皆様が入賞されておりますことに 「継続は力なり」 を実感致しました。
展示されております殆どが、師範を取得されたお方のレベルの高い作品に、今後の参考に学ばせて
頂きました。
未熟な  ですが、皆様の作品をご紹介させていただきます。

 
                        「泉 会」 展示会場
 
                       「泉 会」 の皆様の作品
     
   師範を取得されたベテランの皆様の作品        卒寿を迎えた先輩の素晴らしい作品
 
                上記の素晴らしい仮名作品の一部を拡大しました

   ご指導の三枝青雲先生の作品から
       晩年の背伸びは無用桐の花
      利根大河浩浩として草は実に




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歌集「月光丘」を頂きました。

2011年10月30日 10時38分08秒 | 短歌

             
    島晃子様 歌集 『月光丘』 上梓 おめでとうございます。

    悲しみがあらたになりて暗みゆく海の白波夜叉のごと立つ
    飲みさしの夫の焼酎「百年の孤独」胃に沁む夜半の厨に
    射して来る春陽に光る嵬集品いづれもはかな割れ易きもの
    君は数十億年の愛を語り吾は白馬の王子失ふ
「六条御息所」 は言うまでもなく 『源氏物語』 の一節である。
 『源氏物語』 の優れた文学性が読む者を引き込み、歌わせる力となっていると思うが、背景に長年の研究があるから作品が強い。
 以上は師 鶴岡美代子先生 ・ 跋より 帯の部分をご紹介させていただきました。

 島晃子様は現在 「軽雪」 編集委員 ・ 選者、「みなのせ会」 会員、「日本歌人クラブ会員」としてご活躍のお方で、大切な先輩です。
 我が師鶴岡先生の跋より一部を転載してご紹介させていただきます。
 大学時代からの親友の島晃子さんが、いよいよ第一歌集 『月光丘』 を上梓することになった。
 (2011年8月9日発行)
 今は亡き土屋正夫先生の下でおよそ20年、そして今日、なお共に歩んでいることを思うと、この度の上梓はわがことのように、とても嬉しい。
 大学時代の島晃子さんはペンクラブに入っていて小説家を夢見ていた。何を書いてもペンの滞ることがなく、私はいつも感心していた。
 夫君の転勤先のニューヨークでも新聞社主催のエッセイストコンテストに入賞した事があった。
 物を書くのが好きなのは、ご両親が、教育者という環境も影響していたのだろう。
               (中  略)
 『月光丘』 の作品はおおよそ3つに分けられる。1つは文学に関しての作品、2つ目は自然や旅先に題材にしたもの、3つ目は家族や周囲の人、自身の人事詠である。
 先ず、文学関係の作品であるが、小説家志望だった作者であるから文学への関心は深く、しばしばその舞台となった地を訪問している。

    二本松智恵子の生家に佇みて夫に隠れて涙をぬぐふ     「智恵子の生家」
   本当に裁ち切りたかりし物は何 狂ひし智恵子の紙絵の鋏
   童女となりたる智恵子を目に追ひて光太郎佇みし磯松林   「九十九里の智恵子」
               (他4首ご紹介あり)
 高村光太郎 ・ 智恵子を取材したものである。文学の知識があって作歌するのであるが、あたかも自分が光太郎や智恵子と同じ立場にいるごとく悲しみを共有している。
 次は 「紫式部」 に関する作品である。島さんは平成18年5月から 「軽雪」 誌上に 「紫式部」を連載していて、現在30回を数えている。それと併行しての作品である。

    中宮の出産間近き緊迫の描写に吾も息を詰めたり          「紫式部日記」
   出産を見守るあまたの女房ら犇(ひしめ)き合ひて泣くものもあり
   断ち切れぬ想ひに攻むるまなざしを身に受け黙す御息所は     「六条御息所」
   皇后の道閉ざされし身にあれどその魂の終に捨てえず
                (他6首ご紹介あり)
 2つ目の特徴は、自然や旅を題材にしたものである。
 土屋先生が生前、「よく観察し、よく描写しているのに、深く感じ入った」 と褒めた 「丹頂」 の一連を挙げる。

    声を吐く丹頂の嘴 (はし) は天を衝き頂 (いただき) のあか陽に極まれり
   雪原に翼大きく打ち合ひて番 (つがひ) の丹頂の華麗なる舞
   親丹頂と身の丈同じになりしかど薄茶の羽の心許無し
                (他6首ご紹介あり)

