独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

13年前の3:11を振り返りました

2024年03月12日 06時00分00秒 | 洋上慰霊

               日  程 2011年(平成23年)3月5日(土) ~ 16日(水)(11泊12日)
                    参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)

    戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、平成23年は20周年を迎えました。
           これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県代表として参加の機会を頂きました。
            3月5日神戸港に集合して 「ふじ丸」 に乗船、「結団式」 を行い、正午に出航しました。
各地域で延べ13回の慰霊祭を行い、途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として小学校や病院を訪問して学用品や車イスを寄贈致しました。
  3月11日 「東日本大地震発生」 時は 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が行われております時と終了後に艦内放送で知ることとなりました。
  艦内放送が頻繁にされるも、海上ではテレビ、電話すべてが不可、被災地の皆様は、不安を隠しきれずに掲示物を真剣に見入っておりました。
  3月15日には最後の 「伊豆諸島近海洋上慰霊祭」 を行い、夕刻からは解団式及び懇親会を行い16日午前8時無事神戸港に帰港しました。
     しかし、宮城県を初め、同乗された遺児の自宅が、家族が、被災されました事の情報に、新たな悲しみの慰霊の旅となりました。
  下船しても東北地方は新幹線も走らず帰宅もできませんでした遺児の皆様に慰めの言葉も在りませんほどに被災された皆様に心が痛みました。


         「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路                   お世話になりました 「ふじ丸」

 
           44都道府県から遺児参加者363名                   団長様を囲んで千葉県遺児参加者14名
                                          千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ 嘉子

3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
夕刻5時頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。海上では、電話、携帯、テレビ 全て不可。
被災地の皆様の連絡には特別の配慮があったようですが、私たちはラジオから聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが心配、不安でしたが被災地とされる皆様はボードに
貼られた被災状況に泣き崩れるお方もいらっしゃいました。私達はただただご東北地方のご家族の皆様のご無事をお祈り申し上げておりました。



                                         ボードにはられた記事の一部より

                                 「洋上慰霊の三・一一を詠む」
                     「ふじ丸」に届く「東北に津波発生」南方洋上にすべなく聞けり
                      船内のテレビ・携帯すべて不可 短波放送を息こらし聞く
                     「ふじ丸」が揺れ始めたるは夕刻で洋上慰霊の人ら歩けず
                      次々にボードに貼らるる津波報に被災地の戦争遺児ら呆然
                      数万人の安否不明の記事に見る瓦礫の山は被爆せしごと
                      日本の実態は知れずサマール沖航行中に大地震(おほなゐ)に遇ふ
                      轟轟と白く立つ波星明かりに浮かべば命あるを思ふも
                     「落ち着いて行動せよ」と幾たびも亡父の声聞き死も想定す
                      三日後の父島通過に東北の甚大な被害を映像に知る
                      次々と伝ふる被害の映像は地獄図のごと戦争と重なる

私事ですが、2011年3月11日14時46分頃発生の「東日本大震災」時は、父が乗船しておりました「鳥海」の戦没地のサマール島北方にて「洋上慰霊祭」を執り行って頂いておりました。
そして「東日本大地震発生」時(時間差1時間遅れ)に千葉県代表として「追悼のことば」を奉読する機会を頂き、日本の被害状況を知ることも無く、父への思いを述べておりました。
しかし、「洋上慰霊祭」後の5時過ぎに揺れ始めましたと同時に「東日本大震災」の事実を館内放送に聞くことができ、だんだん揺れも激しくなって恐怖の日々の始まりでした。
そして翌日、3月12日の午前中、まだ激しく揺れておりました船上での「洋上慰霊祭」に東日本大震災の犠牲者のみ霊に黙祷と合掌を捧げました。
3:11を迎えます度に、初めて父への慰霊ができました喜びと、サマール沖航行中に発生しました「東日本大地震発生」のあの恐怖の日々を想いだします。

 

                      過去ログですが、3・11の状況を私自身が振り返るために記録しました。
                     「慰霊友好親善事業20周年記念「洋上慰霊」に参加して」 
                  日  程 2011年(平成23年)3月5日 ~ 16日 (11泊12日)

                             慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-1) 
                      慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-2)
                      慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-3)

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私の11年前の3・11 ~ 宮城県 閖上地区の慰霊の旅

2022年03月14日 17時36分45秒 | 洋上慰霊

               私の11年前の「3・11の記録」 ~ 「閖上地区の慰霊の旅」を振り返りました。
       戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施開始から平成23年は20周年を迎えました。

        これを記念して海で犠牲になられた兵士のために初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県代表として参加の機会を頂きました。

                   「慰霊友好親善事業20周年記念「洋上慰霊」に参加して」          
               
日  程 2011年(平成23年)3月5日 ~ 16日 (11泊12日)
               
参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)

       「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路                  お世話になりました 「ふじ丸」

 
      44都道府県から遺児
参加者363名                 団長様を囲んで千葉県遺児参加者14名
                                       千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ 嘉子
3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
夕刻頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。海上では、電話、携帯、テレビ 全て不可。
被災地の皆様には連絡に特別の配慮があったようですが、
私たちはラジオから聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが心配、不安でしたが、被災地とされる皆様にただただご家族のご無事をお祈り申し上げておりました。



                                              次々にボードにはられた記事の一部より
   「洋上慰霊の三・一一を詠む」
      「ふじ丸」に届く「東北に津波発生」南方洋上にすべなく聞けり
       船内のテレビ・携帯すべて不可 短波放送を息こらし聞く
      「ふじ丸」が揺れ始めたるは夕刻で洋上慰霊の人ら歩けず
       次々にボードに貼らるる津波報に被災地の戦争遺児ら呆然
       数万人の安否不明の記事に見る瓦礫の山は被爆せしごと
       日本の実態は知れずサマール沖航行中に大地震(おほなゐ)に遇ふ
       轟轟と白く立つ波星明かりに浮かべば命あるを思ふも
      「落ち着いて行動せよ」と幾たびも亡父の声聞き死も想定す
       三日後の父島通過に東北の甚大な被害を映像に知る
       次々と伝ふる被害の映像は地獄図のごと戦争と重なる

私ごとになりますが、2011年3月11日14時46分頃に発生しました「東日本大震災」時は、父が乗船しておりました「鳥海」が眠っていると思われますサマール島北方
にて「洋上慰霊祭」を執り行って頂いておりました。
その「東日本大震災」時(時間差に1時間遅れ)に
千葉県代表として「追悼のことば」を奉読する機会を頂きました事は生涯忘れる事ができない洋上慰霊の旅となりました。
翌日、3月12日の午前中の慰霊祭には東日本大震災の犠牲者のみ霊に黙祷と合掌を捧げました。

「宮城県 閖上地区の慰霊の旅」 
 2011年(平成23年)3月5日~16日 (11泊12日)に実施されました 「遺児による洋上慰霊」に宮城県から参加者中に3・11 東日本大震災に配偶者・親族の
 皆様が犠牲に遭われたお方がおりました事に平成27年度 第4回目の「想い出の会」を「宮城県 閖上地区の慰霊の旅」として実施されました。
日 程 第一日目 2015年(平成27年)4月27日(月)  気温  日中は28度とも報道されました。
         13:15 仙台国際ホテル 1Fロビー集合

         13:40 ホテル出発
         14:00 宮城県護国神社参拝(青葉城本丸跡)
         15:50 東日本大震災被災地 慰霊・視察
         17:00 ホテル到着
         18:30 懇親会開始
「先ず宮城県護国神社参拝」
 
      宮城県護国神社参拝 「第4回 洋上慰霊想い出の会」 参加者 51名             参拝記念御朱印
「東日本大震災被災地 ・ 閖上(ゆりあげ)地区 慰霊視察へ」
宮城県名取市(HPより)
閖上地域の人口を見ると、大震災前の2月末時点で5612人だった。

しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。
名取市の犠牲者数は1027人(不明者は119人:6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中している。
9月末の人口は2410人となり、犠牲者だけでなく多くの住民が閖上から姿を消したことを物語っている。
多くの人が犠牲になった主因は他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が大渋滞に
巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。
8月3日の河北新報社証言記事が詳細に報じました。
写真は2015年(平成27年)4月27日撮影

 
                   3.11の被害に遭われた閖上(ゆりあげ)地区の慰霊と視察
 
         
お地蔵尊が各所に建てられておりました            土台のみが遺る住宅跡地に咲くチューリップ
 
 土盛り工事中の多くのダンプとクレーン車が目につきました      8.4メートル忘れぬ名取・閖上に「震災慰霊碑建立」                                           
「震災慰霊碑」は
日和山近くの市有地に建てられた。盛り土の上に立つ白御影石の碑は植物の芽生えをデザインしたものです。
地面からの高さは一帯を襲った津波と同じ8.4メートルに設計されました。
種をイメージした黒御影石の碑には 「亡き人を悼み故郷を想(おも)う 故郷を愛する御霊よ 安らかに」 と刻まれました。
944人の犠牲者名を記した 「芳名板」 も設置されました。
 
     石碑には追悼のお言葉が刻まれていました                  日和山公園跡の表示板
  
                  日和神社参拝                                                     日和神社を後方より撮影              
「日和神社」は標高6.3mの日和山。津波はこれより約2m高かったと言われています。
 神社の境内に立つ松の木の3分の1程まで水が来たそうです。
 かつてはここに上り「今日は良い日和」と海を街を眺めたところから日和山 → 日和神社となりましたことを伺いました。

   閖上(ゆりあげ)地区 慰霊視察に詠む
     「洋上慰霊の想い出の会」(おもひでのかい)でおとなふ仙台はまづ閖上(ゆりあげ)地区の慰霊に
     立札に「ふるさと閖上大好き」とあるも見渡す限り茫々
     住民の大量流出にも土盛りするダンプや重機が砂煙あげる     
     閖上の慰霊碑は八・四メートル津波と同じく忘れじと建つ
     被災者の再起にかくる意思示し植物の芽と種のデザイン
     家々が瓦礫と化ししその跡に賑はふ花の小さくゆるる
     犠牲者が掌ふるごと穏やかな閖上湾の波のきらめき