   六集落三百六十戸を飲みしダム涙の湖(うみ)の深みどりの色
   沈みたる村の証と残りしはこの日本 (ふたもと) の桜と仰ぐ
   五十年経し今もなほ息子 (こ) の戦死認めぬ如く坐す 「母の像」
   慌しく戦地に発ちて還らねば恋人の像 「裸婦」 噫 (あい) 未完

 
岐阜県の 「御母衣ダム」 と長野県の 「無言館」 の作品である。土屋先生は 「読め、歩け」 と訓えていたから、島さんもそれを実践した。
 心眼で観ていることはこれらの作品にも言える。

次は人事詠を見てみよう。

    誉めらるることの少なき生徒らの塾教師吾に求めやまぬもの
   学校にも家にも落ち着く場のあらぬ生徒らの愚痴憩ふ時聞く
   求めゐるもの何ならむくしゃくしゃに丸めし答案投げつけてくる
   「だんだんと自分が嫌ひになってゆく」生徒の声の耳を離れず
                  
 
学習塾を営んでいたときの作品である。現代の児童の持つ精神の渇きが詠まれている。
 これらの作品からは、単に試験の点数を上げるための教育ではないものを目指している教師像が見えてくる。   (中  略)
 こういう島さんの姿勢には次のことが関係しているのではないだろうか。

   彼の人を嫌ひと嘘でも言へと責むる娘に悲鳴上ぐ裡なるわが子
   胸底を凝視したれば裡なる子真白き繭に息詰めてゐる
   父の夢を健気に生きし十二歳の吾と思へば涙零るる
                (他3首ご紹介あり)

 島さんの体内にはもうひとりの子 「インナーチャイルド」 がいて、言ってはならないことや間違った事をしないように常に糺していたと言う。
 佐渡の旧家で生まれた著者は、周囲に対して恥ずかしくない行動を自らに課すことを、無言のうちに期待されていたのだろう。     (中  略)

   夫の声電話にやさしく響く夜は3万キロの隔たり悲し
   受話器の中より乾燥機の音聞こえ一人居の夫の休日偲ぶ
   「マイナスイオン出す」 と書き添へ母の日に息子が送り来し観葉植物
 
                   (他5首ご紹介あり)

 夫の留守を守る緊張と責任は重く寂しかったと思う。手中の子が巣立ったのも人生の過程だ。
 それらを経て自分がたくましくなり、充実したものを得たことも事実であろう。
 島さんの人生を正直に語っているこの 『月光丘』 が、さらなる飛躍の契機となるべく、心より期待したい。
 そして 『月光丘』 が多くの方に読んでいただけますことを希って筆を擱く。

以上、鶴岡先生のお言葉を拝読しながら、島様の作品を鑑賞させていただきました。
島様は 「本歌集はまだお元気だった平成18年に、土屋正夫先生の選を経た歌に最近作の中から自選したものを加えて四百三十六首を収録しました。
歌集名の 『月光丘』 は、現在の私が佇んでいるに相応しいところと感じたことから選びました。」
と書き添えられておりました。
HPには 「ながらみ書房」 を初め、多くの書店が 『月光丘』 のご紹介をされておりますことにと幸せを頂きました。
作品の一首一首がとても丁寧に品格のある作品と感銘致しました。
又、「小野田少尉自らを語る」
   潜伏し二十九年の軍人には居場所居場所なかりしと嘆く小野田さん
   ブラジルに渡りて三十年馬上にて牛追ふ姿光の如し
以上他4首を心して拝読させていただきました。
戦後66年、戦争を知らない国民が多くなりました今日ですが、事実は事実として戦争の悲惨さは語り継がねばならないと考えております。
何時も優しくご指導いただいております島様のますますのご活躍をお祈り申し上げますと共にご多忙の折りにお風邪など召しませんようにご健勝をお祈り申し上げましてお祝いの気持ちを綴らせて頂きました。
大切な歌集の  を頂きまして誠に有難うございました。

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金澤の山ちゃんだより ~ 75 ~                               

2011年10月28日 19時34分08秒 | 金澤の山ちゃんだより

                         日本の温泉シリーズ
                     == 万 座 温 泉 ==


      群馬 (万座温泉 湯畑の湯煙)           群馬 (万座温泉 湯畑立入禁止)
   群馬 (万座温泉 朝陽射すイオウ噴煙 )   群馬 (万座温泉 露天風呂の向こうにイオウ煙)

万座温泉は海抜1,800mの緑に囲まれた上信越高原国立公園内の中の高山温泉郷である
源泉は硫黄泉で約80度の高温で湧出量は1日に540万リットルに達し、源泉掛け流し湯である

湧出時には透明泉であるが空気に触れると乳白色になり、肌にはぬるぬるの感じである
湯船からはイオウ噴煙が望まれ匂いが鼻に憑く

湯畑に行ってみたが、立入禁止になっており、山の上の展望台から見ることが出来た

                                    群馬県吾妻郡嬬恋村万座温泉にて
                                   以上は金澤の山ちゃんより頂きました。

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日本遺族通信 10月の九段短歌          

2011年10月27日 07時07分18秒 | 日本遺族通信

     
          平成23年10月 靖国神社社頭に掲示された遺書
        福岡県京都郡出身 海軍一等機関兵 安藤 照太郎様 (24歳)
         昭和13年10月16日 中華民国湖北省西塞山にて戦死 合掌

この度は 「涙して下さるな」 とご両親様に宛てた最後のお言葉をご紹介させていただきます。
暑さも盛りを過ぎて、心持ち涼味を感ずる頃ともなりました。
其の後、皆様には御機嫌麗はしく御過しの御事と存じます。
           (中  略)
今迄不遇な運命にありましたる私も時機到来、或る方面に転勤する事になりました。
          
(中  略)
一度戦地へ臨む上は、軍人として愧(は)ぢざる行ひは心に銘じて居りますれば、御安心下され度。
終りに臨み特に御願ひ致し度は、不幸にして聖戦半にて斃(たお)るるとも、家に在りて必ず
涙して下さるな。
此れが臨地に向ふ私の唯一の御願ひです。
笑って迎へて下されば、此に越した喜びは御座いません。
呉々も涙して下さらざる様御願ひ致します。
           (中  略)
明年は出港の予定。御機嫌よう。
元気で行って参ります。                                      終
  昭和13年8月19日
ご両親様
      膝下
国の為に尊い命を捧げたお若い方が、ご両親様にお届けした最後のお言葉をご紹介させて頂き
ました。
「涙して下さるな」 と届いたお手紙にご両親様のお心はいかばかりでしたでしょうか。
愚かな戦争は絶対に繰り返すことの無きことを祈ります。合掌
戦争を知らない国民が多くなり、戦争も遠い過去の事になりつつありますが、事実は事実として
悲しみが癒える事はありません。
私たち遺族は命ある限り鎮魂の歌を詠み続けて参ります。
お目を通して頂けましたら幸に存じます。

八月や戦禍に逝きし父偲び母の新盆無事終へにけり          宇和島市 遺児男性
還らざる兄と摘みしをしのばするそよぐ葉の間の朱き桑の実       横手市 遺族
父没すソロモン海を眺めては戦時をしのぶ朝な夕なに         富士吉田市 遺児男性
命日の近き父の墓清むればはつ秋の陽眩しくはじく            青森県 遺児女性
戦地より吾に届きし父のハガキペン字薄れて読みがたくなる       大阪市 遺児女性
父からのわづかにのこりしはがきには戦況のこと書きあらずなり    名古屋市 遺児女性
今の世の乱れし様を知らぬままルソンの海に眠れし父よ          長崎市 遺児女性
掘り出しし兵の頭蓋に白樺の血赤珊瑚のもみぢ葉の降る         出雲市 遺族
一兵として戦にゆきし我眼裏にある戦友の最期よ              篠山市 遺族
帰らざる兄の面影顕たせつつ我は戦時を若者に説く            京都市 遺族
子の為に子孫のために描いてやろ親父の想ひ今にして知る        米原市 遺児男性
「鳥海」の艦長の子息に出会ひたり船上に交はす熱き熱き握手      千葉市 私
23年度も今号で9首の掲載を頂きました。
今春、洋上慰霊祭に参加して父が乗艦しておりました「鳥海」の艦長様のご子息様にお会い
できましたことは言葉に言い尽くせない感激を頂きました。
ご子息様も遠く長崎の地でこの遺族通信をご覧頂いておりますことと存じます。
その折りの出会いに感謝を申し上げました歌を掲載して頂きました事にとても嬉しく思います。

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銘菓を頂きました

2011年10月26日 07時07分03秒 | 友人のご紹介

  