               過去ログですが、3・11の状況を私自身が振り返るために記録しました。
                  「慰霊友好親善事業20周年記念「洋上慰霊」に参加して」 
               日  程 2011年(平成23年)3月5日 ~ 16日 (11泊12日)

                 慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-1) 
                 慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-2)
                 慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-3)

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秋田特産 「いぶりがっこ」 と沢山の和紙・封筒を頂きました

2022年02月25日 14時58分42秒 | 洋上慰霊

                              
             頂いた「いぶりがっこ」          婿殿が喜んだクリームチーズをのせたお酒のおつまみ
(おつまみの画像と名前の由来はネットより頂きました。)
 
「いぶりがっこ」という名前の由来は、秋田の方言で漬物のことを、「がっこ」と呼びます。いぶりがっこは燻していることから、いぶしているがっこ、「いぶりがっこ」
いう名前が付きました。名前の由来は諸説ありますが、最も有力な由来となります。
いぶりがっこの特徴は、大根を楢の木や桜の木で燻しているので、独特な香ばしい香りがします。
大根を1本1本米ぬかで漬け込んでいるので、どこか懐かしい味わいが特徴です。いぶりがっこはお土産としても人気がある商品で、お酒を飲む方にもおすすめです。
ご飯との相性が良いので、おかずとしても人気があります。

初めて頂きました 「いぶりがっこ」は切ったまま、温かいご飯にも美味しく頂いておりますが、チーズともよく合いお酒のおつまみにも良いと伺いましたので挟んだままでも
頂きました。

「和紙と封筒のプレゼント」

 
  和紙500枚(53cm×40cm)   和紙500枚(36cm×36cm)        A4・B5の封筒各200枚ずつでした
以上が同封されました大きな段ボールが届いてビックリ!
開けて又ビックリ!奥様の郷里の「いぶりがっこ」、立派な和紙がずしりと重く、封筒も良く使用しますのでとてもありがたく頂きました。
 頂いた方は11年前に遺族会の洋上慰霊にご一緒しました 伊藤富男様の奥様でした。
ご主人様は残念ながら5年前にご逝去されましたがその後、奥様が遺族会会員としてご尽力頂いております事に交流を深めております。
ご主人様は大手企業の「川鉄」に定年までご勤務され、第二の就職先は製紙会社に勤務と伺っておりました。
奥様がご主人様のお部屋の整理に苦慮されておりました事に以前「和紙は大切ですよ」と申し上げました事、私が書道をお稽古しております事を思い出して頂き、沢山の和紙の 
を頂きました。
大きく、しっかりした和紙は町内会の総会・新年会・敬老会などの式次第を書かせて頂きたく思っております。

 

                 以前はご主人様の遺品の陶芸作品を沢山頂きました   遺児の友人からの手作りプレゼント

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10年前の3月11日の洋上慰霊を振り返って

2021年03月11日 01時41分40秒 | 洋上慰霊

2021年(令和3年)3月11日は「東日本大震災」から10年目を迎えました。
お亡くなりになられました多くのみ霊に哀悼の誠を捧げます。合掌
尚、いまだにご遺体が不明のままの多くの犠牲者の皆様にお悔やみを申し上げます。
そしてさまざまな被害に遭われご苦労をされておいでの多くの皆様に心からお見舞いを申し上げます。

ここに私の10年前の記録を紐解いてみました。

戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施開始から平成23年は20周年を迎えました。
これを記念して海で犠牲になられた兵士のために初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県代表として参加の機会を頂きました。

                「慰霊友好親善事業20周年記念「洋上慰霊」に参加して」          
               
日  程 2011年(平成23年)3月5日 ~ 16日 (11泊12日)
               
参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)


       「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路                   お世話になりました 「ふじ丸」
 
       44都道府県から遺児参加者363名                  団長様を囲んで千葉県遺児参加者14名
                                      千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ 嘉子   

 
            船上の洋上慰霊祭斎場                 慰霊祭終了後はデッキにて白菊、おむすび他を捧げました
                                      「鳥海」に届けと捧げし白菊を呑み込むごとく荒波が運ぶ 嘉子

3月5日神戸港に集合して 「ふじ丸」 に乗船、「結団式」 を行い、正午に出航しました。
各地域で延べ13回の慰霊祭を行い、途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として小学校や病院を訪問して学用品や車イスを寄贈致しました。
3月11日 (金)    7回目 ルソン島南方 (シブヤン海) 洋上慰霊祭 (午前)

               8回目 サマール島北方洋上慰霊祭         (午後) 
私は11日 (金) 午後、1時から(日本時間2時)私を含む20名の遺児が 「サマール島北方洋上慰霊祭」 を執り行って頂きました。
その席で、千葉県を代表して「追悼のことば」を奉読させて頂く機会を頂きました。
 

 
「鳥海」 田中艦長様のご子息様と父の好物を供えて 「追悼のことば」 を奉読中に大震災発生を夕刻に知る
               「鳥海」の艦長の子息に出会ひたり船上に交はす熱きあつき握手 嘉子