銘菓 「雲がくれ」

 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲がくれ にし夜半の月かげ 紫式部

歌の意味
久方ぶりに逢った幼な友達。
けれどあまりにつかの間で、その女(ひと)は雲にかくれる夜半の月のようにかえってしまった・・・。

王朝文学の華 「源氏物語」 の作者紫式部の歌より、月の風情を 黄身餡 に、白色みぞれ 雲に
たくして謹製いたしました。
皆様方とのめぐり逢いに心から感謝申し上げ。都人の雅とあわれを、鄙(ひな)の里の風情とともに、
愛でていただきますれば、この上ない喜びと存じます。
                                        越の国 新潟 菓子処
この度、素敵なご夫妻のお招きを頂き、千葉市が一望できますご自宅訪問に幸せなひとときを頂き
ました。
奥様の本格的なお料理に感激いたしながら、時間の過ぎるのも忘れ長時間お邪魔してしまいました。
カメラを忘れてお料理をご紹介することが出来ませず、とても残念ですが沢山のお料理に美味しくて
美味しくて優雅な一日でございました。
上記のお菓子はお土産に頂きました銘菓ですが、何とも上品な口の中で溶けてしまいそうな美味しい
お菓子を頂きました。
美味しいお料理を沢山頂きました上にお土産まで頂きまして有難うございました。
又、包装紙に書かれた紫式部のお歌  に、かな書道の創作に学ばせていただきます。

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金澤の山ちゃんだより ~ 74 ~                       

2011年10月25日 07時02分12秒 | 金澤の山ちゃんだより

                      横  手  山  山  頂


   
長野 (横手山  頂上から眼下の地形)        長野 (横手山  スカイレーター)

   長野 (横手山 リフトからハイウェーイ)        長野 (横手山 山頂のカメラマン)

志賀高原で最も標高が高く眺望のよい横手山頂をスカイレーター (動く歩道) とスカイリフトで結ぶ雲の
上の空中散歩で、歩かずに楽々標高2305mの横手山頂に登ることができます。

山頂からは北アルプス連峰を始め、噴煙を上げる浅間山 ・ 日本一の山 富士山 運がよければ日本海
にぽっかり浮かぶ佐渡ヶ島を望むことができます。

こんな宣伝に踊らされて、登ってみたが生憎と遠景は雲の海、しかし登ってきたハイウェーイが手にとる
よう眼下の山肌は荒々しく高山らしい雰囲気でした。
                                   長野県下高井郡山ノ内町志賀高原横手山にて
以上は金澤の山ちゃんさまより素晴らしい横手山の様子をお届けいただきましたのでご一緒にご覧頂け
ましたら嬉しゅうございます。

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2011 千葉 「県 展」 開催される

2011年10月23日 07時34分09秒 | 千葉の事(町内行事含む)

          

         会 場 = 千葉県立美術館 (入場無料)            
         会 期 = ◎ 前期・・・日本画 ・ 彫刻 ・ 書道                   
              10月15日 (土) ~ 10月23日 (日) 
                 ◎ 後期・・・洋画 ・ 工芸
              10月27日 (木) ~ 11月6日 (日)
              ※毎日 9:00 ~ 16:30
              ※休館日 (10/24 ・ 25 ・ 26 ・ 31)
              ※前期 ・ 後期とも最終日 16:00 まで

千葉・県民芸術祭の中心的行事 「第63回県美術展覧会 (県展)」 が10月15日から開催されて
おります。
前期の部におきまして、書道の先生の作品を初め、恩師の彫刻作品 ・ 友人 ・ 知人の作品を鑑賞
させて頂く機会に恵まれ、秋  のひとときを心豊かに過ごすことが出来ました。

書道の部 役員の先生方の作品より 

  わが師市川蘭華先生の作品 「いきもの」          「大伴の家持の歌」        
 
         「希望と書く」                         「欣 然」
書道の部 入賞作品より
 
                        
   県展賞       県教育長賞      知事賞     県議会議長賞    県美術会賞
  先輩及び参考作品より
  
                    現代詩文の先輩作品
   
                     かなの参考作品
 彫刻の部
      

 「彫刻会場」 右奥に平戸先生の作品を望む   恩師平戸美和子先生作品 「過ぎゆく刻」 

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ご丹精の「サツマイモ」を頂きました

2011年10月22日 19時19分55秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

      
           嬉しい  土付きほりたてのサツマイモ

「サツマイモ」 は好物の一品です。
先日の女性部研修旅行に初めてご一緒しましたお方にブログをプリントしてお届けしましたところ
 をやらないお方ですのでとても喜んで頂きました。
「このように編集された記録は初めて見ました。サツマイモは私が作りました。美味しいサツマイモ
ですので食べてください。」 と、お手紙を添えて頂きました。
土付きのサツマイモをいただきましたのは久し振りですので、とても嬉しくご厚意の程に感謝申し
上げました。
S様ご丹精のお品を有難うございました。