「追悼のことば」の最後は次のように申し上げました。
この幸せは、ここ遠く異郷の地に眠りますご英霊の皆様のご加護のおかげと感謝を申し上げ、追悼の歌を捧げました。

                海底に今なほ眠るみ霊らにわが生の限り祈り捧げむ 嘉子

「東日本大震災発生」は慰霊祭終了後に艦内放送で状況を知ることとなりました。
艦内放送が頻繁にされるも海上ではテレビ電話すべてが不可、被災地の遺児の皆様は不安を隠しきれずに掲示物を真剣に見入っておりました姿が忘れられません。
  
                       次々にボードにはられた記事の一部より
そしての3月12日 (土) 午前中   9回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭開始に先ず、「東北大震災」の犠牲になられました皆様に汽笛と共に黙祷を捧げました。合掌
                この時のことを詠みました歌です。
                      戦死者と新たな死者への鎮魂に黙祷を捧ぐ汽笛と共に 嘉子 

3月15日、最後の 「伊豆諸島近海洋上慰霊祭」 を行い、夕刻からは解団式及び懇親会を行い16日午前8時無事神戸港に帰港しました。
宮城県を初め、被災されました遺児の自宅が、家族などの様子が全く分からない状態に新たな悲しみの慰霊の旅になりました。
下船はしましたものの、被災地の皆様の交通手段は閉ざされ、スーツケース等の荷物の送付も出来なく、何日間も神戸近郊のホテルに宿泊、宿泊費は個人負担に出費も
重なりとてもご苦労をされました事を後日お伺いいたしました。
幸いにも千葉県一同が無事の帰宅を千葉県遺族会に報告ができホットしました事が思い出されます。

私ごとになりますが、2011年3月11日14時46分頃に発生しました「東日本大震災」時は、時同じくして父が乗船しておりました「鳥海」が眠っていると思われます
サマール島北方にて「洋上慰霊祭」を執り行って頂きました。
その折に千葉県代表として「追悼のことば」を奉読する機会を頂きました事は生涯忘れることができない私の大切な3・11となりました。

「洋上慰霊の3・11」を詠むの一部より

   「ふじ丸」に届く「東北に津波発生」南方洋上にすべなく聞けり
    船内のテレビ・携帯すべて不可 短波放送を息こらし聞く
    ラヂオから千葉死者一名と三・一一の洋上の記憶
   「ふじ丸」が揺れ始めたるは夕刻で室内待機の放送しきり
    数万人の安否不明の記事に見る瓦礫の山は被爆せしごと(船内の掲示板の新聞に見る)
    轟轟と白く立つ波星明かりに浮かべばいのちあるを思ふも
   「落ち着いて行動せよ」と幾たびも亡父の声聞き死も想定す
    三日後の父島通過に東北の甚大な被害を映像に知る
    次々と伝ふる被害の映像は地獄図のごと戦争と重なる
   「洋上慰霊」に同乗したる東北の遺児ら被災地のいづこにをるや(帰国後に詠む)

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遺児の友人からの手作りプレゼント

2019年03月23日 20時01分14秒 | 洋上慰霊


             「酒」の文字 が素敵                               お茶を美味しく頂きます 

平成23年3月5日~16日(11泊12日)に実施されました慰霊友好親善事業20周年記念「洋上慰霊」に参加しました千葉県参加者14名のお一人、故伊藤富雄様の奥様からご主人様
手作りの作品を頂きました。
ご主人様は定年まで千葉市内の大企業に勤務されておいででした。
その折に海外の見学者のお土産は「陶芸作品」が良いとの会社の方針に、伊藤様は社命にて陶芸を学び「陶芸倶楽部」を設立され、社員の指導は勿論ですが、多くの海外のお客様のお土産造りに
ご尽力されました事も伺っておりました。
洋上慰霊参加後は遺児間の交流を図りながら、遺族会行事にも協力的に参加をして頂き、とても心強く思っておりましたところでした。
しかし、残念!平成29年83歳にて急逝されました。 合掌
お悔やみにお伺い致しました折に奥様から遺族会会員として継続を頂けますお話を頂き、諸行事にお誘いをさせて頂き親交を温めております昨今でございます。

本日は、千葉市民展にお出で頂き、ご主人様が生前出品されておいででした「工芸」部門の会場にご主人様を偲び、書道会場にも足を運んで頂きご案内をさせて頂きました。
ご主人様が遺されました大切な作品を頂きましたのでご紹介させて頂きました。
     

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戦後70周年記念 「洋上慰霊報告書」 を頂きました

2017年05月13日 22時43分48秒 | 洋上慰霊

                   過去ブログの紹介 終戦70周年記念洋上慰霊参加者の決定通知を頂きました 

               戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5-1)

                日      程  平成28年3月1日(火) ~ 10日(木)
                参 加 資 格  海域戦没者の遺児 
                参  加   者  44都道府県から 289名 (内千葉県参加者9名)

戦没者遺児は100万人とも言われております。
戦後70年を経ても諸事情から亡き父上が散華されました地に慰霊巡拝に参加出来ない多くの遺児がお出でになります中、健康が一番条件にそして家族の理解に恵まれ、
貴重な事業に再び参加をすることができました。
父を知らない私ではありますが「鳥海」が沈没したと思われます海底に好物の品々を捧げ「お父さ~ん」と呼びかけることができました事に、生涯最後の思い出と今でも
目頭が熱くなります。
上記に参加の折に提出いたしました参加者全員の「追悼文」を中心に編集頂きました「洋上慰霊報告書」を頂きましたので記念に収めたく思います。


  A4版 296頁の編集にずっしり重い報告書に感謝               宇田川団長様大変お世話になりました

       297頁にわたる編集内容の目次            管船長様に頂きました素敵なサインは宝物です(過去ログに保存)

                              慰霊祭の折に父に届けました私の「追悼文」です

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香川県のお土産を頂きました

2016年09月13日 11時17分41秒 | 洋上慰霊

「ころたん」  のご紹介に多くの皆様にお尋ね頂きまして有り難うございました。

感激の「ころたん」を頂きました折りに、M様の故郷、香川県の美味しい「半生うどん」も頂きました。
「半生うどん」は初めてでしたのでパンフレットに掲載の多くの食べ方に挑戦してお食事の時間を楽しんでおります。
Mさまご馳走様でございます。有り難うございました。

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名入りメロンの素敵なプレゼントを頂きました

2016年09月11日 21時58分02秒 | 洋上慰霊

                 2015年02月15日マイころたんコンテスト」に友人が優秀賞受賞

上記にご紹介の友人は園芸歴30余年、平成23年3月5日~16日迄、初めての洋上慰霊にご一緒させて頂きましてからただ今まで、変わらぬご厚誼を頂きお世話になっております千葉県佐倉市にお住いの大切な友人です。
昨年初めて「マイころたんコンテスト」のお話を伺い、お孫様のお名前をいれて作成したご努力の作品が受賞されましたことに大きな  を申し上げておりました。
そしてこの度、私の名前を入れて長きにわたり丹精込めて作って下さいました「ころたん」を  頂き、お心遣いに感謝を申し上げておりますところでございます。
お手紙に「私がお庭で育てた「ころたん」です。1日に何度も観察して、早朝に授粉するのが楽しみでした。
今年は6月からの天候不順で編目がきれいに出ませんでしたがご笑納下さいませ。
又、「亀城庵 半生うどん」は、私の故郷 香川県の美味しいうどんですのでどうぞ召し上がって下さいませね。」とお言葉を頂きとても恐縮しております。
M様、重ね重ね本当に有り難うございました。
名前の公表に  ですが、とても感激を致しましたのでご紹介をさせて頂きます。
早速頂くのも勿体なく、先ずは仏壇に供えさせて頂きました。


       1個ずつ丁寧に管理されているところです                  世界で2個だけの宝物のメロンです

 
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戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5ー5)

2016年04月09日 16時44分08秒 | 洋上慰霊

                 第10回 平成28年3月9日(水)気温  午前 9時半~「グアム島沖慰霊祭」 
                                      慰霊地別参列者13名(千葉県該当者無し)
 

        グアム島へ向かって航行(9時撮影)            「グアム島沖慰霊祭」 終了後、風に舞う白菊          
     グアム島が見え始めました(13時16分撮影)         グアム アプラ港に近づいて(14時10分撮影)  
                                         グアム アプラ港に入港して

平成28年3月9日(水)気温  午後 4時~「全戦没者追悼式」 
 
            「全戦没者追悼式」                         参加者全員の記念撮影
 
               
解 団 式                       病院関係者へ記念品の目録贈呈式
 
               
        涙を共にいたしました千葉県慰霊団の皆様
                平成28年3月10日(木)気温  午前 2時半集合 ~ 帰国の途へ
 
  「にっぽん丸」より下船~バス~グアム空港へ(K様午前4時撮影)        よりアプラ港を望む (K様午前6時12分撮影)

  
                        よりアプラ港を望む (K様午前6時13分撮影)

3月1日(火)に神戸港を17:00に出港致しましてから3065海里(約5676km)を航行して頂き、10回の慰霊祭を執り行って頂きました。
参加された皆様全員が「追悼のことば」、「祖国の白菊」、「おむすび」、「郷土のお酒、お米、お水」等を父に捧げ、亡き父へ最高の供養が出来ました。
解団式、懇親会には涙も消え、関係各位の皆様に感謝を申し上げながら笑顔でグラスを傾けることが出来ました。
そして、千葉県代表として早朝の健康チェックをはじめ、朝食後の休憩もなく世話人ミーティングに出席され、いろいろとご配慮を頂きましたT様に心から御礼を
申し上げております。本当にお疲れ様でございました。有り難うございました。

終戦から70年も過ぎ、戦後も遠くなりました。
しかし、過去の事実は事実として再び悲惨な過ちを繰り返すことが無き事を祈り、未熟ですが記録とさせて頂きました。
毎日お訪ねいただきました多くの皆様方に心から御礼を申し上げます。有り難うございました。 

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戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5ー4)      