「サツマイモ」 のお料理はたくさんありますが、直ぐ食べたいときの美味しい食べ方の方法の1つ
ですが、以前  で見ました方法を試みております。
 では新聞紙A4の大きさ でしたが、私の場合、書道を練習した半紙を使用しております。
先ず、サツマイモをよく洗って食べるだけを半紙に包んでチンするだけです。
洗った物を包みますので半紙を濡らすことは不要です。
私の場合、1回分は3~4分ですが、複数人で食べるときは大きいままを半紙に包み4分ほどで
向きを変えたりして様子を見ながら仕上げます。
ホクホクのサツマイモの出来上がりです。
この方法で 「ジャガイモ」 も美味しく食べております。

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友人の庭のお花のご紹介    

2011年10月20日 19時25分55秒 | 友人の庭のお花のご紹介

永い間 「友人の庭のお花のご紹介」 をご覧頂きましたが、「この度、パソコンが不調で
今回 {XP」から「Windows 7」 にアップします。
このため現在のHome Pageのソフトの互換性が無く使用できず新規に作成しなければ
なりません。
誠に恐縮ですがしばらくの間 Hide Gallery はクローズさせて頂きます。」
といただきました。
いつも多くの皆様にお楽しみ頂きまして有難うございました。
しばらくお待ちいただきたく、最後の  をご覧頂きたくご紹介させていただきます。

  
       つ り 花 1                  つ り 花 2
  
        つ り 花 3                 つ り 花 4

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女性部長様からの嬉しいプレゼント!     

2011年10月18日 15時34分29秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

          
          
                      直径15cm (全部 )もある大玉  の 「新高」

先日実施されました 「千葉県遺族会女性部研修会 焼津黒潮温泉の旅」 のブログと  をお届け
致しましたことにとても喜んでいただき、地元の美味しい梨を  頂きました。
米寿を迎えて益々お元気にご指導を頂いておりますことに感謝の気持ちをお届けさせていただき
ましたが、心温まりますお手紙まで添えていただき恐縮に存じます。
頂きました美味しい梨は孫達と遠慮無くご馳走になります。
誠に有難うございました。
ここに、部長様のお手紙を記したく存じます。
前略 
梨は体内に塩分をため込む、高血圧、心臓病、腎臓病、糖尿病に効き目があり、呼吸器病に
役立つと言われています。(以上説明書より)まだお若いので心配ないと思いますが。
護国神社秋季大祭には種々とご苦労様でした。
香取市の皆さんもあれから昼食をして1時半頃無事に帰宅しました。
早速あなた様に頂いた旅の記録と写真を拝見致し、感謝しております。
いつもながらご丁寧に説明付きで、再び旅行をしている気分になりました。
又、歴史も詳しく記され、「あゝそうだったのか」 と改めて勉強させていただきました。
これからはあなた方の時代に女性部の発展を託しております。
妻の立場と娘の立場は各々違います。
しかし、戦時中の苦労は母子ともに決して忘れる事はありません。
66年の月日は夢のように過ぎました。
政権も変わり民主党になりましたが、どの党に代わっても国民が期待する程変わりませんね。
12日は第2ブロック大会の当番で、老骨にむち打って頑張りました。
これも気持ちだけで身体の方はさっぱり付いて行きません。
唯年を重ねただけで歯痒い思いです。
でも遺族会はいままで私の生き甲斐と思って頑張って参りました。
昭和28年、この会が発足以来携わって来ましたからね。
若いときは苦労も将来への希望を持って主人と2人分働いてきました。
計画通りいま、老後は幸せです。
子供に孝行してもらって何の不自由も後悔もありません。
生も終わりがよければすべて良しとしましょう。
私はこの頃、視力が衰えて誤字やら乱筆で失礼とは思いますがご了承下さいませ。
水郷梨も終わりで良い物ではありませんが、ご笑味くださいませ。
だんだん冷え込んできました。お風邪など召しませんようにお身体を大切にしてくださいませね。
又、お会いする日を楽しみにしています。
送状に添えて御礼まで。                                  かしこ
以上、とても嬉しく拝読させていただきました。