2016年04月08日 00時27分40秒 | 洋上慰霊

毎日お訪ね頂いております多くの皆様へ
この度「終戦70周年記念洋上慰霊に参加して」を私自身の記録に残したく綴っておりますが、毎日多くの皆様にお訪ね頂いておりますことに心から御礼を申し上げます。
過去の不幸な戦争の事実も、風化されつつありますかのように思われてなりません。
戦後生まれのお方が多くお出での世の中になりましたが、わが国は、戦いの無い70年が続き、日本史上例のない程の繁栄を迎えております。
尊い命を捧げて国を守ってくださった多くのご英霊に哀悼の誠を捧げたく、もう少しまとめて参りたく存じます。
お気づきの訂正箇所などご指摘頂けましたら幸いに存じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

               第7回 平成28年3月6日(日)気温  午前 10時半~「レイテ島東方沖慰霊祭」 
                                         慰霊地別参列者39名(内千葉県男性1名参列)

          供花をされる慰霊地別参列者の皆様              千葉県慰霊団を代表して「追悼の言葉」を奉読されたT様

 
       慰霊祭後、デッキから祖国の白菊捧げました               この美しい南海を再び汚さぬように

「操舵室見学」14時半 ~ 15時半
 とても貴重な見学が出来ましたが、操舵室内の撮影は禁止でしたので残念ながらご紹介ができません。

「歌の広場」へ参加 
「慰霊祭」はデッキの炎天下の元で行われますので、毎昼食・夕食後のひととき冷房のきいたラウンジで唄い、特別出演の素敵な歌声に耳を傾けられました事は健康管理にも
   大切なひとときを頂きました。
 
       長野県の皆様がご当地民謡をご披露されました              お名前が?ですが素晴らしい民謡のご披露でした

 
    6日パラオ諸島に向かう「にっぽん丸」(14時44分撮影)          毎昼食後のストレッチ体操も大切な時間でした
 
     
   6日(日)夕食のデザートにホオズキが添えられて               毎夕食後のストレッチ体操も大切な時間でした

3月7日(月) 10時半~ 講演「遺族会の現況と今後の動向などについて」宇田川訪問団団長様

               第8回 平成28年3月7日(月)気温  午後 3時~「パラオ諸島沖慰霊祭」 
                                    慰霊地別参列者26名(千葉県該当者無し)
 
      ペリリュー島を望む(14時20分撮影)          ヤップ島沖に向かって航行(16時20分撮影)
  
          天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝  2015年04月13日 のご紹介 

ペリリュー島という名を改めて確認することとなりましたのは両陛下のペリリュー島への慰霊の旅でございました。
その折りに、両陛下をお迎えしました中のお一人が友人でした。友人のお父様にペリリュー島に向けて気持ちばかりを捧げさせて頂きました。

3月7日(月)  20時~ 「星座教室」 5年前の洋上慰霊から2回目の素晴らしい眺め! 星が降ってくるようなとはこのこと、とても  でした。 

3月7日(月)  20時半~「ストレッチ体操教室」に参加  

時刻改正のお知らせがありました。 
日本とグアムの間には1時間の時差があります。
7日ご就寝前に、ご自分の時計を1時間進ませてからお休み下さい。(以上は船内新聞より)

                  第9回 平成28年3月8日(火)気温  午前 10時半~「ヤップ島沖慰霊祭」 
                                  慰霊地別参列者23名(千葉県男性1名参列)
 

         ヤップ島を望む(9時10分撮影)           ヤップ島慰霊祭終了後(12時25分撮影)

3月8日(火) 14時半~ 講演 にっぽん丸船長 管 啓二様
貴重なお話、楽しいお話をたくさん頂きました。1例としておさめて参りましたのでご紹介させて頂きます。 

      (Ans  200トン)               (Ans 20m)                (Ans 3分)
尚、清水代 1トン当たり 外国では1200円~1500円、日本では200円~300円とお話頂きました。

20時半~最後の「歌の広場」へ参加
 
                 いつか先生の素敵なお歌に酔いしれながら最後の「歌の広場」を楽しみました

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戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5-3)     

2016年04月05日 14時20分52秒 | 洋上慰霊

 3月5日(土)午前中は「ルソン島東方沖慰霊祭」にこの海域で眠っておりますご英霊に追悼の誠を捧げました。
5日朝、配布されました参列者の中に「鳥海」乗艦者戦死の遺児が1名お出でになりましたのでご挨拶申し上げましたところ副艦長様のご子息様とご挨拶頂きました。
何て幸せな出会いでございましょう。
平成23年第1回目の洋上慰霊の折には「鳥海」艦長様のご子息様とお目にかかる事が出来、そしてこの度は副艦長様のご子息様との出会いを頂きましたことにとても幸せに
感謝を申し上げておりますところでございます。
「鳥海」乗艦者960名全員戦死と報道されております中で艦長様、副艦長様のご子息様お二方様との出会いを頂き、感激の他ございませんが、洋上慰霊に参列出来ません
でした多くの遺児・遺族のご英霊の皆様にも哀悼の誠を申し上げさせて頂きました。
祭壇に父の写真、両親の結婚式の写真、郷里のお酒、お米、落花生他を供え戦後70年の慰霊に再び父を偲ぶ事が出来ましたことに心から感謝を申し上げました。