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平成23年度 「千葉市戦没者追悼式」 が行われました。 

2011年10月16日 07時19分27秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                千 葉 市 戦 没 者 追 悼 式 
          平成23年10月14日(木)14:00開式
                於 千葉市市民会館
    
           会場案内板                      千葉市受付担当の皆様        

先の大戦にて尊い命を落とされました4200余柱のご冥福を祈る 千葉市戦没者追悼式」が千葉市消防音楽隊の皆様による演奏が流れる中、2時開式に厳かに
執り行われました。

式典には熊谷千葉市長様を初め、市議、県議、国会議員、母子推進委員、民生委員他多数のご来賓の皆様、遺族関係者約400名が参列されました。
 
       千葉市遺族会会長 「追悼のことば」                遺族代表 「思い出のことば」

ご来賓、各関係会長様の「追悼のことば」に続いて、遺族代表「思い出のことば」が奉読されました。
今年度は千葉市花見川区にお住まいの 川上 智子様 でした。
「お父様の戦死の日に生を受けましたこと」、「戦争遺児は私たちの代で終わりにしたい」等々を丁寧にお言葉を述べられました凛としたお姿に会場の皆様が感激と共に熱き思いにハンカチを目にして 「とても立派でした」 との感想が多く耳に届きました。
95歳になられたお母様を会場にお迎えして、お父様への想いを奉読されましたことに「親孝行ができました」 と語りながら、貴重な機会を与えて頂きました千葉市遺族会鈴木会長様に感謝を申し上げたいと述べられました。
ご本人のご了解を頂きましたのでここに全文を綴らせていただきます。
お目を通して頂けましたら有難く存じます。

           「思い出のことば」
         
父への想いと鎮魂の言葉

 本日茲に、千葉市長、熊谷俊人様をはじめ、多数のご来賓のご臨席を賜り「千葉市戦没者、戦災死没者追悼式」 が執り行われますことは、私共遺族にとりまして誠に有難く、千葉市遺族会を代表致しまして厚く御礼申し上げます。
 又、此の度の東日本大地震で亡くなられた方々、及び被災された多くの方々に心よりお悔やみを申し上げます。
 戦後66年が過ぎました今年3月、私は「戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年記念洋上慰霊祭」に全国からの362名の遺族代表の方々と共に参加させて頂くことが出来ました。
 3月5日に神戸を出港し、大和沈没地点、父の戦死したバシー海峡、シブヤン海、フィリピン沖、小笠原諸島近海など約7500キロを航行しつつ合計13回の洋上慰霊祭を執り行いまして16日に神戸へ戻って参りました。
 11日には東日本大地震発生の船内放送が有りましたが、テレビも携帯も入らない異国の洋上では連絡を取る事も出来ず、何とも不安な日々が帰国するまで続いたものでした。
 それでは私の父についてお話しをさせて頂きたいと思います。
 私は父の顔を写真以外には知りません。父は「戦艦武蔵」に乗っており、昭和19年10月24日のシブヤン海海戦での 「武蔵」 沈没の折りには何とか一命を取り止めました。
 しかしながら1ヶ月後、内地帰還の折り、バシー海峡を商船“さんとす丸”で航行中、敵の潜水艦の魚雷攻撃を受け、わずか数分で海中に没したと、生き残った戦友の方からお話しを頂きました。
 今回バシー海峡にての慰霊祭では島影1ツ見えない大海原に、あまたの軍艦、徴用船が沈没し、そしてそれらの船と共に何千メートルの海底に散って行かれた多くの英霊の方達は、どの様にして、又どのようなお気持ちで亡くなられたのか、考えれば考えるほど切なく、哀しい気持ちでいっぱいになりました。
 父がバシー海峡で亡くなりましたのが、昭和19年11月25日未明で、私がこの世に生を受けましたのも同じく、昭和19年11月25日午後1時半と妊婦手帳に記載されています。
ここに母の歌があります。
  「あまりにも 奇(く)しき運命(さだめ)よ いとし子は 父みまかりし日にぞ 生まれる」
父と母の結婚生活は、職業軍人であった父が乗っていた船の寄港地での生活が主で日数的には1年もなかった様に聞いております。
 母も今年、数えの齢、96歳になりました。私が結婚した時に、母から父の手紙を渡されました。
 父のことを何も知らない私は1人の男として、又軍人としての考え方、両親、兄弟、知人、そして妻への気持ちを手紙からしか知る術はありません。
 陛下の為、国家の為とはいいつつも延いては家族を守る確固たる信念は、今の私には考えられない程の強いものであったと思われます。
 父の手紙を読んでみたいと思います。昭和19年5月15日にに届いた手紙です。
 「呉の生活の思い出も、新たに、萬、波、荒れ狂う洋上の一線に来ている。體は益々強健の度を加え、来るべき時に備えているから、ご安心ください。
  長いようで短かった期間ではあるが、有効なる時であった。中でも父となる喜び溢れている此の頃は、決戦の庭に立つ喜びと共に世界第一の幸福者と思っている。
  遠からず身を捧げなければならない時も来るだろうが、大義の為に俺も喜んで散って行こう。
 御前も 屹度(きっと)喜んでくれることと思ふ。(しかし、それは最後の時と考えたときにのみ)
  お前も母となる体なれば、充分に注意して立派な陛下の赤子を世に出してくれる様祈っている。
  今のうちから子供の修育をする事だね。何事にもこだはらずに、よい日本人となる様に心掛けるべきです。
 不足を言わず、いつも感謝の念であってほしい。
  お前の事であるから間違いはないと思ふが、その1つ1つが子供に移る言ふ事を聞いています故に、母の行こそ大切と思う故、書きました。
  「たとえ身は 千尋の底に沈むとも 安らじおくや 日の本の国」
又、他の手紙には「今、23時、南十字星をみている」 との件がありました。

私も今回の洋上慰霊航行中の3月10日、マニラ上陸の日、まだ夜の明けきらぬ朝に、煌々と輝く南十字星を見ながら、「平和」 の2文字を強く強く感謝した事でした。
 しかし残念ながら、今、この時でさえも世界のどこかで家族、民族、国家を守る為に戦っている人々が大勢います。それ故、私たちは「平和」の大切さと有難さを、
子や孫達にしっかりと伝えていかなくてはと考えます。

 又、二度と戦争を繰り返さない事を戦没された尊い英霊の方々に誓わなくてはなりません。
 そして、戦争遺児は私たちの代で終わりにしたいと切に願っております。
 私も彼岸に行った折りには父に問うてみたいと思います。
 貴方の考えていた様な国に、又、娘に育ったでしょうか?
 最後にご来賓の皆様、並びにご遺族の皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げて、私の「父への想いと鎮魂の言葉」 とさせて頂きます。
 有難うございました。
                平成23年10月14日
                           千葉市遺族会 遺族代表    川上 智子
 
                                    献花を行う遺族の皆様
 
          千葉市役所吟詠会の皆様                         遺族代表 「御礼のことば」

会の終わりは千葉市役所吟詠会の皆様の 「献詠」 を有り難く拝聴させていただきました。
     
         弔 慰 式 (寺岡弥三郎)

        庵然夢の如く  幽明を隔つ
        定めなき人生  限りなきの情
        骨肉親朋  皆席に列し
        拈香三拝して  泣いて声を呑む

        亡き人を 終いの別れと弔えど
        心は消えず ありし面影

          金州城外作 (谷口廻瀾)

        父は明君に奉じ  子は親に奉ず 
        我来って憑弔し  涙痕新なり
        金州城外  秋深き処
        坐に憶う  斜陽馬を立つるの人を

遺族の皆様も高齢化が進み会場の空席が目立ち始め、一抹の寂しさを感じますが、幸いにもお天気に恵まれ、厳粛なる追悼式に参列させて頂きました事に
千葉市関係者他多くの皆様に御礼を申上げます。

最後に私事ですが、今年も父方の従姉3名のお方が、千葉市在住とはいえ会場からは遠く、花見川区、若葉区から参列して下さいました。
何時までも父を偲んでいただけますご厚意に有難く、亡き父もさぞ喜んで居りますことと、心から御礼と感謝を申し上げました追悼の日でございました。

    
   川上様母娘を囲む洋上慰霊団             毎年参列して下さる従姉の皆様 

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友人の庭のお花のご紹介 

2011年10月15日 21時39分43秒 | 友人の庭のお花のご紹介

厳しかった夏の暑さも記憶が薄れそうな昨今ですが、お訪ねいただいております皆様には
夏のお疲れはございませんでしょうか。
気温の変化にお風邪など召しませんようにご健勝をお祈り申し上げます。
この度、秋の可愛いお花を  頂きましたので早速ご紹介させていただきます。 
「今回は庭の花 つり花 ・ まゆみ ・ 霜柱 ・ ふじばかま ・ 風露草 ・ 南天萩
 をご紹介し、追って 「つり花」 のファイナルをご案内いたします。」
と頂きましたのでご一緒にご覧いただけましたら嬉しゅうございます。