第6回 3月5日(土)午前 気温 10時半から「ルソン島東方沖慰霊祭」 慰霊地別参列者26名(内千葉県男性1名・及び私が参列)
 
        祭壇に父の写真 ↑ を供えました             「ルソン島東方沖慰霊祭」参列者遺児及び役員の皆様

3月5日(土)午後は追悼式を行わずに講演会「私の体験談~フィリピンでの戦没者慰霊事業に携わって~」 と題して志摩 博人先生より貴重なお話をお伺いすることが
出来ました。

その後は、「歌の広場」に参加をして歌のお姉さんのリードを頂きながら「思い出の歌」「懐かしい歌」などを歌いました。
又、遺児のお方の特別出演に尺八演奏、男性のお方が淡谷のり子さんの「君忘れじのブルース」を裏声も素敵にご披露下さいました。
尺八演奏、淡谷のり夫さん  の歌に皆様から「アンコールアンコール」が鳴りやまず、アンコールに応えて頂き楽しいひとときを過ごす事が出来ました。 

 
          講演会の演題及び講師のご紹介           歌手山村 逸香様・ピアニスト土井 亮先生のご指導を頂く
 
     父君の遺品の帽子をかぶって尺八演奏に皆様から大きな自称 淡谷のり夫様の「君忘れじのブルース」が素敵でした
  ルソン島方面と?5日(土)夕食時(18時54分撮影)        5日(土)夕食時のデザートを美味しく頂きました

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戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5-2)       

2016年04月04日 00時02分01秒 | 洋上慰霊

第2回 平成28年3月3日(木) 午前 10時から「南西諸島沖慰霊祭」 慰霊地別参列者 13名
 
「南西諸島沖慰霊祭」前の「にっぽん丸」(8時47分撮影)    祭壇に「ひなあられ」が沢山供えられました
第3回 平成28年3月3日(木) 気温  午後 3時から「宮古島沖慰霊祭」 慰霊地別参列者 9名
 
慰霊祭終了後はデッキにて白菊、おむすび他を捧げました 父君の遺品の海軍旗を掲げる福井県 日置様
 
「宮古島沖慰霊祭」後の「にっぽん丸」(16時30分撮影) ダイニング前のTVにて石垣島に到着(17時24分撮影)

3月3日(木)ひな祭りをお祝いしてダイニングもお夕食も嬉しい「ひな祭り」一色でした。
 
   沢山のストックのお花は千葉県房総の産かもと         嬉しいケーキのお心遣いに一同

         ちらし寿司を美味しく頂きました              素敵にアレンジしてくださったデザート

3月4日(金)6時起床時は小 でしたが、9時頃  が止み、空に、しかし午前・午後とも慰霊祭は室内で行われました。
第4回 午前 10時から「バシー海峡沖慰霊祭」 慰霊地別参列者30名 (内、本日よりはじめて千葉県女性2名参列)
 
 「バシー海峡沖慰霊祭」に参列された K・Y 様    「バシー海峡沖慰霊祭」に参列された遺児と役員の皆様

第5回 3月4日(金)午後 3時から「ルソン島北方沖慰霊祭」 慰霊地別参列者81名(内千葉県男性2名・女性1名参列)
この海域の戦死者が特別に多く、戦争の激しさを物語っております。合掌
 
 「にっぽん丸」はルソン島北方沖へ(
14時10分撮影) も止み「ルソン島北方沖慰霊祭」直前(14時20分撮影)         

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戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5-1)

2016年04月03日 13時02分46秒 | 洋上慰霊

                  日     程  平成28年3月1日(火) ~ 10日(木)
               参 加 資 格  海域戦没者の遺児 

                   参 加 者    44都道府県から 289名 (内千葉県参加者9名)

参加決定者の皆様へ(転載による)
戦没者遺児による慰霊友好親善事業の趣旨 
本事業は、戦没者の遺児が、亡き父等の眠る戦没地に立ち慰霊追悼を行うとともに、現地の方々と友好親善を深め、恒久平和を願う事を目的とする政府事業で、日本遺族会が委託を受け
平成3年から実施しています。

この度は、戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊として「薩南諸島沖慰霊祭」をはじめとし「グアム島沖慰霊祭」まで10回の慰霊祭を挙行して参ります。
ついては、ご参加いただく皆様方には、一般の海外観光旅行とは全く性格を異にするものであることを十分ご理解いただくとともに、全国の戦没者遺児を代表し実施地域で亡くなられた
すべての戦没者に対して慰霊を行うという極めて意義深い事業であることをご認識いただき責任ある行動をお願いします。

上記の趣旨を肝に銘じ、平成23年3月5日~16日まで、はじめての洋上慰霊に参加をさせて頂きましてから、この度、再び洋上慰霊参加許可を頂きました。
昭和19年10月27日 海軍最後の激戦地レイテ沖海戦に 「鳥海」 乗員960名の戦友の皆様と遠くレイテ島沖に眠っております父に再び慰霊が出来ましたことに関係各位の皆様方に
心から御礼を申し上げておりますところでございます。