            つ り 花                       ま ゆ み
 
            霜  柱                       ふじばかま

            風 露 草                      南 天 萩

庭のお花の他にご主人様の油彩、奥様の陶芸作品もご覧頂きたくご紹介させていただきます。
        Hide Gallery  http://www6.plala.or.jp/inage3/index.html

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2011年(平成23年)千葉県護国神社秋季大祭

2011年10月13日 11時10分04秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

              秋季大祭 2011年(平成23年)10月10日 (月)  10時 開式

             千葉県護国神社                  来賓の皆様による慰霊碑への拝礼

                        靖国神社の巫女さんによります奉納の舞

                                 沖縄の奉納の舞

                         千葉県内から1000名余の参列者の皆様
に恵まれました10月10日 () 10時開式に熊谷千葉市長様を初め多くのご来賓の
ご参列を頂きました。
千葉県内から1000名余の遺族関係者は遠くは千葉県南端の南房総市をはじめ、都心に近い流山市方面から大型 や自家用車で多くの皆様が参列されました。
今年は戦後66年、戦後生まれの国民が多くなっております現在ですが、私達は悲惨な戦争を語り継ぐべく大切な行事に鎮魂の誠を捧げております。 合掌
当日の嬉しかったこと 
10月2日UPの千葉県遺族会女性部研修旅行のブログと  をお届けできましたことです。
千葉県遺族会事務局を初め、岩崎女性部長様、一夜さの親睦を深めました長生村の皆様他10名余の皆様方に喜んでいただきました。
夜は  ラッシュに嬉しく幸せの一時を頂きました。
岩崎部長様は米寿を迎えられ、ますますお元気にご指導を頂いておりますことに遺児の一人として感謝を申し上げておりますところです。
昭和28年戦没者妻の会 「婦人部」 を発足する迄のご苦労から現在までのご尽力に想像を絶する多くがありましたこと。
特に恩給復活の28年は当時ヤミ米1俵8000円の時代に年間23,000円の給付でした。
お仲間の中には苦労のままにご主人様のもとに旅立たれたお方も大勢お出でですが今、尚平和な世の中に生有ることに大きな喜びですと。
長時間のお に恐縮しながらも部長様から戦後のご苦労を拝聴させていただき、多くを学ぶことが出来ました。

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金澤の山ちゃんだより ~ 73 ~                 

2011年10月09日 10時39分45秒 | 金澤の山ちゃんだより

                       石船 (いわふね) 神社


     
新潟 (村上 石船神社 鳥居)            新潟 (村上 石船神社 拝殿)

  新潟 (村上 石船神社 境内から見る漁港)    新潟 (村上 石船神社 鳥居の注連縄)

石船神社 (いわふね) は延喜式の磐舟郡八座の筆頭に記されている、古くからある神社である
祭神は饒速日命 (にぎはやひのみこと)、罔象女命 (みずはのめのみこと)、たかおかみの命、
くらおかみの命の四神

饒速日命は物部氏が祀る魂の名で、罔象女命以下は海神で貴船神社の神々でこの神社を
明神様ともいう所以である

鳥居の注連縄の結び方に特徴があった           新潟県村上市岩船三日市にて

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未歩ちゃんの運動会

2011年10月08日 07時25分53秒 | 未歩ちゃん

      平成23年10月5日 (水)  ~ 7日 (金)  に延期して開催 
        4歳1ヶ月を迎えた未歩ちゃんは3回目の運動会に参加しました


      綺麗に飾られた運動会会場            開会式 「所長先生のお話」

 可愛いチューリップ組のお友だち 「ジャブジャブゴシゴシお洗濯」 をして上手に干せました

年長児のお友だちと保護者の皆様による 「ねらってシュート (玉入れ)」 赤勝て 白勝て

    「人間っていいな」  踊る未歩ちゃん 「力を合わせてオーエス(綱引き)」も頑張りました

             「スズメ蜂に気をつけろ」 を踊る年中児のお友だち

           練習の成果が素晴らしい年長児のお友だちの組み体操

         「一世風靡参上!ハードオプソード」 年長児のお友だちの演技
「送って送って!」 頑張れ!お父さんお母さん  「リレー」  年中児 ・ 年長児のお友だち

 
 未歩ちゃんは  応援もしっかり出来ました      運動会が終わってほっと一息

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