3月1日(火)14:00神戸港のターミナルに集合、渡航手続きなどの説明を頂きました後「にっぽん丸」 に乗船「結団式」 を行い、夕刻17:00出航しました。
各海域で延べ10回の慰霊祭を執り行って頂きました。
3月9日(水)午前に最後の「グアム島沖慰霊祭」を行い、午後にはグアムアブラ港に入港して「全戦没者追悼式」を挙行して頂きました。
夕刻には船内にて友好親善事業の一環として各病院関係者をお招きして車イスなどを寄贈いたしました。
その後、解団式及び懇親会を行い3月10日(木)早朝「にっぽん丸」より下船し、グアム空港より仙台、成田、名古屋、関西、福岡の各空港へ参加者全員無事に帰郷の途に着きました。

ここに慰霊祭の日程、様子等を写真でふり返り、南海に眠ります多くのご英霊に心から哀悼の誠を捧げ、感謝の記録とさせて頂きます。 

 
      お世話になりました「にっぽん丸」 (K様 )            船長様に頂きました大切な一枚です
                    

                       船長様に頂きました全慰霊祭の航路
平成28年3月1日(火) 神戸港ターミナルへ 14:00 集合
 
        受付、出国審査~船内へ(K様 )             結団式及び、渡航手続き説明会(K様
平成28年3月2日(水) 洋上慰霊の1日目開始

毎日のスケジュール(船内新聞より)
06:00及び21:30 健康チェック  各県世話人が行いました。 (千葉県はT様にお世話になりました。) 
06:30~06:50  ラジオ体操 (第1及び第2) 大海原の気持ちの良い潮風を受けながら身体をほぐして一日のスタート開始
09:00~09:30  班長・世話人ミーティング 千葉県はT様が世話人として出席され、当日の連絡事項などの報告にお世話になりました。
又、健康管理上から、「ストレッチ体操」「歌の広場」などを慰霊祭の合間に設定して頂き、運動不足の解消に努めることが出来ました。

        鹿児島沖の旭日(6時52分撮影)               種子島を望む(12時24分撮影)

 
  2日(水)「にっぽん丸」の位置(13時16分TVより撮影)    1回目 3月2日(水) 15時~「薩南諸島沖」洋上慰霊祭
                                                 慰霊地別参列者 46名参列

 
   夕食時のメニューの表紙が楽しみでした        美味しい夕食を頂きながら薩南諸島沖の夕陽(18時19分撮影)

洋上慰霊より帰国致しましてから早くも1ヶ月を迎えようとしております。
千葉県のお仲間になかなか記録をお届け出来ずにおりますが、少しずつ進めて参りたく思います。
記憶が定かでないところもあるかと存じますので、ご一緒された皆様のお知恵を拝借致したく宜しくお願い申し上げます。

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終戦70周年記念洋上慰霊の旅から帰国致しました

2016年03月11日 16時18分53秒 | 洋上慰霊

留守中にもかかわりませず、お訪ね頂きました多くの皆様に心から御礼を申し上げます。

「戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊」に参加をさせて頂き、下記日程により慰霊祭を行って頂きまして参加者全員無事に
3月10日(木)帰国致しました。
船長様に頂きました貴重な資料をご紹介させて頂きます。

               旅 程 期 間  平成28年3月1日(火) ~ 3月10日(木)
               
参  加  者  全国289名 (内千葉県 男5名 女4名 計9名)

 
 
            お世話になりました「にっぽん丸」 (K様 )
                          船長様に頂きました大切な一枚です 

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洋上慰霊に参加して参ります

2016年02月28日 18時21分02秒 | 洋上慰霊

いつもお訪ねいただいております皆様へ
寒い日が続いておりますが、皆様におかれましてはお変わりもなくご健勝にてお過ごしの御事と拝察申し上げております。

      この度「戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊」に参加の許可を頂きました。

               旅 程 期 間  平成28年3月1日(火) ~ 3月10日(木)

               参  加  者  全国291名 (内千葉県 男5名 女4名 計9名)

以上の参加者名簿を頂きましたが、個人情報の関係から県名、氏名、男女別、それぞれの慰霊日のみに、千葉県のお方であっても住所、電話番号は未記入に、3月1日(火)
日本丸船上集合時に初めてお会いして懇親を深める事となります。
船名は慰霊日の朝に公表。前回2011年の慰霊祭には「鳥海」田中艦長様のご子息様と2人のみの運命的な出会いを頂き、とても感激を致しましたが、残念ながらこの度は
不参加と伺い、とても淋しく思っておりますところです。
今回は、3月5日(土)午前中に行って頂きます「ルソン島東方沖慰霊祭」に「鳥海」の遺児の皆様と感激の出会いを頂けますか  3月5日(土)朝礼後の発表を心ひそかに
待ちたいと思います。
再びの洋上慰霊に参加できます幸せに感謝を申し上げ、いろいろの事情からこの度の洋上慰霊に参加できません多くの遺児の皆様のためにも御英霊に哀悼の誠を捧げて参りたく
存じます。
29日(月)は神戸港近くのホテルに前泊して、3月1日(火)日本丸集合 14:00 ~の結団式及び渡航手続き説明会に臨みます。
それでは行って参ります。

       
                       父が960名の戦友と運命を共にしました 「鳥海」       

        

        

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